準備性と学校教育

最近、様々なメディアでは、学校教育が論じられています。それは、今回の学習指導要領の改訂を含め、大学入試の見直しなどの改革についてです。その中で、過去のさまざまな取り組みの見直しが語られる中で、あらためて「ゆとり学習」についても説明されています。ゆとり時代、ゆとり世代と言われ、学力低下が叫ばれ、この取り組みは数年で見直されてしまっていますが、実は、ゆとり教育を受けた子どもたちの学力が下がったわけではなく、今各界で活躍している人たちは、かえってゆとり教育を受けてきた子どもたちだともいわれています。このように、教育の成果、教育の在り方を論じることは難しく、慎重にしなければなりません。

ビョークランドは、「準備性」と幼児教育についての考え方を進化から述べています。まず、こんなことを言っています。学校教育は、ホモ・サピエンスにとって新しいものであり、長く見ても数千年の歴史しかない文化的発明であると言います。人の大多数が中等レベルの学校教育を等しく受けるようになったのは、つい前世紀のことだというのです。しかし、いくつかの文化では、子どもの学校教育を幼児期から始めます。さらには、乳児や胎児の学習に関する発見を受けて、学校教育をベビーベッド、場合によっては子宮にまで持ち込もうとする動きが出てきたと懸念します。しかし、進化発達論的な観点からは、生物学的に学習の「用意」または「準備」ができる前に子どもに学校教育を課すことは、良い結果をもたらすことは少なく、悪影響を与える可能性もあることが示唆されていると言います。意外なことに、この社会的に重要な問題について体系的な調査がほとんどなされていないと嘆いています。しかし、わずかながら素晴らしい研究もあるそうです。

ある研究で、マリオン・ハイソン、キャサリン・ハーシュ=パセックとレズリー・レスコーラは、学習的要素が高い幼児教育プログラムと低いプログラムが中流家庭の子どもの幼稚園での行動に与える影響を比較したそうです。子どもには、学力、社会的能力、情緒面の健康、創造性に関するテストを入園前プログラムの終了時に実施し、同テストを卒園前に再び行いました。学習的要素の高い就園前プログラムでは成人主導の指導が重視されるのに対し、学習的要素の低いプログラムでは、そうではなく、「発達に適した」カリキュラムに従っていました。所属園のプログラムの学習的要素の高低による子どもの学力の差は、就園前、卒園前ともに認められませんでした。わずかながら差が認められたのは、卒園児のテスト不安であり、学問性の強い園に所属する子どもの方が、発達上適切なプログラムを行う園に所属する子どもよりも不安が高かったそうです。さらに、発達上適切なプログラムを行う園に所属する子どもは、学習的要素の高いプログラムの園に所属する子どもよりも、幼稚園に対して肯定的な態度を示す傾向があったそうです。

こんな研究があるのですね。私たちは、もっと、このようなことを検証する必要がありそうです。ハイソンたちは、こうした効果のほとんどは、統計学的に有意ではあっても、その大きさは小さいと注意を促してはいます。しかしながら、一般に、学問志向の強い就学前教育プログラムには長期的な効果はないことは明らかになっています。中には、マイナスの結果、例えば、強いストレスを生じさせる可能性もあることを示す証拠もあるそうです。

準備性と学校教育” への11件のコメント

  1.  「一般に、学問志向の強い就学前教育プログラムには長期的な効果はないことは明らかになっています。中には、マイナスの結果、例えば、強いストレスを生じさせる可能性もあることを示す証拠もあるそうです。」学ぶということがこんなにも楽しいものであることをこの歳になって知りました。それは学ぶということをどこか勘違いしていたのか、自分の学びたいことを追求するという視点で学業に励んでこなかった今までがあるからかもわかりません。子どもたちには選択と、そして決断と、毎日幾重にもあるその連続の中から、自分の心の赴くものを選びとって楽しく生きていってもらいたいと思いました。

