異なる乳児

森口は、脳研究に関する新しい方法論を通じて、乳幼児の心の世界についての新しい像を描いてみたいと考えます。そのヒントは、シナプスの刈り込みや、脳機能発達に関する相互作用説にあると言います。これらの理論や証拠によれば、脳には出生後様々なネットワークを作り、その後必要なものだけを残すというプロセスがあります。これは、乳幼児が、ある刺激や課題に対して大人とは異なる脳領域を活動させて情報を処理していることを意味していることになるそうです。ということは、乳幼児の心の世界は、私たち大人が想像し得ないような、大人とは異なった世界がある可能性があるということになります。

近年、この点に関して興味深い知見が得られています。有名な本では、ブログでも取り上げた日本では、2010に発行されたアリソン・ゴプニック著「哲学する赤ちゃん」です。この本の中では、赤ちゃんは、大人の未熟な存在ではなく、全く別な、もしかしたらある側面において、大人よりも優れた能力を持っていて、賢い生き物かもしれないと言うことが書かれてあります。ですから、この赤ちゃんから大人は学ぶべき事があるのではないかとさえ言っています。かつては、乳幼児の中に、「小さな大人」としての能力を探していました。しかし、脳研究に着想を得た新しい研究によると、乳幼児は大人が持たないような能力や認識を持っている可能性があると言われています。このような乳幼児観を、森口は、大人とは異なった心の世界を持つ、「異なる乳幼児」観と呼んでいます。

では、何がどのように異なっているかを考えてみます。特に、森口は言語音知覚の発達について考察しています。これについては、私が一時講演で話していたことですが、一般的に日本人は英語の“L”と“R”の弁別が得意ではありません。これは、日本語がLとRを区別して発音しないためです。このこと自体はそれほど不思議なことではありませんが、興味深いのは、日本人の乳児はLとRの区別ができるという点です。どうやら、乳児は生まれてから半年ほどはどのような言語であれ、発話音を音声カテゴリーによって弁別することができ、生後1年ぐらいで、養育環境で耳にする言葉以外の弁別が出来なくなると言うのです。

乳児は、どこで生まれてくるかを自分で選ぶことができません。日本人がアメリカで生まれ育つことがありますし、エジプトに移住することだってあります。そのため、乳児は生まれてきたときはどのような音声も弁別できるような聴覚を持っており、生後の経験によって自分にとって必要な言語、日本で育つのであれば、日本語に聴覚が適応していくのだと考えられているのです。これは、脳の刈り込み過程を反映していると思われます。まずは、広範なネットワークを作り、どの言語にも対応できるようにしておきながら、特定の言語に適合するように刈り込んでいくのです。

これの研究でよく用いられるのが、ヘッドターンパラダイムです。スピーカーから連続で音が発せられるのですが、ときどき発せられる音が変化します。その際に、乳児は頭を特定の方向に回転させるとご褒美がもらえるというものです。この方法によって、最初の音と途中で出る音を区別していることが推察できるのです。

実験の結果、6ヶ月程度の乳児は母語以外の発話音も弁別できるのですが、6ヶ月から12ヶ月の間に弁別できなくなることが示されたそうです。

異なる乳児” への12件のコメント

  1.  「脳の刈り込み過程を反映している」凄いですね。生まれ持つ受け皿の何とも大きいことで、それで子どもは日本で生まれれば日本の、諸外国で生まれればその国の言葉を、まるで当たり前のように話せるようになっていくのですね。海外の音楽が好きでよく聞きますが、全く英語が喋れるようにはなりません。それどころか、口ずさんでみた時に、雰囲気やニュアンスだけしか真似ることができず、口ずさんだものを文字化したら、変なカタカナになるだけです。学生時代に触れた英語が多少は力添えをしてくれるものの、赤ちゃんの頃から日本語しかない環境で育っているから脳が日本語で英詩を理解しようとするのでしょうね、英語の弁別のできる人の前で口ずさむのは控えようと改めて思いました。

