道徳的感受性

社会的領域理論では、道徳的な判断や行動の基盤となる社会的認知の領域を「道徳」「慣習」「心理」という三つの領域に分けて考えています。最近の研究によると、3~4歳頃には、すでに道徳と慣習を区別することがある程度できるということがわかっています。では、道徳的感受性は、いつ頃から備わっているかというと、驚くべきことに、赤ちゃんでも、単純な物体の動きの中に、社会的意味を読み取っていることが明らかになっているそうです。以前紹介したように「助ける」ものと、「邪魔する」ものが区別できることがわかっています。このような行動の社会的評価に関わる乳児期の研究が、現在盛んに行なわれているそうです。

たとえば、ハムリンらは、生後6ヶ月ですでにポジティブな行動とネガティブな行動を区別することを紹介しています。彼らは、さらに幾何学図形だけでなく、動物の人形を使って、もっとリアルで自然な状況でも検討しています。たとえば、主人公の犬が箱のふたを開けようと悪戦苦闘しているときに、二匹のネコのうち、一方のネコが手助けをし、犬と一緒に箱のふたを引っ張り開けるというシーン(援助)と、もう一方のネコが箱のふたに乗っかり、開けるのを邪魔するというシーン(妨害)を見せました。その後、両方のネコの人形を見せたところ、5ヶ月の赤ちゃんでも手助けをしたネコの方を好んで選んだそうです。

ハムリンらの一連の研究によると、早ければ3ヶ月頃から乳児は援助した方を好むことが報告されているそうです。また、援助でも妨害でもない中立なものも加えると、生後3ヶ月では、中立なものを妨害したものより注視したのに対して、中立なものと援助したものでは差がなかったそうです。このことから、悪い行為に対する認識がより早い時期に現われることも示唆しているというのです。また、あらかじめ主人公が良い行為をした場合と悪い行為をした場合をそれぞれ設定したうえで、同様の実験も行なわれているそうです。すると、良い行為をした主人公の場合には、乳児は主人公を援助した方を選んだそうです。しかし、悪い行為をした主人公の場合には、乳児は逆に主人公を妨害した方を選んだそうです。

このように、文脈にあわせて社会的評価を変えることもできるようなのです。ハムリンは、一連の研究をまとめて、人は生後1年以内に、他者の第三者に対する向社会的/反社会的行為に対して評価ができると考えているそうです。子ども自身が実験場面にかかわる援助行動については、以前のブログで紹介したトマセロの研究が有名です。そのときに紹介した実験は、たとえば、実験者がある対象を落としてしまうのですが、その落とし物に手が届かず拾えないような場面で、14ヶ月から18ヶ月の乳児でも、すぐに拾うという行動が見られたというものです。また、12ヶ月児でも情報を必要としている大人と必要としていない大人がいれば、全社に対して、指さしする割合がより高くなるという実験です。このような研究から、人間は幼いときから、他者の援助行動を好むだけでなく、自分でも他者を助けたいと動機付けられていることがわかったというものです。

ほかにも近年の研究で、同情といった行動についても検討されていることも紹介します。たとえば、「攻撃者」である図形が「犠牲者」である図形を追いかけ、小突き、押しつぶす様子のアニメーションを10ヶ月の赤ちゃんに見せた研究では、アニメーションを提示後に両図形を提示したところ、犠牲者である図形のほうを選ぶ傾向が見られたのですが、両図形に接触がない場合には、選択的な反応は見られなかったことから、赤ちゃんが苦境にある他者に対して原初的な同情的態度を取る可能性を示唆しているということも紹介しましました。

道徳的感受性” への13件のコメント

  1. このような乳児の実験結果は驚くと同時に、嬉しくなるような結果です。子どもの持っている可能性が証明される、理解されるという嬉しさもありますが、人が本来持っている能力というのは本当に素晴らしいものだなということを感じ、嬉しくもあり、なんだか安心するようでもあります。また、ネガティヴな行動をした方と、ポジティヴな行動をした方では、後者を好んで選んだとありました。生後6ヶ月ですでにこのようなことができるということにも驚きですが、次の実験では生後3ヶ月での報告もありました。実験の結果としてここまで分かってきているということは、新生児や胎児の頃というなんだか無限の能力を感じさせるようでもありますね。そして、印象的だったのが「好んで選んだ」という言葉です。道徳的な行動をした対象を「好む」というのはなんだかいいですね。人は人との関係性の中で生きていくことを表しているようにも感じますし、このような力をもっと広げることができればとても素晴らしい世の中にいなっていくのではないかということを感じるようでもあります。

