子殺し

親の投資を減らす最も極端な事例が、子殺しですが、このような極端な行動を取り上げても、「正常」なことの正確な描写につながらないかもしれないと言いつつも、人のそれほど極端ではない行動に影響を及ばしている基底的な心理メカニズムを知る手がかりにはなるとビョークランドは考えているようです。

子殺しは多くの伝統社会で容認されており、それどころか、特定の条件下では、親を含む社会の構成員から、それが求められることもあるそうです。人類学のデータがまとめられている「地域別人間関係資料」のデータでは、資料に含まれる60の主要な文化のうち、35の文化で子殺しの事例に関する記述があるそうです。奇形のある子どもや重病にかかっている子どもを、意図的に殺したり、捨てたりする事例が、 35の社会のうち21の社会で認められたそうです。これらの社会の多くでは、奇形児は幽霊や悪魔と考えられているため、このような子どもを殺すことは、親の権利、それどころか義務なのです。

あるひとりの子どもに向ける投資量を決める上で、母親が手がかりとするもうひとつの要因が、子どもの年齢であると言います。幼いときには病気や事故の発生率が高いため、年齢の低い子どもの方が死亡率が高いのです。この傾向は、近代医学の驚異を手にする以前の古代では、特に強かったのです。このように、子どもの繁殖価は年齢と共に高まるということは、母親は年齢の高い子どもより多くの投資をする可能性があるということであるとビョークランドは言っています。HRAFの資料にまとめられた比較文化的な証拠の分析により、進化心理学者マーティン・ディリーとマーゴ・ウイルソンは、資源が乏しい環境に生まれた子どもは、生まれた時点で殺される傾向が高いことを見出しているそうです。年上のきょうだいがいる場合には、殺されるのは必す年下の子どもだそうです。わずかしかない資源を分け合うことで、繁殖価が高い年上の子どもの生存を脅かしてしまうよりも、年下の子どもを殺すことが選択されるようです。

もちろん、子殺しは今日の先進国の文化では許されておらず、乳幼児の殺人率は、10代以降の青年や成人の殺人率よりは低いそうです。しかし嬰児殺し(1歳未満の子どもを殺すこと)も確かに生じており、その場合の加害者は、実親であることが非血縁者の7倍も多く、また、父親よりも母親が殺人者であることが多いのです。子どもが親に殺される可能性は生後1年を過ぎると急激に低下し、その後も減少を続け、青年期には事実上0になります。しかし、非血縁者による殺人はこれとは反対のパターンをたどり、子どもの年齢とともに殺される可能性は増していくそうです。そのため、親の子殺しの減少理由が、単に年齢と共に子どもが自身をうまく守れるようになるからだとは考えられないと言います。というよりは、子どもの繁殖価や子どもにそれまでに費やした投資の量が、最も小さい段階で、子殺しが行われることが多いと考えられると言います。

全体として見れば、親には、子どもの能力を判断する手がかりをつかみ、自分の資源を将来の繁殖の成功へとつないでいく心理的メカニズムが進化によって備わっていると考えられます。この競争世界で成功する可能性の最も高い子どもには、その可能性の低い子どもよりもかなり多くの投資が、特に母親から注がれるのです。

子殺し” への8件のコメント

  1. 何とも物騒なタイトルですね、今回のブログは。昨年発行された村上春樹氏の「騎士団長殺し」というタイトルにゾクッとした覚えがありますが。「子殺し」とは。「子殺しは多くの伝統社会で容認されており」・・・ですか。何とも辛い事実ではあります。我が子が生まれてきた時、何が何でもこの子を育てる、との思いを抱き、今日に至っています。「奇形のある子どもや重病にかかっている子ども」がわが子だったら。果たしてその思いを維持できただろうか。実に重い問いです。この問を突き付けられている親が大勢今この時を生きているのだろうと思うと、胸が痛くなります。子の将来を考える。自分の将来を考える。結論を出すまでにどれほどの辛酸苦痛を経なければならないのか、察して余りあります。痛い思いをして子を産むのも母親ならば「母親が殺人者」となってしまう「子殺し」。ヒトとは全体そうした存在なのか。生き残る、種をつなぐ、なら致し方がない行為か。間引きや口減らし、・・・。一人を生かすにはこの方法しかなかったという現実。私の故郷にはかつてこのことが少なからずありました。歴史がそのことを教えてくれます。思わず、合掌してしまいます。

