異なる種類の感覚

乳児における知覚の感覚間協応には、三つの考え方があります。一つ目は、個々の感覚が発達とともに協応していくというもの、二つ目は、新生児は生まれながらに感覚間協応を備えており、その能力の精度が向上するというもの、三つ目は、知覚の発達とは、生後まもなく複数の感覚が協応して働くというような超感覚的な状態から、視覚や聴覚などの個々の知覚に分化していく過程であるというものです。

共感覚とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる現象のことです。共感覚者は、数字を見たら色を感じたり、音を聞いたら色を感じたりするそうです。以前は、このような共感覚者は非常に限られた人だけが持つ特殊な能力だと考えられていましたが、現在は数パーセント程度の人が共感覚を持っていると見積もられているそうです。詩人の宮澤賢治も共感覚者だったという逸話が残っていますし、森口の知り合いでも、音楽に携わっている方の中には、共感覚者の方が多いという印象を持っているそうです。共感覚者が「数字を見たら色を感じる」と述べたところで、周りの人間には理解できないので、共感覚者は肩身の狭い思いをするようです。しかし、最近の脳研究の進展、特に、脳活動を画像化できるfMRIなどのおかげで、共感覚は客観的に検討可能になったようです。

共感覚にも様々な種類があるそうですが、ある研究で、言語音を聞くと色を感じる共感覚者の脳活動を計測したそうです。言語音を聞くと、それに関連する脳領域が賦活するのは当然ですが。もし共感覚者が言うように色を感じているのだとしたら、色知覚と関連する脳領域も賦活するはずです。この研究の結果、共感覚者においては、言語音を聞いたときに、色知覚と関連する視覚領域が活動することが明らかになったそうです。重要なのは、統制群として参加した共感覚を持たない大人において、そのような脳活動が見出されなかった点だそうです。このように、脳画像の結果を証拠として提示することで、私たちは共感覚者の心の世界を理解することができるのではないかと森口は言います。

共感覚において発達研究が大事なのは、なぜ共感覚が起きるのかという問題に踏み込めるためだと言います。それには、いくつか仮説が提唱されています。有力なのは、脳の刈り込みに関係する仮説だそうです。発達早期には、脳内のニューロン同士は広範なネットワークを形成するのですが、生後の経験により、そのネットワークの必要な部分は残り、そうでない部分は刈り込まれます。共感覚者では、この刈り込みがうまくいかないため、通常であれば、刈り込まれるはずの視覚と聴覚のつながりなど、感覚間のネットワークが残ってしまい、共感覚が生じるのではないかという考え方です。

もう一つの考え方は、脳の他の領域との関連を強調する説だそうです。この仮説では、刈り込み仮説と同様に、感覚間のネットワークが刈り込まれず、残っていることが前提となっています。ただし、ネットワークが残っていても、非共感覚者の場合は、前頭葉などの領域からそのネットワーク間の情報のやり取りを遮断する、抑制信号が出されているため、共感覚のような現象が起らないというのです。一方、共感覚者の場合は、その信号が出されていないため、感覚間の情報のやり取りがなされて、共感覚を経験することになると考えるのです。

異なる種類の感覚” への12件のコメント

  1. 共感覚という言葉を初めて知りました。「数字を見たら色を感じたり、音を聞いたら色を感じたりするそうです」ということですが、これがどのような感覚なのかは私自身が共感覚を持っていないので分からないのですが、数%の人しか持っていないということからもなかなか周りの人には理解してもらえないのかもしれませんね。私はよく都道府県を見るとなんとなく色が浮かんでくる事がありますが、(島根は白、広島は赤、福岡は黒などなど)これは共感覚ではなく、ただ刷り込まれたイメージみたいなものですね。脱線してしまいました。「刈り込まれるはずの視覚と聴覚のつながりなど、感覚間のネットワークが残ってしまい、共感覚が生じるのではないかという考え方です」とありました。通常であれば、刈り込まれるはずなのに、それが行われなかったことによって共感覚が生じるというのはなんだか気になりますね。刈り込みがうまくいかなかった原因が環境によるものであるとするなら、また、問題になってくるのかもしれませんね。

