特定の領域

私はわりと早い時期から乳児が有能であり、自発的な活動をすることを色々なところから学びました。その研究が、「見守る保育」という保育のあり方を考えるの一つの根拠となっているのです。赤ちゃんは無能とまでは言わないまでも、未成熟で、大人の手を借りなければ、大人から世話をされなければ、大人が介入しなければならないということを基本とした乳児保育に疑問を持ったからです。どのようなことばで保育のあり方を表現すれば、乳児の有能さを認め、自発的な行動をすることを保障できるかと考えた結果、日本で大切にしてきた「見守っている」というスタンスを提案したのです。そして、2001年に、「やってあげる保育から見守る保育へ」という本を出版し、サブタイトルには、「子どもたちが自発的に活動できる保育環境とは」と名付けたこの本が、初めて「見守る」ということばを使った最初です。考えてみると、もう15年以上も前のことになります。

それ以後も、次々に乳児の有能さが研究されてきました。例えば、乳児の認知機能はどうなのでしょうか?この機能を理論的にはどのように説明されるのでしょうか?この点を考える上で重要なのが、哲学者フォーダー博士が提唱した「モジュール性」という概念ではないかと森口は言います。モジュールとは、特定の領域の問題のみ扱い、特定範囲の情報のみを用いた、それ自体独立した計算過程のことを指すそうです。この特定の領域の問題を領域固有性と言うそうです。

この領域固有性とは、「認知科学事典」によると、「思考あるいは認知が、様々な領域に区切られており、かつそれぞれが独自の特徴や構造を持つことを主張する」ものであり、「人は思考のための一般的なメカニズムを持つというよりも、対象の領域に応じた複数のメカニズムを持つ」ことを指します。これに対置される概念が領域一般性であり、「様々の領域を越えて適用される一般的な心的構造を想定する考え」のことを指します。

この説明は少し難しいので、森口はわかりやすく具体例を挙げています。「高校の科目には、物理や生物といった科目がありますが、生物が得意で物理が苦手な人もいれば、その逆の人もいます。こういう例を見ると、私たちの脳の中には、すべての科目の問題を解くための仕組みが備わっているという領域一般性という考え方よりは、物理を専門に解く仕組みや生物を専門に解く仕組みがそれぞれ備わっていて、それが寄せ集められていると考える方がいいのではないか。そして、進化の過程の中で、人が生存するために重要だった問題を解決するための仕組みがいくつか備わっているのではないか。」と、領域固有性という考え方を簡単に説明します。

ピアジェは、領域一般性の考えの代表者としてよく取り上げられるそうです。彼によれば、ある発達段階にいる子どもは、どの問題も同じように解決します。認知発達研究に領域固有性の考えを取り入れた初期の研究者は、ケアリー博士だと言われているそうです。彼女は特に、生物学的認識についての独自の理論を発展させました。ケアリー博士は、ピアジェのアニミズム的思考について論じています。ピアジェにとって、アニミズム的思考は、前操作期の子どもの自己中心性のあらわれだと考えていました。重要なのは、自己中心性は、生物的知識の領域に限らず、三つ山課題のような課題でも見られるという点です。つまり、様々な領域一般的な傾向です。一方、ケアリー博士は、幼児がアニミズム的思考を持つこと自体は認めて、このような幼児の言動は、彼らの生物学領域の知識が不足しているせいだと考えたのでした。

特定の領域” への14件のコメント

  1. 見守るという言葉ですが、勘違いして使う肩が多い気がしますが、簡単な言葉のようで、とても奥の深い言葉だと思います。個人的には、今の時代だから、伝わりにくいような気もしています。日本で大切にしてきたということは、昔からある表現で、昔は見守るというのが、本来の意味で使用されていたのが、現在少しずつ変わってきたのかもしれません。変わってはいけないと私は思いますが。
     領域固有性の説明、いまいちピンときてませんでしたが、森口さんの説明で少し分かりやすくなりました。領域一般性は、それと対をなす考え方ですね。

  2. 脳の仕組みというのは、自分で使っているわけですから考えればわかると簡単なことではないと理解していますが、一つの脳で全ての問題を解いているということではなく、脳の中に得意分野別に分かれた小さな脳がいくつも存在しているという感じなのでしょうか。「物理を専門に解く仕組みや生物を専門に解く仕組みがそれぞれ備わっていて、それが寄せ集められている」というように、分野によってそれぞれの専門が異なるのですね。そして、「人が生存するために重要だった問題を解決するための仕組みがいくつか備わっている」という言葉からは、私たちが生きていく上で必要な問題解決能力はすでに備わっているということだけでなく、その能力を発動させるためにはその仕組みを理解して、うまく活動させてあげる必要があるということも感じました。

