新生児でも

バウアー博士は、子どもの発達において対象物に向かって手を伸ばす行動であるリーチングを生後数日の乳児が行なうことが示しました。それは、視覚と把握行動の協応という感覚と感覚の関係、つまり感覚間協応についての問題です。それは、ピアジェが考えていたよりも早い時期に乳幼児が視覚と運動を協応させていたということです。

また、メルツォフ博士らは、視覚と触覚の間にも出生直後から協応関係があることを示したのです。この研究では、おしゃぶりを使用します。まず、1ヶ月児に見えないように、イボイボがついたおしゃぶりと、普通のおしゃぶりのどちらかを口に含ませます。乳児がこれに慣れた後に、二つのおしゃぶりを乳児に視覚的に提示します。そうすると、乳児は口の中に含んでいたおしゃぶりを好んで見たそうです。触覚的に認識していたものを視覚的に認識することができたということです。

もうひとつ、有名な新生児模倣についての研究があります。それは、私も何度も講演で例に出しているので、知っている人も多いと思います。新生児模倣というのは、新生児が、他者の顔の動きを模倣する現象のことです。この新生児模倣も、視覚像と自分の顔の動きをマッチングさせる必要があることから、感覚間協応のひとつといえます。メルツォフ博士らは、大人が「舌出し」等の行動をすると、新生児が大人と同じような表情を作ることを報告したのです。この新生児模倣が、心の理論などの社会的認知能力の発達の基礎にあると主張され、注目を集めているそうです。

一方で、この新生児模倣には批判も少なくないそうです。新生児模倣に批判的なアニスフィールド博士によると、報告されている研究には分析などにおいて問題点があり、新生児模倣の中でも、信頼に足る証拠と言えるのは舌出し行動だけだと言うのです。この舌出し行動についても批判があり、舌出し行動は他者の顔を見ていないときにも、一種の探索行動として乳児が産出することが知られています。つまり、この舌出し行動は模倣とは言えない可能性があるというのです。いまだに議論が尽きないと言うところですが、新生児模倣が、感覚間協応の証拠であるという点に関しては、森口は異論がないと言っています。

これらの成果を受けると、ピアジェの考えは修正を迫られるようです。大きく二つの考えがあると森口は言います。ひとつは、メルツォフ博士のように、生得性を重視する考え方です。生まれつき感覚間の協応は持っており、それは発達とともに構成されるものではないというものです。もうひとつの考え方は、バウアー博士によるもので、まず知覚は全体的に未分化な状態にあり、発達とともにそれぞれの感覚に分化していくのではないかというものです。つまり、視覚や聴覚、触覚などは新生児期には全部つながっており、発達とともに、視覚や聴覚に分化していくという考え方です。この考えは、ジェームズ・ギブソン博士の生態学的アプローチに大きな影響を受けたようです。知覚研究で広く知られているように、ジェームズ・ギブソン博士は、知覚とは環境に含まれている高次の特性、これをアフォーダンスというのですが、この特性の能動的な探索プロセスであると主張したのです。

ここで重要なのは、バウアー博士は、アフォーダンスの考えを取り入れ、新生児は「どの特定の感覚にも依存しない刺激作用の形式的で抽象的な特性に反応している」と「賢い赤ちゃん」の中で主張している点です。つまり、新生児は、環境にある特性を、特定の感覚に頼ることなく取り入れているということなのです。

新生児でも” への11件のコメント

  1. バウアー博士の視覚と把握行動の協応実験、メルツォフ博士の視覚と触覚の連動に関する実験、どちらもすごいなと感動してしまいます。現場で、赤ちゃんを見てる方には、当たり前のことなのでしょうか。
    新生児模倣については、批判も少なくないというのは、少し驚きですが、森口さんは、新生児模倣が感覚間協応の証拠であることに異論がないとおっしゃるのは説得力があります。
    ピアジェの考えを読まないといけませんが、まず、生得性ですね。発達とともに感覚間の協応は持っていることは、ここ何日かのブログを読み、分かりました。もう1つの考えは、視覚や聴覚、触覚などは、新生児期に全部繋がっていて、発達とともに、視覚や聴覚に分化していくというのは、驚きです。これまでのブログに書いてあるのでしょうが。

  2. 「視覚や聴覚、触覚などは新生児期には全部つながっており、発達とともに、視覚や聴覚に分化」という文を読んで、始めは「?」でしたが「どの特定の感覚にも依存しない」という言葉を聞いてなんとなく理解できました。体全身を使って新しいこの環境を取り込もうとするオーラはなんとなく伝わってきます。それは、新生児でない子どもたちが一つの感覚ではなく、二つ以上の感覚を使って物事を把握している姿にも似ているように感じました。それは、新生児の感覚全てを使うやり方から、必要な感覚を選べるようになった過程でもあるのでしょうか。そして、新生児の「舌出し行動」についても、様々な議論がされているとのことで、研究の難しさと同時に未知への探究心すらも感じます。

  3. 実験の内容を読んでいると、その研究の内容ややり方のアイディアに「なるほどね」と驚嘆します。どうすれば、自分の仮説の核心に迫れるのかなどを考え抜いた、またはいくつもの失敗からのものであるのが容易に想像できます。
    〝視覚や聴覚、触覚などは新生児期には全部つながっており、発達とともに、視覚や聴覚に分化していく〟ということは、赤ちゃんの頃は全部の感覚がつながっていて、五感全部を使って刺激を感じとっているということなんでしょうか。赤ちゃんをみていて、その雰囲気に包まれるというか、空気感がなんとも言えないものがあるような感覚になってしまうのは、そのためなのかもしれないな、と思いました。

