ビョークランドは、欺きは心の理論と一貫性のあるものですが、一方で、このような欺きには、他の動物の心を読んでいるのではなく、単に、特定の状況で成功しなかった行動を避けることが、最善の策だっただけと考えています。その証拠に、より統制された研究室環境では、類人猿が心の理論をもっことを示すはっきりとした証拠はほとんど得られていないと言います。たとえば、非言語的な誤信念課題として、コールとトマセロは、ごほうびの餌を障害物の後ろ(類人猿からは見えないが、ヒトの「伝達者」からは見える場所)に隠す課題を行っているそうです。障害物が取り除かれてから、伝達者は正しい容器に印をつけて、類人猿に食べ物の場所を教えたそうです。
その後、餌を別の容器へ移すのを追跡できるようになったら、間違った容器(食べ物が隠されていないことを類人猿が知っている容器)に伝達者が印をつけた場合、その印を無視するように学習させたそうです。類人猿がこれらの課題に成功してから、誤信念課題を実施しました。伝達者は、ごほうびが容器の1つに隠されるところを見た後に、部屋を離れます。その後、別の人物が、類人猿が見ているところでごほうびの場所を入れ替えます。それから伝達者は部屋に戻り、最初にごほうびが隠されるのを見た容器に印をつけます。類人猿が5歳時と同等の心の理論を有するならば、伝達者がごほうびの場所に関して誤った信念をもっていることがわかるだろうと言うのです。類人猿が餌を手に入れるためには、伝達者が餌の場所について異なる(誤った)知識をもっていることを理解し、伝達者が印をつけていない容器を選ばなくてはなりません。
この誤信念課題は難しく、4歳児はほとんどが失敗したそうですが、 5歳児は成功したそうです。しかし、オランウータン2頭、チンパンジー5頭はいずれも課題に成功しなかったそうです。この課題の手続きが複雑であったために、類人猿は求められていることを完全に理解するのが難しかったとも考えらますが、コールとトマセロはこれとは別の解釈をしており、この結果は、大型類人猿にはヒトの5歳児と同等の心の理論はなく、複雑な社会的関係性の問題を、類人猿は連合学習によって解決している、という解釈と一致すると主張しています。
また、霊長類について、心の理論の難易度が低いと思われる側面の評価を行った研究もあるそうです。その一例が、視覚的注意に関する大型類人猿の知識の研究です。たとえば、類人猿やサルが同種の仲間の視線を正確に追うことに関しては、実験による確かな証拠があり、このことから、類人猿やサルが、他の動物が注視する方向には、その動物が見ているものがあることを理解していると示唆されます。しかし、このような知識は、他の動物が注視していることと、何らかの重要なおもしろい結果との間に関連性があることを学習したことによって得られたとも考えられます。つまり、バロン=コーエンの理論のEDDモジュールに対応する「視線を向ける」ことは「見る」ことであるということを、その動物が理解しているとは必ずしもいえないのではないかと言うのです。