見ること

ビョークランドは、欺きは心の理論と一貫性のあるものですが、一方で、このような欺きには、他の動物の心を読んでいるのではなく、単に、特定の状況で成功しなかった行動を避けることが、最善の策だっただけと考えています。その証拠に、より統制された研究室環境では、類人猿が心の理論をもっことを示すはっきりとした証拠はほとんど得られていないと言います。たとえば、非言語的な誤信念課題として、コールとトマセロは、ごほうびの餌を障害物の後ろ(類人猿からは見えないが、ヒトの「伝達者」からは見える場所)に隠す課題を行っているそうです。障害物が取り除かれてから、伝達者は正しい容器に印をつけて、類人猿に食べ物の場所を教えたそうです。

その後、餌を別の容器へ移すのを追跡できるようになったら、間違った容器(食べ物が隠されていないことを類人猿が知っている容器)に伝達者が印をつけた場合、その印を無視するように学習させたそうです。類人猿がこれらの課題に成功してから、誤信念課題を実施しました。伝達者は、ごほうびが容器の1つに隠されるところを見た後に、部屋を離れます。その後、別の人物が、類人猿が見ているところでごほうびの場所を入れ替えます。それから伝達者は部屋に戻り、最初にごほうびが隠されるのを見た容器に印をつけます。類人猿が5歳時と同等の心の理論を有するならば、伝達者がごほうびの場所に関して誤った信念をもっていることがわかるだろうと言うのです。類人猿が餌を手に入れるためには、伝達者が餌の場所について異なる(誤った)知識をもっていることを理解し、伝達者が印をつけていない容器を選ばなくてはなりません。

この誤信念課題は難しく、4歳児はほとんどが失敗したそうですが、 5歳児は成功したそうです。しかし、オランウータン2頭、チンパンジー5頭はいずれも課題に成功しなかったそうです。この課題の手続きが複雑であったために、類人猿は求められていることを完全に理解するのが難しかったとも考えらますが、コールとトマセロはこれとは別の解釈をしており、この結果は、大型類人猿にはヒトの5歳児と同等の心の理論はなく、複雑な社会的関係性の問題を、類人猿は連合学習によって解決している、という解釈と一致すると主張しています。

また、霊長類について、心の理論の難易度が低いと思われる側面の評価を行った研究もあるそうです。その一例が、視覚的注意に関する大型類人猿の知識の研究です。たとえば、類人猿やサルが同種の仲間の視線を正確に追うことに関しては、実験による確かな証拠があり、このことから、類人猿やサルが、他の動物が注視する方向には、その動物が見ているものがあることを理解していると示唆されます。しかし、このような知識は、他の動物が注視していることと、何らかの重要なおもしろい結果との間に関連性があることを学習したことによって得られたとも考えられます。つまり、バロン=コーエンの理論のEDDモジュールに対応する「視線を向ける」ことは「見る」ことであるということを、その動物が理解しているとは必ずしもいえないのではないかと言うのです。

欺き

いろいろな研究でチンパンジーの行動を参考にすることが多いのですが、確かに人とチンパンジーは違うところが多いかもしれませんが、進化の過程を知ることによって、ヒトの行動を考察するうえでは参考になりますね。

“欺き”は重要な社会的技能ですが、大型類人猿が自分の利益のために他者を欺くことが、多くの観察で確認されているそうです。その例として、昨日の例のほか、まだまだあるようです。プレマックは、チンパンジーが餌のごほうびをくれる訓練士とごほうびをくれない訓練士をすぐに区別できるようになり、敵対的な訓練士にはあまり反応を示さなかったそうです。しかも、ある事例では訓練士を積極的にだました報告もあるそうですが、好意的な訓練士にはそのような態度は示さなかったそうです。

