道徳教育

私は以前から赤ちゃんが持っているさまざまな道徳に対する認識を紹介してきました。援助行動が14ヶ月から18ヶ月の乳児でもみられ、また、12ヶ月児でも情報を必要としている大人に指さしすること、また、同情といった行動を行なうことなどです。さらに、公平感についての認識も乳児から持っているということも紹介しました。このように、赤ちゃんや幼児期初期という幼い年齢を対象にした近年の研究から、援助や同情、公平感など道徳性の発達の基盤といえる認識や行動が、すでに早い時期から備わっていることが明らかになりつつあると言えます。林は、「道徳性は本能であり、言葉と同様に生得的な基盤があると言えるのか、それとも生まれからわずかの時期であっても、日々の社会的な相互作用によって、道徳性の基盤が獲得されるのか、どちらの考え方もあると思われますが、いずれにしても、人間はかなり幼い頃からすでに道徳性の萌芽が見られ、直観的に判断することはたしかなようです。

このような知見に対して、小学校での道徳の教科化をどう考えればいいのでしょうか?林は、こんな経験を紹介しています。小学校の教育実習を終えた学生からこんな感想を聞いたのです。「実習で道徳の授業をしましたが、道徳を教えるのは難しかったです。人間の道徳的判断は必ずしも論理的でもない…じゃあ道徳は授業として、どうすればよいのだろう?と思いました。」この学生は、実習先で道徳の研究授業を行ない、自分で教材や指導案をいろいろ考えていたのだそうです。

林はこう考えています。教育現場の道徳の授業では、子どもたちにお話を聞かせて、登場人物の気持ちを深く考えさせたり、議論させたりするので、かなり理性的な判断が求められます。たとえば、やはり以前紹介した「ハインツのジレンマ」は、道徳教育の教材としてしばしば使われ、病気の妻を救うために、やむなく薬と盗んだハインツの行動は許されるのかどうかを議論させたりします。ところが、林は、ちょうど実習から戻ってきた直後の彼の授業でトロッコ問題や赤ちゃんの道徳感受性の研究に触れ、人間の道徳的判断が必ずしも論理的ではないと学生に話したところ、彼らは驚いたそうです。徹夜になるほど授業の準備をして、子どもたちに理性的な議論をさせたことは何だったのかと感じたのではないかと林は推測しています。

そこで、林はその翌週の授業で、次のように答えたそうです。「人間は直感だけでなく、その後、理性的に考えることができる。すなわち、時間があれば行動をコントロールできるところに大きな特徴がありますよね。したがって、人間の道徳的な判断が、仮に瞬間的には直感だとしても、その直感だけに左右されず、理性的に考えることの大切さを指導するというところに、道徳教育のポイントを持っていけるのではないでしょうか。

彼はこう考えているようです。人間の瞬時の直観的判断は重要です。たとえば、捕食者に出会った際に、その都度時間を掛けて逃げるべきか否かを論理的に判断していれば、人間は捕食されて大昔に絶滅していたはずです。進化的は観点を考慮すれば、このように直感的判断は重要ですので、道徳的判断にも進化的な適応により、さまざまな直感的な認識が備わっていると考えられると言います。

道徳教育” への14件のコメント

  1. 道徳性を人は幼い頃から、また生まれながらに持っているということがわかれば分かるほど、やはりい問題になるのは小学校における道徳教育になるように思います。道徳は教科として教えることはできないという方向に私も思いを強くしてしまいがちになるので、ついつい否定的に捉えてしまうのですが、林さんの「人間の道徳的な判断が、仮に瞬間的には直感だとしても、その直感だけに左右されず、理性的に考えることの大切さを指導するというところに、道徳教育のポイントを持っていけるのではないでしょうか」という言葉が印象的でした。理性的に考えることの大切さの部分、私自身、それが具体的にどういう場面なのかすぐには思い浮かばないのですが、例えば、人との関係、社会との関係の中で、ここではこういう風に振る舞った方が相手を傷つけないとか、ざっくりとした表現ではありますが、事がうまく運ぶという事があるように思います。そういった場面がこの理性的な行動になっていくのでしょうか。

  2. 「道徳を教える」ということはどういうことなのでしょうね。人によってそれぞれの正義がある中、社会的規範によって成り立っている世の中には、それこそこれが道徳教育であるというのは難しいにしろ、人がどのように生き抜いてきたのかというところにも関連があるということなのですね。善悪を判断するための道徳ではなく、「人」を学ぶ場でもあるだろうし、日々の生活の中にある一瞬一瞬にフォーカスを当てやすくするための場が「道徳」の授業の形でもあるのでしょうか。林氏は、道徳教育というものを「人間の道徳的な判断が、仮に瞬間的には直感だとしても、その直感だけに左右されず、理性的に考えることの大切さを指導するというところ」と定義し、その場の結果の判断の是非ではなく、将来考え続けるであろう「道徳」というものを提案しているよう強く感じました。

