他の有力な理論

他の有力な理論の一つは、ウェルマン博士らによる「素朴理論」です。素朴理論とは、子どもの持つ知識が、断片の寄せ集めではなく、理論と呼べるほどに体制化されている様子のことを指すそうです。学校教育で教わったわけではなく、素朴に子どもが持っているという点が重要だと森口は言います。また、素朴理論は領域固有性をもち、その領域内において一貫した説明や予測ができるのだと言います。科学理論もそうですが、その領域内における現象を説明することと、新しい現象を予測することが理論の必須条件だと言います。そのため、理論で説明できない現象に出くわしたときに、理論を変更する必要が出てきます。難しくなりますが、すなわち、「学校教育で教わったわけではなく、素朴に子どもが持っているという理論」です。

現在一般的に受け入れられているのは、幼児期までには素朴心理学、素朴物理学を持ち、やや遅れて素朴生物学を持つというものだそうです。ウェルマン博士らは、生存及び日常生活における相互作用に必須である領域としてこの三つを挙げているそうです。これらの研究のルーツは、アニミズムのようなピアジェの研究にあるのです。違いは、ピアジェがこれらの知識が児童期後期になるまで獲得されないと考えていたのに対して、ウェルマン博士らは、幼児期には素朴理論を持ち合わせていると考えたということなのです。

ウェルマン博士らは、三つの子ども観を示しています。「大人のような子ども」観、「未熟な子ども」観、そして「異星人としての子ども」観です。彼らの考えでは、「大人のような子ども」観は生得説、「未熟な子ども」観は、古典的な経験説、「異星人としての子ども」観は、素朴理論に該当すると言います。この説明は、おもしろいですね。

では、生まれつき持っていると考える生得説と、この素朴理論の違いはどこにあるのでしょうか?森口は、こう説明します。「生得説の特徴は、生まれつき領域固有の認知システム(モジュール)を持つと考えます。」この考え方によれば、生後の経験はそれぞれの認識システムが発動するためのきっかけを与えるに過ぎず、経験の影響を軽視してしまうのです。

一方、素朴理論説は、経験をデータ収集の過程であると見なし、重要視します。生まれつき持ち合わせるのは、各領域における原初的な概念構造だと仮定しています。たとえば、生まれつき生物であるか無生物であるか、領域を見分けることができます。その概念構造に従ってそれぞれの領域に関する経験(データ)を集積し、データに因果関係な説明を与え、理論を構築するのです。データ量が大人とは異なるため、理論も大人とは異なります。結果として、大人の考えとは全く異なる異星人と見なされるというのです。私も現在では、その考え方に近いものがあります。

スペルキ博士の主張するような中核的な知識を乳児が早期から持ち、それを基に各領域の理論を形成していくというように、二つの理論は、必ずしも相互排他的なものではないと森口は言います。

彼は、バウアー博士が進めた乳幼児が論理的であるという研究を紹介しています。この研究は、追試が難しかったり、理論が先走りすぎて実験結果との整合性があまりとれていなかったりと、現在の評価は良いものばかりではないそうです。しかし、ピアジェ以降の時代に新しい研究の流れをつくったという点において、評価されるべきであろうと森口は考えています。

他の有力な理論” への14件のコメント

  1. 素朴理論もコアノレッジ理論も、教え込んだものではなく、本来子どもが持っているものという共通点があるような気がします。しかし、昨日のブログにも書かれていますが、経験や学習を決して否定することではないというのは、理解しないといけませんね。

    ウェルマン博士の3つの子ども観がとても面白いですね。そして、生得説と、素朴理論の違いは、とても気になっていました。昨日のブログにもあったように、生得説に考えでは、経験が軽視されてしまうのですね。その一方、素朴理論は経験が重視されています。生まれつき持ち合わせるのは、各領域における原初的な概念構造だと仮定され、経験によってデータを集め、そのデータに因果関係の説明を与え、理論を作っていくというのは、確かに経験や学習は否定していません。また、異星人と見なされる理由も納得できました。

  2. 「大人のような子ども観」「未熟な子ども観」「異星人としての子ども観」という発想は面白いですね。“子どもから見る子ども観”というものも個人的には気になります。先日、跳び箱6段を跳べた子に「どうして6段跳べるようになったの」と聞くと、「◯◯くんが、簡単だから大丈夫って言ったから」と答えていました。子どもは子どもをどう思っているのか知りたいですね。話は逸れましたが、子どもを異星人として捉えるということがどのような意味をもたらすのかと考えていましたが「データ量が大人とは異なるため、理論も大人とは異なります」という言葉で理解できました。子どもという存在をそう捉えることで、捉える枠を超えていかなる場合であっても柔軟に捉えたり、新しい見方が可能になるのかなとも感じました。