メンツェルの研究では、チンパンジーのベルに食物の隠し場所を教えたところ、ベルはその後、数頭のチンパンジーをその場所へ連れて行ったそうですが、地位の高いオスのロックは蹴る、咬むなどして食物を奪ってしまうので、ロックがいるときには群れをすぐには食べ物の場所へ導かなかったそうです。しかも、ロックがいるときには、ロックが立ち去るのを待ってから食べ物を取り出したそうです。また何度かは、群れを食べ物とは反対方向に連れて行き、ロックが探している間にベルは引き返して食べ物を取り出すこともあったそうです。チンパンジーでもそんなことをするのですね。というより、いくら地位が強い相手でも、みんなを守る方を優先させるのですね。これは、私たちも学ぶべきですね。もしかしたら、そのような行動は、人類が生存してくるために必要な行為であり、私たちが遺伝子として持ってきているものを、いつからか権力にしたがうようになり、優先順位を間違ってしまうことが多くなってきてしまったのかもしれません。このことは、ちょうど今、NHKで放映されている大河ドラマの「西郷どん」でもテーマになっています。

さらに、別の試行でも、こんな行動が報告されています。は、実験者が余った食べ物を2つ目の場所に隠したところ、ベルはロックを2つ目の残り物の隠し場所へ連れて行き、自身は食べ物がたくさん隠してある場所に向かったというのです。同じような観察結果が、若いチンパンジーのフィガンに関するグドールの報告にあり、フィガンは地位の高いチンパンジーがその場所から離れるまで、バナナを採ったり、見たりしなかったそうです。

大型類人猿に関するこうした欺きの証拠は、大型類人猿が複雑な社会的知能をもつことを示すものであり、また、このような知能の進化的ルーツは深く、現代の類人猿とヒトの共通祖先まで、あるいはそれ以前にまでさかのほる可能性があることが示唆されています。ここでもわかるのは、欺きは、他者を陥れるための能力ではなく、多くの他を守るために使われてきたのですね。ですから、いまに至るまで受け継がれてきたのでしょう。

しかし、ビョークランドは、少し違う考え方をしているようです。彼は、欺きは心の理論と一貫性のあるものであるが、一方で、このような欺きには、必ずしも他の動物が何を考えているかを知っている必要はないと言います。むしろ、類人猿は特定の状況での特定の反応を学習した可能性もあると考えます。たとえば、ロックが近くにいるときに食べ物の隠し場所に直行したら、食べ物を取られるということを学習した結果であるかもしれないというのです。このような場合は、他の動物の心を読んでいるのではなく、単に、特定の状況で成功しなかった行動を避けることが、最善の策だっただけと考えられると言っています。

大型霊長類

子どもに心の理論が発達するための準備があることは明らかだそうですが、この能力が発達するためには、支持的な社会的環境が心要だと言われています。イギリスの発達心理学者ピーター・スミスは、プルーナーの言語獲得の理論に似た「心の理論獲得サポートシステム」を提唱しているそうです。進化の歴史の現段階では、ヒトの「正常な」社会的環境であれば、どれも条件を満たすようです。しかし、子どもの頃の、特に乳幼児期における社会的経験の個人差によって、心の理論の発達に速度差が生し、さらには、子どもが発達する環境の種類(支持的・非支持的)に応じて、発達する心の理論の種類も異なってくると考えられているそうです。心の理論は、乳幼児期の社会的経験と、環境が影響するのですね。とても大事なことを示唆しています。

ビョークランドは、これまで同種の仲間と協力、競争する必要があったことが、ヒトの知能の進化における大きな原動力となってきたと主張してきました。つまり、食物を探し、捕食者の餌食となるのを避けることが、ヒト科の認知の進化に重要な役割を果たしたのはたしかですが、ヒトに特有の知能は、本来同種の仲間に対処するために進化したのだというのです。この仮説は、大型類人猿、特にチンパンジーが複雑な社会組織や政治生活をもつという証拠があることから、その確証性が高まっているそうです。実際、現在では多くの霊長類学者が、チンパンジーは文化を有すると考えているそうです。ここでいう文化とは、局所的な慣習が社会的学習メカニズムによって世代を超えて伝えられることとして定義されます。つまり、ヒトの社会認知的能力の起源を大型類人猿に求めることは理にかなっており、また、心の理論はこの10年間、比較霊長類学の研究の中心テーマだったそうです。実は、「心の理論」という用語を最初に創り出したのは、霊長類学者ディビッド・プレマックとガイ・ウッドラフだそうです。