  3. 藤森先生の考える見守るには、ただ見るのではなく、乳児は生まれながらにして有能であり、受動的ではなく、能動的性質をもつ、自発的な存在であることの意義がひしひしとお話を聞くたびに伝わってくるものがあります。
    領域固有性の説明のなかに゛「人は思考のための一般的なメカニズムを持つというよりも、対象の領域に応じた複数のメカニズムを持つ」こと゛とありました。このなかにある対象の領域に応じたというのは、大きなジャンルのなかにそれぞれの考え方へ対して、脳が多様な角度から見ようとすることのように、一つのものを同じ領域のみで見ようとはしないと解釈していいのでしょうか。そういったことが、゛進化の過程の中で、人が生存するために重要だった問題を解決するための仕組みがいくつか備わっているのではないか゛とあることへ繋がっていると思いました。

  4.  「モジュール性」という概念、森口氏の解説は何とも分かりやすいですね。「物理を専門に解く仕組みや生物を専門に解く仕組みがそれぞれ備わっていて」この言葉は、多様性、共異体を指しているように思います。「そして、進化の過程の中で、人が生存するために重要だった問題を解決するための仕組みがいくつか備わっているのではないか。」最後の文章も素晴らしいですね。人間はやはりそれぞれに使命をもって生まれてくるようです。完璧な人間など存在せず、故に完璧主義者とは完璧を目指そうとする人のことを指す、と何かの本で読みました。しかも完璧主義者は自分に否があることを認めない傾向にあるので、周囲の人を傷つけて自分を肯定するという特性を持っているそうです。その本には不完璧主義という生き方が提案されていましたが、その不完璧な部分こそが、その人を形作る大切な部分であるということを、再認識しました。周囲の人がそこを正そうとするのは、違うのですね。

  5. フォーダー博士が提唱した「モジュール性」と「領域固有性」があるのですね。これらは「個性」とも言い換えられそうですが、「高校の科目には、物理や生物といった科目がありますが、生物が得意で物理が苦手な人もいれば、その逆の人もいます…」といった説明があったことでよりわかりやすく捉えられました。中にはすごく万能な人がいるなと思うときがありますが、私は得手、不得手がとてもはっきりしている気がして、この領域固有性に自分がしっくり当てはまるなと感じています。また「領域一般性という考え方よりは、物理を専門に解く仕組みや生物を専門に解く仕組みがそれぞれ備わっていて、それが寄せ集められている」とあることが何かホッとした気持ちになります。短所を改善していくよりも長所を伸ばしていく方が良いといったような言葉を聞くことがありますが、それはこの領域固有性につながることでもあるように感じました。

  6. 〝乳児の有能さを認め、自発的な行動をすることを保障できる〟ような意味を込めて「見守る」という文言を入れられたのですね。よく、勘違いをされてしまいますが、ただ、みているだけではない〝自発的な行動をすることを保障〟という部分に自分たちは力を注ぎ、楽しんで行っていく必要があるように感じます。
    〝人が生存するために重要だった問題を解決するための仕組みがいくつか備わっている〟というものが領域固有性であるということなんですね。難しいのですが、上記のことから、生存するための能力は備わっていて、それを出す出さないを自ら選ぶということと、発動には環境も関わっている、ということを感じます。

  7. モジュール性の説明がとても難しいもので、理解できなかったのですが、高校の科目という例で、なんとなくどういうことなのか感じることができたように思いました。「物理を専門に解く仕組みや生物を専門に解く仕組みがそれぞれ備わっていて、それが寄せ集められていると考える方がいいのではないか」という領域固有性なる考えがあるのですね。これは子どもたちの持っている個性というものと似ているようにも感じるのですが、どうなのでしょうか。集団も同じように、それぞれ得意な分野で才能を発揮することで、それぞれの人が活き活きすることで、集団全体が活性化するといいますか、とてもいい集団になるということが藤森先生の考えられるチーム保育でもあるように思いました。

