脳研究

乳児の能力を測るために、実に様々な方法を考え出すものですね。そのうちいくつかは、園でもやってみたくなります。幼児健忘についての研究ではこんなのもあります。研究者らは、幼児が、記憶時に持ち合わせていなかった語彙を用いて、言語的に再生することができるかどうかを調べたそうです。例えば、「ボール」などの語は、言語再生に必要な語彙なのですが、これらの語彙を記憶時に持っていなかった子どもで、テスト時にその語彙は持っている子どもが、テスト時に使用するかを調べたそうです。その結果、そのような例はひとつもなかったということのようです。つまり、幼児は、記憶時に持ち合わせていなかった語彙を、テスト時に獲得していたとしても、その語彙を使用して記憶を再生することはなかったということになります。もちろん、この研究からは、「言語再生しない」のか、「言語再生できない」のかはわからないのですが、非常に興味深い研究だと森口は言っています。

幼児健忘については、まだ研究の数が十分でなく、今後の研究の進展が待たれる状況だそうです。長期記憶の研究は、かなりの時間と労力を要するので、研究が進展しづらいのですが、非常に興味深い研究領域と言えるので、この問題に興味を持って取り組んでくれる人が増えればいいと森口は思っているそうです。

最近の乳幼児についての海外の研究が、来年から実施される保育指針の改訂に大きな影響を与えています。その一つが、脳の機能の拡大についてです。神経学の研究は、20世紀以前から報告されてきました。それが、20世紀末に開発された脳機能計画によって、最近、急速に進んでいるようです。もちろん、今では、心を生み出しているのは胸にあるのではなく、脳にあるということは、誰でも知っていますし、専門的にいっても、神経科学者だけでなく、心理学者も賛同しています。しかし、脳がそのまま心であるかということについて、森口は、首藤瓜於による「脳男」の一節を紹介しています。

「“心”は脳の作用にしか過ぎないのだから、人間の“心”を知るためには脳という物質を研究する以外ないのだ、と。しかし、子どもたちと長い時間過ごしていると、脳と心とはやはり別のものなのではないかという気がしてくるのだった。」

脳の構造はなんだか難しいので、簡単に関係するところだけを説明します。まず、脳を解剖学的形態から分けると、脳の85%を占めているのが大脳で、認知機能や情動などと深く関わります。10%程度占めているのが小脳で、姿勢の制御や運動機能などに重要な役割を果たしています。残りは脳幹で、生命維持に必須の役割を果たしています。

この中で、よく取り上げられるのが大脳です。まず、左脳と右脳に分かれていて、その役割はよく論じられるところです。もう一つは、大脳の表面にあるのが大脳皮質で、発生的な区分で、人間と他の動物の共通点も多く記憶などと関わり、大脳辺縁系とよばれる領域を構成している原皮質、ほ乳類ではわずかにしか存在せず、嗅脳などの嗅覚と関連する領域に一部見られる古皮質、そして、脳の表層にあり、一般的に「脳のしわ」と言われるような特徴的な形態を持っているのが新皮質です。

また、大脳皮質は大きく四つの領域に分かれています。中心溝より前で、外側溝より上の領域を「前頭葉」、中心溝より後ろで外側溝より上の領域を「頭頂葉」、外側溝より下の領域を「側頭葉」と言います。また、頭頂後頭溝と言われる脳の後ろにある脳溝より後ろの部分を「後頭葉」と言います。この辺りの脳の部分が、よく説明に使われます。

脳研究” への8件のコメント

  1.  「子どもたちと長い時間過ごしていると、脳と心とはやはり別のものなのではないかという気がしてくる」これは、どのように捉えたらいいのでしょうか。今までにない難問を突きつけられたような、唐突な感覚に襲われました。「脳がそのまま心であるか」そう問われ、すぐに否と答えられる程に子どもを、まして脳のことを理解できていないことに改めて気付かされるような、そんな文章ですね。
     そんな風に思いながらよくよく読み返してみると、「子どもたちと長い時間過ごしていると」という文章に、なるほど現場からの視点というものがあることに気づきます。脳を研究することだけで心の真の理解にたどり着けるのだろうか、という首藤瓜於氏の研究者への問いなのでしょうか。これからの展開がとても楽しみです。
     