  2. 子どもは神様に一番近く、「奇形のある子どもや重病にかかっている子ども」は特に、何十万回と生まれ変わる魂の最終段階にいるという話を聞いたことがあります。こんな話はおとぎ話のようで嫌いな人は大嫌いなのですが、なぜかとても胸に残っています。日本は、子殺しを認めない文化を形成しているとするならば、それは文化水準が高い、と言えるのではないでしょうか。根拠のない迷信のようなものに惑わされない目を持ち始めたのはもしかしたら科学の発展の賜物かもしれず、その恩恵は未来ある子どもを生かす力を持っているのですね。
    そのおとぎ話のような話は、不思議なもので必ず面倒の見れる親の元に生まれる、と続いていました。話の流れで言えば、その親の魂もとても高みにあるのでしょう。何に投資をするべきか。ヒトは、魂の向上に、人格を研磨することに、投資をしていくべきなのかもわかりません。

  3. あまり信じたくない事実が過去にはあるんですね。〝子殺しは多くの伝統社会で容認されており、それどころか、特定の条件下では、親を含む社会の構成員から、それが求められることもある〟というのは正直驚きます。それも相当な社会で認められているということでした。〝奇形児は幽霊や悪魔と考えられている〟とあり、宗教や思想がそのことに影響を与えていることは想像できました。古代には親が投資をする子を選ばなければならなかったという背景が想像できますので、現代のきょうだいにできるだけ平等に投資しようとしているということがどれだけ幸せなことなのかが理解できます。

  4. 「60の主要な文化のうち、35の文化で子殺しの事例に関する記述があり、奇形のある子どもや重病にかかっている子どもを、意図的に殺したり、捨てたりする事例が、 35の社会のうち21の社会で認められたそうです」や「奇形児は幽霊や悪魔と考えられているため、このような子どもを殺すことは、親の権利、それどころか義務」とあったことには驚愕しました。子殺しが認められていない文化しか知らない自分にとって、子殺しが容認されていた事実は嫌悪感しか抱けませんし、子殺しが認められていない時代で良かったと心底思ってしまいました。また、文化というのは、良い意味でも悪い意味でも、人を麻痺させるような印象も同時に感じました。過半数を占める案が正しく、それに乗らないと生きていくことが困難なほど批難される時代があったのでしょうね。子殺しが容認されていた時代や社会があったのも近い理由があったのではないかと感じました。

  5. 「子殺しは多くの伝統社会で容認されており、それどころか、特定の条件下では、親を含む社会の構成員から、それが求められることもあるそうです」というのはかなり衝撃的な事実ですが、少し昔の日本でもそのようなことは行われていたのかもしれませんね。小学生の頃に江戸時代では左利きや双子は不吉と考えられていたということを知り、「どういうことなんだ」と戸惑ったことを覚えていますが、現代では考えられないようなことが日本でもあったのでしょうし、今でもやはりこれは重いテーマとして私たちのどこかにあるようにも思います。本能というもので簡単に語っていいものではないかもしれませんが、生物としての生存戦略としての感情と、人としての倫理というのでしょうか、思いというものとの葛藤というのは人だからこそあるのかもなのかもしれませんね。

  6. “社会の多くでは、奇形児は幽霊や悪魔と考えられているため、このような子どもを殺すことは、親の権利、それどころか義務なのです”という意図があるとはいえ、殺すことに対しては受け止めにくい部分がありますね。また、年下の子どもが殺されやすい、繁殖価ではそのような傾向があり、遺伝子を残すための社会での形というのでしょうか。息詰まるものを感じています。しかしながら、その背景がありつつも、生き延びてきたホモサピエンスには、それから大切なもの、”自分の資源を将来の繁殖の成功へとつないでいく心理的メカニズムが進化によって備わっている”こと
    をしっかりと持っていたことが考えられます。

  7. 子殺しという言葉はあまり聞き慣れなく、ブログを読むにつれて驚きがありました。「子どもの繁殖価や子どもにそれまでに費やした投資の量が、最も小さい段階で、子殺しが行われることが多いと考えられる」とあり、投資を行う量が少ない時に子殺しを行なってしまうというのはある意味でリスクが小さい時にということなのでしょうか。いずれにしろまだよくわからない部分ではありますが。また 「奇形のある子どもや重病にかかっている子どもを、意図的に殺したり、捨てたりする事例が、 35の社会のうち21の社会で認められたそうです。」というのも衝撃でした。これが現実なのですね。こういった考えがあることを理解しておく必要がありますね。

  8. まず「子殺し」という言葉が衝撃です。自分の子を殺すことが伝統社会でも容認され、奇形のある子どもや、重病を抱えた子どもを殺すことが親の権利、義務と書いてあります。確かに現代のように医療が発達しておらず、奇形児や病気で苦しんで生きる我が子の姿を見る事は親としては一番辛い事かもしれません。それならば・・・という事でしょうか。
    最後に「この競争世界で成功する可能性の最も高い子どもには、その可能性の低い子どもよりもかなり多くの投資が、特に母親から注がれるのです」と書かれてあります。親の役割は、まさにこういう事かもしれません。今思うと自分自身も親からたくさんの投資をしてもらった気がします。自分の子どもの可能性をまずは親がしっかりと見出してあげなきゃいけませんね。

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