女性の投資量

生態環境、成熟過程、子どもが必要とすることが種によって異なるため、オスが交尾後に行う子どもへの投資量も種によってさまざまだそうです。交接後、オスが子どもや子どもの母親に明確なサポートをまったく行わない種もあれば、オスが配偶者や子どもに食料をなえる種や、さらにはオスが子どもを背にして移動するなど「子育て」に多くの時間を費やす種もあります。しかし、 95 %以上の哺乳類のオスは、子の出生後に子への投資をほとんどあるいはまったく行わないそうです。

他の多くの哺乳類とは対照的に、ヒトの男性は頻繁に自分の子どもと相互作用をし、資源の提供も行います。しかし、すべての文化において、子どもを支援し、子どもと相互作用をもつ時間は男性よりも女性が長いと言います。たとえば、 6つの文化(ケニア、インド、メキシコ、フィリピン、日本、アメリカ合衆国)に関する研究では、子どもが母親と一緒に過ごす時間が、父親と一緒に過ごす時間の3 ~ 12倍だったそうです。この傾向は、家庭外で働く女性の多い西洋社会でも変わらず、生まれた子どもの世話を中心となって行うために育児休暇をとった父親たちにおいても、この傾向が認められたそうです。価値観の変化、特に労働力としての女性の社会参加が増したことによって、現代の西洋文化では父親が子どもと過ごす時間の長さが、母親が子どもと過ごす時間に近づいてきているようです。しかし同時に、母子家庭の子どもの数は1960年から4倍に増えています。つまり、今日では社会動向の影響を受けて、父親の投資量に変化が見られてはいますが、全般的なパターンとしては、最も女性解放の進んだ家庭や国であっても、依然として女性が男性よりも多くの時間を子どもの世話に捧げているのです。

このような子どもへの投資量の差は、行動の性差となって表れます。ヒトの女性の場合、性交によって受胎および9ヶ月の妊娠期間に至る可能性があります。さらに、今日の伝統社会では、そして私たちの祖先にとっては、子どもを産むということは、その後数年間、乳児の唯一の母乳という栄養源となるということを意味します。このように、女性にとって、親の投資は義務であり、またその量は非常に大きいものでした。科学技術の賜物である体外受精児を除き、乳児は、出生前も出生後も、母親からの投資なくして生存は不可能です。男性が投資をする可能性は、進化適応の環境においては女性よりも大幅に少なかったし、そして今日でも少ないですね。このため、女性は男性よりも性交渉の同意に慎重だと言うのです。女性は、自分の子どもの父親候補の、肉体的に健康で、強く、繁殖力がありそうか?というような質を評価するだけでなく、その男性の資源入手力である、裕福で、社会的地位が高いか、あるいは家族を支える能力があるか?など 、さらに、その男性がその資源を彼女や子どもに投資する可能性を評価しなければなりません。反対に男性は、将来の配偶者が有する資源や、それを共有できる可能性についての関心は低く、遺伝的適応度である、その女性は健康か?など、そして、その女性が子どもを受胎し、出産し、育てる能力に高い関心をもっています。このことは以前のブログでも紹介しました。

女性の投資量” への10件のコメント

  1. 父親の一人である私は、養育資源の入手に頑張ってきたつもりではありますが、客観的にみると母親による子への投資量には適わないなと素直に認めたところです。では、投資の量ではなく質ではどうか、と考えたくなるところは、我ながら素直ではないなと反省したところです。母は強し、いろいろな意味で。「今日では社会動向の影響を受けて、父親の投資量に変化が見られてはいますが、全般的なパターンとしては、最も女性解放の進んだ家庭や国であっても、依然として女性が男性よりも多くの時間を子どもの世話に捧げているのです。」かつてのように母親が家事から何から家庭の中のすべてをこなす、という時代と異なり、夫が厨房に入って食事の用意をしたり、洗濯をして干したり畳んだり、家の掃除をしたり、こうした家事をこなす若者が私の周りには増えてきているように感じます。大したものだと私は感心しきりです。この傾向は今後ますます進んでいくのでしょうね。

  2. 「子どもが母親と一緒に過ごす時間が、父親と一緒に過ごす時間の3 〜12倍だったそうです」という数字には驚いてしまいました。ここまで差があるのですね。それでも、「現代の西洋文化では父親が子どもと過ごす時間の長さが、母親が子どもと過ごす時間に近づいてきているようです」という部分もありました。確かに、最近では男性の育児参加は当たり前になってきているようにも思いますね。少し上の世代の方々の当時の話を聞くこともありますが、現在の男性の育児参加とはまた違った男性の姿があります(自分の父親もそうでした)。しかし、まだまだ女性が男性よりも多くの時間を子どもに割いているというのが現状になるのですね。それが動物としても自然な部分でもあるのかもしれませんが、変化する社会の中で生きている私たちですので、そのあたりはどちらがいいということではなく、柔軟に対応していかなければいけないのかもしれませんね。