  2. 「乳幼児の心の世界は、私たち大人が想像し得ないような、大人とは異なった世界がある可能性があるということになります」や「乳幼児は大人が持たないような能力や認識を持っている可能性があると言われています。このような乳幼児観を、森口は、大人とは異なった心の世界を持つ、「異なる乳幼児」観と呼んでいます」という言葉がとても印象的でした。私たち大人とは異なっている、異なった心の世界を持っているということは普通に考えていてはといいますか、自分と同じような考えを持っていると思っているように考えてはなかなか理解できないというこでもあるのかもしれませんね。だからこそ、大人の価値観で決めつけてはいけませんし、こうやって藤森先生が解説してくださる研究からも現場の子どもたちの姿を主観だけではない部分で捉えていかなければいけないなということを考えさせられます。異なっているということが分かると、またより深い子ども理解もできてくるのかなと思えてきます。

  3. 「乳幼児の心の世界は、私たち大人が想像し得ないような、大人とは異なった世界がある可能性がある」とありました。これは日常の子どもたちの姿からも感じることが多いですし、大人の世界観では説明が難しいと言いますか、驚かされることが多くあります。アリソン・ゴプニック著「哲学する赤ちゃん」の内容はまだ記憶に新しく、「赤ちゃんから大人は学ぶべき事があるのではないか」という言葉に共感したことを覚えています。また、一般的に日本人は英語の“L”と“R”の弁別が得意ではないのに対し、「日本人の乳児はLとRの区別ができる」ことには驚きました。そして「乳児は生まれてきたときはどのような音声も弁別できるような聴覚を持っており、生後の経験によって自分にとって必要な言語、日本で育つのであれば、日本語に聴覚が適応していく」とあった適応力、順応力には驚愕です。これも脳と同じ刈り込みが行われるのかなと感じました。

  4. 〝大人とは異なった心の世界を持つ、「異なる乳幼児」観〟とあり、子どもは脳の観点からいえば、そのように大人とは異なる心の世界を持っているということなんですね。
    そうなると、大人のものさしで子どもの行動や思考をはかってしまうことは危険なことであるんですね。子どもたちからしても大人の行動や言動にクエスチョンマークがついてしまうことがあることが当然なんだと思います。
    このように大人と子どもでは違うということを知っていると、その関わりというのは変わってくるはずですし、子ども理解の観点からも違いがあらわれるのだと思います。

  5. 脳の刈り込み過程を反映させるための広領域へのネットワークをはることで言語音知覚の発達をうまく活動させているのですね。確かに、その国にいるのなら、そこで生きていく最善の方法を見つけなければなりません。そのために、様々なもの、情報を得るために広領域へとネットワークを伸ばす、とこれを成長の過程のなかで周知していくのは゛賢い生き物かもしれない゛と言われることを納得してしまいます。この何が必要かという刈り込みができることは、大人がいまから何かを覚えようとして覚えることと、乳児が覚えるための脳の活動とには大きな違いがある、そのことは、森口氏の、゛大人とは異なった心の世界を持つ、「異なる乳幼児」観゛なのかと思いました。

  6. 子どもたちは、この世界をどのように見て何を感じているのでしょうか。「大人とは異なった世界がある可能性がある」という新しい子ども観が生まれた現代では、子どもに対するアプローチの仕方も変わってくるのだと思います。それは、大人とは全く異なるアプローチであり、同時に子どもの
    人権という部分でもさらに強調されるような世の中になってくるということでしょうか。かつて、ネアンデルタール人が「旧人」とされていたと同じくらい、大人と子どもは異なっているという感覚にもなるのは、衝撃の大きさを物語っています。

  7. 藤森先生の講演で乳児は生まれてきたときはどのような音声も弁別できるような聴覚を持っており、生後の経験によって自分にとって必要な言語、日本で育つのであれば、日本語に聴覚が適応していくのだと考えられているのですという話を聞いた時、とても驚いたのを覚えています。最初、大人が乳幼児に抱いているイメージは何もできない存在だったと思います。それが脳の研究や実際の赤ちゃんの行動から全く違い大人よりも賢い存在、能力が高い、まさに「異なる乳幼児観」ですね。こういった赤ちゃんの能力は確かに驚きますが、個人的に感じたのは逆に繊細のような気がします。6ヶ月で発話音を分別できなくなったり、大人の対応仕方で、いかようにも変化してしまいます。赤ちゃんに限らず、乳幼児の発達、最新の脳科学、これから求められる能力、時代・・・ただ保育するのでなく、私たちはしっかりと、その変を学ばないといけませんね。

