簡単な計算

カレン・ウィンによる5ヶ月児に足し算または引き算に関わる一連の可能事象と不可能事象を呈示したことに対して、このような結果は、「算術モジュール」自体ではなく、一般的な知覚あるいは注意メカニズムによってもたらされたものかも知れないという別の解釈が呈示されています。たとえば、このような課題の成績は、乳児の整数の抽象的理解、すなわち、スクリーンの後ろには物体が1個か2個あるはずだという理解を反映するものではなく、実際の物体の表象に基づくものであるとも考えられ、こうした判断は概念的というよりは、知覚的な関係性に基づくものであることを示唆しているとも考えられると言うのです。

ヒト以外の霊長類に簡単な計算能力があることを示す研究も2つ存在するそうです。ひとつの研究では、ウィンと類似の方法を用いて、人間に馴れた自由生活のアカゲザルの引き算理解を評価したものです。1匹ずつ横に並んだ2つの舞台に食べ物が置かれているのを見せます。その後、スクリーンを上げて、食べ物を隠します。ある条件では、サルが見ているところで食べ物を取り去り、スクリーンで隠れている物の数を変化させます。そこでヒトはその場を離れ、アカゲザルは舞台に近づくことができるようにします。サルが引き算をできるのであれば、今2つのスクリーンの後ろにある物の数を把握できているはずであり、食べ物が多く隠されている舞台に最初に近づくはずです。アカゲザルは、スクリーンで隠した最初の物体数が3以下の場合、まさにこの行動をとったそうです。

また、ヒト以外の霊長類の算術能力は、文化化したチンパンジーを対象とした研究でも明らかにされているそうです。たとえば、比較心理学者であるサリー・ボイセンたちは、チンパンジーのシーバに1~8のアラビア数字を教えました。テレビ画面に示された数字を見て、2つの物体の並び方を指させば、シーバはご褒美をもらえます。ある実験では、オレンジ1~4切れを実験室の3か所のうち2か所に置きました。シーバへの課題は、隠し場所を見に行き、本部に戻ってきてオレンジスライスの合計数を示すアラビア数字を選ぶことでした。つまり、たとえば、1つ目にオレンジ2切れ、2つ目に3切れ、3つ目にはなかった場合は、シーバがアラビア数字の5を選べば正解となります。シーバは、最初の試行で、つまり事実上訓練なしで、これに成功したそうです。次の実験では、オレンジをアラビア数字に代えて行いました。つまり、上記の例のように2か所にオレンジが2切れまたは3切れあるのではなく、数字の2と3があります。この課題でもシーバは、1回目の実験セッションからチャンスレベルよりも有意に高い成績を示したそうです。シーバの簡単な計算能力は、3歳児、4歳児に観察される簡単な計数方略に相当するものだそうです。また、この結果から、少なくとも一部のチンパンジーは、簡単な、人のような足し算能力を利用できることがわかると言います。

基礎的な数量的能力は、ヒトのみでなく、他のさまざまな種にも重要な能力のようです。しかし、ヒトは特にうまく数学を活用しており、数量的能力の一部は生物学的一時的能力であるとギアリーは主張しているのですが、この主張は、乳幼児期の発達研究により支持もされているそうです。

計数と計算

ほとんどの子どもが話し始めるのとほぼ同時に数えられるようになると言われているようですが、一般に「成熟した」計数、すなわち成人が社会で行なっているのと同様の計数の練習は、幼児期後半になるまで行なわないと言われています。(ただ、ここで話し始める頃に「数えられる」というのは、たぶん日本語訳の問題だと思うのですが、「数が唱えられる」と言うことのような気がします。)計数には、以下の5つの原理が関連しているということを、ゲルマンとガリステルが示しています。