20年以上研究が重ねられてはいるものの、ヒト以外の種が心の理論に必要な認知能力を有するのかどうか、比較心理学は合意に達していないそうです。一部の研究者は、主に自然場面あるいは半自然場面で収集したデータの解釈から、大型類人猿(主にチンパンジー)が、他者の意図や知識が自身とは違う場合もあることを理解し、それに合わせて自身の行動を監視し、調節していると確信していると言います。たとえば、欺きは重要な社会的技能ですが、大型類人猿が自分の利益のために他者を欺くことが、多くの観察で確認されているそうです。ホワイトンとバーンは、115名の霊長類学者に質問紙を送り、各研究対象動物が示した欺きの証拠に関する回答を求めたそうです。霊長類学者から得られた79例の事例は、隠すことや注意をそらすことに関するものがほとんどだったそうです。

グドールは、オスのチンパンジーが、好きなメスとの交尾中にオーガニズムに特徴的な声を上げない場合があると報告しているそうです。こうすることで、他のオスとメスを取り合いになることを避けているそうです。プレマックおよびサベージ=ランボーとマクドナルドは、言語訓練を受けたチンパンジーが欺きを示すことをそれぞれ報告しているそうです。たとえば、ヤーキズ研究所のオースティンとシャーマンは、檻から抜け出す方法をあみ出しますが、人が見ているところでは、絶対にその動きは見せなかったそうです。

社会的環境

最近の研究では、健常な成人が心の理論課題を処理する場所と同じ脳の領域に、自閉症の人は神経生理学的な欠損があることが示されているそうです。このことから、さらに心の理論に関する能力の領域固有性が示唆されているそうです。心の理論のモジュール説を裏付ける証拠は、行動遺伝学の研究から、得られているそうです。ヒューズとカティングは、3歳の同性双生児199組において、心の理論課題に対する遺伝的影響が大きかったことを報告しているそうです。領域固有性の視点から重要なのは、この遺伝的影響が一般的な言語能力とは無関係であったことだそうです。これは、心の理論が全般的な知的能力に含まれる機能のひとつではないとする説と一貫する結果です。

世界中のほとんどの子どもが、心の理論を、同じ時期に、同じ順序で発達させますが、その発達の速度には子どもを取り巻く社会的環境が関わっていると考えられています。たとえば、教師評定による社会的技能レベルは、3~6歳児において心の理論課題の成績と相関が認められるそうです。また、就学前の子どもが、日常的に相互作用をする大人や年上の仲間の人数と、誤信念課題の得点との間に、正の関連が見られるそうです。

さらに、心の理論課題の成績は、家族の大きさ、特に、年上のきょうだいの人数と関連があり、年上のきょうだい、あるいは、同年代の仲間が多いほど、誤信念課題に早く成功する傾向がるそうです。まさに、私たちが行っている子ども集団における役割や、異年齢児とのかかわりの大切さが示されています。

年上のきょうだいや仲間の存在が、心の理論の発達にプラスの影響を与える理由としては、心的状態を議論したり、社会的葛藤を処理したり、ごっこ遊びをしたり、また社会的問題に関する推論をしたりする機会が多くあることが考えられるとビョークランドは言うのです。たとえば、ラフマンたちは、年上のきょうだいがいることによって、ファンタジー遊びが促進され、誤信念課題の解決に不可欠な技能である「現実に反する状態」の表象ができるようになると主張しているそうです。レスリーは、ごっこ遊びが18か月ころからメタ表象能力の指標となること、そして、他者がある物事について自分とは異なる表象をする、それは、異なる知識や信念を持つ可能性もあることの理解には、この能力が重要であると主張しているそうです。これを支持する証拠として、幼児が、主にきょうだいや親と行う協同的な社会的な遊びの量と、その後の他者の感情や信念の理解との間に関連性があることが見出されているそうです。このあたりの研究は、私たち保育にあたるものがきちんと理解し、それに基づいて子どもの遊びを保障する必要がありそうです。

