進化と心理学

たしかに乳幼児の脳は未発達です。その未発達な脳が、未発達な心の世界を生み出しているという印象を持ちます。しかし、このような印象は、大人を中心とした人間観があるためであり、大人との比較でしか乳幼児を捉えていないためではないかと森口は言います。もう少し、進化や適応という視点から理論的に考えることが必要だと説きます。この点に、私は同感です。私ももう少し発達ということを進化的に考察する必要があると思っていますし、育児、保育についても進化論的考察が必要だと思っています。

進化心理学という新しい領域があるそうです。進化心理学では、私たちの認知機能は、ヒト科の祖先が直面してきた適応上の問題を解決するために進化してきたという立場で、また、進化の中で自然淘汰や性淘汰などの過程を通じて形成されたという立場をとります。進化心理学の前提として、ある行動の価値は、それにより生き残って子孫を産むことができるか否かという点で判断されます。この考え方には批判もあるそうですが、進化心理学は、ひとつの説明の枠組みとして、現代の心理学において重要な位置を占めているそうです。

このような考え方で、ある行動を説明するための方法として、動物行動学者ティンバーゲン以来、至近的要因と究極的要因に分けて説明する必要があると考えられているそうです。至近的要因とは、ある行動の直接的なメカニズムのことで、リンゴを口に含むと、リンゴのショ糖が舌の味蕾を刺激し、その情報が末梢神経を伝わり、脳の味覚に関わる領域に届くことで甘いという感覚を得ることです。至近的要因には、発達や学習といった獲得のメカニズムも含まれます。究極的要因には、機能的要因と系統発生的要因がありますが、この点からリンゴについての問題を説明すると、リンゴにはミネラルなどの栄養分が含まれており、リンゴを甘く感じるという形質は、生存という意味においてプラスに働いたと捉えます。

進化進化学では、研究対象は大人だったそうです。進化心理学が、自らの子孫を残すことに対して、どのような行動が有益だったかを探る学問であることを考えると、生殖できる大人を対象にするのは当然のことといえると森口は言います。現代の視点からすると、乳幼児が大人になる可能性は高いため、大人だけ扱えばいいようにも思えてしまいます。しかし、進化心理学では、私たちの認知機構は、狩猟採集をしていた1万年前から変わっていないということを前提にしており、その時代では乳幼児死亡率が高く、全員が生殖できる年齢に至ることができなかったことを忘れてはいけないと森口は言います。狩猟採集民の生殖年齢以前の死亡率が4割程度だったという報告もあるそうです。つまり、生殖ができる時期に至るまでに、どのような発達が生存という意味では重要であったのか、それぞれの発達の時点において、何らかの適応があったのではないかという視点は重要だと言います。

ビョークランド博士らは、様々な淘汰圧は個体発生のどの時点にもかかりうるものであり、乳児や幼児が備えるいくつかの特質は、成人期のためではなく、その時点に適応するように進化の中で選択されてきたのだとして、進化発達心理学を提唱しました。この考えでは、乳幼児が示す行動の中には、乳幼児期においてのみ意味を持つものもあります。むろん、大人になってから意味を持ってくるものも多数ありますが、以前はこの側面だけが強調されてきたのです。

進化と心理学” への12件のコメント

  1. 進化心理学という考え方があるのですね。そして、それは「進化の中で自然淘汰や性淘汰などの過程を通じて形成されたという立場をとります」とありました。そのような見方で人を見ると、人類の強みのようなものが見えてくるのかもしれませんね。特性ということにもなるのかもしれませんが、そういう部分があったからこそ、生き残ってきたということは、その特性が人類にとっては必要不可欠なものであるということが言えるのでしょうか。それが分かってくると、現代社会では補なくなっているものであれば、それを補うために園ではどういうことができるのかを考えることができそうですね。また「その時点に適応するように進化の中で選択されてきたのだとして、進化発達心理学を提唱しました」という言葉も印象に残りました。それが「今をよりよく生きる」子どもの姿と重なるようにも思えました。子どもが行うことには意味があるということを大人が信じていかなければなりませんね。