  4. 前回の内容から新生児期における五感が単体で発達するのではなく、連動して発達していると感じたところが、バウアー博士による「まず知覚は全体的に未分化な状態にあり、発達とともにそれぞれの感覚に分化していく。つまり、視覚や聴覚、触覚などは新生児期には全部つながっており、発達とともに、視覚や聴覚に分化していく。」ところだったのかなと感じました。また、最後に「新生児は、環境にある特性を、特定の感覚に頼ることなく取り入れている」とありました。大人になると五感のうちのどれかに頼る形で過ごしていける印象があるので、暗いところで物を探す場合であれば触覚に頼る他ないと考えますが、新生児はいかなる場合でも五感をフルに使っていると考えると、その感覚がどんなものなのか、大人が五感を全て使わなければいけない環境、五感を全て研ぎ澄ますシチュエーションってどんな場合だろうと考えたりしてしまいました。

  5.  「感覚間協応」生まれたばかりの赤ちゃんがこのような力を携えていること、自分の口の中の感触からそれを具体物へと想像力を沸かさられること、本当にすごいことだと思います。新生児模倣への批判があることを知りましたが、どんなに素晴らしい研究、どんなに素晴らしい理論も批判にさらされてこそといった部分があるようです。どちらの意見にも耳を傾けられる心のゆとりを持っていたいと思いますし、どちらの意見も飲み込めるほどの理論へと昇華されていけば、それは本当に素晴らしいことです。反響が研究を推し進める原動力となるのならば、世間に溢れる反対意見というのは、その人の主張や主義を鼓舞するガソリンのようなものとも言えるのかもわかりません。

  6. ゛触覚的に認識していたものを視覚的に認識することができた゛という実験の姿から感覚のつながりは、五感という、感覚の一つ一つの役割には、他の感覚との情報共有がなされる、視覚から得た情報を知的に、触覚から得た情報を知的になど、組織化されたなかでこういった関連されていくものは、多様な関係性がある社会で生きていくことにも、置き換えられように感じました。こういった五感から
    得る情報は、脳の発達を助け、それをもとに考える力が育っていくのなかと思いました。それがごくごく自然に赤ちゃんに見られる行動にあると思うと、乳児からヒトのもつ力の偉大さを感じます。

  7. 「触覚的に認識していたものを視覚的に認識することができた」とありました。触覚的に認識したものが、視覚的にも同じものであるということが理解できるというのは、私たちは日々の生活で自然と行なっていると思います。なんとなくのイメージとして、これは経験をすることで、経験と経験が統合されることによって、学習するというような感覚を持ってしまいますが、そうではないのですね。生まれながらに持っているということに驚きを感じます。また「どの特定の感覚にも依存しない刺激作用の形式的で抽象的な特性に反応している」という言葉も印象的でした。「環境にある特性を、特定の感覚に頼ることなく」ともありましたが、このような身体感覚とも言うのでしょうか、理屈ではない感覚が「ダークセンス」にも繋がっていくのですかね。

  8. 何か新しい理論が解明されると、必ずと言っていいほど異論を唱える人が出てくるのでしょうか?特に「人間」という分野、さらには「赤ちゃん」という存在に関して言えば、まだまだ未知な事が多くあるように思います。だからこそ、面白いのかもしれません。藤森先生が言われる「ダークセンス」赤ちゃんは本当に持っているからこそ、研究者がそれぞれの考えを打ち出し、今だに議論を重ねているのでしょうね。そう考えると私たち現場というのは常に子ども達の姿を見ています。さらには集団を持っています。私たちも、ただ保育をしているのでなく、研究者という視点で子どもを見ることも大切のような気がします。

  9. 「生まれつき感覚間の協応は持っており、それは発達とともに構成されるものではないというものです。もうひとつの考え方は、バウアー博士によるもので、まず知覚は全体的に未分化な状態にあり、発達とともにそれぞれの感覚に分化していくのではないかというものです。つまり、視覚や聴覚、触覚などは新生児期には全部つながっており、発達とともに、視覚や聴覚に分化していく」という、2つの考え方があるのですね。未だに議論が尽きないという言葉がありましたが、それほど赤ちゃんの持つ力は魅力的なのだと思います。ブログを読んで新しいことを知り、実際に園で子どもたちと関わることができる環境に居られることがありがたいと感じました。

  10. 「視覚や聴覚、触覚などは新生児期には全部つながっており、発達とともに、視覚や聴覚に分化していくという考え方」というのが一番印象に残ります。この考え方は初めて聞いたように思いますがどうでしょう。更には『新生児は「どの特定の感覚にも依存しない刺激作用の形式的で抽象的な特性に反応している」』とあり新生児は5感というよりは持っている本能のままに感じたものに反応しているというような印象でしょうか。その感覚が少しずつ五感へと変化していくのでしょうか。より新生児の深さを感じさせてくれます。

  11. バウアー博士の行ったリーチングの実験、とても面白いですね。腕を取りたいものや、興味のある方向の伸ばすのは、普段から当たり前に行いすぎていて、何が面白いのかわかりませんでした。確かに、視覚情報と把握の行動距離、そして把握する力がないとできませんね。そしてそれが、感覚と感覚の関係、感覚間協応なんですね。普段、何気なく行動していますが、その行動の裏にある情報の伝達であったり、仕組みはとても複雑な動きをしているんだなと感じました。
    赤ちゃんのおしゃぶりの実験もとても面白い結果ですね。口の中に含んだ際に、おしゃぶりの形を理解し、それを記憶していたのでしょうか。自分の中の赤ちゃんの考えがどんどん変わっていきます。

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