ただし、同じ結果について証拠が不十分と結論付けた研究者もいるそうですし、また、もちろん、高度な心の理論技能をもった子どもの方が、この能力が低い同年代の子どもよりも、協同的な社会的遊びを行いやすいとも考えられています。これと異なる観点としては、カミンズによる優位性理論に基づいた説明があるようです。きょうだいは常に資源をめぐる競争をしていますが、通常、年上のきょうだいは身体が大きく、知的の威力も高いため、有利です。年下の子どもは、年上のきょうだいとの社会的競争で役立つものであれば、自身が持つ潜在的能力を、どんなものでも積極的に発達させようとするだろうというのです。そして、主な競争相手の心をできるだけ早く理解できるようになれば、年下のきょうだいは必ず利益を得られるはずです。これと同じ議論が、年上の仲間との相互作用に関しても成立すると言います。まさに、異年齢でのかかわりの大切さを示しています。

モジュール

進化心理学の領域固有性の考え方と同じく、心の理論も就学前の数年で発達する専門性の高いモジュールが集まって成立していると、何人かの研究者が提唱しているそうです。たとえば、イギリスの心理学者サイモン・バロン―コーエンは、心の理論には互いに相互作用する4つのモジュールが関わっていると提唱しているそうです。このモジュールには他の動物にも認められるものもあれば、ヒトに特有な、また特有ともいわれるものもあると言います。このことも以前のブログの復習になりますが、もう一度違う視点での開設を見てみたいと思います。意図検出器(ID)モジュールは、動く物体が何らかの意図をもって自分に向かってくることを推測できるようにします。視線検出器(EDD)モジュールは、ある生体の目が何かに向いていたら、その生体はそのものを“見ている”というように視線を解釈します。この二つのモジュールは、9か月までの乳児期に発達することがわかっています。共有注意メカニズム(SAM)モジュールは、子ども、他者、物体の3方向の相互作用に関与するものであるといます。

このモジュールのおかげで、人物Aと人物Bが二人とも物体Cに目を向けている場合、両者が同じものを見ているとわかります。このモジュールは生後18か月までに発達することがわかっています。心の理論モジュール(TOMM)は、前述の信念―欲求の推論とほぼ同じものであり、4歳ころに発達すると言われています。

心の理論のモジュール説を支持する証拠が、全般的な知的機能は比較的正常でありながら、心の理論に欠損を示す人たちから得られているそうです。バロン=コーエンは、心を読むための高度なモジュール(SAMおよびTOMM)が、精神障害である自閉症の子どもには典型的にかけていると提唱したそうです。自閉症の子ども、そして大人は、自分自身の世界にこもっているように思えることが多く、多くの社会的相互作用を苦手とします。バラン=コーエンは、自閉症の子どもに認められる一番の特徴は、心を読むことができないことであると提唱し、それをマインドブラインドネスと呼びました。

これに対する証拠が、高機能自閉症の子どもを対象とした研究から得られているそうです。高機能自閉症の子どもは、誤信念課題などの心の理論課題を実施すると、決まって失敗するそうですが、社会性とは無関係のほかの課題ではよい成績を示すそうです。それとは対照的に、ダウン症など知的遅れのある子どもは、心の理論課題には簡単に成功できますが、他のより一般的な知能を測定する課題の成績は低いのです。ほとんどの自閉症の子どもが、IDモジュールやEDDモジュールを要する単純な課題は成功できますが、SAMや特にTOMMモジュールが関与する課題では失敗するようです。