  2. 共感覚者と呼ばれる方々の存在を初めて知りました。共感覚者は「数字を見たら色を感じたり、音を聞いたら色を感じたりする」とあり、私にはその感覚がないのですごく未知な部分を感じます。また「共感覚において発達研究が大事なのは、なぜ共感覚が起きるのかという問題に踏み込めるため」とあり、難しさを感じていますが、刈り込み過程における違いから生じていて、生まれつきではない印象を受けました。そう考えると、共感覚者を意図的に生み出す方法も確立できたりもするのかなと考えたりもしました。
    そうなると、共感覚があるとどんなメリットやデメリットがあるのかが気になりましたし、「共感覚にも様々な種類がある」とあったことから、他にどんな感覚が協働しているケースが確認されているのかも気になりました。

  3.  「詩人の宮澤賢治も共感覚者だったという逸話が残っています」この文章を読んで、共感覚というもののイメージが頭の中にすっと理解できるような気持ちになったのが不思議でした。特に宮澤賢治を知っているわけではないのですが、『アメニモマケズ』のあの感受性というのは、そういったところから解明することができようとしているのですね。天才を理解することができるようになるかもわからない時代がやってくるようですね。
     昨日、「泣くのはいいこと。特に感動の涙がいい」ということで先生がお話しされていました。「共感覚者は、数字を見たら色を感じたり、音を聞いたら色を感じたりするそうです。」感動の幅が広いことはそれだけ人生が豊かと言えるのかもわかりませんね。音楽を聴いたり、自然を見たり、こうして先生のブログに触れることで磨かれているであろう感受性を大切にしていきたいと思います。
     

  4. ゛乳児における知覚の感覚間協応゛の三つの考え方のなかに共感覚とありました。感覚間協対応について調べてもも、「明るい色が高い音と直感的に結びつく」とあり、この共感覚というのは、特殊能力のように感じましたが、それを脳の研究から見ていくと゛共感覚者では、この刈り込みがうまくいかないため、通常であれば、刈り込まれるはずの視覚と聴覚のつながりなど、感覚間のネットワークが残ってしまい、共感覚が生じるのではないか゛とあり、この乳児のときにもっている能力の凄さを感じます。色と音など、連想させることはできますが、それとは違ったものなので、イメージとしては考えられます。しかし、刈り込みの時期に刈り込めていないことは、産まれてからシナプスが密度を高め、ネットワークを広領域へ張り巡らしているなかで、環境としてどのような状態なのでしょうか。
    感覚という個々の感じかたとは違う、共感覚者の脳の働きは、脳の仕組みを知る上で重要であると捉えられます。

  5. 〝刈り込み仮説と同様に、感覚間のネットワークが刈り込まれず、残っていることが前提〟とあり、共感覚というものを持っている人は、通常は刈り込まれるはずの脳内ネットワークが刈り込まれないことが必要なものだということなんですね。ということは、シナプスが刈り込まれる生後9ヶ月の頃くらいに多くの〝数字を見たら色を感じたり、音を聞いたら色を感じたり〟する経験や体験がそのネットワークを残すということになるのでしょうか。
    ネットワークを遮断する信号は前頭葉などから出ているということで、前頭葉が脳内の中でも大切な所であることが分かります。

  6. 共感覚のように、これまで分からなかったことがわかるようになる、「脳活動を画像化できるfMRIなどのおかげで、共感覚は客観的に検討可能になった」というのは、脳研究の凄さが直に伝わってきます。また、共感覚という「ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる現象」も実に面白いですね。そう行った現象も、うまいこと刈り込み作業がいかなかったことが原因である可能性が強いということで、刈り込まれるということが決して悪いということではないということも感じさせます。しかし、そのような共感覚者は、周囲の人が共感することが難しいというのは一つの障壁となるのだと思いますが、それを生かす方法が見つかれば社会にとって大切な人材となっていくのでしょうね。