  2. 「脳男」の一節であるという紹介で始まる、文章のすごさを感じます。〝子どもたちと長い時間過ごしている〟ということから現場にいるか、子育てしていてこのようなことを考えていたということでしょうか。確かに、子どもたちをみていると、考えるよりも感じる、動く、挑戦するというようなアクティブとか、主体的な、前へ推進する力を感じるものであるということは思います。それと繋がるとするなら、考えていても手が動く、というような気持ちと実際の行動とのミスマッチみたいなことなんでしょうか。
    なんか考えすぎて分かんなくなってしまいました。

  3. 「脳男」の一節から考えると、「“心”は脳の作用にしか過ぎないのだから、人間の“心”を知るためには脳という物質を研究する以外ないのだ」とある言葉は、脳と心の関係、心を知るために脳を調べることが必要であることを考えることができるのですね。たしかに、脳があるからこそ、相手のことを考えることができますし、記憶することができると思います。しかし、゛しかし、子どもたちと長い時間過ごしていると、脳と心とはやはり別のものなのではないかという気がしてくるのだった゛とありました。こう考えたときに、相手の気持ちを考えるとき、気づくときは、直感的な部分がある、「心の理論」としてとらえられるように思います。難しく感じますが、別ものではあるもの、密接な関係であるものには違いない、と頭に浮かべてみました。

  4. 「幼児は、記憶時に持ち合わせていなかった語彙を、テスト時に獲得していたとしても、その語彙を使用して記憶を再生することはなかった」は、とても興味深いですね。森口さんがおっしゃっている通り、幼児健忘や長期記憶の研究に興味を持って取り組んでくれる人が増えれば、もっとたくさんの興味深い事実が判明しそうでワクワクします。
    「子どもたちと長い時間過ごしていると、脳と心とはやはり別のものなのではないかという気がしてくる」とありました。人がジェスチャーで「心」を示す際に胸にあるかのように示すので、「心を生み出しているのは胸にあるのではなく、脳にある」ことに違和感を覚える人も少なからずいるのかなとも少し感じました。乳幼児からも強く感じていますが、脳からも難しく感じてしまっているだけなのかもしれませんが、未知な部分を感じてより知りたいという気持ちを覚えます。

  5. 「幼児は、記憶時に持ち合わせていなかった語彙を、テスト時に獲得していたとしても、その語彙を使用して記憶を再生することはなかったということになります」とありました。このような研究結果が報告されているのですね。いろいろな研究があって驚くのですが、同時に、記憶する前にその語彙を幼児が記憶していないということをどのように調べるのだろう
    かということも気になりました。また、語彙を獲得していない時期というのは子どもは具体的な記憶をすることができないということなのでしょうか。そのものが何であるのかということをはっきり認識しないと記憶には残らないのかなとも思える結果ですが、同時にそんなこともないのではないかとも思えてきますが、どうなのですかね。脳男の言葉も印象的ですね。頭からだけではない、感覚というのは実感としてあるように思います。体の感覚みたいなものなのかもしれませんが、体の感覚から脳に伝わっていくような感覚でしょうか?まだまだ分からないことばかりですね。

  6. 記憶していないものが自然にできていたり、獲得して使用していた語彙の記憶を再生することはできなかったり、不思議なことだらけです。このような不思議が、脳が心であることが疑問視される要点なのでしょうか。また「幼児健忘については、まだ研究の数が十分でなく、今後の研究の進展が待たれる状況」ということで、幼児健忘という領域が、心の理解につながるということもあるのかもしれないとも思いました。

  7. 保育という仕事に就いて、まさか人類学、脳科学について学ぶとは思ってもいませんでした。一見、保育とは無縁の部類かと思いきや、とても保育に影響しているとは驚きの連続です。幼児健忘の研究はまだ十分ではないということですが、言語を再生しないのか、できないのかという議論はもちろんですが、ここで思ったのは知識と経験は同時に進行しないといけないのかな?という事ですいくらボールという語彙を知ったとしても、何がボールなのか?わからないと意味がありません。他の物に対しても同様です。脳研究と聞くとイメージで難しいと瞬間的に思ってしまいますが、保育に活かす読み取る力をつけないといけませんね。

  8. 「“心”は脳の作用にしか過ぎないのだから、人間の“心”を知るためには脳という物質を研究する以外ないのだ、と。しかし、子どもたちと長い時間過ごしていると、脳と心とはやはり別のものなのではないかという気がしてくるのだった。」という専門の方が言う言葉というのは重みを感じます。子どもたちと長い時間過ごして感じたことがここにあり、やはり脳の研究でも子どもから「学ぶ」ということがあるのですね。やはり子どもから学ぶ姿勢、そして子どもの可能性、不思議さというのは普遍のようです。

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