バロン=コーエンによると、自閉症の子どもは他者の異なる信念を理解することができないため、知的には比較的高い機能がある場合でも、他者の世界がわかりにくく、恐ろしいに違いないとビョークランドは言います。バロン=コーエンたちは最近、アスペルガー症候群などの高機能自閉症の大人3例を対象として彼らはIQおよび実行機能や推論に関連するテストの成績が平均以上であるにもかかわらず、心の理論に欠損が認められることを示していると言います。これは、心の理論と一般的知能との独立性をさらに支持するものだると言います。最近の研究では、健常な成人が心の理論課題を処理する場所と同じ脳の領域に、自閉症の人は神経生理学的な欠損があることが示されているそうです。このことから、さらに心の理論に関する能力の領域固有性が示唆されているそうです。

唯一最大

社会的認知について考察するときに、どうしても欠かせないのが「心の理論」です。この研究については、何度もブログで紹介しました。では、この心の理論について、進化発達心理学からみると、ビョークランドはどう考えているでしょうか?まず、こう述べています。「おそらく、ヒトの社会的相互作用の基盤にある唯一最大の基礎的な能力は、他者の知識や欲求が自身のものとは異なることの理解である。」と言います。さらに、彼は「この知識を表す概念として使われてきたのが“心の理論”であると言っているのですそれはおそらく1990年代の発達心理学研究における唯一最大のトピックと言えよう。」と評しています。

心の理論とは、人やその人の行動を、信念、欲求、意図といった心に関連する構成概念で解釈する傾向のことであるとも言います。私たちヒトが」行う他者との相互作用は、ウェルマンの言う、「信念―欲求推論」にもとづいていると言います。人は自分が知識や予測などの信念や、欲望や希望などの欲求にもとづいて行動していると理解しています。そして、他者の行動がその人の信念と欲求が自分とは異なることを理解しています。

心の信念―欲求理論を生まれた時から持っているわけではありませんが、ほとんどの子どもが4歳までに大人と同じような心に関する理解を発達させると考えています。心の理論は、誤信念課題の成績に最もよく表れます。それの研究実験は、何度も紹介していますが、たとえば、広く用いられている誤信念課題では、子どもに箱の中のようなある場所にごちそうが隠されるところを見せます。ごちそうを探すときにはもう一人別の人物が在室しています。その後その人物が部屋から出ていくと、ごちそうを別の場所に移動します。そこで子どもに、この人物が戻ってきたら、どこを探すと思うかと尋ねます。4歳児のほとんどがこの問題を解くことができ、戻ってきた人物は最初にごちそうが隠してあった場所を探すと答えたそうです。しかし、3歳以下の子どもは、新しい隠し場所を探すと答えることが多く、戻ってきた人物の知識が、自身の知識とは異なることを理解していないと考えられるのです。

心の理論は、日々の社会的交換に不可欠だとビョークランドは言います。たとえば、ある研究では 、子どもが「いじわるおさるさん」とゲームをしました。子どもたちに、魅力度に差のあるシールをいくつか示しました。「いじわるおさるさん」は、実験者が操る指人形で、子どもたちに本当に欲しいシールはどれで、あまり欲しくないシールはどれかを尋ねます。そして、いじわるおさるさんは子どもが好きと答えたシールを選び取り、欲しくないといったシールを残します。4歳児はすぐにゲームを理解し、いじわるおさるさんに本当の気持ちとは反対の答えをするようになるそうです。しかし、3歳児はこの課題の社会的ダイナミックを理解することができず、常に欲しいシールを指さし、欲しくない賞品をもらい続けたそうです。3歳児の行動は、いじわるおさるさんの心には、自身と異なる目的があることをまったく理解していないかのようであったと言います。

進化心理学の領域固有性の考え方と同じく、心の理論も就学前の数年で発達する専門性の高いモジュールが集まって成立していると、何人かの研究者が提唱しているそうです。

過大評価

昨日の例を見てもわかりますが、共同することによって、より多くの学びが生じます。しかし、その過程は少し意外なものであり、幼児の未熟な認知が多くのソースモニタリング・エラーを引き起こし、実はそのことが学習を促進しているのだというのです。文脈によっては学習を阻害するどころか、促進しているという主張と一致するものだとビョークランドは言います。