  3. 素朴理論とは「学校教育で教わったわけではなく、素朴に子どもが持っているという理論」を言うのですね。要するに生まれながらに備えている能力ということなのかなと勝手に解釈しています。また「これらの研究のルーツは、アニミズムのようなピアジェの研究にあるのです」とありました。やはり批判されることが多くても、ピアジェの研究は新しい乳幼児観を生み出したルーツであり、ピアジェがいなければここまで辿り着けなかったように思えます。
    ウェルマン博士らが示した三つの子ども観は面白いですね。特に「異星人としての子ども」観は、未知さがあってワクワクしますし、この子ども観から大人が主体となって子ども集団を先導することが間違っていることがわかります。子ども集団での子ども同士の関わりがやはり重要なのだろうなと改めて感じることができました。

  4.  「素朴理論」とても好きです。この度のブログを読んで何か温かな気持ちになる、とてもユニークな理論だと思いました。「ウェルマン博士ら」が提唱されているということで元となる言葉があると思いますが、それを「素朴」と訳した人の力が秀逸ですね。子ども心を理解できる優しい目の持ち主ではないかと想像しました。
     「素朴理論説は、経験をデータ収集の過程であると見なし、重要視します。」経験するからこそ生まれる疑問や不思議というものがありますね。その過程を子どもたちは踏襲しているのだと思うと、子どもたちの頭の中は本当に凄いことが行われているのだということに気付かされます。
     「二つの理論は、必ずしも相互排他的なものではない」素朴理論とコアノレッジ理論が互いにぶつからずに、むしろその理論同士まるで支え合いながら子ども理解を進めているように思えてきます。

  5. 素朴理論という考え方には、なんだかわくわくしてしまいます。「科学理論もそうですが」とあったので、科学理論とはまた違うものなのかなとも思ったりするのですが、「学校教育で教わったわけではなく、素朴に子どもが持っているという理論」ともあり、全く違うものではないのかなとも感じるような気もしました。また「異星人としての子ども」が素朴理論に該当するというのもおもしろいですね。感覚的な話になってしまうのですが、子どもと大人が全く違う存在というのは分かる気がします。子どもたちを見ていると、大人とは全く違う存在と感じることがあります。だんだんと成長はしていくのですが、この目の前の子どもと、20年後のその子を一緒に並べられたとしたら、なんだか同一人物とは考えにくいそんな感覚を持つことがあります。話がそれてしまいました。「概念構造に従ってそれぞれの領域に関する経験(データ)を集積し、データに因果関係な説明を与え、理論を構築するのです」という子どもの姿も園ではよく見かける姿かもしれませんね。

  6. 素朴理論とは、本能的に持っているものであり、知識として学んだものではないという形であることが、子どもは生まれながらにして有能であることが裏付けられていますね。そして、三つの子ども観「大人のような子ども」観、「未熟な子ども」観、そして「異星人としての子ども」観てあり、説明を読み、「異星人としての子ども」観というのは特に興味がもてました。異星人という、地球人ではなく、私たちからすれば未知の力をもち得ている存在であることをかんじさせているという、藤森先生の言われるダークセンスと同じだと感じました。様々なな理論のなかで、有力なものが浮かび上がってくるなかには、ピアジェという存在があったことの大きさも感じました。

  7. 「異星人としての子ども」観というのが印象に残りました。〝データ量が大人とは異なるため、理論も大人とは異なります〟とあり、大人からは想像もつかないことや行動をとるのは、このようなことであるのだと思いました。そのことを「異星人」と捉えるというのはおもしろいですね。藤森先生のダークセンスと似たようなニュアンスがあります。
    そのような未知の力ともいうべきものを備えている子どもたちを、大人があれこれ手を出し、口を出ししていくことには疑問を持ちますね。

  8. 個人的には「素朴理論」が好きです(笑)ちょうど長男が異星人というか「なんで?」と聞いてくる事が多くなり、説明に困ることが多々ありますが、私が説明している間、自分の都合でいくつかの理解できる単語をつなぎ合わせて、自分で解釈するための理論を構築しているようにも思えます。それこそ、大人とデータ量が大きく違うため、こっちが意図している事と全く違う意図として捉えているため異星人として見なされていると書いてありますが、子どもを見ていると、それでいいのかな?と思えてきます。