  2. 進化心理学という学問の分野があるということを初めて知りましたが、その学問は〝進化の中で自然淘汰や性淘汰などの過程を通じて形成された〟とあり、そこを見つめていくと、決して力も抵抗力も強くない人間がどのようにして生き抜いてきたのかということを突き詰めていくことができそうですね。いうなら、人間のストロングポイントともいうものになるのでしょう。
    その分野からみて、現代人はどのように写っているのでしょう。現代人の足りないものを補う役割を担うのは子ども集団を形成している施設であるのだとしたら、いつまでも人間の進化に必要なものになってくる気がします。子どもの行動や思考、言動には必ず意味があるのだという視点に立てることがこの学問の最初の一歩目である気がしました。

  3. 大人を中心とした人間観があることによって、乳児へ対する未発達な部分として捉えてしまうのかもしれませんね。赤ちゃんの頃しかもっていない能力を基本に考えれば、私自身のほうが劣っている部分が多くあると思います。゛私ももう少し発達ということを進化的に考察する必要がある゛という藤森先生の考え方から自身も発達という、いわいるもに見えるような発達をみるのではなく、人の進化のなかでといった見解で子どもの姿を見ていかなければならないと感じました。また、狩猟をしていたころからの゛生殖ができる時期に至るまでに、どのような発達が生存という意味では重要であったのか、それぞれの発達の時点において、何らかの適応があったのではないか゛とあることは、その生殖に関するものは、生得的にあるものの、時代によって何を発達させることによって、生存の確率をあげてきたのかという見解につながり、それがシナプスによって遺伝的に受け継がれた情報を残していくことが脳の進化のなかであると考えられました。それぞれの発達の時点に適応する能力というのは、ホモサピエンスが現代まで、生き延びてきた理由になりそうです。

  4. 大人を中心とした人間観があることが、大人との比較から乳幼児を、子どもたちの世界を勝手に思い込んでいる部分があるのかもしれませんね。その誤った思い込みを修正するためという意味でも「発達や育児、保育についても進化論的考察が必要」だと感じました。そして、「至近的要因」と「究極的要因」という初めて見る単語がありました。至近的要因は、リンゴの例もありますし、「直接的なメカニズム」とあったことで理解はできていると思いますが、究極的要因においては何となくわかるようでわかっていないようなところがあります。また、進化心理学において、学問上どうしても大人にばかり目がいきますが、「生殖ができる時期に至るまでに、どのような発達が生存という意味では重要であったのか、それぞれの発達の時点において、何らかの適応があったのではないかという視点が重要」なのですね。生殖年齢以前の死亡率が4割程度であったので、残りの6割に焦点を当てるのは当然ですが、その4割と何が違ったのかなど過程の違いが重要であることがわかります。

  5.  「進化心理学では、私たちの認知機構は、狩猟採集をしていた1万年前から変わっていないということを前提にしており、その時代では乳幼児死亡率が高く、全員が生殖できる年齢に至ることができなかったことを忘れてはいけないと森口は言います。」面白いですね。進化心理学という分野にとても興味が湧きます。進化と言われ、現代人をその最先端にいる人間なのだと錯覚していましたが、「私たちの認知機構は、狩猟採集をしていた1万年前から変わっていない」という前提はとてもインパクトのあるもののように感じられました。時代だけが遡り、実際にその時代で生きることを試すことができたとして、現代の生活に慣れきってしまっている身としては、はたして相当に過酷な毎日を送らなければならないだろうと想像します。祖先の残してくれたことに対して報いることができるとすれば、今の恵まれた環境で、遺伝子をつなぐ作業を怠らない、ということでしょうか。

  6. りんごを甘く感じるのはなぜだろうとは考えたことはなかったですが、進化の過程において、「リンゴを甘く感じるという形質」が備わり、また、そのりんごには多くの栄養素を含んでいたというのは、非常に利点同士がつながったイメージがあります。それも、まさになるべくしてなったというように感じるのは、「生存という意味においてプラスに働いた」というように、生きるための方法として、人類はその能力を進化的に獲得してからであるということなのでしょうか。乳幼児の死亡率が高く、生殖できる時期にも満たない割合が多かった時代において、「生殖ができる時期に至るまでに、どのような発達が生存という意味では重要であった」というように、どのような能力が必要不可欠であったのか、また、それをどのように獲得していったのかというのは非常に気になりますね。