幼児の認知が不十分であることが、協同学習課題に利点をもたらすことを示したラトナーとフォーリーの結果と同様に、子どもの自身の模倣能力に関する理解であるメタ認知が不十分であることにも、利点が隠されていることが示されているそうです。たとえば、課題の模倣がうまくできると思うかを幼稚園児に評価、予測させた自然的研究では、全試行の56.9%で自身の模倣能力を過大評価していたそうです。過小評価は5.1%と少なかったそうです。

モデルの模倣を実際に試みた後の評価、後測では、自己の行動を少し的確に評価できるようになったそうですが、それでも試行の39.6%で過大評価をしていたそうです。この場合も、過小評価はほとんどなかったそうです。さらに、幼児の自身の模倣能力に関する知識はIQと関連しますが、この関連性は年齢に伴って変化するそうです。3,4,5歳児に、モデルが、1~3個のボールでジャグリングをするといった課題を行うところを観察させ、その行動をどれくらいうまく模倣できると思うかを尋ねたそうです。そして、その課題を実際に行ってみた後、自分がどれくらいうまくできたと思うかを評価させてみたそうです。すると、自身の成績をどの程度過大評価するかという子どものメタ模倣の正確性は、言語性IQの指標と関連があったそうです。ほぼ全員の子どもが自身の能力を過大評価したため、得点が低いほど過大評価が少なく、正確性が高く、得点が高いほど過大評価が多く、正確性が低かったのです。

5歳児で模倣能力の予測及び事後評価の正確性が高い子どもは、ということは過大評価が少ない子どもは、正確性の低い子どもよりもIQが高かったそうです。これと同様の関連性が、6歳以上の子どものメタ認知課題でも認められているそうです。反対に、3歳児、特に4歳児では、IQの高い子どもが自身の模倣能力を過大評価する傾向が高かったそうです。この結果から、状況によっては、メタ模倣の不十分さが、実は幼児に利益をもたらしていることが示唆されているのです。

幼児が、自身の認知能力や身体能力を過大評価することはよく知られていることだそうです。メタ認知的知識が未成熟であることによって、幼児は様々な行動の模倣を、それが無駄だと考えることなく試みることができます。その結果、頭の良い幼児は、新しい行動の実験と古い行動の練習を続け、試行錯誤学習が非常に重要な時期に能力を高めていくと考えられているのです。

子どもの運動能力の向上に伴い、メタ認知能力も向上します。メタ認知能力は、発達の過程で後に、より高度な認知に関連してきます。これまでにもビョークランドが言うのように、子どもの未成熟な認知には子どもの発達的ニッチにうまく適合している側面があり、必ずしも克服しなければならない欠陥とは言えないのです。

共同

トマセロたちは、ヒトの文化学習として3段階のレベルを提唱しました。それは、模倣学習、指導学習、協同学習です。ということで、第3段階は、協同学習です。協同学習とは、模倣学習や指導学習のように、到達度の低い個体が、到達度の高い個体から単純に学ぶといったものではなく、2名で共通の問題を、一緒に解決しようとすることから生じる学習であるとしています。トマセロたちは、協同学習は文化の伝播というよりは、文化の創造の過程であると言います。この言葉は、とても大切な言葉ですね。協同学習のためには、子どもは仲間が反省的主体であることを理解しなければならないと言います。反省的主体は、自身の思考や相互作用をする相手の思考を省察することができるというのです。反省的、あるいは再帰的な表象の例は、子どもが、他者が自分と異なる視点を持ちうるという理解に加えて、他者が他者の視点について思考できるという理解を示すようになった時であるとトマセロは言うのです。

たとえば、「ピーターは、私が彼はケリーを好きだと思っていると、思っている」というのが再帰的思考です。これは、協同学習には不可欠であり、意見の対立や衝突の場面でよく生じる、たとえば、共同で学び、新しい視点を共有しようとしているとき、子どもは自分が出した提案に対する仲間あからの批評を評価し、それにコメントできなければならないのです。トマセロたちは、これが最初にできるようになるのは児童期初期である6~7歳のころだと言います。

