小さい頃の思い出

私たちは、幼児の頃のことはあまり覚えてはいません。特に、3、4歳以前のことはほとんど覚えていません。これをフロイトは、「幼児健忘」と名付けました。おもしろいもので、この幼児健忘は、幼児期から見られるそうです。ある研究では、子どもの「最初の記憶」がどのように書き換えられるかを検討したそうです。4歳から13歳の子どもを対象に、2回の研究を実施したそうです。まず、一回目に、参加児は自分の最初の記憶を三つ聞かれます。二回目の調査は2年後に行なわれ、子どもに最初の記憶を一回目と同様に自由に再生させたそうです。再生できない場合は、その子どもが一回目で再生した記憶と他の子どもの記憶を混ぜて提示し、どれは自分の記憶だったかを聞いたそうです。その結果、三つの記憶の時期の平均月齢は、一回目の調査で44.4ヶ月、二回目の調査では56.5ヶ月と大きな違いが見られ、二回目の調査では、「最初の記憶」の時期が、だいぶ遅くなっています。また、多くの子どもにおいて、一回目と二回目の記憶再生に重複がなかったそうです。最初の記憶は次々と書き換えられてしまうようです。

この結果について、保育園の保育者はちょっとショックですね。0歳から2歳児くらいまでの先生のことや、保育園でやったことなどほとんど覚えていないということです。保育者は卒園児に対して、「ねえ、私のこと、覚えている?」と一所懸命に聞くことがありますが、無理なのですね。

さらに、この研究から、年少の子どもであればあるほど、記憶の一貫性が低いことがわかったそうです。10歳頃には記憶は定着しているようですが、幼児では、「最初の記憶」がころころ変わっているそうです。幼児の記憶は固定化がされにくいために、ある年齢で覚えていたものが、別の事象に塗り替えられて、思い出しにくくなってしまうそうなのです。記憶の固定化ができるのが児童期以降であり、それくらいの年齢で再生できる記憶は結局4歳頃になってしまうというのです。

これを聞くと、ある疑問を持ちます。例えば、「まだ、話ができない赤ちゃんに対しても、小さいうちに色々と言葉がけをしなさい」と言うことがありますが、一生懸命に2歳以下の赤ちゃんに話しかけても、それを覚えていないのではないか、それは忘れてしまうのではないかという疑問です。言語を持たない間に蓄積された記憶を、忘れるのではなく、言語を獲得した後に取り戻すことができるかという問題です。

それについて、ピアジェはこう考えました。シンボルである言語の獲得の前後では、情報を記憶に取り込む過程である符号化が、質的に異なり、言語獲得の記憶は、獲得後に取り出せないのではないかと述べているそうです。最近の研究も、ピアジェの考え方を支持し、言語を持たないときに、記憶した内容は、言語獲得後には言語的に再生されないことを示しているそうです。

この研究では、実験者が2~3歳児と玩具で遊び、その玩具のライトの付け方などの五つの標的行動を示しました。.この時点で、幼児は、標的行動をすべてできるようになりました。その半年後と1年後に、幼児は再び実験に参加し、先に遊んだゲームについて思い出し、言語的に報告するように教示されます。その後、記憶時に使用した玩具が用意され、幼児はそれを用いて標的行動を非言語的に再生するように求めてみたところ、非言語的に再生するのは容易だったのですが、言語的に再生することはできなかったそうです。

小さい頃の思い出” への12件のコメント

  1.  「0歳から2歳児くらいまでの先生のことや、保育園でやったことなどほとんど覚えていないということです。」高校生の時に初めて原付バイクを手に入れ、遠出を試みた先が卒園した保育園でした。幼少時代を覚えてくださっている先生方が多く、オムツを替えたことや、どんな子だったかなど教えていただいたことを覚えています。0歳から保育園にいたこともあり、それぞれのクラスを覗かせてもらったのですが、2歳児クラスのテラスがとても印象的で、そうなるとその頃の記憶があることになるのでしょうか。それについて「幼児の記憶は固定化がされにくいために、ある年齢で覚えていたものが、別の事象に塗り替えられて、思い出しにくくなってしまうそうなのです。」とあり、少し大きくなってからそこで改めて遊んだ記憶と入り混じっているのかもわからないと思い、記憶の不思議さを思いました。本当におもしろい研究だと思います。