  8. 領域固有性といのも、個性の一つとして捉えてよいということでしょうか。高校の分かりやすい例がありますが、対象の領域に応じた複数のメカニズムを持つというところで、人によってメカニズムを持つ分野が違うと書いてあるように、それぞれが持つメカニズムを共有し、協力することがお互いの学びでもあるし、そういうった行動が人類を今まで生き延びてきた要因のような気がします。
    藤森先生の「見守る」という言葉の語源を知ることができました。「子どもたちが自発的に活動できる保育環境とは」15年もずっと変わらず、むしろ進化してきている気がします。そんな思いをちゃんと理解し、私たちは実践していこうと思います。

  9. 初めて「見守る保育」という言葉だけを聞くと、どうしても幼児を思いがちですが、その根本には「乳児が有能であり、自発的な活動をする」ということがあるのですね。私自身、長らく先生のもとで教わりながら、乳児の大切さ、面白さに気づかされたのは何年もたってからでした。違う場所で保育を行っていると、この乳児に対する考え方がいかに様々で、また大切かということを感じさせられます。その中でも、先生に教えられたことを考え、またその思いを同じく感じてくれる人を増やしていくのは、私の保育の中で大きな喜びと助けになっています。

  10. 「物理を専門に解く仕組みや生物を専門に解く仕組みがそれぞれ備わっていて、それが寄せ集められていると考える方」とあり、「領域固有性」という考えがあるのですね。森口氏の例えがわかりやすいですが、こうした脳の働きをそれぞれ分類して備わって脳はその分野になると活躍してくれるということになるのですかね。さらに生き抜くための問題解決能力というのは生まれながらにして備わるようになってきたのは進化の過程でそうなってきたのですね。進化する上でそうした能力の必要性を持ち脳が発達してきたのですね。いやー、深くなり理解もまた難しくなります。

  11. 先生が見守るというスタンスを提案するまでの流れ、子どもたちが自発的に活動できる保育環境とはという投げかけ、様々な流れがあって今に至っているんですね。自分は見守ることの本当の意味を未だに見つけられずにいます。今一度、兜の緒を締め直し、頑張って行こうと思いました。
    領域固有性の話は、正直よくわかりませんでした。しかし、物理、生物の例はすっと頭に入ってきました。人の得手不得手があるのは進化の過程の中で、人が生存するために重要だった問題を解決するための仕組みだったのかもしれないわけですね。先生が、ありのままの自分でいいとおっしゃっている理由にもつながるなと感じました。人にはそれぞれの役割があり、それを補い合うことが共生をなすための鍵になるんですね。

  12. 見守る保育の始まりについてブログを通して初めて知ることができました。日本のこれまでの保育が「やってあげる保育」だったこと、そして、それを「見守る」保育に変えていくことが始まりだったのですね。私は、学校を卒業してすぐ見守る保育に出会いました。そのため、他の保育についてあまり知らないです。見守る保育についてもまだまだ勉強中ですが、違う保育を見たときにきっと様々な気づきがあるのだと思います。離れてみて、見守る保育の良さに改めて気づくことも多いと思います。機会があれば、見守る保育とは別の保育についても知れたらなと感じました。

  13. 人の持つ認知機能の見方を一つの「モジュール」として考える論調があるのですね。「領域一般性」と「領域固有性」ですか、そして、ピアジェは「領域一般性」の代表者といして取り上げられることがあるのですね。人に得意不得意があるのを見ても「領域固有性」というものがあるようにも思えます。それは環境によって変わるという論議も出てきそうですが、どちらの説も「なるほど」と考えてしまいます。

  14. 「見守る保育」が幼児対象という勘違いは確かにあったような気がします。「見守る保育を導入しましたが、乳児は担当制・・・」のような。「見守る保育」が提案する中心的な子ども観は「乳児が有能であり、自発的な活動をすること」。この子ども観を今後しっかりと共有していくことが肝要。哲学者フォーダー博士が提唱した「モジュール性」という概念。小学校の授業時間割の中に「モジュール」なる単語を目にした時を思い出しました。「国語」でもなければ「算数」でもない「モジュール」授業とは何ぞや?聞いてみると、読書の時間、自習の時間、もっと具体的には「百ます計算」とか「反復音読」など。今回の話はそうではなく、もっと根本的な話。領域固有性と領域一般性。後者はピアジェ、そして前者が今日の乳児観に通じる考え方でケアリー博士から。面白いのは、同氏は「生物学的認識についての独自の理論」から同論を展開したのですが、ピアジェも生物学に傾倒していたとか。生物学は細胞を扱う。モジュール?いろいろと参考になる今回のブログでした。

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