2017韓国三日目午後2

三日目の午後に訪れた私立オリニジップは、ヌリ課程の意味をよく感じることができました。日本では、私立園の方が人件費に公立園ほどかけていないために、立派な園舎や、豊富な教材があるところの方が多い気がします。しかし、韓国では、どうも私立の方がそれほど補助金がない中、園児を集めるために一生懸命なようです。そうすると、保護者の要望に応えて、何かを教える、何かができるようになるという早期教育に走る気がします。また、その形態も、一斉に保育者から子どもに指導する形で行なわれてしまいかねないところ、ヌリ課程のおかげで、保育室内には、部屋のまわりにきちんと領域が造られているのです。ここここで遊んでいる子どもたちの姿は見ることはできませんでしたが、少なくとも、自由時間は、子どもたちが自ら選び、取り出し、遊んでいるであろうということは想像できます。「さあ、◯◯で遊びましょう!」といって、保育者が決めたものを決めた数だけ出して、遊ばせたり、「次はこれ!その次はこれ!」と保育者が子どもたちを次々と指示し、課題をこなしているような保育をある時間はしていないだろうということも推測できます。このような環境があるだけでも、違うでしょうね。

私たちが見学した時間は、午後でしたから、特別だったかも知れませんが、あるクラスでは英語教育を一斉に行なっていましたし、ある部屋では、フレーベルの恩物を子どもたちが使っていました。この恩物については、ブログで2014年一月に何回かにわたって書いていますので、興味を持っている方はそちらを読んでいただければと思いますので、簡単に触れます。韓国の保育で使っていた恩物は、第二恩物徒呼ばれるもので、「球」「円柱」「立方体」の三体を選び二者識別をテーマにしています。ちょうど見たときは、「立方体」をつるして回転させていましたが、それは、回る像を見ると、形が変形して、中に「円柱」が見えるときがあることに気がつくというものです。この時間帯は保育者が指示して、子どもたちに意図したことをやらせている時間ではありましたが、ヌリ課程がなければ、一日中、このような保育が展開されるかも知れません。

もう一つ、ヌリ過程の役割がわかりました。それは、園庭に対する考え方です。この園は、市内の中心地にあるため、ビルの一つの階に保育室があります。当然園庭はありません。しかし、設置が決められていますので、その園から外に出て、ビルの違う入口から入り、階段を登って行くと屋上に出ました。そこが、この園の園庭だそうです。契約をして、園庭として使わせてもらっているそうです。そこには、きちんと菜園もありました。そして、隅にはしゃれた小屋が建ててあり、そこで本を読んだり、ちょっとしたコーヒーブレイクができるような空間が用意されていました。私たちは、そこでハーブティと韓国の特徴的なお菓子を頂きました。

2017韓国三日目午後2” への8件のコメント

  1.  ヌリ課程による保障、役割が見えてきますね。韓国独自の高い水準での保育を、実践しているその好例を目にしているように思えてきます。これを日本に置き換えて考えてみた時、指針が告示化されている、ということに対して、日本の保育園はあまりにも独自的な展開を許容されている、という気がしてきます。その違いは、ヌリ課程のもつ、具体性や、具体的であることによって可能になる実現性の高さにあるのでしょうか。それが韓国の保育事情にこうもしっかりと浸透し、根付いているところを見るにつけ、こうなったまでの過程について、改めて興味が湧いてきます。
     ドイツでもヨガの時間があったり、運動遊びを大人の指導の元で行ったりするような時間があったように思い出されるのですが、それも日頃の子どもを主体としたそれ以外の時間が充実しているからこその活動であったように思われます。ヌリ課程が目指そうとするものが、時代に退行せず、しっかりとその努力を伺わせるかのようにそれぞれの園に浸透しているという事実を、評価する必要があるのかもわからないと、思えてきました。

  2. 補助金の関係で〝保護者の要望に応えて、何かを教える、何かができるようになるという早期教育に走る〟傾向があるように思われるところを、ヌリ過程がストッパーの役割を果たしているということなんですね。その役割の持つ意味というのは大きいものです。ヌリ過程はたしか、具体的に細かく書かれてあるものであったと思います。そのようなところが底上げが上手くできているところなんでしょうか。
    日本でもどのような形で保育というものを考えていけば、底上げができていくのかということの手本となる、そんな感じが報告から伝わります。