1対1対応の原理:集合中の各要素には数の名前が1つだけ割り当てられる。

安定順序の原理:数の順序は常に同じ順序で繰り返さなくてはならない。

基数の原理:数えていった最後の数がその集合の大きさを表わす。

抽象の原理:上記3原理は、どのような物の集合にでも適用される。それは、物体にも、形のないもの(たとえば一堂に会した頭脳、考え)にも適用される。

順序無関係の原理:対象はどのような順番で数えてもよい。

ゲルマンとガリステルは、1~3の原理を計数の「ハウツー」原理と呼んでおり、2歳半児でも状況によっては、この知識を示すと言います。たとえば、3歳児でも5つ以下の物の計数に1対1対応の原理を用い、ほとんどの子どもが数字を一定の順番で使い始めると言います。ただ、数字を表わす単語をおかしな順に使うこともありますが、その順番は一貫しているようです。

幼児が正しい計数に何が必要と考えているかを判断するには、一列に並んだ物の数を操り人形が数えるところを子どもに見せ、操り人形は正しかったか、間違っていたかを尋ねる方法が有用だそうです。3,4,5歳児を対象にこの方法を用いたブライアーズとシーグラーは、1対1対応と安定順序が正しく数を数えるために不可欠とする理解は、幼児期に高まると結論づけているそうです。3,4,5歳児でそれぞれ30%、90%、100%だったそうです。

しかし、5歳児の60%は、並びの真ん中からではなく端から数え始めること、同じ物は1回しか指ささないなど、その他の要素も必要と考えているようです。つまり、4歳までに計数に重要な要素を学びますが、他者の観察を通して、正しい計数の特徴ではありますが、必ずしも必要でない要素についても推測しているのだと言います。

このような生物学的一次的能力は、小さな数字の足し算と引き算に関与しているとギアリーは述べています。この説は、乳児を対象とした研究により支持されているそうです。初期の研究で、発達心理学者であるカレン・ウィンは5ヶ月児に足し算または引き算に関わる一連の可能事象と不可能事象を呈示しました。この研究の結果が「見守る保育」の動機の一つになったことを以前紹介しました。それは、舞台上の人形が2つになるはずなのに1つしかないことに乳児がびっくりするというものです。この結果は、乳児が足し算の基本的な概念を持っていることになり、これまで何度か再現されているそうですが、別の解釈も呈示されているそうです。

順序と計数

哺乳動物や何種類かの鳥類についても、順序性の概念を学習できることが研究によってはっきり示されているそうです。しかし、対象動物や鳥類がこの結果を示すには、通常何時間、何ヶ月、何年もの訓練が必要だそうです。ヒト以外の動物が順序性のような基本的な概念を示すまで長期の訓練が必要なのは、順序性がその動物の環境では、あまり重要ではないからと考えられています。

私の園で、1歳児クラス(1~2歳児の子ども)の午前のおやつにビスケットが出たときのことです。保育者は、それを子どもたちに配るときに、1枚か2枚かを本人に選ばせていました。子どもたちは、何を理由に選んでいるのかは定かではありませんが、どちらかを指さして選びます。それは、普段その子が食べることができる枚数を選んでいるかのようでした。ある子が、どちらを選ぶか迷っていました。1枚の方に手をやったかと思うと、2枚の方に手をやったり、迷っています。保育者に聞くと、その子はいつも1枚しか食べることができないのですが、気持ちは2枚欲しいようです。迷った結果、2枚を取りました。結局、その子は2枚を食べることが出来ず、残りを残菜入れに捨てていました。この動作から、どう見ても1歳~2歳の子どもは、量の比較ができているような気がします。しかし、1か2の比較ですが。また、自分が食べることができる量がわかっている上、その量を満たすにはどのくらいの量を食べればいいのかがわかっているような気がします。もう少し、この実験を深める必要がありますが、私は、兄弟げんかをするときの大きな原因は、食べ物がどちらが大きいかということだった気がします。

