論理的

乳幼児が論理的であるというバウアー博士の研究は、ピアジェ以降の時代に新しい研究の流れを作りました。ピアジェは、論理的な思考が個体発生の中でどのように形成されるかに関心を持っていたそうです。成人同様の抽象的な論理的思考が形成されるのは、ピアジェ理論においては青年期であると考えました。乳幼児は論理的な思考ができないということになります。ピアジェは特に、アリストテレス的な伝統論理学における基本的な法則がどのように獲得されるかに興味を持っていたようです。そこでの法則とは、同一律、無矛盾律、排中律の三つだそうですが、これは、古典的な思考の三原則のひとつに数えられるので、たぶん大学で論理学の単位を取ったときに習ったのでしょうが、全く覚えていません・このような言葉は初めて聞いた気がします。

森口は、こう説明しています。「同一律」とは、「AはAである」とか「BはBである」というように議論の一貫性を保証するものだと言います。「無矛盾律」とは、ある命題には矛盾が存在しないという法則であり、ある命題が同時に真かつ偽であり得ないというものです。「排中律」とは、ある命題は真か偽かどちらかのいずれであるかというものです。つまり、命題が真でも偽でもないという可能性を排除するものです。

ピアジェは、乳幼児は無矛盾律や排中律のような論理学的な法則を持たないと考えていました。乳幼児は、ある命題が「真か偽のいずれかである」という法則と、ある命題が「真かつ偽である」ことを受け入れると考えたのです。ピアジェは、大人では、ある命題は真か偽のいずれかである二値論理体系であるのに対して、乳幼児では、ある命題が真、偽、真か偽のいずれでもない、真かつ偽である、の四値論理体系であるという考えを持っていたのです。このようなピアジェの考えを推し進めて、乳幼児は論理的であると主張したのがバウアー博士なのです。

具体的な研究方法は、乳児のオペラント条件付けと呼ばれるものだそうです。オペラント条件付けとは、ある個体が自発的に生成した行動に強化刺激、たとえば、報酬や罰のような刺激を随伴させ、その行動の頻度を変容させる操作のことだそうです。ここでは、乳児の足に紐をくくりつけ、その紐のもう一方の端にモービルをつけます。発達心理学においてはありふれた実験だそうですが、乳児は誕生直後には自分の足の動きとその足につながったモービルとの関連を自覚できません。足を動かすという事象に、モービルが動くという事象が付随することを繰り返し経験することによって、両者の関連を学習していきます。

その詳しい実験方法とその結果は省きますが、バウアー博士は、乳児の論理体系は、「真でも偽でもない」という命題は、その後の経験によって真か偽か決定できますが、「真かつ偽である」という命題は、断定も否定も出来ず、その結果として他の命題とはなんら関連を持てません。その結果として、否定されることなくその影響は長期的に継続してしまうのであり、発達初期に「真かつ偽である」とされた命題は大人にあってもときおり影響を及ぼすというのです。彼が強調するのは、乳児の論理体系は大人とは異なるものの、それでいてやはり論理的であるということです。

これで、乳幼児は、論理的に仮説検証をしている可能性が示唆されたのです。

論理的” への12件のコメント

  1.  「ピアジェは特に、アリストテレス的な伝統論理学における基本的な法則がどのように獲得されるかに興味を持っていたようです。」ピアジェが現代に生きていたら時代の経過を感じたことでしょうね。
     時代が進み、様々な研究結果が生まれ、それと同時に新しい理論が展開されていきます。最先端の考え方を元に考え方を展開させていくことが必要で、その時代における最先端、彼に真理を語っていたのはピアジェにとってはアリストテレスだったのでしょう。それを踏襲し、「考えを推し進めて」バウアー博士の研究があり、「乳幼児は、論理的に仮説検証をしている可能性が示唆」されることになります。現代の保育への貢献は甚だしく、その業績を改めて感じた思いがしました。

