臨界期から敏感期へ

脳に関する話題のひとつとして、脳の臨界期ということが、特に早期教育を勧める人たちの話題によく載っていたことがありました。しかし、この臨界期という言い方は、その意味からして誤解を生じやすく、強すぎるということで、最近は、特に人間の行動などを対象にする場合、敏感期ということが多くなってきているそうです。敏感期は、臨界期ほど厳密なものではなく、ある時期が他の時期よりも経験の影響が大きい時期であり、ただ、その時期の影響は永続的で非可逆的であるとまでは言えないというもののようです。

知覚の刈り込みについて例に出した顔知覚は、生後1年頃までに、経験の影響で起きることから、顔知覚の発達の敏感期と言えます。しかし、臨界期とは言えないそうです。杉田博士がこの点を、ニホンザルを対象にした研究から検討しているそうです。この研究では、サルの乳児は誕生後6ヶ月、12ヶ月、24ヶ月のいずれかの期間、あらゆる顔を見る機会がありませんでした。一方、顔以外の、色や形などを見る機会は与えられました。顔遮断期間後、サルたちは、1ヶ月間ヒトの顔、もしくはサルの顔のうち、一方だけ見る機会を与えたそうです。1ヶ月経過後に、ヒト・サルの顔が弁別できるかを検討したそうです。その結果、いずれのサルも、顔遮断期間後の1ヶ月間で接した種の顔のみ弁別ができたそうです。

たとえば、6ヶ月の顔遮断期間後に1ヶ月間サルの顔のみ見ていたサルは、その後ヒトの顔に接する機会が与えられてもヒトの顔は弁別できなかったのです。そして、興味深いのが、最初の遮断期間の長さは何ら影響がなかったという点でした。つまり、生後6ヶ月間顔を見ないでも、24ヶ月間顔を見ないでも、顔に弁別能力は変わらなかったのです。遮断期間後の最初の1ヶ月間が重要だったのです。

この研究では、サルは遮断期間でも、顔以外の色や形などを見る機会はあったので、知覚の刈り込みにおける敏感期は、視覚経験が始まってからの期間ではなく、顔に接してからの期間であることが推測されるのです。色や形の情報を処理する脳領域と、顔を処理する脳領域が異なるために、このようなことが起きるのではないかと森口は考えています。

では、言語発達の敏感期はどうなのでしょう。オオカミに育てられたとされるカマラとアマラなどの事例報告から、言語発達には臨界期があると主張する人がいるそうです。研究者は、そのような解釈に慎重だそうですが、ものごとを批判的に見ることができない人たちがその節を流布しているようだと森口は言います。彼らは、オオカミに育てられた子どもたちは言語を発達させられなかったので、生後数年間の経験が重要だと主張しているそうです。このような主張は、鈴木博士の著書「オオカミ少女はいなかった」などで明確に反駁されているそうです。生後数年間の言語入力が言語発達において重要なのは、間違いありませんが、オオカミに何年間も人間が育てられることはありませんし、このような逸話を根拠に早期教育を勧めるのは感心できないと森口は警告しています。

彼は、言語発達の敏感期についての根拠ある研究は、脳損傷の研究だと考えています。多くの人において、言語を処理する脳領域である言語野は左半球にありますが、早期の左半球の損傷は言語機能の発達に影響を与えるのかどうかの研究があるそうです。

臨界期から敏感期へ” への12件のコメント

  1.  「このような逸話を根拠に早期教育を勧めるのは感心できないと森口は警告しています。」そうか臨界期があるということを流布し、助長させるような情報が広まることはイコール早期教育に発展してしまうのかと、驚きの混じった小さな衝撃を受けました。聞く人の聞き方次第では、その時期を大切にしましょう、ということが、その時期を大切にしなければならない、という警鐘のようになってしまうかもわからないのですね。伝言ゲームではありませんが、一つの情報に対してそれをしっかり理解することが大切ですし、それを人に伝える際に表現がおろそかになれば、それ以降の人たちは間違った言葉を伝え続けてしまうでしょう。伝達者はそのことを理解している必要がありますね。