  3. 『オスが子どもを背にして移動するなど「子育て」に多くの時間を費やす種もあるにしても、 95 %以上の哺乳類のオスは、子の出生後に子への投資をほとんどあるいはまったく行わないそうです』とあり、その95%という数字に驚きました。人類も大方それに当てはまるのか、もしくは、人類は哺乳類の中では子への投資がある方なのでしょうか。また「子どもが母親と一緒に過ごす時間が、父親と一緒に過ごす時間の3 ~ 12倍」という事実にも驚きましたが、「現代の西洋文化では父親が子どもと過ごす時間の長さが、母親が子どもと過ごす時間に近づいてきている」というのは、家庭内の子育て環境としては良い兆しのように思えます。それでも女性の方が多くの時間を子どもの世話に捧げている現状は変わらないのですね。しかし、これは近づくことは可能でも、追い抜くことは不可能なのではと感じてしまいます。

  4. 「子どもへの投資量」を我が家で比べると絶対的に母親の方が大きいはずです。というより、ほぼ母親のみに近いものがあるのかもしれないというのを読みながら思い、耳が痛い思いをしました。
    最近では、家事をする父親というのはずいぶんと増えているのは友だちの話など、実感としても感じられます。父親が育児に参加していくことによってのメリットは、その子ども自身にも良いことであり、傾向的には良い方向に向かっているのだと思います。ですが〝最も女性解放の進んだ家庭や国であっても、依然として女性が男性よりも多くの時間を子どもの世話に捧げている〟とあり、母子家庭などの増加から、トータルで見てみると女性の負担はあまり変わっていないのですね。
    家事もできるだけ、できることからしていかないといけませんね。

  5. 「女性にとって、親の投資は義務であり、またその量は非常に大きいものでした。」女性の、母親の存在の重要性を改めて感じると共に、その義務感からも到来しているかわからない母親の抱える不安やストレスに対して、男性は理解を深める必要はないとは言えないでしょう。そもそも男性の役割が酷薄な中、これ以上その存在に価値が見出されない毎日を送るならば、女性から見放され、それこそ本能に翻弄されるような毎日に足を踏み込み兼ねません。新しい時代に相応な生き方を選択することが賢さであるならば、男性は女性と子どもを大切にするということは、最早セオリーであると言えるかもわからないと思えてきます。

  6. 「 95 %以上の哺乳類のオスは、子の出生後に子への投資をほとんどあるいはまったく行わないそうです。」ということからヒトはどうであるのかという疑問にはやはり男性が投資をするのは低いのですね。「 価値観の変化、特に労働力としての女性の社会参加が増したことによって、現代の西洋文化では父親が子どもと過ごす時間の長さが、母親が子どもと過ごす時間に近づいてきているようです。」とあるように時代の流れは少しづつ変化していることはわかります。実際のところ保育園での送り迎えの率は男性も多くなっていることが現状ではないでしょうか。今後どのような比率になるのか、また新たな考えが生まれるのか、どうなるのですかね。

  7. “子どもへの投資量の差は、行動の性差となって表れます”とあり、母親は子どもを生むことに対して、母親になる資質をより向上させ、そして、子育てができる脳に変化していることにより、行動を投資量としてあらわれてくるのだろうと思えました。男性の子育てへの関与が現代は増えているという社会、女性の社会進出増加と変化はあるものの、”全般的なパターンとしては、最も女性解放の進んだ家庭や国であっても、依然として女性が男性よりも多くの時間を子どもの世話に捧げている”といった傾向がまだまだあるのですね。それは、性差による親の投資義務の違いによるものの関係性を感じました。

  8. 二人の息子を持つ身としては、なるだけ子どもと過ごす時間を大切にしようと心がけているつもりですが、やはり母親にはかないませんね。よく園でも泣いている子どもが「ママがいい!」と言って泣いている姿を見かけますが、「パパがいい!」と言って泣いている子どもを基本的に見たことがありません。子ども自身も本能で何か嫌な事があり、助けて欲しい時は瞬間に母親に逃げ込むのでしょう。例えば生まれてから仕事に復帰すまでの間はずっと母親と一緒にいます。その期間を父親がどう頑張っても母親が子どもに対する投資する量を超える事は難しいと思います。あとはアマゾンの奥地に生活している民族を見ても、赤ちゃんを抱っこしているのは母親のような気がします。その姿を思い返してみると、子どもへの投資はやはり性差があるように思います。

  9. 本文を読んでいて、女性の育児に対する投資量の大きさというのは、むしろ男性をその面ではなくするための量でもあるように感じました。育児とは役割であるということのように、養育者が「見る」という行為をしていたら、別の養育者は「守る」ことを選択できるようにと、それぞれを役割を全うするための、性差でもあるように思いました。園の中の子どもたちも、生活や集団の中で、自分の役割を見つけてそれを全うするのは、他の人たちがしていないことを見つけようとする姿なのかもしれないとも感じました。

  10. 「こどもへの投資量の差は、行動の性差として表れます」とあります。哺乳類の性質上の部分において母親の投資量は多くならざるを得ません。現在の社会でも、女性は受胎後子どもを産み育てるまでどうしても仕事を休まざるを得ず、それだけを見ても、男性との性差というものが見えてきます。そのため、女性が配偶者に対して家族を支えるものを持っているかという判断基準になるのは生物的から見ても、環境から見ても至極当然と思います。様々な要因から見ても人の行動には生物学的な意味合いが当てはまるというのは面白いですね。そこから見えてくる社会の在り方として、現在の社会において、こういった内容を知ることは社会を知ることにもつながっているように感じます。

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