共同

トマセロたちは、ヒトの文化学習として3段階のレベルを提唱しました。それは、模倣学習、指導学習、協同学習です。ということで、第3段階は、協同学習です。協同学習とは、模倣学習や指導学習のように、到達度の低い個体が、到達度の高い個体から単純に学ぶといったものではなく、2名で共通の問題を、一緒に解決しようとすることから生じる学習であるとしています。トマセロたちは、協同学習は文化の伝播というよりは、文化の創造の過程であると言います。この言葉は、とても大切な言葉ですね。協同学習のためには、子どもは仲間が反省的主体であることを理解しなければならないと言います。反省的主体は、自身の思考や相互作用をする相手の思考を省察することができるというのです。反省的、あるいは再帰的な表象の例は、子どもが、他者が自分と異なる視点を持ちうるという理解に加えて、他者が他者の視点について思考できるという理解を示すようになった時であるとトマセロは言うのです。

たとえば、「ピーターは、私が彼はケリーを好きだと思っていると、思っている」というのが再帰的思考です。これは、協同学習には不可欠であり、意見の対立や衝突の場面でよく生じる、たとえば、共同で学び、新しい視点を共有しようとしているとき、子どもは自分が出した提案に対する仲間あからの批評を評価し、それにコメントできなければならないのです。トマセロたちは、これが最初にできるようになるのは児童期初期である6~7歳のころだと言います。

以前のブログでも紹介しましたが、協同学習は、ソビエトの心理学者レフ・ヴィゴツキーの考え方の流れを汲んでいます。ヴィゴツキーによると、子どもの学習は、文化的に適切な活動に参加すること、特に、自身より能力の高い大人や仲間との相互作用を通して進むと言います。教師たちは、単独で作業するよりも協力して作業する場合の方が、一般的に達成度が高いこと、また、共同によって一番利益を得るのは、最初パートナーよりも能力が低かった子どもたちであることを報告しているのです。

協同学習に関する興味深い発見は、他者の行動を自身の行動として記憶する「ソースモニタリング・エラー」を、幼児がおかしやすいということだとビョークランドは言います。たとえば、就学前児を対象とした研究で、子どもと大人が交互に1枚ずつ紙を貼ってコラージュを作成し、コラージュ完成後に、コラージュの各アイテムを、自分、大人のどちらが貼ったかを子どもにいきなり尋ねたそうです。すると、4歳児では、実際に大人がコラージュに貼り付けたものを自分が貼ったと答える過ちが、その逆の過ちよりも多く、大人の行為を自身の行為として再符号化していることが多かったそうです。このような例は、現場で見ることがありますが、それは、決して自分を弁護したり、自分の手柄にしたがっているわけではなく、そのような発達における傾向だったのですね。

フォーリーとラトナーは、このバイアスが他者の行為を自分に誤って帰属することによって、その行為が共通ソースである自分自身と結びつき、その結果、記憶がより統合され、検索しやすくなることを挙げているそうです。この解釈に一致する結果として、大人と共同で課題を行った5歳児は、たとえば、人形の家に家具を共同して置くといった課題の後、このようなエラーを多くおかしたそうですが、非共同群の子どもよりも各部屋に置いた家具の場所をより多く記憶していたそうです。

共同” への10件のコメント

  1. トマセロ博士らによる「ヒトの文化学習としての3段階」の3つ目「協同学習」。模倣学習と指導学習が「文化の伝番」であることに対し、協同学習は「文化の創造の過程」である、というところに、なるほど、と納得がいきました。「三人寄れば文殊の知恵」、これは問題解決のみならず私たちが生きていくために必要なことの創造についても言えることで、まさに「協同学習」のことわざバージョンでしょう。アクティブラーニングということが言われていますが、これは端的に「協同学習」のことだと私は単純に理解しています。しかし、現実は異なる形態をとっているようなことも耳にしますが・・・。「反省的主体」という言い方は面白いですね。「他者が自分と異なる視点を持ちうるという理解に加えて、他者が他者の視点について思考できるという理解」とあって関係の複雑さを表象していますが、創造とはその複雑さの中から生まれてくるものなのかもしれませんね。それがやがて次の文化となって顕現する。もう一つ「ソースモニタリング・エラー」、あぁ自分にも覚えがありますね。エラーなんだけど「記憶がより統合され、検索しやすくなる」というメリットもある。これも面白い知見です。