以前のブログでも紹介しましたが、協同学習は、ソビエトの心理学者レフ・ヴィゴツキーの考え方の流れを汲んでいます。ヴィゴツキーによると、子どもの学習は、文化的に適切な活動に参加すること、特に、自身より能力の高い大人や仲間との相互作用を通して進むと言います。教師たちは、単独で作業するよりも協力して作業する場合の方が、一般的に達成度が高いこと、また、共同によって一番利益を得るのは、最初パートナーよりも能力が低かった子どもたちであることを報告しているのです。

協同学習に関する興味深い発見は、他者の行動を自身の行動として記憶する「ソースモニタリング・エラー」を、幼児がおかしやすいということだとビョークランドは言います。たとえば、就学前児を対象とした研究で、子どもと大人が交互に1枚ずつ紙を貼ってコラージュを作成し、コラージュ完成後に、コラージュの各アイテムを、自分、大人のどちらが貼ったかを子どもにいきなり尋ねたそうです。すると、4歳児では、実際に大人がコラージュに貼り付けたものを自分が貼ったと答える過ちが、その逆の過ちよりも多く、大人の行為を自身の行為として再符号化していることが多かったそうです。このような例は、現場で見ることがありますが、それは、決して自分を弁護したり、自分の手柄にしたがっているわけではなく、そのような発達における傾向だったのですね。

フォーリーとラトナーは、このバイアスが他者の行為を自分に誤って帰属することによって、その行為が共通ソースである自分自身と結びつき、その結果、記憶がより統合され、検索しやすくなることを挙げているそうです。この解釈に一致する結果として、大人と共同で課題を行った5歳児は、たとえば、人形の家に家具を共同して置くといった課題の後、このようなエラーを多くおかしたそうですが、非共同群の子どもよりも各部屋に置いた家具の場所をより多く記憶していたそうです。

模倣から指導へ

トマセロ、クルーガーとラトナーの分類では、模倣学習の次の段階は、指導学習であるとしています。指導学習では、到達度の高い個体が到達度の低い個体に指導を行います。ただし、指導が行われる全事例が指導学習と言えるわけではないと言います。指導学習には「子どもが大人について学ぶこと。特に、大人が課題をどのように理解しているか、そしてそれが自分の理解とどう違うのかを学習する」ことが必要だと言います。指導学習と他の「指導による学び」との違いは、前者では子どもが指導された行動を適切な文脈で、自分の行動を制御するために再現する点だというのです。つまり、模倣学習と同様に、子どもは行動の目的、最初に行動の指導をした時の大人が持っていた目的を理解しなければなりません。子どもは大人の指導を内面化しなければならず、単純に要求されたら行動を繰り返すだけでは不十分だと言います。模写の時に体重計の例に出てきた2歳児男児が、あの行動を教えられたとしても、これは単に「はかりに乗るという芸」を学んだだけであり、トマセロらの定義により指導学習とはならないのです。

指導学習の基盤にある認知能力は、心の理論の基盤にある能力と同じと考えられると言います。心の理論には、典型的な定義にあるように、他者に信念や欲求があること、そしてそれが自分のものとは対立する場合もあることを理解することが必要だと言います。同様に、指導学習では、学者は教授者の視点を正しく理解する必要があります。トマセロは、以下のようなことを言ってるそうです。

「指導者から文化的に学ぶためには、指導を指導者の視点に近い視点から理解するためには、子どもは自身の視点とは異なる心の視点を理解できなければならない。そして、その視点を自分の視点と顕在的に関連付けなければならない。」

野生チンパンジーの指導学習に関する証拠が、少ないながら存在するそうです。たとえば、霊長類学者クリストファー・ベッシュは、象牙海岸のタイ森林で、メスのチンパンジーが子どもにクルミの割り方を「指導」しているのを観察しているそうです。クルミ割りをするチンパンジーはごく一部に限られており、文化的に伝播される行動と定義されることもあるそうです。この行為は、土台となる岩の土の上に置いたクルミを、別のハンマーにする岩でたたくというものです。この技能の獲得には長い年月がかかり、通常大人のメスが行っているそうです。ベッシュは、母親チンパンジーが、子どもがただクルミをたたき割って、中の実を取り出せばいいだけになるようにクルミと土台、ハンマーを設定するのを何回か観察したそうです。この行動は、子どものいないチンパンジーの成体には全く観察されなかったそうです。