  2. 「今各界で活躍している人たちは、かえってゆとり教育を受けてきた子どもたちだともいわれています」というように、「ゆとり」の影響が出てくるまでには時間がかかる印象があります。教育は、遅効的なものであり、逆にそうでなくてはいけないものであると思うのは、「見守る保育」もまさに遅効的な試みであると感じているからです。もっと、長いスパンでの動向を伺えるような国の余裕があればなと思ったりもするのですが、即効性を求めてしまう背景というのもわかなくもないです。しかし、進化発達論的な観点からの言葉にもありましたが、『生物学的に学習の「用意」または「準備」ができる前に子どもに学校教育を課すことは、良い結果をもたらすことは少なく、悪影響を与える可能性もあることが示唆されている』のように、何かを受け入れる準備ができていない状態での早期教育には危険性が高いということを理解しておかなくてはと感じました。

  3. 「今各界で活躍している人たちは、かえってゆとり教育を受けてきた子どもたちだともいわれています」とあり、ゆとり教育が良い形で出たことに単純に驚きましたが、『生物学的に学習の「用意」または「準備」ができる前に子どもに学校教育を課すことは、良い結果をもたらすことは少なく、悪影響を与える可能性もあることが示唆されている』ともあり、早すぎるのも良くないことがわかりました。また「学問性の強い園に所属する子どもの方が、発達上適切なプログラムを行う園に所属する子どもよりも不安が高かった」という結果は、プレッシャーによる過度なストレスがかかっている結果のように感じます。学校教育を始める時期でも、不安が高かった事例でも子どもの意欲を核に考えていないところがマイナス面の結果につながってしまっているように感じてしまいます。

  4. ゆとり学習が盛んに叫ばれていて、その教育を受けて育った人たちが、リーダーとなっていっているんですね。ということは、ゆとり学習の結果が出てくるのはこれからだということになるのでしょうか。
    先日、同窓会で久しぶりに中学の頃の担任の先生とお会いして話をすることができましたが、最後に挨拶で「自分たちがしたことは間違っていなかったのが今、分かりました」とおっしゃっていました。教育というものの成果が分かるのには時間がかかるということを改めて感じました。ですが〝生物学的に学習の「用意」または「準備」ができる前に子どもに学校教育を課すことは、良い結果をもたらすことは少なく、悪影響を与える可能性もあることが示唆されている〟とあり、準備ができている前からの早期教育というのは、返って危険があるというのは肝に命じておかなければなりませんね。

  5. 『進化発達論的な観点からは、生物学的に学習の「用意」または「準備」ができる前に子どもに学校教育を課すことは、良い結果をもたらすことは少なく、悪影響を与える可能性もあることが示唆されていると言います』とありました。このようなことは私たちにとっては当たり前のことなのに、まだまだ、子どもにはいろいろなことを教え込ませないといけないというような何かを強いる教育がいいという価値観を持っている人が多いことに、子ども観のすり合わせができていないのかなと感じてしまいます。また、「調査がほとんどされていない」ということも問題かもしれませんね。
    最後の方の調査にありましたが、不安を抱えてしまっている状況があるというのは大きな問題かもしれませんね。不安を抱えてしまっているとあらゆることを楽しみながら行うということが難しくなるように思います。意欲や立ち直る力といった能力が重要になる乳幼児期においては肯定的に受け止めながら過ごすということがかなり重要になるのかもしれませんね。

  6. 「実は、ゆとり教育を受けた子どもたちの学力が下がったわけではなく、今各界で活躍している人たちは、かえってゆとり教育を受けてきた子どもたちだともいわれています」というのは興味深いです。だからこそ教育は長期的な目で見ることが必要であることと、より成果がすぐ出ないことから難しさというのも感じさせます。「学習的要素が高い幼児教育プログラムと低いプログラムが中流家庭の子どもの幼稚園での行動に与える影響」という研究があるのですね。この高い幼児教育を受けたこと子の「不安」というのはプレッシャーからくるものなのですかね。のちにどのように子どもたちに現れるかということも気になります。