アカゲザルを対象とした反自然研究では、少数のものについて、多い、少ないの関係性を理解できることが示されているそうです。この研究では、ある島に生息する人間に馴れたアカゲザルを対象としたそうです。アカゲザルは全く異なる特徴を持つ2つの不透明な容器に研究者がいくつかのリンゴを個別に1つずつ入れるのを見せます。一方には1~8個、もう一方には0~3個のリンゴを入れ、2つの容器に入っているリンゴの数が異なるようにします。調査者はその後立ち去り、サルが最初に近づく容器を記録したそうです。2つの箱に入っているリンゴの数の差が4以内の場合に、サルは一貫してリンゴが多く入っている箱に近づいたそうです。つまり、0対1個、1対2個、2対3個、および3対4個の対比については、サルは一貫してリンゴが多く入っている箱に近づいたのです。箱に入っている数がもっと多い場合には、先に「多い方に近づく」傾向は弱かったそうです。この結果から示唆されるのは、サルは3または4以内の数について、順序性の「自然な」理解ができるということ、また、長期の訓練をしなくともサルはこの能力を示すということのようです。また、この結果から、人の順序性に関する能力は進化的に非常に古く、ヒトに特有のものではないとビョークランドは言うのです。

では、「計数」についてはどうでしょうか?世界中の幼い子どもたちが、各文化で使われている数字を表わす単語を使って、少量の物を数えています。「いち」「に」「さん」とか、「one」「two」「three」とかです。このような計数行為は、子どもが、話が出来るようになるまで観察されませんが、何人かの理論家が基盤として潜在的な、骨格的原理が乳児期に明らかに見られると提唱しているそうです。

数量と順序

ギアリーが提唱した生物学的一次的能力について、もう少し詳しくビョークランドは紹介しています。まず、最初に挙げた「数量」の認識です。数量の認識とは、数えることなく物のまとまりの数を即座に判断する能力です。彼は、通常4つないしそれ以下までであると言っていますが、モンテッソーリは、3までで、訓練すれば5までを判断できるとしました。私もそう思っています。この「物のまとまりの数を判断する」とは、「2」と「3」の差の意味を理解できる必要はなく、並べられた少数の物の数を確実に区別できるということです。この能力は基本的な能力と思われ、おそらく抽象的な数量認知ではなく単純な知覚能力に基づくものと考えられ、この能力が生後初期に認められるのは当然ともいえると言います。たとえば、この能力はネコ、チンパンジー、オウムなど、多くのほ乳類や鳥類でも観察されているそうです。

しかし、ヒトは生後かなり早期から数量の判断ができ、この認知には単純な知覚能力以上のものが関連しているという証拠が得られているそうです。たとえば、生後1週目の乳児は3つ(場合によって4つ)までの物の配列を区別することができると言います。さらに乳児は、並べられた物が止まっている場合でも、動いている場合でも、すべて同じ物の場合も種類が異なる物の場合でも、また、別の感覚を使用して対象を比較しなければならない場合でも、数量判断が可能だそうです。2つの異なる感覚様相の間で数量判断が出来ることから、乳児は一般的な知覚的処理だけでなく、ある程度抽象化能力も有すると考えられます。このことは、6~9ヶ月児を対象とした一連の研究の中で明らかになっているそうです。この研究では、2つまたは3つの物を呈示し、同時に2回または3回の太鼓音を聞かせたところ、乳児は、太鼓音の回数と同じ数、呈示された物の方を有意に長く注視したそうです。

3歳児は、視覚と聴覚を一致させるのが難しいと言われています。つまり、聴覚信号の回数と同じ数の視覚的刺激を選択できないことから、この結果は特に興味深いものになっているようです。6ヶ月児と3歳児の成績に連続性がないのは、知識の表象の様式と、評価方法を反映するものと考えられています。乳児の知識は、潜在的な表象であり、注視時間で評価されます。反対に、就学前児の知識は顕在的な課題で評価されます。おそらく、生後初期の痛感覚的な判断は潜在認知によるものであり、この知識を意識的に認識できるようになるのは、もっと後になってからだそうです。