  2. 「臨界期ほど厳密なものではなく、ある時期が他の時期よりも経験の影響が大きい時期であり、ただ、その時期の影響は永続的で非可逆的であるとまでは言えないというもののようです」という敏感期の説明がありました。臨界期が持っている印象とは違い、重要な時期ではあるが、それなりに柔軟な面も兼ね備えているという印象を受けます。それだけ人の脳というのはそれなりに柔軟性も持っているということが言えるのでしょうか。臨界期などの言葉を聞くと、変えることのできない脳の機能にビクビクしてしまいそうになりますが、遅すぎることもないという可能性を感じさせてくれるようでもあります。また、オオカミに育てられた子どもの話から言語発達に関する臨界期を考えるのは違うのではないかとありました。私自身もやはりあの話からはそのような時期があるのではという勝手なイメージがあったので、臨界期から今は敏感期になっているということ、とても新鮮に感じます。

  3. 臨界期という言い方は、誤解を生じやすく、最近は特に人間の行動などを対象にする場合、敏感期ということが多くなってきていると前回にもあったので、単なる言い方で表記を変えただけと勘違いしていましたが、正しくは「敏感期は、臨界期ほど厳密なものではなく、ある時期が他の時期よりも経験の影響が大きい時期であり、ただ、その時期の影響は永続的で非可逆的であるとまでは言えないというものの」だったことに気付けました。この敏感期の説明から、臨界期と比べて柔らかく、柔軟性のある印象を受けました。また、言語発達の敏感期におけるオオカミの例は、生後数年間の経験が重要ではあるものの、これを根拠に早期教育を勧めるべきではありませんね。例えそのようなオオカミに育てられた経緯があっても、その後の環境によっては、しっかりと言語発達がされていくように思えました。

  4. ゛最初の遮断期間の長さは何ら影響がなかった゛さらに、゛遮断期間後の最初の1ヶ月間が重要だった゛とありました。この認識から考えれば、どの時期にもっとも覚えたり、獲得する時期、臨界期のように決まったものではなく、そういった発達のなかで、経験し、変化していくことができるのは、人の脳のもつ柔軟性があることを感じ、そうすることが生存戦略とも言えるもののように考えられました。゛生後数年間の言語入力が言語発達において重要なのは、間違いありませんが、オオカミに何年間も人間が育てられることはありませんし、このような逸話を根拠に早期教育を勧めるのは感心できない゛とあることに、確かにと思ってしまいました。逸話をもとに早期教育を進めるのには、根拠がないことと、だとするならば、その後の言語獲得は、乳児からのこの時期に言語発達のための経験がなければ、言語獲得はできないのかということになるような気がし、そのなかで敏感期というのは、考え方として、しっくりくるものがあります。

  5. 臨界期から敏感期へ

    敏感期とは〝ある時期が他の時期よりも経験の影響が大きい時期であり、ただ、その時期の影響は永続的で非可逆的であるとまでは言えない〟とありました。確かに、人間のような柔軟性を持つ動物にとってはこちらの方が合っているように感じました。それだけ、人間というのは柔軟性をもっているということなんだと思います。
    オオカミ少女の話しは学生の頃に衝撃的であったのを覚えています。その話しから臨界期を考えていくのはどうであるのか、ということでしたが、学生の頃は臨界期のようなものが存在するというような意味合いで教えられたような気がしています。敏感期という捉え方が人間っぽい気がしました。

  6. 言語発達の敏感期について、アマラとカマラの事例が出てきて昔の記憶を思い出しています。当時、その話を聞いた時、人間と動物との子育てが似ているのかなとか、人間はオオカミにもなってしまうのかなどど、恐怖すら感じました。それほど重大な事柄だったとはいえ、それを言語発達の基準としてはいけないという意見もあるのですね。以前のシナプスの話のような、言語を使う能力を刈り込まれてしまったことが影響していることは想像できますが、それだけではないようにも感じました。

  7. 確かに「臨界期」という言葉を検索すると、イメージが強すぎるかもしれません。おそらく臨界期という言葉の影響によって、早期教育を勧める人やそれを実践する人が影響を受けやすくなっているのでしょう。
    サルの顔の弁別の実験は面白いですね。やはり刷り込みというか顔の弁別は発達と共に自然と身につくと思っていましたが、そうではなく顔と接してからの一ヶ月が重要と書いてあることに驚きました。またアマラとカマラの話も結局、育てられた事が言語発達に問題があったかのように思いますが、冷静に考えて、この話をきっかけに早期教育を考えるのは安易ですね。

