2017年ドイツ報告18

子どもたちが園庭で活発に遊ぶほど、子どもたちはさまざまな学びをしています。子どもだけでなく、人類は長い歴史の中で、さまざまな危険を顧みない冒険によって、いろいろなものを発見し、発明してきました。しかし、新しいものへの挑戦は、常にリスクを伴います。イギリスで始まった冒険遊び場運動という活動があります。そこには、こんな説明がされています。「子どもの身の回りには、”リスク”(子どもが判断し、挑戦することのできる危険)と、”ハザード”(子どもが判断できない危険)があります。冒険とは、自然環境や自己責任というリスクを、子ども自身の判断・挑戦で乗り越えることであり、それが冒険遊び場での楽しみの要素です。」

このような子どもの活動には、とうぜん「ケガ」が伴います。先日、認可外保育園の質を高めようといろいろと奮闘している人が尋ねてきました。彼は、認可外での問題に子どもの「ケガ」や「事故」があるということで、これをまずなくすことで質の向上がはかれるのではないかと考えていました。それは、ある意味で正しいと思います。まず、生命の保持、保障がなければどんな良い保育をしても意味がありません。しかし、こんな危惧されることを私は助言しました。それは、あまりにケガを恐れるあまりに、保育が萎縮してしまわないようにということです。ずいぶん前になるのですが、中国の保育士さんたちが数人私の園に見学に来たときに、非常に驚いたのが、子どもたちが園庭で走り回ったり、部屋の中をあちこち歩き回っている姿を見てでした。園庭を走り回る、部屋を歩き回るとケガをする確率が高まるということで、子どもたちは一日中椅子に座っているということでした。それは、ケガに対して保護者が苦情を言ってくるからだそうです。一日中椅子に座って何かをやらせていると、保護者は喜ぶそうです。ケガをしなくなるし、知識を学ぶからだそうです。

ドイツの冊子の園庭で遊んでいる子どもの姿の次のページには、こんな絵とともに、こんなコメントが書かれてあります。「あっ、デニズは転んだ!どこかケガをしなかった?どこか痛いところはない?ううん、大丈夫、なんでもないよ」ドイツでは、子どもたちは園庭を思い切り走り回ったり、自転車に乗ったりしていますが、ケガがとても少ないようです。もちろん、擦り傷やたんこぶはケガの内に入らないようですが。園内にも、救急箱が取り付けられているだけで、薬品類は一切ないそうです。こんな絵はがきも保護者に配られています。そこには、ハンツ・ヨアヒム・レーヴェンのこんな言葉が添えられています。「コブやかすり傷は子どもの権利」

先日紹介した「せたがやのほいく」には、「戸外で、ダイナミックに遊びます」というページの一コマに、こんな絵が描かれてあります。その右のコメントには、「自然はまた、寒い、暑いといった温感はもちろん、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る、…など、人間の五感をフルに感じさせてくれます。五感の働きの豊かさは、物事が深くわかるときの原点を豊かにしてくれ、さらに多少の刺激の変化にも耐えられる耐性も育って、「何があっても大丈夫!」と言えるようなたくましい子どもに育っていくのです。ただし、子どもが思いっきり遊ぶとき、どうしても避けられないのがケガです。転んだりぶつかったり、そのたびに子どもは多少痛い思いもするでしょう。もちろん、保育園は、重大な事故につながらないよう細心の注意を払い、安心安全な環境を保つ努力は欠かしません。小さなケガを乗り越え、身のこなしを自らの身体で覚えつつ、健やかに成長していく子どもたちの育ちを応援しています。」

2017年ドイツ報告18” への13件のコメント

  1. 今回のブログの冒頭部分にあった「リスク」と「ハザード」の違い、これはとても参考になります。子どもはリスクを回避できるように、大人はハザードを未然に防げるようにしなければならないことがわかります。園の「ヒヤリ・ハット」もリスクなのかハザードなのか、つまり子どもが回避できることなのか、そうではないのか、このへんの見極めを繰り返ししていくことの大切さにきづかされました。「あまりにケガを恐れるあまりに、保育が萎縮してしまわないようにということです」という助言はとても重要ですね。子どもを「見守る」、そして子どもが遊ぶ環境を「見守る」、これらが園の管理者や保育者に求められてくるのだろう、と思うのです。ドイツの「コブやかすり傷は子どもの権利」もいいのですが、「せたがやのほいく」の中の「「何があっても大丈夫!」って思える強い人間が育ったの」というセリフは保育園や幼稚園利用の保護者には是非気に留めておいてもらいたい点ですね。