次に「順序性」についてです。順序性は、多いまたは少ないという関係性に関する基礎的な理解であり、数量に関する理解の獲得後、乳児期後期に発達するものと思われると言います。ある研究では、画面に表示されている点の数が少ない方、または多い方を触るように16ヶ月児を条件付けしました。たとえば、乳児に3つと4つの点を繰り返し示し、点が3つ示されている方を触るよう一貫して強化しました。訓練が完了すると、点の個数が違う刺激を呈示します。もし乳児が単に点の数に反応していたのであれば、この転移フェーズでも点3つの方を指すはずです。しかし、もしそうではなく、順序の関係性、ここでは点の数が少ない方を選択することを学習していたのであれば、乳児は、2つの点を指すはずです。乳児の反応は後者だと言います。順序の関係性を学習していたことが示唆されたそうです。

数学的能力

園では、子どもたちが遊びを通して「数」を体験する必要性が言われています。私の園では、そのような環境を用意しているのですが、職員と話しているのは、では、乳児からの体験とはどのようなものなのだろうか?乳児における環境はどのようなものが考えられるか?ということです。デイビッド・ギアリーは、数量的能力のいくつかは生物学的一時的能力の候補だと言います。生物学的一次的能力は、進化の過程で祖先が直面した問題に対処するために選択された能力です。この能力は普遍的であり、極度な剥奪児以外は全個体で予測されるパターンに沿った発達が見られます。こうした技能の練習は自発的に行なわれ、ほとんどの子どもが熟達者レベルの機能を獲得すると言います。つまり、技能の獲得時期には多少の差はあるものの、最終的な達成レベルの個人差は小さいと言います。

生物学的二次的能力は、それとは対称的に、一次的能力を基盤として形成される能力であり、今日では学校教育によって形成されることが多い、文化の産物です。しかし、生物学的一次的能力は二次的能力に先立つとはいえ、一次的能力も発達し、その効果的な活用には経験が必要だということを忘れてはいけないとビョークランドは警告しています。

では、ギアリーが生物学的に一次的と考えられる数学的能力を挙げています。これは、私たちに、子どもたちがどのような「数学的能力」を持っているかを理解する上で、とても参考になります。

数量:物や事象の小さなまとまりの数を数えることなく正しく判断する能力。ヒトの場合、正しく認識できる数は、通常4つないしそれ以下までである。

順序性:「多い」「少ない」に関する基礎的な理解。後に、特定の順序の関係性の理解となる。たとえば、4は3より、3は2より、2は1より大きいという理解。ヒトの場合、このシステムの限度は明らかではないが、おそらく5より少ないと考えられる。

計数:発達初期には前言語の計数システムによって、3あるいは4までの物を数えられるようである。言語の出現と数を表わす言葉を学習すると、連続する数を表わす言葉を使って、計数、計測、および簡単な計算ができるという理解が通文化的にあるようである。

簡単な計算:発達初期に少ない数量に関して増えること(加算)および減ること(減算)を関知できるようである。このシステムは3つあるいは4つまでの足し算及び引き算に限られるようである。

このギアリーの「生物学的に一次的と考えられる数学的能力」については、概ね私たちが把握していることと同じですが、私が少し疑問に思ったのが、「順序性」です。日本の算数の単元では、ここは順序数として、「何番目」ということを理解させます。数字には、一つ目の数量という「量」を表わす場合と、「順序」を表わす場合があることを理解させるのです。しかし、ギアリーの挙げた順序性は、「多い」「少ない」という、ある意味で大小比較です。この部分について、ドイツでの数体験と日本の違いを感じたことを思い出しました。日本での1年生の算数で習う「用語・記号」は、「+ - =」であり、不等号である「<、>」は教えません。ドイツでの森の幼稚園での3,4歳児の算数では、不等号を使って数の比較をさせていたのです。どうなのでしょうか?