  8. 「シナプスの刈り込みや、脳機能発達に関する相互作用説にある」というのを前提に置くことはもちろんあり、その刈り込み対して言語、母国語を自分の必要とするとものをしっかりと理解し残して行く過程というのはまさにシナプスが刈り込まれて行く過程であることがわかります。たしかにどこに生まれるかもわからないことからこうした脳の発達が赤ちゃんには備わっていることが理解できますし、また大人とは違った生き物といった感覚も理解できますね。より赤ちゃんから学ぶことが多いことに気付かされます。

  9. 乳児はLとRの音の区別ができるとあります。確かに人種が違っていても、「~系〇〇人」といった人たちはその育った国の言葉しか喋れないということがあるのを見ていると音声の弁別は環境によって刈り込まれているのだと感じます。そして、親が別の母国語を使っていた場合、2か国語がバイリンガルになるのでしょうね。そして、あとでほかの言語がつかえたとしても「なまり」という形で発音が残ってしまうので、そのなまりというのはシナプスを刈り込んだ後だから、不安定なことになるのかもしれませんね。また、6か月までは弁別できるがそれ以降はできなくなるとあります。この時期が音声の刈りこみが行われる時期なのですね。その時期には何か意味があるのでしょうか。

  10. 私にも乳児期はあったわけですが、その時期を経た私自身がその頃の自分について何も思い出せないのは、思い出すツールとなる言語、今の私について言えば、日本語を獲得していなかったからか。非言語の表象というものがあってもよさそうですが、その表象すら出てこない。非言語表象は不可能か。「大人とは異なる脳領域活動」「大人とは異なった世界」が乳児にある。2010年のアリソン・ゴプニック著『哲学する赤ちゃん』は衝撃的な内容でした。本当だろうか、と思ってしまうところは、もはや私自身が赤ちゃん世界の住人ではない、という証拠と言えます。森口氏が描こうとする「異なる乳幼児」観を理解したいと思います。まずは「言語知覚の発達」を「ヘッドターンパラダイム」法を用いて研究しようということですね。その結果、「6ヶ月程度の乳児は母語以外の発話音も弁別できるのですが、6ヶ月から12ヶ月の間に弁別できなくなる」とのことです。「9か月革命」?

  11. 赤ちゃんの脳は大人とは異なる脳領域を活動させて情報を処理しているんですね。続けて、大人とは異なった世界がある可能性があるとあります。大人とは異なる世界をもっているのであれば、大人が持っている刷り込みで子どもと接しても、子どものことを理解するのはできないでしょうね。こういった機会で、自分の考えを見つめなおし、子どものことを理解していかないとなと改めて思いました。
    乳児はLとRの発音の違いわかるとありました。驚きです。まさに、側面において大人より優れた能力ですね。驚きです。生後1年くらいで分別ができなくなるとありますが、この1年で環境に適そうする働きあり、変化していっているんだなと思います。子どもの成長はすごいですね。凝り固まった考えをしているとすぐにおいて行かれそうです。柔軟な考えで子どもたちを見ていかないといけないと感じました。

  12. 英語の”L”と”R”の弁別が挙げられていましたが、乳児は対応する力があるということで、赤ちゃんの持つ力はやっぱりすごいなと思います。英語を話せるようになりたいと思うことがよくありますが、乳児期の環境次第ですんなりと英語と日本語を話せるようになりそうですね。乳児は大人が持ってない能力を持っていること、そしてそこから私たちが学んでいかなくてはいけないのですね。保育をしていると、子どもたちの考え方や行動に驚かされることがよくあります。保育の現場で働く前と今とでは、子どもに対する考え方も大きく変化しました。いまだに、子どもが何を考えて何を求めているのだろう?と考えさせられることも多く、関わり方に困ったりもしますが、色々な方法を考えて実際に子どもと向き合うことはとても面白いと感じています。日々の生活の中で、さらに子どものことを理解していけるように関わる時間を大切にしたいです。

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