  2. 「ピアジェは、大人では、ある命題は真か偽のいずれかである二値論理体系であるのに対して、乳幼児では、ある命題が真、偽、真か偽のいずれでもない、真かつ偽である、の四値論理体系であるという考えを持っていたのです」とありました。ピアジェはこのように考えていたのですね。と言いてもとても難しくなかなか理解はできないのですが、このような考え方で乳児や子どもを捉えていた人がいたというのは事実なんですね。それだけでも子どもというものがそう簡単には理解できない存在であるということを教えられているようにも感じます。最後の「彼が強調するのは、乳児の論理体系は大人とは異なるものの、それでいてやはり論理的であるということです」という部分だけでも、乳児の不思議さを感じます。論理的でありながら、大人とは異なるとありました。大人は子どもより論理的であるというイメージがあるかもしれませんが、決してそうではないということなのですね。

  3. ピアジェは、大人は二値論理体系であるのに対して、乳幼児では、四値論理体系であるという考えを持っていたのですね。大人よりも乳幼児の方が捉え方の数が多いことに驚きました。よく大人の世界でも科学ではまだ解明されていなかったりと未知な部分が強いことに関して、「正しくもないし、間違ってもいない」というような言い回しをすることがありますが、「真でも偽でもない」という命題は、その後の経験によって真か偽か決定できるとあることから、乳幼児はそれだけまだ外界に未知な部分が多く存在しているからなのかなと感じました。また「真かつ偽である」というのは深いなと思いながらも正直考えれば考えるほど、頭がこんがらがっていきます。なので、発達初期に「真かつ偽である」とされた命題は大人にあってもときおり影響を及ぼすことに関する例にどんなものがあるのか気になりました。

  4. バウアー博士の「乳幼児は論理的である」という言葉には衝撃を受けました。しかし、子どもと接していると「真かつ偽である」とか「真でも偽でもない」という状況や、そのような思いを抱くことが多々あります。それは、子どもの断定も否定も出来ない捉え方や、「その結果として他の命題」との無関連さ、そして、「否定されることなくその影響は長期的に継続してしまう」姿から感じることなのでしょうね。純粋無垢というように表現される所以でもあるのでしょうか。そして、論理というと物事を順序立てて否定の出来ない様をイメージしますが、乳児の論理的な一面としてある表裏一体感的な要素が、答えを導くというよりも自然とそうなっていくという感覚に近いものを感じました。

  5. 〝乳児の論理体系は大人とは異なるものの、それでいてやはり論理的である〟とありました。大人のものさしで、子どもをはかろうとすることの難しさを感じますね。大人とは違う論理で物事を見つめるというのは、価値観なども異なるのでしょう。決して大人の方が論理的に物事を考えているわけではないということを自分たちは知っておかなければなりませんね。
    ピアジェが考えていた理論はなかなか理解するのが自分には難しいですが、それだけ子どもを理解しようとするのは難しいということなんだと思いました。

  6. 乳幼児期に見られる論理的思考というのは、より、深いものがあるというが大人の概念では図りきれないものだと感じました。゛乳幼児では、ある命題が真、偽、真か偽のいずれでもない、真かつ偽である、の四値論理体系であるという考えを持っていた゛とあり、あるもへ対して、この四つの思考回路をもつということにすごさを感じています。
    大人とは違う論理的な部分があるなかで、子どもは、論理的に考えるなかで経験することにより、論理的体系は、その「真でも偽でもない」ことは、どちらか決定できるが、
    「真かつ偽である」については、たしかに私たちにとっても道徳心的な部分で変わるような気がしました。答えのないものへ対して答えを持たせるというのは、経験があることで色々な思考が働き、結果として、断定や否定もできないといったものへなっていくのですね。