  2. ヒトの文化学習として3段階のレベル、模倣学習、指導学習ときて、最後の3段階目は「協同学習」とありました。この協同学習は、反省的主体の説明でもあるように「他者が自分と異なる視点を持ちうるという理解に加えて、他者が他者の視点について思考できるという理解」が必要なのですね。また、模倣学習と指導学習の文化の伝播に対し、協同学習は「文化の創造の過程」とあったことが印象的でした。模倣と指導の過程を経て、協同により創造に至る過程から発達の連続性を感じることができます。
    協同学習に関する興味深い発見に「ソースモニタリング・エラー」とありました。協同の過程で他者の行為を自分の行為と勘違いするようなイメージを説明から感じましたが、「非共同群の子どもよりも各部屋に置いた家具の場所をより多く記憶していた」という良い結果が出たことから、発達過程に生じる問題には全て意味があることを再確認できました。

  3. 「協同学習は文化の伝播というよりは、文化の創造の過程であると言います」とありました。とても印象的な言葉でした。これからの時代は人工知能では想像できないような「クリエイティブな思考力」が重要であると藤森先生もお話されます。そのクリエイティブな思考力はやはり一人ではなかなかうまれないのではないかと思います。協同学習が文化の創造の過程であるということがそのことを示しているように思いました。また「大人の行為を自身の行為として再符号化していることが多かったそうです」という研究結果もありました。子供達はこのような発達段階にあるということを私たちはしっかり理解しておかなければいけませんね。「そうじゃないでしょ」「どうして嘘をつくの」とついつい言ってしまいたくなりますが、子どもはそのようなつもりではなかったのですね。「子どもを信じること」の奥深さというか、そのことがまだまだ理解できていないなと思わされました。

  4.  「子どもの学習は、文化的に適切な活動に参加すること、特に、自身より能力の高い大人や仲間との相互作用を通して進むと言います。」保育者の役割というものが見えてくるようなこの度のブログです。人間としての成長、人格の向上が不可欠であり、重箱の隅をつつくような、失敗ばかりを責めるような関係性の中では子どもの成長など望めるはずもないように思えてきます。古代中国では腹を立てない人のことを大人と表現すると何かの本で読んだことがありますが、だとすればすぐに腹を立てていると子どもたちから小人と思われているかもわからず、それこそ立つ瀬がないといったことになってしまいます。自省と改善の日々です。

  5. 模倣学習、指導学習ときて、最後の3段階目の「共同学習」とあり、その中身として〝文化の創造の過程〟ということでした。これからの時代には人工知能やロボットの開発により、人間の仕事が激減していく中でも生きていける人間になることご求められる世の中になるはずです。そんな世の中にあって〝文化の創造の過程〟クリエイティブなものは単独ではなかなかうまくいかないものなのかもしれませんね。
    また〝ソースモニタリング・エラー〟についてありましたが、結果として〝非共同群の子どもよりも各部屋に置いた家具の場所をより多く記憶していた〟とあり、発達過程においてのものは何かしらの意味が必ず存在するということの表れであるように感じました。