  7. 「ゆとり教育」では学ぶことが減ったり、休みが多くなったり、そうした側面が強調され、子どもたちは学習しなくなった、と一般的に思われているかもしれません。そして「ゆとり教育」世代は「出来が悪い」などと偏見の目に晒されることもあるかもしれません。しかし、私があの「ゆとり教育」で評価したのは「協働的な学び」の機会でした。今もそうでしょうが「学校教育」は一緒に協力し合いながら学ぶということが少ないような気がします。教育が将来の成功を約束すると考えられる多くの国々とは異なり我が国の教育実態をみると子どもにどうなってほしいのだろうかと思ってしまうこともあります。然程長くはない「学校教育」の歴史そしてここ数十年間で末端まで浸透してきた、いわゆる「早期教育」、これらについて「意外なことに、この社会的に重要な問題について体系的な調査がほとんどなされていないと嘆いてい」るビョークランド博士と感慨を同じくします。ガランドウの保育室での先生主導による保育と習い事「お教室」導入、〇〇式・・・。「一般に、学問志向の強い就学前教育プログラムには長期的な効果はないことは明らかになっています」このことを関係者はしっかりと認識しましょう。

  8. 藤森先生が言われるように、今回のブログに書いてあるようなことを理解し、検証することで、どう実践に繋げていくかが大切なのかもしれません。学習的要素が高い幼児教育プログラムと低いプログラムを受けた子ども達が学力の差が認められないという事実は重要ですが、それよりも低いプログラムが「発達に適したプログラム」という事がここでは一番重要なことのような気がします。むしろ高度な教育プログラムを受けた子ども達の方が不安があるというのはどういう理由か気になります。さらに長期的な効果はなく、ストレスをも生じさせてしまうという証拠もあるそうですが、こうした事実を早期教育を掲げている人はどう感じるのか気になります・・・。

  9. ゆとり教育と言う言葉に対して、またまた理解が足りないところがあることを感じました。”今各界で活躍している人たちは、かえってゆとり教育を受けてきた子どもたちだともいわれています。”とあることからもどういったところからゆとり教育ととらえているのか、それに対しての理解を深めなければ、ゆとり教育にならないために、早期教育というように乳幼児期からの学習・教育といった方向性が広がっていくように思えます。”進化発達論的な観点からは、生物学的に学習の「用意」または「準備」ができる前に子どもに学校教育を課すことは、良い結果をもたらすことは少なく、悪影響を与える可能性もあることが示唆されている”とありました。この時期に学習として様々な事柄に関わりをもつのではなく、多様な経験の中で、自発的に関わり、その遊びを通して、楽しんだり、感じたり、味わったりすることが必要であることを常々、意識しているところです。学習と向かえる自主性は、乳幼児期における自発的に行動によって興味が深まり、みられてくるもののように考えられました。

  10. 「生物学的に学習の「用意」または「準備」ができる前に子どもに学校教育を課すことは、良い結果をもたらすことは少なく、悪影響を与える可能性もあることが示唆されている」と進化発達論では言われているのですね。また、「学問志向の強い就学前教育プログラムには長期的な効果はないことは明らかになっている。なかには、マイナスの結果、例えば強いストレスを生じさせる可能性もある」とも言われています。今、一般的に求められている教育とここで言われている教育とでは大きく違いますね。こういった研究を検証することは今の時代とても重要であるように思います。つい今の子どもたちの「結果」にばかり目が行き過ぎてしまう。本来は「後伸びする力」をいかにつけるかを考えていかなければいけません。長期的な目線で「見守る」ことや長いスパンで「見通す」ことがこれからの教育で求めれますね。はやくこういったことが社会的も認知され、子どもたちにとってもいい社会になるように動いていってあげたいと改めて思います。

  11. 紹介されてあるマリオン・ハイソンらの実験、とても面白いですね。学習的要素の高い幼児教育プログラムと低いプログラムで様々なテストを実施したところ、その差は見られず、見られたのは「不安」の大きさだったんですね。なんとなく、学習の面で差が出てもおかしくないような内容にもかかわらず、そこは差がなかったところも面白いですね。見学に来られる保護者の方でそういった教育的要素について質問している方がいらっしゃいますが、大切なのは、やはり、その子に発達にあった環境であったり、カリキュラムなんですね。将来のことが不安で、早くから勉強させてあげた方がいいという刷り込みではなく、こういった正しい知識をしっかりとつけていき、同時に伝えていくことも大切だと思いました。

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