早期教育の間違った根拠

ある刺激に対して通常の感覚だけでなく、異なる種類の感覚をも同時に感じてしまう人が現在数パーセント程度いるということは、初めて知りました。そんな人がいるのですね。しかし、本人は、それを特に他の人とは違うという認識が薄いために、私たちは気づかないのかも知れません。しかも、その共感覚は、乳幼児期には、成人期よりも見られるのですが、生後の経験によってそのネットワークの中で必要な部分は残り、そうでない部分は刈り込まれていくのに対して、共感覚者では、この刈り込みがうまくいかないために、残ってしまっていると考えられているようです。

そして、この共感覚には音と色という、聴覚と視覚のつながりにおいて見られるのですが、形と色についても研究されているようです。その結果、生後2ヶ月の乳児には赤色や緑色と図形の形に関連する共感覚が存在し、また、3ヶ月で黄色や青色と図形の形に関連する共感覚が存在し、その後8ヶ月頃までに消失するということがわかったそうです。その結果を受けて、森口は、「乳児は、大人とは全く異なる、色と形に満ちた、ありありとした世界を見ているのかもしれません。これもまた、“異なる乳幼児”の証拠のひとつであると言えそうです。」と語っています。

次に、脳機能の発達を考える上でよく論じられるのが「臨界期」と「敏感期」の問題です。しかし、森口が危惧するように、この発達は、早期教育などの間違った根拠に使われることが多く、理解が難しいところです。まず、「臨界期」とは、「個体の一生の中である経験の効果が他の時期に見られないほど大きく、永続的で、非可塑性的である時期、すなわち、後に改変・修復ができない時期」のことを指します。このことを示した古典的な研究は、ローレンツ博士が示した刷り込み現象、いわゆるインプリンティングと言われているものです。“生後間もないハイイロガンの雌のヒナが、生まれて初めて見た人間を母親と認め、よちよち歩きでどこへでもついてくるようになった…“という有名なものです。

また、臨界期の例のひとつに、ノーベル生理学、医学賞を受賞したヒューベル博士とウェーセル博士のネコの視覚を対象にした研究があるそうです。それは、生まれたばかりのネコの片眼を遮蔽し、遮蔽期間の長さの影響を調べたものです。その影響は、生後3~4週から15週くらいまでの間にネコの目を遮蔽したときが強く、それ以降遮蔽してもその影響はほとんどなかったというものです。生後数ヶ月間の経験が、視覚の発達に不可逆的な影響を与えることを示唆したというものです。この結果は、先天的に白内障を患っている人たちの視覚機能を考える上で非常に重要な研究だそうです。

このような研究があるのですが、実際には厳密な意味での臨界期は、ほとんどないそうです。この挙げた例の場合、生後数週間から3ヶ月くらいまでが臨界期ということになりますが、その期間の間に両眼とも遮蔽し、その後両眼に光刺激を与えた場合には、両眼ともに視覚に問題を抱えないそうです。つまり、臨界期が言うような生後数ヶ月間という期間だけが重要なわけではなく、眼が機能し始める時期に、片眼だけ用いているという点が重要だと言います。様々な工夫をすることによって、その時期は操作することができるというのです。

そんなこともあって、臨界期という言い方は強すぎるということで、最近は、特に人間の行動などを対象にする場合、敏感期ということが多くなっているそうです。

早期教育の間違った根拠” への12件のコメント

  1. 「乳児は、大人とは全く異なる、色と形に満ちた、ありありとした世界を見ているのかもしれません。これもまた、“異なる乳幼児”の証拠のひとつであると言えそうです。」とあるように、生後間もない乳児の聴覚と視覚には共感覚が存在し、私たちが見ている世界とは全く異なった世界を見ているかもしれないと考えられているのですね。ついつい大人である自分と同じものが見えていると思ってしまいがちですが、それは違っているのですね。発達を理解することでその時期の子どもへの関わり方が変わってくるように、このような世界を持っている、特性を持っているということを理解することもまた発達を理解するということと同じように、子どもに対する見方が変わってくるように思います。なんだか他者への関わり方にも通じる部分があるように思いました。自分が当たり前だと思っていることが他の人にも通じる、他の人もそう思っていると思い込んでしまうと人との関係性で苦労してしまいそうですね。また、臨界期という言葉も確かに早期教育をしなければいけないというイメージを持たせてしまう言葉ですね。その言葉もまた私たちが抱くものとは異なった意味を持ったものと捉え直さないといけないのかもしれませんね。