物理的物体

生後初期の乳児が有する連続性と個体性に関する知識について、発達心理学者であり、新生得主義者であるエリザベス・スペルケは、以下のように述べているそうです。このような知識は、

「生後初期に発達する普遍的な、物的世界を表象し、理由づける能力から生じる。これらの能力は、生後初期の成長と経験が標準の範囲にある乳児には必ず生じる能力である。この能力によって、子どもは物体がいかなる状況になる場合でもどのように動くかを予測することができる」

スペルケは、乳児の物体に関する生得的知識について様々な実験から、この領域に関する中核知識を生まれたときから持っているとしましたが、その研究は、少しややこしいので、省きますが、この考察に異論を唱える人もいるようです。長年、心理学者や親は子どもが生後約2年間に見せる変化の速さに驚かされてきました。しかし、この数十年間、そうした変化は実際よりも見かけ上の方が大きいようであることが新生得主義者たちから指摘されてきました。乳児は非常に早期から、おそらく生まれたときから、物体の性質について多くのことを知っていると言います。この知識が現われるためには経験が必要ですが、何人かの研究者たちによると、生得的に中核知識は持っていると言います。

乳児が世界にある物体に関する情報をすぐに獲得できるように準備されているということは、ビョークランドはさほど驚くことではないと言います。これらの能力は全動物とまではいきませんが、ほとんどの陸生動物、少なくとも脊椎動物が達成できる能力だというのです。他の動物や物体が存在する世界で生きている比較的大型の動物は、こうしたことを理解する必要であり、むしろそれ以上の理解を求められることも多いと言います。しかし、新生得主義者は、ヒトの乳児はこうした情報を獲得しやすいように特に準備されていると主張しているそうです。乳児の能力の基盤は、比較的よく発達した領域固有のメカニズムであり、ピアジェが提唱した領域一般のメカニズムではありません。また、こうしたメカニズムは数百万年かけて、物体の世界での生活を習得しやすいよう進化してきたのだと言います。しかし、こうした能力の獲得に関して、ホモ・サピエンスに特有な点はないと言います。このように、ヒトの乳児には生まれてくる物理世界に関する情報を学習できるような準備が整っているとする新生得主義者の考え方に、ビョークランドは同意しています。

さらに彼は、ホモ・サピエンスが文明の始まり以来成し遂げてきた文化的達成の多くは、数と数の関係性を扱う能力がもたらしたものだと言います。物体や事象を数量化する傾向はヒトに普遍的に見られると言います。確かに、代数や微積分など高等数学の獲得には学校教育が必要ですが、どの文化にも、少なくとも小さな数を表わす表記法や足し算、引き算の方法が必ず存在します。世界中の子どもが、学校などでの教育の有無に関係なく、ほぼ同時期に基礎的な数に関する概念を獲得するようです。そのため、ヒトの数量的能力は一般的な知性が高まった結果生じたものではなく、進化の過程で選択されてきた能力であり、数学的認知の制御には比較的領域固有のメカニズムがかかわっていると提唱する研究者もいるそうです。

顔に関する学習

モートンとジョンソンは、乳児の顔への選好性を証明するために二つのプロセス・モデルを開発したそうです。一つ目のプロセスには主に皮質下の神経経路が関与します。新生児が示すヒトの顔への選好性にはこのシステムがかかわっていると考えられますが、感覚能力の限界から、乳児は2ヶ月頃まで顔の具体的な特徴を学習することはできません。生後2ヶ月頃になると、脳の皮質領域が制御する第2プロセスに移行していくと考えました。このシステムの機能は、皮質の成熟と生後2ヶ月間の顔に関する経験に依存し、乳児は「他の刺激、特にヒト以外の種の顔とヒトの顔を区別する」ための表象を形成し始めるとしました。最近の研究では、このモデルと一致して、3~4ヶ月児が例えばイヌとかネコなどの動物の顔を手がかりとして、特定の個体の判別だけでなく、動物の種類の判別もできることが示されているそうです。つまり、3~4ヶ月児は、顔の特徴から「犬」または「ネコ」のカテゴリーが獲得できるそうです。

