検証

最近の研究で、次々に乳幼児の有能性が示されています。また、その能力は早い時期から備わっているという研究も多く示されています。私たち大人は、色々なことができます。例えば、他人の心を理解する能力も兼ね備えています。ですから、当然私たちはどこかの時点でそのような能力を持ったわけですから、それがいつ頃からかという研究は行なわれるわけです。私は、赤ちゃんを見ている中で、その行動観察からすると、わりと早い時期から赤ちゃんはそのような能力を持っていると考えます。ただ、それは、自ら行動には表わさないかも知れませんが、それは持っていないと考えることとは違うと思っています。

しかし、研究では、もう少し慎重になる必要がありそうです。例えば、乳児において視線で計測されるのは暗黙的な理解の研究であり、幼児のように言語で説明させるのは明示的な理解の研究ということになります。それに対して、誤信念課題を作ったパーナー博士らは、発達心理学専門誌で心の理論特集を組み、明示的な誤信念理解の重要性を強調しているそうです。その主張としては、標準版誤信念課題は、幼児に直接他者の誤信念を問うものですが、乳児の課題はあくまで乳児の視線行動から、間接的に誤信念理解を推測しているに過ぎないというのです。また、乳児の実験では、他者の行動から心を推測するルールを用いているわけでなく、登場人物が最後に見た場所を探すことを予測しているに過ぎない可能性などの様々な解釈が示されているのです。つまり、乳児が他者の誤信念を理解していることを想定しなくても、乳児の行動は説明できるというのです。

このことは、チンパンジーの研究において重要になっているそうです。チンパンジーのように、心の理論を持っているかどうかわからない対象を扱う場合、チンパンジーが誤信念課題を解決したように見えても、研究者は厳しい解釈で望み、別の可能性を検討するものなのです。それに対して、乳児研究は解釈が甘くなりがちであり、慎重な解釈は重要であるという主張です。この議論は、いまだにつきず、乳児研究と幼児研究のギャップが埋まるためにはもう少し時間がかかるかもしれないと森口は言います。

このように慎重になるのは、乳児が早期から他者に対して感受性を見せる、社交的な存在であることの研究は、特に発達障害の子どもに対して早期介入をするためにも、生後早期における他者認識の能力の検討は非常に重要な研究課題なのです。

森口は、このような近年の研究は、いささか有能さが強調されすぎているように見えると危惧しています。それは、ここ数十年の発達し理学研究における重要な発見は、今までの考え方を覆すものが多いからでしょう。4歳半で獲得されると考えられてきた誤信念理解が1歳半になり、近年では7ヶ月で類似した能力を持つ可能性が示されているのですから。そして、1歳半の乳児の誤信念理解の研究は様々に追試され、その妥当性が示されつつあるので、この研究結果が正しいのは間違いなさそうですが、すべての研究がこのような検証を受けているわけではないと森口は言います。また、検証を受けたところで、「こんな早い時期にこんなすごいことができます」というインパクトと、「その結果は追試されず、他の解釈もでき、その結果は怪しいです」というインパクトとを比べた場合、前者の方が高いのは明らかだと言うのです。徹底的な検証で後者が正しいことが証明されてもあまり脚光を浴びないという現状があると言います。これは、新生児模倣の研究において顕著に見られることだと森口は主張します。

検証” への8件のコメント

  1.  「乳児研究は解釈が甘くなりがちであり、慎重な解釈は重要であるという主張です。」「森口は、このような近年の研究は、いささか有能さが強調されすぎているように見えると危惧しています。」そのインパクトの大きさに思わず飛びつきたくなる、その気持ちはとてもよくわかります。赤ちゃんの能力を信じるが故でしょうね。だからこそ厳しい目というものが大切で、立証されきれていない、可能性の段階のものについては、確かにどちらからの視点も必要なのかもわかりません。しかし、そのどちらの目も、子どもに対して否定的であるということではなく、もっとより真実へ近付きたいという研究者の姿勢であることにとても意義があると思います。赤ちゃん、子どもを真剣に思うが故に生まれる議論は、もしかしたら、人間の進化にとって必要な議論なのかもわからないと感じました。

  2. 「自ら行動には表わさないかも知れませんが、それは持っていないと考えることとは違うと思っています」という言葉が印象的でした。とても大切な考え方だなと感じました。目に見える、認識できるものが全てではないという見方ができればどんどん視野が広がっていくのかもしれませんね。また、私たち保育者も子どもの行動から言葉や行動には表さないけど、秘めている重いという部分を想像することも大切になってくるのかもしれませんね。「乳児研究は解釈が甘くなりがちであり、慎重な解釈は重要であるという主張です」という議論が出てくるような状況にもなっているのですね。乳児の能力の高さが証明されてきたが故にそのような状況になっているというのは、なんだか何かに夢中になって、少し視野が狭くなっているということにも似ているのでしょうか。そういったことは私もよく経験します笑。そんな時こそ、丁寧にというか、結果を急ぎすぎないと言いますか、焦らないという事が大切なのかもしれませんね。