  2.  「臨界期」と「敏感期」、絶妙ながら明らかに違う内容を言葉が携えていますね。臨界期は、確かに絶望と言いますか、極端な表現になってしまいますが、これ以上見込みがもてないような時期という負のイメージを感じさせますが、敏感期という表現になることで、その可塑性、成長、発達の可能性を感じさせます。実際に「生まれたばかりのネコの片眼を遮蔽し、遮蔽期間の長さの影響を調べたもの」その実験結果によっても敏感期と表現する方が正しいのではないかというような印象を持ちます。
     何より、子どもの可能性を考えた時、その現象に対して陽の意味合いとして取るか、隠の意味合いとしてとるか、物事は表裏一体であるにしても、やはり陽を理論付けて肯定できるような方向へもっていくことが、より多くの希望を現場にもたらすような気がしてきます。

  3. 共感覚者本人は「それを特に他の人とは違うという認識が薄いために、私たちは気づかないのかも知れません」とありました。ここから自分のある部分がアブノーマルであることに気付くきっかけというのも個人的には気になりますが、気付ける時期的な部分も重要なのかなと感じました。そう考えると、乳幼児期からの集団生活にさらなる重要性が帯びるようにも感じましたし、気付く相手にとっても藤森先生が以前おっしゃっていた他人種理解のように乳幼児期に一緒に過ごすことで深まるように感じました。また、タイトルにもありましたが、早期教育などの間違った根拠に使われることが多く、理解が難しい「臨界期」と「敏感期」の問題がありました。この問題は、早期教育の必要性を促進してしまうように感じてしまいます。おたのしみ会後だからからなのか、この時期だからこそ必要なことはもっとシンプルなものである気がしてしまいます。

  4. 〝実際には厳密な意味での臨界期は、ほとんどない〟とあり、このことは人間にとっても明るいニュースであるのだと思います。〝後に改変・修復ができない時期〟が厳密にはないということは、発達が遅れている場合には、最初に戻ってしまえば、その遅れを取り戻すことができるということなのだということになるはずです。人間の可能性は無限大であるということの根拠になるものですね。
    臨界期という言葉の持つ意味は確かに、限定的であり、逃すと後戻りできなくなるような意味合いがあることが、説明してある部分から伝わります。ですが、そうではなく、修復可能なものであるということが世間に広まれば、ここで上がっている早期教育などの問題に一石を投じることになるものだと思います。

  5. 研究の結果として、生後2ヶ月の乳児には赤色や緑色と図形の形に関連する共感覚が存在する、3ヶ月で黄色や青色と図形の形に関連する共感覚が存在している、それが、後8ヶ月頃までに消失するありました。このことは、視覚と聴覚だけでない共感覚の存在がわかりますが、それは、刈り込みのなかで消えていくのは、色の認識や形の認識という概念的なものではなく、感覚的なものであり、実際には、本人も認識がないもので、無意識的なものなのかと考えられます。また、それが、“異なる乳幼児”として存在している子どもの発達を臨界期として、その時々にやっていくのようなものでとらえるのではなく、子どもたちの発達過程を考えたときに゛臨界期が言うような生後数ヶ月間という期間だけが重要なわけではなく、眼が機能し始める時期に、片眼だけ用いているという点が重要゛とあるようにその「時」ではなく、゛時期゛といったこちらの感覚がその時期にあった環境を構成する考え方なのかなと思いました。

  6. とても印象に残ったのが、臨界期であってもその器官が発達する大切な時期に影響がなければ何ら問題が起きないという点です。ある一定の臨界期を重要視するのではなく、その器官がどのように発達を遂げていくのかという把握も大事であるということなのですね。「臨界期」よりももっと柔らかい「敏感期」という名前もうまいなぁと感じます。言葉の力というのは絶大であり、敏感という言葉であれば気持ちに余裕が持てますね。そして、これまでよく耳にしていた臨界期というのも、「実際には厳密な意味での臨界期は、ほとんどない」という現代の認識には、非常に大きな影響力を持っているようにも感じました。

