顔の弁別

最近の研究では、6ヶ月程度の乳児は母語以外の発話音も弁別できるのですが、6ヶ月から12ヶ月の間に弁別できなくなることが示されています。これだけ聞くと、母語以外の言語に対する感受性が低くなっているだけのようにも思えますが、この期間に母語に対する感受性が高まることも報告されているそうです。つまり、母語に含まれる音の弁別は得意になる一方で母語以外の音の弁別は苦手になると言うのです。

近年は、ERPを用いた実験もされているそうです。これらの研究でおもしろいのは、ERPを指標にした場合、11ヶ月児でも母語以外の言語に含まれる音を弁別している点だと森口は言います。つまり、行動実験の場合は、10ヶ月程度の乳児は母語以外の言語の2音を区別できないのですが、ERPを用いた研究では、11ヶ月児が母語以外の音を弁別していることになるのです。つまり、行動実験では検出できないことも、脳波を用いれば検出できることがあるようだというのです。

このような知覚の刈り込み過程は、顔認識にも見られます。これについても、一時期テレビなどでも紹介され、ブログなどでも紹介したように、サルの顔の区別についてです。これについて森口はこのように紹介しています。

ある国際学会のパーティに参加したとします。そこで、アメリカ人が紹介され、談笑したとします。次の日、別の場所でその人とすれ違ったのですが、その人が昨日談笑した人であるかは確証が持てません。一方、国内学会の懇親会で、日本人が紹介されたとします。すると、次の日に喫煙ルームでその人に出会った際には、その人と容易に認識できます。このように、私たちの顔認識は、自分がなじみのあるカテゴリーには強いのですが、なじみのないカテゴリーには弱いことが知られています。この現象自体は古くから知られていたのですが、最近の研究が示したのは、これも刈り込みの結果だということです。

最初に示されたのは、他種効果だそうです。サイエンス誌に掲載されたパスカリス博士らの論文で、発達研究者には衝撃的な内容だったそうです。この研究では、サル条件と人条件があります。サル条件では、6、9ヶ月の乳児が、一枚のサルの顔写真を提示されました。その写真に馴化した後に画面が変わり、その写真と、新しいサルの顔写真の2枚が提示されました。古い写真と新しい写真が対で提示されるわけですから、サルの顔の弁別ができているとしたら、乳児は新しい写真をより長く見るはずです。ヒト条件では、サルの代わりに人間の顔写真を使います。

その結果、6ヶ月児は、ヒト・サルいずれにおいても、新しい顔を長く見たのです。サルの顔もしっかりと弁別していたのです。一方、9ヶ月の乳児は、ヒト条件では新しい写真を長く見たのですが、サル条件では古い顔も新しい顔も同程度見つめたそうです。この結果は、6ヶ月児はサルの顔を弁別できるのですが、9ヶ月頃までにその弁別能力を失うことを示しているのです。また、大人を対象に同じ実験を行なった場合、サルの顔を弁別することは出来なかったのです。どうやら、幼い乳児は、人間以外の動物の顔を区別することができるのですが、音声知覚同様に、1歳頃までに人間の顔だけを区別するようになっていくようです。

以前ブログで書いたように、年齢が上がるにつれてできなくなることもあるのだと私は思っているのです。

顔の弁別” への12件のコメント

  1. 「行動実験では検出できないことも、脳波を用いれば検出できることがあるようだというのです」という言葉が印象的でした。行動実験で結果として検出されなくても、「ない」ということにはならないというのは、まさに乳児、子どもの持っている力の可能性をまだまだ感じるようでもあります。また、日本人の顔は覚えやすいが、外国人の顔は覚えにくいということが刈り込みの結果であるというのも驚きました。もともと持っている特性というか遺伝子的なものなのかなというイメージでしたが、そうではないのですね。私自身も、英語の単語よりも漢字の方が圧倒的に覚えやすいのですが、それも刈り込みの結果とも言えるのですかね。また「音声知覚同様に、1歳頃までに人間の顔だけを区別するようになっていくようです」というのもとても興味深いですね。まさに9ヶ月革命の時期にあたるのですね。何だかあらゆることが繋がっていくような感じで、ワクワクします。