  2. 本当に様々な研究によって、乳児期からの道徳に対する考え方が言われており、「悪い行為に対する認識がより早い時期に現われることも示唆している」というのも、人類はそもそも規範の中にいることを好む生き物であることが伝わってきたり、「人間は幼いときから、他者の援助行動を好むだけでなく、自分でも他者を助けたいと動機付けられていることがわかった」という部分からも、自分が社会に貢献することを喜びと感じるようになっているという、人間の本来の姿というか、それこそ「人類の起源」でも言われていたような生まれながらにして備わっているものを再認識することで、乳幼児教育というものを考えていかなくてはならないのが感じられました。それこそ、保育者は子どもと共に育ち合う、忘れかけていたものを取り戻す作業を子どもに手伝ってもらうというスタンスがいいのかもしれないとも思いました。

  3. ハムリンらの赤ちゃんに対する様々な研究に驚きましたが、「早ければ3ヶ月頃から乳児は援助した方を好むこと」がわかっていることには特に驚きました。改めて赤ちゃんから学ばせてもらえることや忘れていたことを再び呼び起こしてもらえる可能性を強く感じた内容でした。また「人間は幼いときから、他者の援助行動を好むだけでなく、自分でも他者を助けたいと動機付けられていることがわかった」とあったことは今までに紹介していただいた「指差し」などの実験や日常の子どもたちの実際の姿からも感じることができます。さらには「同情」といった行動についても研究がされているのですね。「両図形に接触がない場合には、選択的な反応は見られなかった」ことに赤ちゃんらしさ、原初的な部分が見られますね。赤ちゃんの様々な研究結果を知ると、下手な邪念といいますか、そのような邪魔がなく、原初的な素直な感情がストレートに出ることにも初心に帰らせてもらえるきっかけのようなものを感じることができます。

  4. ここにある実験の結果は驚くばかりか、人間の本来の姿がどのようなものであるのか、ということを示しているように思えます。〝人間は幼いときから、他者の援助行動を好むだけでなく、自分でも他者を助けたいと動機付けられていることがわかった〟という部分から援助や助け、貢献のようなものは備わって生まれてくるものであるということを感じさせます。
    そこから考え直していくと、自分たちも子どもたちも共に育っていく、大人になっていく過程で落としていった大切なものを、子どもたちから感じながらというような姿勢でいる方が、楽しむことができるのではないかと思いました。
    それはまさに「共生と貢献」という理念がしっくりはまるのだと感じました。

  5. 「赤ちゃんでも、単純な物体の動きの中に、社会的意味を読み取っていること」という話は、先生からお聞きしたことがあります。ですが、「社会的認知の領域を「道徳」「慣習」「心理」という三つの領域に分けて」というようにより細かく動きを知ると、乳児のすごさをまた改めて感じます。また様々な乳児の検証が行われる中、「悪い行為に対する認識がより早い時期に現われること」というのは、面白いですね。生きるためには、良いことをしてくれる人も大切だが、それよりも危険なものはよく知らなければいけないといった人類の進化でしょうか。こうしたことは保育の現場にいると、幼児時期においても、同じような姿が見られる気がします。

  6. ハムリンらの行なった実験、とっても面白いですね。同時にものすごく驚きました。犬が箱をはけようとして、それを妨害、援助する実験で、援助した方の猫の人形を好むんですね。赤ちゃんにも、味方意識とでも言うのでしょうか、自分が仲良くなりたいと思う対象を選択しているように思えます。それだけでなく、犬が箱を開けようとしている、しかし、何かが原因で開けられず、困っている。そこに登場する猫、とストーリーをしっかり理解していることにも驚きでした。犬が困っているという状況理解がなければ、援助と妨害の区別はできないですよね。しかも、主人公が悪い行動をした場合は主人公を妨害した方を好むという実験結果もとてもびっくりでした。「良い行動」「悪い行動」の区別ができているんですね。乳児のうちから道徳心があるというところと繋がりました。