  7. テレビで子どもが四字熟語や目隠しでピアニカを演奏したり、跳び箱、逆立ちをしたり、確かに初めて見た人は驚くかと思います。私も初めて見た時は驚いました。しかし、ふと冷静になって考えてみると、子どもにとってどういう意味があるのか?特に社会に出たときに、これらの能力は役に立つのか?それよりも乳幼児の時期にもっと大切な事を学び、経験する必要があるはずです。「臨界期」という言葉の意味を考えると、その時期に間違った事を学ぶと修復できないという意味になります。とは言え、厳密な臨界期はないと書かれてあり、その時期を操作できるということは、何かを教える時に時期も見極める必要があるということですね。なかんかあ難しい事なのかもしれませんが、まずは子どもの発達を理解するという原点に立ち返ってみることが大切のような気がします。

  8. 「個体の一生の中である経験の効果が他の時期に見られないほど大きく、永続的で、非可塑性的である時期、すなわち、後に改変・修復ができない時期」という臨界期の説明を読み、後に改変、修復ができないところをよく捉え、行うのが早期教育ということでしょうか。最後にある両目を遮蔽しても問題を抱えなかったこと、つまり「眼が機能し始める時期に、片眼だけ用いているという点が重要」とあるようにその機能し始めたこそが影響を与えるのですね。保育者というのはそういった発達の部分を理解する必要があるのですね。

  9. 「乳児は、大人とは全く異なる、色と形に満ちた、ありありとした世界を見ているのかもしれない。」とあるように刈り込まれる前の子どもたちの視点や景色というものは大人が見る景色よりももっと色鮮やかな世界を見ているのかもしれませんね。また、今回は脳の臨界期ということが脳の発達において出てきました。しかし、今では臨界期というのではなく、敏感期と言われることも多くなっているのですね。非常にたくさんの経験が身につく時期くらいにしかとらえていなかったのですが、「永続的で、非可塑性敵である時期」とあるようにその時期に経験しているかしていないかが大きい時期なのですね。しかし、現在ではその時期は臨界期として、その時期が決まっているわけではなく、工夫しだいで、その時期自体操作できるようになっているのですね。おおよそその臨界期にあたる生後三か月児の様子からもそれは見て取れます。このことを受けると早期教育といったものの考え方は変わってきますね。臨界期までになんとかしようというのではなく、その時期をどう乗り越えさせるかということのほうが大切になってきます。

  10. 「共感覚」については私にとって新しい知見ですから、そのことを理解するのがやっとです。が、森口氏曰く「乳児は、大人とは全く異なる、色と形に満ちた、ありありとした世界を見ているのかもしれません。」という推測は、なるほどそうしたこともあるのだろうと思ったところです。そして、次の「臨界期」。この術語については、今回の紹介されていることとは別な理解の仕方をしていました。いわゆる「脳の臨界期」は9歳頃、ということです。その頃を境に、それ以前とそれ以後人間には大きな変化がある、というものです。そして今回の「臨界期」はどうやら「生後数週間から3ヶ月くらいまで」のようですから全く別物であるということがわかります。脳科学の世界はやはり難しい。そしてこの「臨界期」も「強すぎる」、よって「敏感期」ということになるようです。なかなか難しいですね。まぁ、当ブログをきっかけにこうした論文内容に慣れていくしかありません。

  11. 森口氏の言っている「乳児は、大人とは全く異なる、色と形に満ちた、ありありとした世界を見ているのかもしれません。」という言葉が印象に残りました。自分らの創造もつかないような感覚にかられながら物を見たり、音を聞いたりしているのかもしれませんね。音情報に視覚情報まで来たら、脳の処理する情報量は増え、それをこなしているんだろうなと思うとすごいなと思います。こういったことを知ると、子ども達に対する見方も変わっていきます。子ども達への考え方が変われば、対応も変わりますし、自分自身を見つめなおすきっかけにもなります。自分の枠にとらわれないように保育していきたいです。
    恥ずかしながら「臨界期」と「敏感期」ということを初めて知りました。子ども達の発達を理解していくためにも、知るべきことだなと感じました。これからも勉強していかないとです。

  12. 「乳児は、大人とは全く異なる、色と形に満ちた、ありありとした世界を見ているのかもしれません。これもまた、“異なる乳幼児”の証拠のひとつであると言えそうです。」とありました。私たちの見ている世界と、乳児から見えている世界とは違いがあるのですね。こうした、発達の過程で大人と子どもに違いがあることや、同じ人間でも考え方や感じ方が違うことを理解することは大切な気がします。自分の考え方は周りの人と同じだと思い込みがちで、押し付けてしまうことがあると思います。他者を知り、受け入れるという姿勢が改めて大切なことだと感じました。

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