  2. 「幼児の記憶は固定化がされにくいために、ある年齢で覚えていたものが、別の事象に塗り替えられて、思い出しにくくなってしまうそうなのです。記憶の固定化ができるのが児童期以降であり…」という研究結果があるのですね。自分自身の一番古い記憶はなんだろうかと思うと、2歳〜3歳の時期の記憶で、運動会の後、近所でお世話になっていたおじいちゃんと母親と広場にいるというものがあります。なんだか、その記憶が今だにたまに思い出します。私にとってはとても大切な記憶のような気がします。しかし、幼児の記憶は固定化されないというのは寂しいですが、園で過ごしていると思い当たる点がいくつかありますね。3歳児の時に担任したのに、年長になった時に、3歳の時の担任が誰だったか聞いてみても「知らない」とかえってきたりします。「言語を持たないときに、記憶した内容は、言語獲得後には言語的に再生されないことを示しているそうです」と考えられているのですね。なんだか不思議ですね。どういう事なのか気になります。

  3. 〝0歳から2歳児くらいまでの先生のことや、保育園でやったことなどほとんど覚えていない〟とあります。自分が小さい頃の記憶として、保育園に最後の1人になるまでいて、薄暗い部屋の中に1人でいるような、いたような記憶があります。実際は先生が近くにいたはずですが、そこは記憶から抜けています。〝幼児の記憶は固定化がされにくいために、ある年齢で覚えていたものが、別の事象に塗り替えられて、思い出しにくくなってしまう〟とあり、多分このことが影響して記憶のどれかと重複して覚えているということなんでょう。
    そう考えてみると、記憶というのは曖昧で不思議なものですね。
    それが良くも悪くも人間の素晴らしいところの一つであるということでしょうね。

  4. 「0歳から2歳児くらいまでの先生のことや、保育園でやったことなどほとんど覚えていない」とあったことは、悲しくなりますが、私は幼稚園出ですが、そのときの先生すら覚えていませんので、何か納得してしまっています。また「幼児の記憶は固定化がされにくいために、ある年齢で覚えていたものが、別の事象に塗り替えられて、思い出しにくくなってしまう」とあることもしっくりくるところがあります。数少ない幼児期の記憶は、あながち間違ってはいないのでしょうが、事実とは少し異なることがありそうですね。そして「言語を持たないときに、記憶した内容は、言語獲得後には言語的に再生されない」とありました。しかし、「非言語的に再生するのは容易」とあり、言語の複雑さを感じますし、なぜ言語的な再生が難しいのかはとても気になります。この幼児健忘における実験は未知な部分が多く、ワクワクします。

  5. 2歳までの記憶はほとんどないということは、寂しいものではありますが、自身のことを考えると、4.5歳の記憶は曖昧ですがあります。しかし、2歳までの記憶はないことを感じます。そうかんがえていくなかで、2歳までに記憶した言語は記憶に残らない、゛ピアジェの考え方を支持し、言語を持たないときに、記憶した内容は、言語獲得後には言語的に再生されない゛とありました。考えると、記憶していないわけではないが、言語獲得後に実際にその記憶が言語として表現することはないと読み取ることはできますが、それでは、その記憶としてあるもの、例えば短期記憶にから長期へと保存されたものだったのならば、必要でないものとして、消えていくのでしょうか。また、言語として表出されるのではなく、言葉の意味として理解し、記憶として残っていくのでしょうか。記憶と言語には、深い関連性を感じています。

  6. 正直、私は5歳までの記憶すらありません。5歳児クラス児の担任の先生の顔はなんとなく覚えていますが、それも、物心がついた時に過去の写真を見てそこでアップデートしたようなものです。しかし、その記憶がない時期における経験が今の人格を形成しているというイメージがあります。「言語を持たないときに、記憶した内容は、言語獲得後には言語的に再生されない」というのも、記憶から消すことによって都合が良いということを考えると、その記憶を残すということよりも、その時期に優先されなくてはいけない事項が存在しているということでしょうか。それが「非言語的」な経験であるとすると、大切にしなくてはいけないものが見えてきます。