  7. 赤ちゃんの人間存在として卓越性が「社会的領域理論」からも立証されているのということを今回のブログから知ることができます。赤ちゃんは何も知らない、何もできない、それ故、大人がイニシアティブをとって、あれこれやってあげなければならない、という大人の思いの傲慢さ、尊大さを逆に思い知らされます。無論、発達上の課題を赤ちゃんは抱えています。その課題の克服に私たちが手助けしなければならないことは言うを待ちません。しかし、このことと赤ちゃんが本来有している可能性については、しっかり区別する必要があるでしょう。赤ちゃんといえども、立派な人格者、主体存在であるという認識の再確認を私たち大人は要請されているような気がするのです。赤ちゃんを主体に考えるならば、大人の都合で保育するある種の形態は、やはり問題あり、とせざるを得ないのです。今回のブログで例示されている、赤ちゃんの指差し行動の意味に触れるにつけ、赤ちゃん存在の、我々大人との等価性、あるいは優位性、に私たちは思いを馳せることが肝要かと思うのです。

  8. ゛早ければ3ヶ月頃から乳児は援助した方を好むこと゛というハムリン氏らの研究から上がってきたものは、人は生まれながらに社会生活を育む、集団生活で必要な協力であったり、助け合う力を持っているのだと改めて感じるところです。赤ちゃんはもちろん、しゃべれませんし、3ヶ月ごろでは、行動的な協力は、難しいところがありますが、視覚情報からは十分に共生するものへ好意を持っています。人類がもつ集団でいきるということは、道徳心をもつ生き方を赤ちゃんの頃からしていると頭にいれておくべきであることを感じ、人格者としての関わり方を保育のなかでしていくべきだと考えます。

  9. 今回のブログを読んでも、やっぱり赤ちゃんはすごいなと感心してしまいます。『人間は幼いときから、他者の援助行動を好むだけでなく、自分でも他者を助けたいと動機付けられていることがわかったというものです』という文章からは、人間はもともと誰しも、他者に対して優しくしたり思いやりを持っていることが分かります。赤ちゃんに差がなかったとしたら、思いやりの心は年齢とともに衰退していく可能性があるということになってしまいますね。そう考えると、赤ちゃんを取り巻く、環境がどれほど大切か理解できます。人間の大人たちが子どもたちのモデルになっていることを理解し、そのうえで人との関わり方を考えていかなくてはいけませんね。

  10. 「ハムリンらの一連の研究によると、早ければ3ヶ月頃から乳児は援助した方を好むことが報告されているそうです。」とありましたが、何もできないと思われている3ヶ月の赤ちゃんが判断をしていることには驚かされますし、こうやって赤ちゃんの可能性が広がっていくことにワクワクしますね。
    話せない赤ちゃんが視覚的に判断できるということは、大人の行動も良く観察しているということでしょう。大人は子どものモデルとありますが、やはりポジティブな養育が大切になるでしょうね。

  11. ますます赤ちゃんの隠された能力に驚かされます。ブログを読むと同時に、次男と照らし合わせてみると、既に道徳と慣習を区別できているのですね・・・正直、信じにくいですが(笑)ブログでも何度も書かれていますが、もともと他者の援助行動を好むだけでなく、自分でも他者を助けたいと動機付けられていることが分かったならば、その能力を持続させ、より高度にさせるために保育者はどのような関わりをしなければいけないのか?また環境を用意すればいいのか?課題が見えてくると思います。大人が先回り何でもやってしまうことは、赤ちゃんの他者を助けようとする貴重な能力を低下させてしまうような気がします。

  12.  「早ければ3ヶ月頃から乳児は援助した方を好むことが報告されている」いよいよその月齢は下がっていきますね。それはやがて胎児の研究へと進み、それを人類の進化が裏づけていくのでしょう。
     こうして研究が裏づけとなり、赤ちゃんの偉大さというものを社会が認識していくのでしょうが、なぜでしょう、先生の言葉にいつも触れているからでしょうか、やっぱり!と言いたくなるような気持ちになります。0歳児クラスを担当してその思いは一層強くなりました。「人間は幼いときから、他者の援助行動を好むだけでなく、自分でも他者を助けたいと動機付けられていることがわかった」だからこそ赤ちゃんを、子どもを大切にする社会にならなくてはならないのだと思います。

  13. 面白いですね。良い行為・中立の行為・悪い行為の中で悪い行いに関しては早く認識が始まるのですね。中立の行為と悪い行為の認識まで感覚として見ているというのは面白いですね。悪い行いだけ先に認識するのは何か意味があるのでしょうか。社会性を持つことにおいて、先に悪い行為を認識することは赤ちゃんが他者に援助行為を好むことにつながっているのでしょうか。援助行為をする相手を見つけるためにはそもそも自分にとって有益な人なのかを認識するためにも、こういった認識機能の遺伝子は必要になっているのかもしれませんね。赤ちゃんの能力、持っている力を実験によって知ることはとても面白い結果が出てくるのでわくわくします。

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