私は、常々、乳児がどの特徴から「犬」というカテゴリーを判別しているか不思議に思っています。なぜなら、例えば「ライオン」であれば、その特徴ははっきりしています。しかし、犬ほど様々な特徴を持っている種はないと思っています。ライオンやキツネ、オオカミから、ネコやネズミのような特徴を持った犬がいるのに、それらを総じて子どもは「いぬ!」と言うのです。どこの特徴を捉えているのでしょうね。しかし、それは別として、この研究から、3~4ヶ月児から、犬やネコの絵や写真を見せてもいいのかもしれません。

また別の研究では、新生児が他の女性の顔よりも自分の母親の顔を長く見ることが示されているそうです。そのことから生まれた時点で顔を見分ける能力があることが示唆されています。さらに別の研究では、生後12~36時間の新生児に母親の顔写真と別の女性の顔写真を呈示すると、より母親の写真が見られるようにおしゃぶりを吸う割合を変化させたそうです。これらのデータから、新生児は顔と顔以外のものの違いを見分けられるのみならず、生後1日目で母親の顔に対する選好性を身につけることがわかります。

これらの研究結果は完全に一致しているわけではありませんが、新生児でもヒトの顔に着目する傾向があり、顔に関する学習は早期に発達するという点では合意しています。このことは、進化的視点からも理解でき、また、先駆的な乳児研究者であるロバート・ファンツの推測とも一致しているそうです。ファンツは40年以上前に、乳児の顔らしいパターンへの選好性は、「のちに適応的意義を持つ刺激に注意を向けさせ、行動の発達上重要な役割を果たす」と思われると記しているそうです。

次に、乳児は、物理的物体に関してどんな知識を持っているのでしょうか?成人は、ふたつ以上の物体が同時に同じ場所を占めることはないこと、直接見えなくても物体は存在し続けることなど、物体にまつわる様々な事象を当然のことと考えています。このような知識を乳児は持って生まれてくるのでしょうか?それとも、経験を通して発見しなければならないのでしょうか?もし後者であるとすれば、こうした能力は、生後早期に発達するのでしょうか?獲得まで時間を要するのでしょうか?こんな疑問をビョークランドは投げかけます。この疑問に対して、前者を主張するのは、新生得主義者であり、ヒトは物体に関する知識を生得的に持っていると言います。または、こうした知識を生後非常に早期に獲得するためのバイアスがあるとしているそうです。

魅力的

これらの結果について可能な解釈の一つは、魅力的ではない顔よりも、乳児の注意を惹きつける物理的刺激の特徴を多く有するものだそうです。たとえば、対称性は身体的、及び精神的健康の徴候であり、成人では顔の対称性が魅力判断のいちばん大きな要因であると思われています。もうひとつ考えられるのは、乳児は生まれたときからヒトの顔に関するスキーマを持っており、そのスキーマに魅力的でない顔よりも魅力的な顔がよく合致するという解釈です。スキーマという言葉はわかりにくいですが、人間が色々な体験や知識から、それらをまとめ一般化したり、体系化したものです。魅力的な顔への選好性には、単純に対称性だけが関与しているわけではないことが示されていますが、その証拠として、新生児は正立位置出て維持された魅力的な顔には、魅力的ではない顔よりも選好性を示したそうです。すなわち、長く注視したのです。しかし、同じ顔を逆さまで呈示すると選好性を示さないことがわかっているそうです。

この結果から、乳児がヒトの顔に関するスキーマあるいはプロトタイプを生得的に持っているとすれば、顔の方向に関する情報もその中に含まれていることが示唆されていることになります。

魅力的な顔は、顔の目鼻立ちの「平均」を反映していることが示されているそうです。たとえば、眼間の距離の平均、鼻の高さの平均です。これは、進化的視点からも妥当と言えるそうです。顔に注意を向けることが、生後初期の社会的関係の形成のために、そして生存への援助を得るために重要であるならば、平均的な特徴に注意を向けるバイアスを持つことが、すなわち、平均的特徴を組み合わせると、魅力的な、つまり平均以上の顔となるとしても最善の策になるのです。近年の研究で、ヒトの顔だけでなく、犬、鳥や腕時計についても、魅力性と平均性の関連が認められているそうです。これは、平均的な顔に対する選好性は、顔に限定的な領域固有のメカニズムではなく、平均性に関する一般的なメカニズムによって形成される部分もあるという可能性を示唆していることになります。