  3. 道徳は必ずしも論理的でないという言葉が印象的でした。論理的な問題ではなく、個人の直感に依存する部分が多いのだろうなとかんじました。となると、なおさら、道徳を教えるというのは難しいような気がしますね。自分はただでさえ、頭でっかちで理屈でもの事を考えがちですので、直感が大切な道徳を子どもたちに伝えるとなると相当難しい気がします。
    人間は道徳的な判断が、仮に瞬間的には直感だとしても、その直感だけに左右されず、理性的に考えることの大切とあります。ここが論理的ではなく理性的という言葉を使っていることが大切な部分かなと思いました。人間の外で構成される論理的ではなく、人間の中にある理性が重要という意味なのかなと解釈しました。

  4. 道徳性は本能か、生後間もなくのことなのか、どちらの説も確証がないものの、「いずれにしても、人間はかなり幼い頃からすでに道徳性の萌芽が見られ、直観的に判断すること」は確かなのですね。そうであれば、尚一層「小学校での道徳の教科化」をどう考えていくかは重要なことですね。しかし、「人間の道徳的判断が必ずしも論理的ではない」とありました。教科化をするということ、授業といった形になると、論理的な部分が強く出る印象なので、果たして道徳において教科化は正しい形なのかという疑問が頭をよぎってしまいます。また「理性的に考えることの大切さを指導するというところに、道徳教育のポイントがある」とあり、この点においても教科化のような教科カリキュラムではなく、体験を通した経験カリキュラムの方が良い気がします。道徳の授業をするのであれば、ゲーム形式のような形で道徳性を培える手段が良いのかなあと考えたりもしました。

  5. 道徳が教科になり、人から教わるのはどうなんだろうという疑問が湧いていた時の〝人間の道徳的な判断が、仮に瞬間的には直感だとしても、その直感だけに左右されず、理性的に考えることの大切さを指導する〟というところにポイントを置くということであるのならば、湧いていた疑問でモヤモヤしていた胸の中がスッキリとしました。
    道徳には直感的な部分が働くというだけであれば確かに、人間は進化の過程のある程度で止まっていたのかもしれません。振り返り、反省などしていくことで、した経験を次にいかせる、いかすことに繋がるのではないのかと思いました。
    道徳というものがそのようなものであるのなら、これから先の将来に欠かすことのできないものであるのだと思います。

  6. 「援助や同情、公平感など道徳性の発達の基盤といえる認識や行動が、すでに早い時期から備わっている」とあるように道徳に関する概念が幼いころからあるとすると、それがしっかりとできていなかった場合にそれを教えることは難しいというのを感じます。こうした道徳観の違いが国の違いでもあるようにも感じますが、私たち保育の現場にある者たちがこうした道徳観が幼いころに定まってくるということを知っているというのは大切なことですね。そして、その中でも直感的な感覚も大切にしなければいけないこと。子供たちの将来というものをしっかりと考え、よりよい環境を用意していきたいものですね。

  7. 実習生が悩むのもなんだかわかります。道徳の授業をすれば、道徳が身につくという問題ではありませんね。
    「その直感だけに左右されず、理性的に考えることの大切さを指導するというところに、道徳教育のポイントを持っていけるのではないでしょうか」とありましたが、私たちは感情というものを持ちます。その感情にまかせて生きるということはできません。感情的になりながらも自己コントロールし、理性的に考えなくてはいけません。そして、失敗したとしても私たちは次の行動につなぐことができますし、それが人間の本質なのかなと思います。

  8. 道徳性というものは教えれるものではなく、直感的に感じるものであることを理解した上で、私たちは、社会生活、集団で生きていくなかで、その自分の直観が100%と正しいわけではない、それを、相手と分かち合えるからこそ、道徳心というものは、育つ部分があるのではないだろうかと考えられます。さらに、この゛人間は直感だけでなく、その後、理性的に考えることができる。゛といった点は、考える力、非認知能力の部分が入ってくるように考えれ、゛進化的は観点を考慮すれば、このように直感的判断は重要ですので、道徳的判断にも進化的な適応により、さまざまな直感的な認識が備わっている゛ということは、経験や感じたこと、など様々な事柄によって、直感力というものは、より道徳心が社会性を帯びたものになってくるのではと思いました。