  9. 「素朴理論」の理解が難しかったですが、「学校教育で、「学校教育で教わったわけではなく、素朴に子どもが持っているという理論」という所でよく理解ができました。
    「大人のような子ども」観、「未熟な子ども」観、そして「異星人としての子ども」観という3つの子供観も面白いですね。どれも日常の中でイメージしてしまうところがまた面白さを感じます。特に「異星人としての子ども」観というところにおいて「データ量が大人とは異なるため、理論も大人とは異なる」というのは、まさに子どもたちの大人では理解できない考え方の理由でもあり、とても納得させられました。

  10. 他の有力な理論といって有名な理論であればしっかりと受け入れ学びにしているところが単純に研究者としてなくてはならないとのろでは感じます。大きく話は逸れましたが、素朴理論とは「子どもの持つ知識が、断片の寄せ集めではなく、理論と呼べるほどに体制化されている様子のことを指すそうです。学校教育で教わったわけではなく、素朴に子どもが持っているという点」とあります。初めは生得的なところが大きいのかなと思っていましたが、そうではなく「経験をデータ収集の過程であると見なし、重要視します。生まれつき持ち合わせるのは、各領域における原初的な概念構造だと仮定しています。」とあり概念構造がありそこを経験が構築していくといったイメージでしょうか。素朴説を読み理解は難しいものの納得がいきますね。

  11. ウェルマン博士らは、三つの子ども観を示しています。「大人のような子ども」観、「未熟な子ども」観、そして「異星人としての子ども」観ですとあります。正直、目が点になり、頭のなかには「?」だらけになりました。
    経験を重視して考えている素朴理論説の例はなんとなくですが、わかったような気がします。子どもたちの様々な遊びや、他者との関わりの中で、いろんなことを発見したり、学んだりがあると思います。そういったことを更新しながら生きているというようなことでしょうか。ある事象に対しての情報量が大人とは異なり、考えが変わってくるのでしょうか。難しいですが、子どもってすごいなと思う日常で、こういった理論を学ぶと、色々繋がり楽しいです。

  12. 「素朴理論」という言葉は、ブログを読ませていただくことで、初めて出会いました。コメントを書いた方々の意見を聞くと、「素朴理論」が面白いと書かれている方が多いですね。私は、難しく感じましたが、三つの子ども観である「大人のような子ども」観、「未熟な子ども」観、そして「異星人としての子ども」観を聞くと、新しい視点から、子どもを見ることができる気がしました。子どもと大人のデータ量が違うために、子どもが自分なりに理解しようとする姿は何となくわかります。そして、その解釈が結果的に大人とは違う解釈であっても、子どもはすっきりしたような様子も想像できます。このように子どもの思考や、行動を知れば知るほど面白いと感じます。

  13. 素朴理論は「大人とは全く異なる異星人とみなされる」とあります。また、「経験をデータ収集の過程であるとみなし、重要視する」という言葉もあります。これを受けてふと思ったのは藤森先生の「はじめてのこくごとさんすう」でした。子どもたちは生活の中で様々なものを遊びの中から見つけ出して、学んでいるのは保育をしているとよくわかります。それは「算数」ではなく「遊び」であって、自然と学んでいるものです。なので、もともと持っている力を使い、経験を通して学んでいるのだと思います。しかしこれが、経験説な「未熟な子ども」のほうなのかどうなのかという部分に疑問を持つのですが、そんな子どもたちが遊びの中で発達していくさまは素朴理論に近いような印象を受けます。

  14. 乳児が「異星人としての子ども」であっても「人」であり「子ども」であることによって私たち大人と十分に繋がっていることがわかります。乳幼児を研究して私たち大人自身を知る、ことに繋がるのではないかと思いました。学者はそんなことは考えない。非学者であるからこそ、考える自由の範囲内でそうしたことを考える。また楽しからずや。「幼児期までには素朴心理学、素朴物理学を持ち、やや遅れて素朴生物学を持つ」これらのことはスペルキ博士らに通じるような気がします。「「異星人としての子ども」観は、素朴理論に該当する」異星人としての子どもというより、大人へとメタモルフォーシスする以前の存在と言えるでしょう。「生まれつき持ち合わせるのは、各領域における原初的な概念構造」。それでいいでしょう。

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