また、別の時には、母親チンパンジーは、子どもが見ているときには、クルミ割りの動作を普段よりゆっくりと行っていたそうです。これらの観察ほど、印象的な観察結果は、これまでにもほとんどなく、霊長類学者がこの100年間に記録してきた数千、あるいは数百万もの相互作用の中でも、ごく一握りでしか確認されていないそうです。つまり、この観察結果を、チンパンジーが指導学習を行うという「証拠」と解釈するには注意が必要であろうとビョークランドは言っています。

ヒトの模倣

大型類人猿の模倣学習に関する証拠の中で、最も説得力があるとビョークランドらが考えている研究では、文化化した若いチンパンジーに一組の物体に対する行為、たとえば、シンバルをたたき合わせて音を出すという行為を示し、少し間をおいた後、別の物体、たとえば、二つのこてを一組与えます。チンパンジーがモデルの意図である、ここでは物体をたたき合わせて音を出すという意図を理解していれば、この行動を形の似た別の物体に一般化するはずです。ここでは、二つのこてであっても、これをたたき合わせる行動をするはずです。まさに、この行動をチンパンジーはとったそうです。このことは、この研究や関連研究でこれまでに観察された延滞模倣が、模写や目的模倣ではなく、真の模倣学習を反映するものだったことを強力に裏付けるものだというのです。

文化化したチンパンジーに関するこの研究結果は、模倣学習の基盤にある表象能力が類人猿にも出現するのは、ヒト的環境で育てられた場合のみであることを示唆しています。ヒトの養育環境では、模倣が奨励され、自身、養育者、外部の支持対象という三者の相互作用が行われます。共有―共同注意、参照コミュニケーション、そしておそらく言語などが生じることが、標準的なヒトが示す社会的認知が実際に現れるのに不可欠であると考えられていることも多いようです。

ヒトの乳児期、歩行期の子どもが示す模倣に関する研究は多くあるそうですが、こうした研究のほとんどは目的模倣、模写、模倣学習の区別をしておらず、単に観察した行動を子どもが再現するか否かに焦点が当てられています。たとえば、就学前の子どもの道具使用の模倣を評価した研究では、子どもがターゲット行動は模倣しますが、その行動が機能的ではなくとも模倣を続けることが報告されています。このことは、以前のブログの中でも紹介されていました。

このことから、この子どもたちがその道具を使う大人の意図を理解しておらず、単にモデルが示した行動を模写しているだけであることが示唆されていることになります。ウォントとハリスの最近の実験は、この解釈が低年齢の幼児には言えても、それ以上の就学前児には当てはまらない可能性が高いことを示しています。ウォントとハリスは、道具使用課題におけるモデルの目的を、3歳児は理解でき、2歳児は理解できないことを示したそうです。彼らの研究では、子どもに、筒に入っているおやつを大人が棒を使って押し出すところを見せます。この課題の成否は、棒を筒に挿入する方向で決まります。誤った側から挿入すると、おやつが穴から落ちてしまい、手に入りません。子どもたちに問題解決の正しい方法と誤った方法の両方を示したところ、3歳児はその後、行為を模倣しておやつを取り出すことに成功したそうです。それに対し2歳児の成績は、ほぼチャンスレベルであり、道具を使ったモデルの行為と結果との関係性を、完全には理解していないことが示唆されたのです。

トマセロ、クルーガーとラトナーの分類では、模倣学習の次の段階は、指導学習であるとしています。指導学習では、到達度の高い個体が到達度の低い個体に指導を行います。ただし、指導が行われる全事例が指導学習と言えるわけではないと言います。