  7. 先日、卒園児(現中学2年)が授業の一貫で保育体験をしにきました。開園した時の年中さんで、個人的にも思い入れがあった子達でしたので、身長はもちろん、内面も大きくなっていることに感慨深いものがありました。当時の記憶の事を聞いてみると先生の名前は覚えているものの、あまり覚えていないという事です。少し残念な気持ちになりましたが、自分に置き換えていると同じような物ですし、今回のブログを読んで、納得しました。しかし、最後に書かれてある非言語で再生するのは容易なのに、言語的に再生するのはできなかったというのは不思議です。ただ、少なくとも体が覚えているから再生できるのだと思いますが、そう考えると乳幼児期の実体験というのは、とても大切な事だと思いました。

  8. 私の幼い頃の思い出はなんだと考えてみると乳児のころの記憶で積み重ねるコップのようなオモチャを使って家で遊んでいた記憶です。しかし、それが生きてきた中で混合しているようにも思うのです。「別の事象に塗り替えられて、思い出しにくくなってしまう」という当たり前なのかはわかりませんが、そんな思いです。そして「小さいうちに色々と言葉がけをしなさい」という疑問というのは実にそうですね。一体その言葉かけというのがどんな意味を持ち乳児たちの中へ入り表出されるのかという疑問。一体どうなのでしょうかね。

  9. 2歳までの記憶はほとんどないという事実は、少し悲しいですね。私自身の最初の記憶は何なのだろうと?考えてみても、5歳くらいが最初のような気がします。5歳くらいからの、出来事はいくつか覚えていてたまに思い出すことがありますが、なんでこんなこと覚えているのだろうということばかりです。特に、覚えているのが保育園に通っていたときの、友達との大ケンカです。お互いに、先生に治療してもらいながらこっぴどく怒られていたことを覚えていてたまにその時のことを話したりします。今保育園に通ってきている子どもたちが、成長し保育園の時の話をする時が来るのがとても楽しみです。

  10. 子どもの最初の記憶と言葉の獲得とはまた違った領域になるということなのでしょうか。保育士としては2歳以下の赤ちゃんの記憶がないというのは何ともさみしい限りです。しかし、その頃に言語の獲得の始まりがあることや非言語におけるコミュニケーションが発達すると考えると非常に重要な時期であることも同様に言えます。最後の「標的行動の実験」は乳児が過去に獲得した標的行動をやはりどこかで記憶していたということがあらわされているのでしょうか。しかし、その頃は言語を獲得していないため、非言語での再生はできたのだが、言語的に再生できないかったということがあらわされているのでしょうか。

  11. 幼児の記憶について、幼児では、「最初の記憶」がころころ変わっているとあります。よく思うのですが、人はどうしてこんなにもたくさんの人と一緒にいて、人の顔を間違いなく記憶できるのでしょうか。町を歩いていても、「あっ、この人さっき本屋で見た」なんてあります。1歳児さんのお部屋には、その子どもたちが0歳児だったときの写真が本のようになって置いてあります。それを広げて子どもたちに「これはだれ?」と聞くと、「○○ちゃん!」と正確に答えます。正直、自分が見ても誰だかわからないところがあります。昔のお友達の顔を記憶というか、わかっているんだなと不思議に思います。では、これが、5歳児、あるいもっと年齢が上がれば、同じクラスの友達の写真(0歳児の時)を見せてもわからなくなってしまうのでしょうか。また、わからなくなったとして、それはいつ頃からなのかなと不思議に思いました。

  12. 0歳児から3歳児頃までの担任先生、確かにお気の毒ですね。私のこと覚えている?とたずねても首を傾げられることが多いでしょう。今回のブログの中で特に響いてきた部分は「言語を持たないときに、記憶した内容は、言語獲得後には言語的に再生されない」というところです。「私のこと覚えている?」についてその時言語を持っているか持っていないかによって異なるというのはおもしろいですね。その獲得言語の幅というのでしょうか、質問に答えられる言語をその時期に獲得していれば後に質問されても「覚えているよ」ということにもなるのでしょうが、さもなければ首を横に振っておしまいのような気もします。まぁ、そうではないケースもあるでしょう。「ちっちゃい頃にやってもらったから大きくなった今やってあげる」という場合のことも思い出しましたね。言葉ではなくて行為に関しては身についているということはあるのでしょうね。それも記憶の範囲内なのか?赤ちゃんの時に声をかけられて育った子は赤ちゃんに対して声をかけることもあるでしょう。私は言葉かけにしても表情や行為にして赤ちゃんは脳内記憶をしているのではないか、だから言葉を獲得したり筋肉や関節を自由に動かせるようになった時やってもらったたことを再現することもあるのかなと単純に思ってみました。

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