  2.  「顔認識」による「知覚の刈り込み過程」とても興味深いですね。先日の脳の進化についてのブログが思い出されるところで、刈り込まれていく、洗練されていくイメージをどうしても連想してしまいます。先日、ある本の中で、「貧乏なお家をテレビで再現するには家の中に物をたくさん置くこと」という旨の内容が書かれていました。逆を言えばお金持ちの家には物が少ないと言えそうですね。間違っていたらすいません、刈り込みの過程に置き換えて考えてみると、頭の中の刈り込みがうまく行われていかないと、ごちゃごちゃしてしまって、心が貧しいような状態になってしまうということでしょうか。家も頭もすっきりとした状態でこそ豊かな心情へとつながっていけるものなのかもわからないですね。

  3. 「母語に含まれる音の弁別は得意になる一方で母語以外の音の弁別は苦手になる」のような刈り込み過程はとても面白いですね。それが顔認識にも見られるとあり、その説明の中に「私たちの顔認識は、自分がなじみのあるカテゴリーには強いのですが、なじみのないカテゴリーには弱い」とあったことが印象的且つ、身に覚えがあります。しかし、私にとってサルに限らず、どの動物の種類もなじみのないカテゴリーですが、どれも同じに見えてしまうのに、6ヶ月児はサルの顔を弁別できることに驚きました。そして、やはり興味深いのは「9ヶ月頃までにその弁別能力を失うことを示している」ことです。最後にあった藤森先生の「年齢が上がるにつれてできなくなることもある」という言葉通りに感じましたし、その分別能力のある短い期間に過ごす質というのも重要になってくるように思えました。

  4. 〝私たちの顔認識は、自分がなじみのあるカテゴリーには強いのですが、なじみのないカテゴリーには弱い〟とあり、その原因として「シナプスの刈り込み」が進んだ結果ということなんですね。
    確かに、外国の方の顔は分かりづらいと思いますし、ましてや動物の顔は区別がつきませんね。自分の中で「シナプスの刈り込み」は目に見えなくなっているものという勝手な認識があったので、驚きました。
    〝9ヶ月頃までにその弁別能力を失う〟ということで、9ヶ月というのがキーワードとなってあるんですね。いろんな所から繋がりが見えてきてますね。

  5. ゛行動実験では検出できないことも、脳波を用いれば検出できることがあるようだ゛とありました。この行動で見れない部分が脳波でわかるというのは、可能性を広げるものでありますね。乳児では、言葉で言語として伝えることはできないのでは、この脳波を用いればわかることは、乳児の有能さを感じるものだと思いました。また、顔の認識についての見解が刈り込みによるものだとあることは、シナプスが必要な情報を選択しているなかで、同じカテゴリーの人、よく関わるであろう人をより必要としていると言うように捉えられるのでしょうか。私自身も、他国の人を写真で覚えるよりも、日本人のほうが記憶に残りやすい気がします。そういう形で刈り込みによったものは、例えば、大人になり他国へ移住した場合は、新たに覚えるために、やはり、時間がかかると考えられるなと思いました。また、゛6ヶ月児はサルの顔を弁別できるのですが、9ヶ月頃までにその弁別能力を失うことを示している゛とありました。この実験結果は、゛年齢が上がるにつれてできなくなることもある゛と藤森先生のお言葉からも12ヶ月までのみられる成長や6歳、10歳と様々なことができる一方、できたことが失われるものもある、と、だからこそ、互いに学びあう関係であることが大切だと思いました。

  6. 発達が進むにつれて、「母語に含まれる音の弁別は得意になる一方で母語以外の音の弁別は苦手になる」という状況にもなるというのは、非常に不思議ですね。発達というのは、決して何かができるようになるというものではないということを強く感じる一方で、何かができなくなるという、そこに秘められた理由が非常に大切になってくるようにも感じます。「母語に含まれる音の弁別は得意になる」ということは、母親の言葉のみを聞くことがその子にとってどのような影響を及ぼすのか、また、どのような力をつけるためのこのような能力なのか、謎は深まりますね。