ラングロワたちの研究から示唆されるのは、ヒトは生後2ヶ月までにヒトの顔の特徴の個人差に影響を受けるということです。また、生後まもなくから乳児は顔に関する知識を持っており、その発現には経験がほとんど必要ないことが、この研究からわかります。しかし、このような知識は潜在的なものであり、自己認識を伴うものではないと言います。ビョークランドは、こうした知見は、いまにして思えば驚くに値しないと言っています。自分と同種のメンバーの顔ほど、ヒトの乳児にとって重要な視覚的刺激はないだろうからだと言うのです。

乳児は、生後数週間目から既に、顔らしくない刺激よりも顔らしい刺激に選好性を示すことが、研究によりわかっているそうです。ジョンソンたちは1ヶ月児を対象として、頭の形をした様々な刺激を、乳児の視線を横切るように動かして呈示したそうです。そして、乳児が、目または頭を動かしてその刺激を追う程度を測定したそうです。その結果、生後数分~5週間の乳児で、顔らしくない刺激よりも顔らしい刺激に対し、目及び頭の動きが有意に多いことがわかったそうです。このデータから、乳児は「顔らしさ」に関するある程度の知識を生まれた時点で持っており、顔らしくない刺激よりも顔らしい刺激に視覚的選好性を示すことが見出されているそうです。

嗅ぐと見る

母親のものと別の女性のものと2種類の乳パッドの間に乳児を寝かせ、顔を向ける方向によって選好性を測ったところ、生後2日では選好性を示さなかったのですが、6日目までには自分の母親の乳パットの方向により頻繁に向くようになったそうです。別の研究では、生後4日までに乳児は、羊水よりもミルクの臭いに選好性を示すようになること、また、生後2週間の人工栄養の乳児は、授乳していない女性の乳房の匂いよりも授乳中の女性の乳房の匂いを好むことが示されているそうです。これらの知見から、乳児は母乳の匂いに対して特に敏感であること、そして、その匂い、特に自分の母親の母乳の匂いに対する選好性が生後数日で発達することが示唆されているそうです。

ずいぶんと早い時期から匂いは感じるようですが、乳児にとっては、匂いをかぎ分けるというのは、生存に関わる重要な能力ですので、当然かも知れません。弁別ではありませんが、出産直後の新生児を、母親の腹の上に乗せると、母乳の匂いをかぎつけて、乳房の方に向かって進んでいき、乳房に吸い付くということを聞いたことがあります。

次に視覚です。乳児の視覚に関しては、ずいぶんと研究が進んでいますし、五感の中では最も多いそうです。視覚は、生まれた時点では比較的弱いのですが、生後6ヶ月間に急速に発達します。水晶体の弾力性があまり高くないため、焦点を合わせることが難しいと言われています。新生児の「焦点」は、眼から約20cmにある刺激に合いやすいと言われています。この距離は、授乳時の乳児と母親の顔の距離にほぼ等しいのです。生後2ヶ月児までの注視行動のほとんどは、脳の皮質下領域によって制御されており、それが「意図的」ではなく、「自動的」な処理であることが示されています。生後3ヶ月になると、注視行動の制御がうまくなり、見たいものに目を向けるという明らかな選好性を示すようになるそうです。

選好性を示す物理的刺激には、動き、垂直対称性、すなわち、左右が類似の刺激、および曲線性などの特徴があると言われています。これは、すべてヒトの顔が持つ特徴なのです。また、初期の研究で、乳児が一般にヒトの顔のような刺激を、それ以外の刺激よりも好むことが示されているそうです。

