シュルテン博士によって、心の特性が遺伝的に決まっているのか、環境によって決まるのかという問題から、どの程度環境的要因に由来し、どの程度遺伝的要因に由来するのか、という「輻輳説」が提案されました。この輻輳説は実証的に検証することが可能で、種々の心の特性を、遺伝的寄与率何%、環境的寄与率何%として明確に表現するそうです。例えば、知能の遺伝的寄与率は50~55%程度、環境の寄与率は45~50%程度といった具合だそうです。その方法として、一卵性双生児と二卵性双生児を比較検討した行動遺伝学手法を用いるようですが、すごいですね。こんなに明確に表わすことができるのですね。しかも、個人差がこんなにも微小とは驚きです。
さらに最近では、あらたな考え方が提唱されているようです。それは、遺伝と環境の相互作用を重視する「相互作用説」です。この立場によると、輻輳説のように遺伝と環境の影響を切り分けることはできず、実際には遺伝が環境に、また、環境が遺伝に影響を与え、相互作用する中で心の発達が生じると考えるというものです。発達心理学では、ピアジェの理論がこれに該当しますし、心理学者ゴットリーブ博士の理論もこの立場に位置すると言われています。
この立場からすると、遺伝か環境かという問い自体が無意味なものになります。ただし、この立場は、直感的にはよく理解できるものの、実証的な県境は難しく、その点を批判されることもあるそうです。以上にように、遺伝と環境の問題性をめぐる議論は、時代とともに変遷してきたようです。現在では、行動遺伝学が輻輳説を、発達心理学や生物学が相互作用説を検討しているのが現状だそうです。
では、日本における乳幼児観はどうだったのでしょうか?森口は、それを紹介しています。「赤い鳥」などの児童向け雑誌の発刊に見られるような子ども観については、教育学などで考察されていますし、扱う年齢が異なるために彼は、乳幼児についての考え方の推移を紹介しています。
民俗学の創始者である柳田国男は、座敷わらしについて報告したり、小児が持って生まれたものを尊重するべきだと、彼の著書「小さき者の聲」の中で述べたり、子どもについて多くの記述を残しています。その柳田が、「神にかわりてくる」のなかで「7歳までは神のうち」という考え方を示しています。こんな文章を森口は紹介しています。
「7歳になる迄は子供は神さまだと謂って居る地方があります。(中略)亡霊に対する畏怖最も強く、あらゆる方法を以て死人の再現を防がうとするやうな未開人でも、子供の霊だけには何等の戒慎をも必要とせず、寧ろ再び速かに生まれ直して来ることを願ひました。之とよく似た考へが精神生活の他の部分にもあったと見えまして、日本でも神さまに伴なふ古来の儀式にも、童兒でなければ勧められぬ色々の任務がありました。」
ここで見られるように、柳田は7歳までの子どもに神性を見出し、特別な価値を与えていると言います。この見方は、民俗学では古くからの乳幼児観として受け入れられており、一般にも広く受け入れられているように思えると森口は言います。この辺りのことは、以前のブログでも紹介しましたが、日本は世界でも珍しいくらいに子どもを大切に思い、育児は社会で担うものだという考え方が強い国民性だったような気がしています。