  3. 「チンパンジーが誤信念課題を解決したように見えても、研究者は厳しい解釈で望み、別の可能性を検討するもの」とありました。このような解釈は研究という分野においてはとても重要だと思います。研究結果は、簡単に覆るかもしれませんが、一般人に植え込まれていく知識は簡単には覆らない印象です。その点で「乳児研究は解釈が甘くなりがち」とあり、乳児における研究が難しいが故なのかなと感じましたが、人類においての研究こそ慎重な解釈が必要だと思います。また「森口は、このような近年の研究は、いささか有能さが強調されすぎているように見えると危惧しています」とありました。人は目新しいものに飛びつく習性があると思いますし、インパクトの話にもありましたが、一度大きなインパクトを受ければ根強く残り、拡散される印象です。最も興味を引くのは自分自身や属している集団のことではないかとも思えるので、人類における研究の検証は慎重に、そして徹底的にやっていく必要がありそうですね。

  4. チンパンジーの実験結果には、厳しく、慎重になるものの、”乳児研究は解釈が甘くなりがちであり、慎重な解釈は重要であるという主張です”とあることは、裏をかえせば、それだけ乳児の可能性は無限に広がっており、予期しているものの結果がでるということが推測できます。赤ちゃんは、このような姿があるというより、〇〇な場面に対して、対応できる力をもっている、それがうまく表現すること、行動に表さないと、考えることが必要なのかと思いました。゛徹底的な検証で後者が正しいことが証明されてもあまり脚光を浴びないという現状゛とあり、検証に幾年の時日をかけることが時代にあったもの、必要なものへと解釈されることがある、というようなことが、゛その結果は追試されず、他の解釈もでき、その結果は怪しいです゛という、今現在では、答えになりそうなものがいくつもあり、答えがない、といったように思いました。
    焦らず、しっかりと考えることが必要なのだと思いました。

  5. 確かに藤森先生が言われるように、大人ができる能力を同じ人間である赤ちゃんが持っていないわけがありませんね。今は分からないだけで、本来は持っており、違う形で大人同等の能力を表現している可能性もありますし、表す為の準備として行動しているかもしれません。そういう風に考えて赤ちゃんを見ると、また違った印象を持ちます。赤ちゃんの有能性が明らかになり、それを危惧していると森口氏は言われていますが、研究者ではない私にとっては、その感覚が少し分かりにくいです。やはり新しい理論が打ち出され、赤ちゃんの隠された能力が明らかになることで、素人の私にしては驚きで、感動します。しかし研究者は、明確でなければいけないのと、常に違うアプローチを探し続ける事が研究者の性ということでしょうか・・・。

  6. 最近の赤ちゃん研究では〝いささか有能さが強調されすぎているように見える〟ということで、その理由として〝徹底的な検証で後者が正しいことが証明されてもあまり脚光を浴びない〟ということでした。たしかにそうかもしれませんね。赤ちゃんの研究をしている研究者としては、インパクトが強い方ばかり力を入れようとするのは当然のことかもしれません。赤ちゃんと一緒にいれば、その能力の高さを見せつけられるようなこともあるはずですし。赤ちゃんのことを信じていれば、なおさらなのかもしれませんね。
    ということは、まだ不確定のものというのは、注意深く見ていく必要があるということですね。また、反対意見は否定しているわけではなく、本当のところはどうなのか、ということを一緒に考えていく仲間になる人たちであるようにも感じました。

  7. 近年に見られる乳幼児研究に著しい研究結果には、多くの人が驚きを示したところであると思います。「赤ちゃんの神秘さ」「新しい子ども観」「乳幼児の可能生」について、関心を寄せて興味を抱き、教育というものに革命が起きる前兆とも言える事態に、心を震わせた一人でもあります。しかし、そのような中、これらの研究に対して「慎重な解釈は重要であるという主張」が存在するのは、人間ならではの「勢い」「ブーム」などによって盲目となる危険性を含んでいるということなのでしょうか。研究というのは、それほどシビアで慎重さが必要であるというのは、その間違えが一文化すらも築き上げてしまう恐れがあるからなのかなとも感じました。

  8. 「近年の研究は、いささか有能さが強調されすぎているように見えると危惧しています。」と乳児の研究に対する考え方をもう少し慎重になるべきという一歩引いた目線での言葉が印象に残ります。また「検証を受けたところで、「こんな早い時期にこんなすごいことができます」というインパクトと、「その結果は追試されず、他の解釈もでき、その結果は怪しいです」というインパクトとを比べた場合、前者の方が高いのは明らかだ」という主張は納得です。研究というのはその両方を冷静に分析していく必要があるのでしょうね。昨日までだと思っていたことが翌日間違いになるというのが研究であると聞いたことがありますが、こうした検証は本当に果てしなく難しい部分であるなと感じます。

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