  6. 園の4歳児に、仲良し女児3人組がいます。いつも一緒に遊んだりしています。同時に、ささいな口げんかなども多いです。昼食も3人で同じテーブルを囲むのですが、当番活動などによってその日は2人と1人に分かれて食べていました。1人の子どもが食べ終わり、2人のところに行くと「(私たち)となりしてるー」と言われて、涙ぐんでいました。きっとその言葉を放った1人は、相手が自分と一緒にいる子のことを好きであると知っていて言ったと理解していたからこその涙であったと感じます。4歳児であっても、「再帰的思考」の片鱗は見せているようにも感じました。そして、「協同学習」という言葉が出てきました。学び合いの環境は、私たちが重要にしている視点であるので、何かを伝えるだけでなく、何かを共に創っていく過程を大事にしなくてはと感じました。

  7. 今回の内容には、3段階のレベルの協同学習とありました。
    そこに、”協同学習は文化の伝播というよりは、文化の創造の過程である”という印象的な言葉がありました。創造することができ、それを互いに共有することで、それが互いにつながりを感じるものとして捉えられ、子どもたちが協同物をつくるといったときに、話し合うことがごく自然のように会話がみられています。そのときに、相手はどんな創造をしているのか、自身はどう創造しているのか、をニュアンス的に伝えれるているように感じています。この姿は、ヒトらしさであり、感情をもったさらに言語を使うといった人類が生得的に必要不可欠であると感じていたものだと考えることができます。また、”「ソースモニタリング・エラー」”とありました。大人の行為を自分自身の行為として、再符号化することがあるとありました。確かに、子どもの姿として、このような姿はありますね。ふと思ったのが、サッカーなどをしてあそんでいると、バラバラで、試合のようなものではなく、ゴールをたくさんとれた人が勝ちのようなルールでやっていて、私がゴールを決めると、子どもの点数が今何点になったよ。と子どもが自分自身のことのようにとらえていました。これが”発達における傾向”とするならば、十分な理解が必要だと感じました。

  8. 「子どもが、他者が自分と異なる視点を持ちうるという理解に加えて、他者が他者の視点について思考できる」とありその前段階としてよく「〇〇ちゃんはこれが好きだから持って行ってあげよう!」という発想が現場で見られます。そして協同学習の意味として「2名で共通の問題を、一緒に解決しようとすること」とあるように互いの知識を出し合うといったことの大切さを感じます。『協同学習に関する興味深い発見は、他者の行動を自身の行動として記憶する「ソースモニタリング・エラー」』という聞きなれない言葉が出てきましたが、現場の例はわかりやすくなにも自分の手柄にしているわけではなくそうして発達ということを理解しつつ、接していきたいものです。そして意図的に問題を友だち同士で環境を作ってもいいのかなとも思いました。

  9. ブログを読んで共同作業というのが、いかに子どもにとって重要な行為だというのは理解できます。そもそも人類は協力が基盤にあるのだから、共同学習が必須なのは必然のような気がします。ブログにも書かれてあるように共同で作業することにより、意見が対立したり、自分より能力が異年齢の人とやることで新しい視点を学んだり、学びも大きいと書いてあります。また「ソースモニタリングエラー」という行動を子どもは起こしやすいとも書かれてありますが、この行動も発達上ありえることで、それにより記憶力も高いとも書いてあります。時代背景からみても、共同で作業するのは子どもだけでなく大人も重要なことだと思います。

  10. 協同学習のなかで「ソースモニタリング・エラー」を幼児が起こしやすいとあります。確かにここにあるように「他者の行動を自身の行動として記憶する」ということでトラブルになることはありますし、自分自身、幼いころに兄弟と協同でなにかをしていたときに兄にも手伝ってもらっているにもかかわらず「自分ができている」という風に考えることがあるように思います。こういった子どもたちの関わりの中で、どう受け止め、共感すればいいのかというときに子ども自身悪気はなく、そういった発達であるということを知っておくことは大切なことだと思います。「単独で作業するよりも、協力して作業する場合のほうが、一般的に達成度が高いこと、また、共同によって一番利益を得るのは、最初のパートナーよりも能力が低かった子どもたちであること」というのは実に興味深い報告でありますし、だからこそ、「アクティブラーニング」というものが教育の中で重要視されているということも読み取れます。

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