  7. ブログの最後に「乳幼児が示す行動の中には、乳幼児期においてのみ意味を持つものもあります」と書かれてあります。おそらく前回のブログ絶対音感もそうですし、言語、顔の弁別もそうですが、聞いた瞬間は確かにすごい能力を持っていると思います。しかし、その瞬間だけ必要であり、大人になった時には必要のない能力なのに、そこだけが注目され、そのため早期教育が重要という流れになったような気がします。藤森先生が「進化心理学」を育児、保育の考察にする必要があると言われていますが、本当にその通りですね。森口氏も大人を中心とした人間観が乳幼児を捉えていると言われています。それが今の日本の教育を考える上で必要な事だと思いました。

  8. 進化心理学という学問もあるのですね。人の能力が刈り込まれていく中でそもそも「刈り込む」という脳の発達が起きるのは人が環境や時代において「適応できるから」なのかもしれません。様々な状況や条件において人は生存戦略を行ってきましたが、常に一緒の状況はありません。森口氏が言うように「乳幼児死亡率が高く、全員が生殖できる年齢に至ることができない」時代と比べると今の時代は求められる能力は大きく違うことと思います。刈り込む能力を時代に合わせることで環境に適応してきたと考えると人の脳はとても高度なものであり、とても先進的な可能性を秘めているということがわかります。

  9. 「たしかに乳幼児の脳は未発達です。その未発達な脳が、未発達な心の世界を生み出しているという印象を持ちます。しかし、このような印象は、大人を中心とした人間観があるためであり、大人との比較でしか乳幼児を捉えていないためではないか」とあります。この根本の考え方というのが大事になってくるのかなと感じました。脳の細かい部分が今少し難しく感じでいますが、時代によって脳の刈り込み方というのが変わってきているでは?とも感じます。狩猟採取民の乳幼児死亡率が高いころに比べるとその環境に適した刈り込みというのが行われていたのですかね。そう考えると脳の高度な機能はすごいですね。

  10. 森口氏が言うところの、大人基準による乳幼児観、「大人を中心とした人間観」、はやはり、大人が人類発達の目標、といった感が否めませんね。しかし、この考え方が正しくないことは簡単にわかります。それは戦争です。しかも、20世紀という時代は、大人人類が自分だけではなく、乳幼児も、そして他の生物も根絶やしにしかねない核兵器を手にした時代です。ホモサピエンスの遺伝子にも残念ながら絶滅情報が組み込まれていたようです。まぁ、これまで多くの生物が絶滅したという事実を振り返るなら、わからなくもない。遺伝子はオン・オフが可能だと言われます。乳幼児はその遺伝子をオフのままにしている。まるで、オンにしたら絶滅することを本当に知っているかのように。「進化心理学」という学問領域は臥竜塾ブログでも触れられていたような・・・早くも2012年6月15日のブログでダンバー氏著書のサブタイトルに使用されているものを引用しています。5年半前。その後も「進化心理学」については触れています。「認知機能は、ヒト科の祖先が直面してきた適応上の問題を解決するために進化してきたという立場」、なかなか説得力がありますね。「それぞれの発達の時点において、何らかの適応があったのではないか」それぞれの発達時点における適応のための認知能力。直観的にあるような気がします。

  11. 全員が生殖できる年齢に至ることができなかったことを忘れてはいけないとあり、狩猟採集民の生殖年齢以前の死亡率が4割程度だったという報告があるという一文が印象に残りました。そして、生殖ができる時期に至るまでに、どのような発達が生存という意味では重要であったのか、それぞれの発達の時点において、何らかの適応があったのではないかという視点は重要とあり、理解したとはとても言えませんが、なうほどと思いました。人類が生きてきた歴史の中でどのような進化が遂げられ、そして今の時代にまで生きてこれたのかを考えることが現代の保育につながるんだなと感じ、勉強になりました。

  12. 「狩猟採集民の生殖年齢以前の死亡率が4割程度だったという報告もある」という言葉がありました。今の時代で人間が生殖年齢以前に死ぬことは、ごくわずかだと思います。時代をさかのぼると人間も、他の動物たちと同じように、生きるか死ぬかの生活をしていたと思うと、信じられません。
    また、リンゴを甘く感じることが、「生存という意味においてプラス」だということも印象的でした。進化論などの話は、毎回ワクワクしてしまします。今の、時代になるまでにどんな背景があったのか、知っていくことに面白さを感じます。

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