視覚的選好性で少し意外なのは、乳児が魅力的な顔を好むことだとビョークランドは言っています。ラングロワたちは、大学生が評定した魅力的な女性の顔と、魅力的でない女性の顔の写真に対して、2~6ヶ月児に呈示してみたそうです。どの月齢児も、魅力的ではない顔よりも、魅力的な顔を長く注視したそうです。この選好性は乳児の母親の魅力度評価とは関連がなかったそうです。より最近の研究では、モデルの性別、人種、年齢に関係なく、この選好性が存在することが示されているそうです。呈示した顔が、男性でも女性でも、成人の黒人女性でも、白人女性でも、3ヶ月児であっても、魅力的な顔に対する選好性を6ヶ月児は示し、それは見た経験がほとんど、またはまったくないカテゴリーの顔についても結果は一貫していたそうです。

不思議ですね。どうしてこのような選好性があるのでしょうか?その選好は、人類の生存に意味あることだったのでしょうか?また、乳児にとって魅力的な顔とはどのような顔なのでしょうか?

聴覚についての選好

聴覚について、乳児における選好性はあるのでしょうか?どんな声を好むのでしょうか?まず、乳児は、生まれた時点で音を聞き分け、一定の選好性をしますことがわかっています。例えば、乳児は男性の声よりも女性の声、特に母親の声を選好する傾向があるそうです。また、外国語よりも母国語で話された内容を好んで聞くこともわかっています。こうしたバイアスは、胎児期の聴覚体験によって生じるものと考えられています。聴覚は、出生前に発達しますが、最も多くの胎児が耳にするであろう音声は母親の声でしょう。

発達心理学者のアンソニー・キャスパーとメラニー・スペンスによる古典的な研究では、妊婦が出産直前の6週間、2種類のお話から一つを胎児に読み聞かせました。生後、乳児にヘッドフォンを付けて、おしゃぶりをくわえさせて、聞こえる内容、それは、胎内にいるときに母親が読み聞かせた話と、または違う話を、おしゃぶりを吸う速度で変更できるようにすると、新生児は、母親が読んでいた話が聞こえるよう吸う速度を調整したそうです。このことから、胎児が学習するだけでなく、さらには、出生前に耳にしたことに注意を向けることが形成され、それによって愛着が形成され、生存が促進されるのであろうことがわかると言います。

この愛着形成について、ビョークランドにはまだ触れていませんが、実は最近の研究では、母親の声を聞いて愛着が形成されることは確かですが、その関係は、母子においてではなく、母親に似ている人と愛着を形成することが明らかになりつつあります。ビョークランドが言うように、それは、それによって生存が促進されるようになるためであることは確かなのですが、人類が誕生した頃には、母親の死亡率が非常に高く、母親とだけ愛着形成をしてしまうと、赤ちゃんの生存は促進されなくなってしまったのです。そこで、母親に似た人、すなわち、母親と同じ言葉(それが、この子にとって、母国語)を話す人に愛着を結ぶと言われています。ですから、母国語を選好する傾向があるのです。この本が日本で発行されたのは、10年ほど前のことです。10年の間に、乳児研究が進み、新しい知見が研究されているのです。

しかし、乳児が生まれたてから音を聞き分けることができるのは確かですし、その音に対して選好する傾向があるのは確かなようです。さらに、一見して特に言語獲得と関連しそうな乳児の聴力の特徴がほかにもあります。乳児は、まとまりのない音楽よりもよくまとまった音楽に選好性を示すそうです。また、さまざまな音楽様式について調子が合っているか合っていないかを識別できることもわかっています。音楽の進化的、生物学的ルーツに思いをめぐらし、ヒトの乳児は、言語を獲得する素地を持つのと同じように、音楽システムを獲得する素地を持つとする考え方に、ビョークランドは興味を持っています。しかし、それについては、まだその考え方は当時は明らかにはなっていないそうです。

では、嗅覚についてはどのように考えられているのでしょうか?現在、新生児は広範にわたる臭いを弁別することができ、生後1週のうちに特定の臭いへの選好性が発達することがわかっています。母親のものと別の女性のものと2種類の乳パッドの間に乳児を寝かせ、顔を向ける方向を調べたのですが、これについては以前のブログでも紹介しました。