  3. 韓国の私立園の現状にあった「園児を集めるために一生懸命」は、日本の地方の園と重なる印象を受けました。「保護者の要望に応えて、何かを教える、何かができるようになるという早期教育に走る」ことは私の実家の園にも当てはまるものがある気がしました。しかし、ヌリ課程の存在がその一斉的な部分を緩和しているように感じられます。私の実家の園も然りですが、見守る保育を日本で実践している園は、どうしても早期教育的な部分を導入せざるを得なくても見守る保育が韓国でのヌリ課程のような緩和剤として作用しているように思えました。また「コーヒーブレイクができるような空間」は屋上にあるという相乗効果も加わってとても素敵な空間を連想させてくれます。この場は設置が決められているからという背景がなければ生まれなかったでしょうし、園庭もあるとないとでは違うと思います。園庭の設置義務は良いかもしれないと感じたりしました。

  4. 「ヌリ課程がなければ、一日中、このような保育が展開されるかも知れません」とありました。この言葉からもヌリ過程がいかに乳幼児施設全体の質を保証するということに役立っているかということを感じるようでもあります。また、写真で紹介される環境を見ると、韓国の保育の質の高さに驚かされます。昨年の韓国報告でもそのことを感じたのですが、今回の報告、写真からも改めて質が高いということを教えてもらいました。日本にこのような施設がたくさんあるかと考えるとどうなのかなと思ってしまいます。韓国を含めた世界の各国は着実に教育を変化させていっているということを感じます。日本は本当に危機感を持った方がいいのかもしれませんね。ヌリ過程によって環境が整ってきた韓国に、あとはより具体的な保育、子どもへの関わり方が大人主導ではないものになってくれば、より、質の高い乳幼児教育が実現されていくのかなと感じました。

  5. ヌリ課程によって守られているこどもにとっての領域があることは、しっかりとした補償になっていると考えると、”らしさ”や昔、のままの保育を展開するには、どうも不純な形であると感じます。また、特に、韓国では”保護者の要望に応えて、何かを教える、何かができるようになるという早期教育に走る気がします”と藤森先生の見解から、保護者のニーズはあるもののヌリ課程があることによって、そのニーズばかりが保育の形になっていない、しかし、例えば、日本で同じ条件下であったら、しっかりと指針や教育要領によってこどもたちの領域が守られるのか。と考えてしまいます。自発的な活動があって、さらに、保育者が意図した時間があるというものは、保育のなかで、ドイツ報告にもあった、運動の時間があることと同じような感じかなと想像しました。保育環境だけ見ても、日本では、このような園はどれくらいあるのかなと思います。世界を通して日本を考えると、日本では、て考えることができます。

  6. ヌリ課程のおかげで室内の環境が整っているというのは、それだけ国が定めた物に対する姿勢を伺えますし、国柄を感じます。イメージで韓国は我が強いというか、どうしても受験戦争の印象が強いので、とにかく国が定めていようが、独自性を強く出しそうな感じがしますが、意外とそうではなく、ちゃんと定められた事は忠実に実践している姿は、日本も見習うべきかもしれません。英語を一斉に指導していたり、保育者が指示をして、子どもたちに意図したことをさせている時間はあるにしても、ヌリ課程に書かれてあることを実践しているということは、ちゃんと読み込んでいるわけですね。

  7. 屋上の素敵な空間に驚きました。園庭というと、すぐに遊具というイメージに変わってしまうのは日本ならではなのかもしれませんが、菜園をつくったり、ちょこっと休憩できるスペースを置くというもの、外気に触れるとか自然科学に触れる、食育の場にするというのもヌリ課程があるからというわけなのですね。また、フレーベルの「恩物」もあるということで、日常からこれに触れることができる環境というのは、なかなか見たことがなかったので新鮮でした。そして、ヌリ課程問いう存在が、保育の質の確保をしている様子が写真からも伝わってきました。

  8. 一斉保育をする時はあるが、それ以外のときはヌリ課程のおかげで子どもたちがそれぞれ自発的に遊びに取り組めるているというような印象でした。ヌリ課程という大きな土台があることで底上げをはかれているということにもなるのでしょうか。ヌリ課程がなければずっと一斉保育になっていたかもしれないということ理解できます。そしてヌリ課程の役割として園庭もあげられていました。子どもの環境を設定しているヌリ課程があることによって基準がしっかりとし土台の底上げがなされていることでよりよい環境下で子どもたちが過ごせることがわかります。

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