  7. 森口氏のパーティーに参加した話はとても納得できます。テレビでマラソン中継などを見ていると、先頭集団に黒人の選手がたくさんいるのを見て、はっきりと区別するのが難しいですし、一度見ても名前と顔が一致しません。しかし日本人だと正確とまではいきませんが、初めてお会いした場合でも何となく覚えているのは面白いですね。大人が弁別するのが難しい事を、赤ちゃんが人はもちろんサルの顔を弁別できる話は映像で見ましたが、すごいの一言です。生後6ヶ月という短い期間にあらゆる能力が備わっているのに、年齢が進むにつれて出来なくなることが増えるという表現は不思議です。どうしても発達というのは、年齢が進むにつれて出来る事が増える思っていましたが、赤ちゃんは反対で刈り込まれていきます。不思議と思いますが、なるだけ早く環境に適応するということは生存戦略の一つのような気がします。

  8. 知覚の刈り込み過程は顔認知にも見られるというのは初めて知りました。9ヶ月になるまでの乳児の脳の働きというのがどれだけ著しいのかがよくわかる実験結果であるように感じます。そして9ヶ月までどんな顔でも弁別できるというのはやはりどの国に生まれるかはわからない状況からどこに生まれても対応できる能力というのが備わっているのですね。その上で必要なものだけが残られ、刈り込まれていくことが理解できます。人の顔と動物の顔の弁別でも刈り込みが関係しているということはさまざまなところでも関係しているのでしょうね。

  9. 顔の弁別は面白いですね。6か月児までは人でも、猿でも顔の弁別ができているのですね。思えば、アマラとカマラのように赤ちゃんの頃からオオカミに育ったというのがあると、オオカミの顔も弁別できるようになっていたのかもしれません。9ヶ月ごろには人の顔の弁別に絞られていき、その後、今度は人の顔でもなじみのあるカテゴリーに強みをもてるように発達していくのですね。ニューロンのつながりが絞られていき強化されていくというのが一連の発達の経過を見ていてもよくわかります。「年齢が上がるにつれてできなくなることもある」確かにその通りですね。

  10. 脳機能の実験に用いられる方法にはfMRI(機能的磁気共鳴画像法)やERP(Event Related Brain Potential、事象関連電位)があり、行動実験とは異なる結果が出てきていることに注目したいですね。fMRIにしろERPにしろ、昨今の技術革新によって可能となった実験方法でしょう。今後の技術革新の進展から如何なる実験方法が可能となるのか楽しみですね。顔認識における「他種効果」という用語が用いられています。サル顔弁別についても「9ヶ月頃までにその弁別能力を失う」、これも「9か月革命」?大人にはできない弁別を乳児はできる。「年齢が上がるにつれてできなくなることもある」という藤森先生のご指摘には思い当たるところがいくつかありますが、乳児世界から幼児世界そして青年期を経て大人になり・・・そして今に至って「できなくなる」ことの経験、がっかりしてしまうことも多いのですが、できなくなった分、別なできる部分がでてきているのかも。人間の一生とは不思議な気がしますね。

  11. 6ヶ月程度の乳児は母語以外の発話音も弁別できるというのも驚きでしたが、顔認識についての話も驚きました。まさか、サルの顔を識別することができるなんてびっくりです。脳がすごく省エネで働いているのを大学の先生が言っていた気がします。それと脳内で刈り込みが行われることがつながるなと感じました。赤ちゃんはある意味、フルパワーで脳を働かせているのかなと思いました。
    最後に書かれていますが、年齢が上がるにつれてできなくなることもあるんですね。なんだか人間の発達って必ずしも、できないことができるようになるということじゃないんだなと感じました。

  12. 年齢が上がるにつれてできないことが増えていくという視点で考えていくのも面白いなと感じました。普段、子どもたちの発達に合った環境づくりを考えていますが、成長するにつれできなくなっていくこともあるのですね。進化と退化の話を思い出しましたが、失っていくものに着目することで、新しい発見があるかもしれませんね。6ヶ月の乳児が、サルの顔を弁別できる話には驚きました。そして、9か月になるとその能力が失われていることも知ることができ不思議な気持ちです。人間の赤ちゃんが生まれながらにして持っている力にはいつも驚かされますが、私たちも、もともと持っていた力だとすると、なんだかワクワクし興味が沸いてきます。

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