  9. 今の時代、科学の進化のおかげで生活がとても便利になりました。とくにインターネット、スマホの普及により誰でも簡単に世界中の情報を得られるようになり、今後ますます進化していくのだろうと思います。しかし、逆の見方をすると自分で考えるという事が少なくなってくている気がします。先日職場で起きたことですが、手作りおやつを職員分用意するため、コップを数えた時に、今年入った新人が今日は二人休みなので、これだけです。とコップを用意しました。その時私が「本当に合ってる?数え忘れている人がいるんじゃない?」と冗談で言うと、見事に足りなかったのです(笑)彼も何でもすぐにスマホで調べて、何でもすぐ頭で考えようとするタイプなので、直感力が鈍っている気がしました。私も大して変わらないと思いますが、直感力というのは鍛える事が可能だと思います。瞬間的に直感で判断しても、その後に理性的に考えることができれば、その判断の善し悪しが分かります。そうした体験をしていく中で鍛えられ、結果的に道徳的判断にもつながっていくのだと思います。

  10. 小学校の授業で、子どもたちに道徳を教えることは、難しいだろうなと想像できます。自分が、小学校の授業で受けた道徳の授業というのは、登場人物の気持ちになって考えたり、他の人とどう思うか話し合ったりする授業でした。正解がないので、他の人の気持ちに立つ経験、他の人の意見を聞くことを身につけていたのかなと感じます。
    文中に「人間は直感だけでなく、その後、理性的に考えることができる」とありました。直感だけに頼らずに、他の視点から考えてみたり、他者の気持ちになって考えてみたり、柔軟性を大事にしていきたいと感じました。
    個人的に、道徳と会うのはたくさんの人と関わり、その中で学んでいくものだと思っています。
    子どもたちの、異年齢との関わりや保育者との関わりを大切にして、道徳を学べるような環境を作っていくのも、保育者として大切になってくるのかもしれませんね。

  11. 教育実習を終えた学生さんの感想というのは実に現実的なように感じます。おそらく道徳の授業をするとなり準備をしていく段階で誰もがぶつかる壁のようですね。道徳を教える?と少しはてなが浮ぶかもしれません。林氏の「人間は直感だけでなく、その後、理性的に考えることができる。すなわち、時間があれば行動をコントロールできるところに大きな特徴がありますよね。したがって、人間の道徳的な判断が、仮に瞬間的には直感だとしても、その直感だけに左右されず、理性的に考えることの大切さを指導するというところに、道徳教育のポイントを持っていけるのではないでしょうか」という部分に大きくうなずきますね。大まかには理解できますが、具体的にどうしろと聞かれると難しくも感じます。

  12. この道徳に関しては、やはり若干でも哲学をかじってしまった私自身としては、果たして何と言っていいのやら、というところが本音で、これが「教育」として子どもたちに教えられるとは一体どういうことか、と考え込んでしまいます。哲学の課題は「神・世界・人間」のことなのですが、この道徳とは狭義の意味では「人間」、広義の意味ではこれら三つの全てということになりますね。まぁ、学問としての道徳を考え始めると、どうしようもないドツボに嵌まってどっぴんしゃんの世界に飛び込んでしまいます。ということで、道徳とは人間関係のことですから、やはり、人々の中で人が生きていくこととはどういうことかということで、この世に生まれて即座に私たちが学び始めることなのでしょう。それが直感的、あるいは理性的にうまく運べばいいのでしょう。それにしても学校のお教室における授業の一つとしての「道徳」、はてさてどういうことに成るのでしょうか。

  13.  「人間の道徳的な判断が、仮に瞬間的には直感だとしても、その直感だけに左右されず、理性的に考えることの大切さを指導するというところに、道徳教育のポイントを持っていけるのではないでしょうか。」素晴らしい見解ですね。浅慮な頭としては、小学校における道徳教育のトンネルから抜け出す方法が明記されたように感じられます。むしろ道徳教育というものは保育の世界において行われるべきで、それは赤ちゃんが元々備わって生まれてくるが故に、それを阻害することなく育める環境を整えることではないかと思っていました。しかし、それを土台としながら、上記文章のような教育がなされるとするならば、道徳というものへの深まりが望まれますね。道徳は教育できるものなのだということを、改めて認識しました。

  14. 人は直観的な判断と理性的な意識を考えることができるところに道徳教育のポイントがあるのですね。確かに人は直観的に判断するだけではなく、葛藤が起こることがあります。それこそが「ハインツのジレンマ」であったり、「トロッコ問題」といった人間の悩む部分であるのでしょうね。どちらに偏ってもいけないのでしょうし、どちらの考えもあるからこそ、その時々の最適な判断をして生存戦略の中で種を残してこれたのでしょうね。とすると、一つの価値観に統合するような現在の道徳教育を行うより、それぞれの価値観を認めるような教育を行っていかなければいけないということがよくわかります。そして、それは小学校からではなく、乳幼児から始まっているということはもっと意識して考えていかなければいけないのだということがわかります。

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