  8. 「サルは遮断期間でも、顔以外の色や形などを見る機会はあったので、知覚の刈り込みにおける敏感期は、視覚経験が始まってからの期間ではなく、顔に接してからの期間であることが推測されるのです」とあり長い期間遮断されていることが重要ではなく最初の1ヶ月が重要なのですね。脳というの不思議な機能を持っているものだとつくづく思います。言語に関しての敏感期もまた違ってくるのですね。「言語発達の敏感期についての根拠ある研究は、脳損傷の研究だと考えています」これまた難しくなっています。オオカミ少女はいたら面白いとは思いますが非現実的ではありますね。

  9. 顔を見ていない期間によって結果は変わらなかったのですね。「視覚経験が始まってからの機関ではなく、顔に接してからの期間であることが推測されました」とあります。そう考えていくと臨界期というその時期を逃してはいけない、そして、永続的で非可逆的なものであるということにはならないということになります。問題は「顔に接するとき」というようなその一番敏感になっているときにどういったアプローチを施すのかということが求められるのですね。人は初めてのことはとても印象深く残ることが多いように思います。「第一印象」「初めての体験」などはとても強く残ります。乳児は大人以上に経験が少ない分とても敏感になっている時期であると考えると、臨界期というよりも、子ども自身が世界を急激に広げていくと考えていくほうが適しているのかもしれませんね。

  10. 言語の臨界期、敏感期のところには興味があります。オオカミ少女の件は有名な話で、世界にはそうした事例もあるのだと驚いたことがありましたし、今でも信じられません。オオカミに育てられた人間がいる、つまりオオカミに食べられるどころか育てられる、というところが凄いなと単純に思うのですね。まぁ、それはともかく。言語と「早期教育」との関係はある種の信仰のようなものがある一部の保護者にはあるようです。「3歳では遅すぎる」信仰が根強く存在しております。私の知り合いの奥さんがその信者さんのようで、自分の子に英語やらせたり何か習い事を早々にさせたりしているそうで、知り合いのご主人はそうした信仰は持っていないのですが、奥さんに押し切られているとか、そうした愚痴を私にこぼすこともあります。「言語発達の敏感期についての根拠ある研究は、脳損傷の研究」にあるようです。この敏感期についても一般化することには気を付けなければならないのですね。

  11. サルの顔遮断の実験、とても興味深いですね。面白いです。顔遮断期間後の1ヶ月間で接した種の顔のみ弁別ができたんですね。確かに動物園などで飼育員のみのなついている動物を見ると、人間のある程度の弁別はできているのかなと感じます。この実験で最も面白いのは顔遮断期間が結果に影響しなかったということですね。脳内の刈り込みが行われるタイミングは年齢や時間で決まるものではないということですね。自身が体験や経験したこと、環境によってそれが必要なタイミングで必要とされるものを適切に選択していくんですね。サルに生まれたからサルの顔を弁別するのではなく、人の環境で生きるのであれば、サルでも人の顔を弁別する力を持つ脳に変化していくんですね。生物の生きる力、成長する力ってすごいなと感じました。

  12. 顔弁別能力は、生まれてから何か月の間とかではなく、顔を見るようになってからの最初の一か月間が大切なんですね。それに比べて、言語は乳児期が重要で子どもの発達について熟知することは難しいなと感じました。理想としては、子どもの発達を詳細に理解して、子どもにとって重要な時期に、適切な関わり方をできるようになりたいと思いますが、覚えるのが大変です。そして、情報も時がたつほど新しくなっていきます。保育士として、常に学ぶ姿勢を持ち、大人が成長していかなくてはいけませんね。毎日の、生活の中で関わり方はこれでよかったのかな?と考える機会が多くあり、他の先生の姿から、そんな保育もありだな!と刺激を受けたりすることも多いです。そんな環境の中で、学べることがありがたいなと思います。

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