  2. 「一日中椅子に座って何かをやらせている」という中国の事例には驚きですが、日本もそのような方向に向かうことは避けなくてはいけないように、仮に怪我が一つもなくても、一日中椅子に座っていることによる将来への「リスク」というものを、しっかりと説明できるような専門性も必要になってくるということでしょうか。それに対して、「せたがやのほいく」の「五感の働きの豊かさは、物事が深くわかるときの原点を豊かにしてくれ、さらに多少の刺激の変化にも耐えられる耐性も育って、「何があっても大丈夫!」と言えるようなたくましい子どもに育っていく」という明確な目標にもと砂遊びというものを捉えられると、保育の見方も変わってきますね。「何があっても大丈夫!」を生み出すためには、自ら行動して体験することが一番ですね。

  3. ドイツでも怪我に対する考え方は違いますね。というより本来の子どもの成長に関する怪我の捉え方は「子どもの身の回りには、”リスク”と、”ハザード”があります。冒険とは、自然環境や自己責任というリスクを、子ども自身の判断・挑戦で乗り越えることであり…」や「小さなケガを乗り越え、身のこなしを自らの身体で覚えつつ、健やかに成長していく子どもたちの育ちを応援しています」とあったように、多少のリスクを伴いながらも、子ども自ら怪我を回避するような力をつけていくことが大切ですが、なかなかこの認識が日本や保護者の多くの人にはないのかもしれませんね。子どもを大切に思う気持ちというのは分かりますが、大切だからこそ、そういう力をつけていかなければいけないのですが、なかなかですね。

  4. 中国では「一日中椅子に座って何かをやらせていると、保護者は喜ぶ」のですね。驚きました。人は失敗から学ぶとよく言われ、ケガにおいてはケースバイケースかもしれませんが、ケガも失敗の1つなのではないかと思います。私は幼いころ体を動かす遊びばかりやってきたので、よくケガをしていましたが、何をすればどうなってしまう可能性があるとか、体の構造的な部分もケガを通して学んできた気がしています。そして、「コブやかすり傷は子どもの権利」とありましたが、これはとても良い言葉ですね。このようなことを保護者に伝えるにも言葉だけよりも、コミックや絵を通して言葉を添えてあげると、より伝わるなと最後のコミックの一描写からも感じました。「何があっても大丈夫!」と言えるようなたくましい子どもに育っていくには、ケガを避ける活動をするのではなく、大きなケガにつながらないように配慮していきながら見守っていくスタンスが必要だと改めて感じました。

  5. ドイツの怪我に対する考え方はすごいですね。「コブやかすり傷は子どもの権利」とあります。なんとも逞しいですね。「せたがやほいく」の「なにがあっても大丈夫」というのもいいですね。怪我をしないようにするのではなく、怪我をしても大丈夫、もしくは怪我を未然に見極められる、ということが大切ですね。中国の怪我をしないために、ずっと椅子に座って何かをさせるという話には驚きですが、それをやることで保護者がケガをしなくなるし、知識を学ぶからという理由で喜ぶのはさらに驚きました。子ども達は楽しいのかな?と素直に思ってしまいました。ケガを恐れるあまりに、保育が萎縮してしまわないようにとあるように、何もしないのではなく、活動の中でのハザードを保育者が未然に察知することで怪我や事故を最小限に防ぐことが大切なのかなと感じました。

  6. 中国の保育園では〝子どもたちは一日中椅子に座っている〟ということに驚きますが、日本はどうなのでしょうか。もしかすると、それに近い保育施設もひょっとするとあるのかもしれないと思ってしまいます。テレビなどでよく四文字熟語をフラッシュカードに書いたものを子どもに読ませたり、絶対音感を育てるために先生がピアノで弾いた音階を真似して弾いてみたりというようなことがたまに紹介されていますが、どうなんでしょう。日本も中国のようにならないようにしていかなければならないと思います。一日中座って生活しているとどこがで動きたくなるように思いますが…。
    対して「せたがやのほいく」には〝多少の刺激の変化にも耐えられる耐性も育って、「何があっても大丈夫!」〟とあり、何があっても大丈夫というフレーズは頼もしさを感じます。大切なものは何かということを伝えていくことも専門性になるのでしょうね。

  7. 長男が今年から幼児クラスになり、園庭で思いっきり遊ぶようになりました。一週間に最低一回はどこかしら怪我をして帰ってきます。昨日は鬼ごっこか何かをしていた時にジャングルジムの中に逃げようとした時、ジャングルジムの棒におでこをぶつけたそうです。小さな切り傷をしましたが、おそらく息子は自分の身長とジャングルジムの高さを身をもって覚えたでしょうね。次からは同じような怪我はしないと思います。性格もあるのかもしれませんが、私自身も怪我をして痛い経験をしないと学ばないタイプなので、よく怪我をしました。