  7. 乳幼児が論理的という言葉を聞いて、多くの人は「そんなわけがない」と思うかもしれません。おそらく私も、この世界に来なければそう思っていたでしょう。「乳幼児では、ある命題が真、偽、真か偽のいずれでもない、真かつ偽である、の四値論理体系」と書かれてあります。確かに子ども達の姿で言われてみれば・・・と思うことがあります。理論に沿っているかそうか分かりませんが、ピーステーブルで子ども同士が解決しようとしている時に、大人から見ると明らかに真か偽なのに対し、子ども達は全く意図しないような解決方法を取ることがあります。大人から見ると腑に落ちないような解決だったり、行動でも子ども達からしたら論理的なのでしょうね。

  8. 思わず数学の証明の問題を思い出してしまいましたが、研究という中で論理的にとなるとこうした難しい言葉が数多く出てくるのでしょうね。唯一、「同一律」という言葉はわかりましたが、他の「無矛盾律」、「排中律」は勉強になりました。乳児にとって、真か偽の二値論理体系ではなく、真、偽、真か偽のいずれでもない、真かつ偽である、の四値論理体系であるというのもなんとなくわかる気がします。大人ゆえの二値論理体系。乳児だからこその四値論理体系。そこには生存の可能性を高めるといった論理的な意味も含まれているような気もします。

  9. 「ピアジェは、大人では、ある命題は真か偽のいずれかである二値論理体系であるのに対して、乳幼児では、ある命題が真、偽、真か偽のいずれでもない、真かつ偽である、の四値論理体系である」という考えなのですね。一見論理的なのは大人の方なのかと考えますがそうではなく乳幼児の方が論理的なのですね。「乳児の論理体系は大人とは異なるものの、それでいてやはり論理的である」とあるように大人とは違う論理を持ち順序立てているということでしょうか。そうかんがえるとやはり、乳幼児の複雑さ、そして奥深さというのがより理解できます。だからこそより研究をしたくなるのでしょうか。

  10. ピアジェは、乳幼児は無矛盾律や排中律のような論理学的な法則を持たないと考えていたとあります。大人ではある命題は真か偽のいずれかである二値論理体系であるのに対して、乳幼児では、ある命題が真、偽、真か偽のいずれでもない答えを持つわけですね。よく子ども同士の喧嘩の例で、大人は「誰々ちゃんが先に手を出したから悪い」なんて黒白つけたがることがこれに当てはまるのかなと思いました。先生が聞いた、喧嘩の一番いい終わりかたが「笑って終わる」とは本当にすごいなと思いましたし、なかなか大人ではでてこない発想だなと感じました。乳幼児が四値論理体系を持つことで、でてくる発想なのかなと考えました。

  11. 赤ちゃんの持つ論理性と大人の持つ論理とでは見解が違っているのですね。自然と関り、遊びの中で赤ちゃんが仮説検証している可能性があるという姿は見ていると感じるところが
    あります。自分を取り巻く世界に順応するために、体を動かしながら、様々なものの関連性を学習しているのですね。ただ、「真かつ偽である」というものがどういったものなのか、いまいち想像つかないのですが、それが大人になったときにも影響があるということなのであれば、考える必要もあるのだろうと思います。

  12. 論理的思考は言語や数概念の把握において欠かせないものだと思っています。しかし、この論理性を言語と数に限定してしまうのはやはり大人世界の欠点、弱点でしょう。同一律や無矛盾律そして排中律で私たち大人の日常は成り立っています。「二値論理体系」の中にあります。よって、この体系のダーク面の究極が戦争です。とにかく、相手が降伏するまでやるか、ある程度のところで妥協して取引の場に持ち込むか。乳幼児の世界はまさに「色即是空、空即是色」。「四値論理体系」これを称して「悟り」といいます。泣きわめく子どもを相手に大人の親は二値理論体系で挑みます。四値理論体系存在の子どもは「どうしてわかってくれないのか」とさらに泣きわめきます。ここは大人が自分の中に隠れている四値理論体系に気づいて対処すべきでしょう。有にして無、無にして有。これは東洋の論理です。かつて西洋もそうであったが、キリスト教の台頭といわゆる「科学」の進展によって失ってきた論理ですね。乳幼児のことは私たち東洋人がよくわかるはずです。

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