  7. まず、共感覚という現象を初めて聞きました。数字を見たら色を感じたり、音を聞いたら色を感じたりする・・・もちろん、私は共感覚者ではないので想像ができませんが、確かに限られた人だけに存在しているとなると、現在のように「共感覚」という言葉がない時は「変わった人」と見られていたのでしょう。しかしそれが客観的に検討可能になったというのはスゴイですね。ブログには2つの考え方が書かれていますが、どちらが正しいのか分かりませんが。こうした研究が進められることで、少しでも障害と言ってもいいのか分かりませんが、インクルージョンの考え方が重要になってくると思いました。

  8. 「共感覚とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる現象のことです。」とあり初めて共感覚という言葉を聞きました。「数字を見たら色を感じたり、音を聞いたら色を感じたりする」ということがあるのですね。占いのオーラ診断みたいなものがありますがそれに関係はされているのですかね。この感覚というのは幼児にも現れるのですかね。なんとも言えない感覚をその頃に持ちどんなようにひょうげんするのか。そんな子どもの頃がもしあるのであら、しっかりと理解してあげなければいけなませんね。

  9. 「数を見たら色を感じる」そういった感覚は持ち合わせていないのでにわかに信じがたいのですが、「オーラ」というものもそれに似ているのでしょうか。共感覚がなぜ起きるのか、それは脳の視覚と聴覚の刈り込みがうまくいっていないという説と脳の他の領域との関連における情報伝達する部分の刈り込みの説と二通りの説が出ているのですね。いずれかにせよ、脳の刈り込みによって起きる人の現象であるのですね。考えてみるとサヴァン症候群のような特殊な感覚の持ち主の人も脳の刈り込みが起きなかったために、感覚のネットワークの情報のやり取りといった部分に変化があったのかもしれませんね。人の脳は不思議であり、それが優れたものを持つことができる反面、社会としては生きにくい部分もあるというのはとても残念なことです。こういった人も一つの能力や個性として生かし合えるような世界づくりをしていかなければいけないですね。

  10. 今回は「共感覚」の話題。私にとって聞きなれない単語なので反応してしまいます。「数字を見たら色を感じたり、音を聞いたら色を感じたりする」、そういう人もいるんだ、というのが正直な感想です。そう思ったら「詩人の宮澤賢治も共感覚者だった」とあり、ビックリ。その驚き感を維持しながら童話のいくつかや詩の断片を思い出すと、およそ賢治先生の、あの発想は常人には無理。共感覚者ならではの発想か、と納得がいきます。「fMRIなどのおかげで、共感覚は客観的に検討可能」となったとあります。やはり技術の進歩がオカルト的に共感覚者を決めつけるのではなく、科学的な原因究明に繋がることがわかります。共感覚発生仮説の二つ目にある「前頭葉」の働きによる「抑制」ということが鍵を握っているのかなと思いました。前頭葉の抑制信号発出が重要だということもわかります。この共感覚についても今後いろいろな事実が解明されていくことでしょう。

  11. 共感覚ということを初めて知りました。「数字をみたら色を感じる」「言語音を聞くと色を感じる」と聞いて、「へえ、すごいな」と思いました。そんなことを感じることができるんですね。不思議です。脳内で聴覚野が働くことで同時に視覚野が働いてしまうんですね。こういったことが起こる原因の一つとして、刈り込みの問題が考えられているんですね。脳のネットワークを刈り込む時期に、音と色、数字と色などが結びつくような体験を多くしたのでしょうか。記憶に残るような出来事があったのでしょうか。もしそうだとするならば、子どもたちの小さいころの体験や経験がいかに大切かを改めて感じました。

  12. 「共感覚」という新しいワードが出てきました。ある刺激に対して、通常の感覚でけでなく、異なる種類の感覚を生じさせる現象のことを言うのですね。数字から色を感じるといった感覚はないので、どのような感覚なのか気になりますが、芸術に才能のある方に多いのかなと思います。
    そして、この共感覚が乳児期の刈り込みと関係しているかもしれないのですね。前回のブログで、刈り込みによって大人になってもその能力は維持されるのか?というところが疑問に感じていましたが、今回のブログの内容から維持されることが分かりました。となると、やっぱり乳児期は、人間としての基盤を作る時期であり、乳児期に過ごした環境が大人になっても大きく関係してくることが理解できます。

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