  8. 怪我というと確かにさせてはならないものでありますが、それを考えすぎて、保育が萎縮してしまっては、保育の質を下げることにも繋がり、こどもたちが「リスク」と「ハザード」をうまく理解できるような保育者からの働きかけや子どもが遊びのなかで知る体験が必要な気がします。
    遊びのなかでみられる怪我には、子どもの遊びが発展した結果というような理由もありますし、保育者からの介入というのも少なからず必要だと思いました。ドイツでは、゛擦り傷やたんこぶはケガの内に入らないようです゛とありました。そこからの「コブやかすり傷は子どもの権利」とあることが子どもが主体的ななかで生活し、子どもが体験のなかでリスクとハザードを知るというような情景が浮かびました

  9. 認可外保育園はいろいろとニュースで取り上げられたりと、今大変な時期でもあり、そうした中、ケガについて敏感になるのはわかる気がします。見守る保育を行う中でも、「リスク」と「ハザード」と聞くと思わず、避けるべきものと考えてしまいそうになりますが、「子どもが判断し、挑戦することのできる危険」と「子どもが判断できない危険」とかかれると、とても理解しやすいですね。いつも新年度の入園説明会で、ケガについてどう説明しようかということを悩んでいましたが、来年はこの言葉を使ってうまく説明してみたいと思います。「コブやかすり傷は子どもの権利」というのも、うまく園に取り入れてみたいと思います。

  10. 保育者として、「生命の保持、保障」が第一であること、そしてその中で子どもが自分で選択し自由に遊ぶことのできる環境を作っていくことが大切なのだと感じました。中国の保育では、保護者の苦情があるために一日中座らせていることが多いとありました。そしてそれを保護者が喜んでいるのですね。それは、国による価値観の違いもあるかもしれませんが、「人類は長い歴史の中で、さまざまな危険を顧みない冒険によって、いろいろなものを発見し、発明してきました」という文章のように、遊びの中で様々な発見をしてほしいものですね。生命の保持、保証を第一に多少のリスクを伴った遊びの中で学ぶことを大切にしていきたいです。そして、そのためにも保護者に理解を得て協力してもらえるような働きかけをしていきたいと感じました。

  11. 怪我のことで思い出すのは私が保育士になって1年目の時に、子どもが絆創膏を貼っていて、保護者に「これはどうしたのですか?」と聞かれて、わかりませんと答えしてしまったことです。私は子どもは怪我することは当たり前だし、絆創膏も沢山貼っていると考えていたので、思わずそのような返答をしたのですが、これを機に保護者がこんなにも軽い怪我(ドイツでは怪我と言わないのかもしれませんが)でも気にするのだとわかりました。自分が子どもの頃は転んだり怪我をすることが当たり前で、怪我していることも忘れて夢中に遊んでいたのですが、なかなかそういう時代ではなくなってきたのだなと感じますが、怪我は子どもの権利ですし、そこから学ぶことは沢山あるので、学びを大人側が奪ってしまうのは残念なことですね。

  12.  「コブやかすり傷は子どもの権利」本当にそうですね。いっそ義務にしてしまってはどうでしょうか。子どもに怪我をするなということが無理で、それを突き詰めていくと中国の見学者の方の話のような日中を過ごさせるしかできなくなってしまいます。自分の子どもを思い、子どもの怪我一つにして色々と聞いてくる保護者の方がいるとして、では、怪我をすることに怯えながら何十人もの子どもたちを見守っている保育者の気持ちは考えたことがあるのでしょうか。我が身可愛さは一旦置いておいて、子どもの真の成長を考え合えるように、その関係性を構築していくこと。園というハードばかりを増やすのではなく、やはり保育そのものに焦点があたらなければなりませんね。

  13. 昨今の怪我における対応は非常に難しいものになっていますね。しかし、対応をとればとるほど重大な怪我が多くなっている現状もあり、親のニーズと保育施設の意図とのすり合わせが難しくなっています。先日、ある研修で「幼稚園において決められた運動を指導されるよりも自由に遊ぶ方が幼児の運動の能力は高くなる」というのが2011年 杉原隆 氏の研究で出たということを知りました。子どもはしっかりと必要なことを遊びの中から得る力を持っているのに、おとなの「大きなお世話な保育」のせいでその力を失っている部分もあるのかもしれません。やはりまだまだ「してあげる」ということが日本においてとても求められることが多く、こういった結果を見るたびに考えさせられます。「コブやかすり傷は子どもの権利」こういった子ども観は今の日本には必要な考えですね。

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