生得的

道徳的判断の発達を見ていくと、それは何歳頃から何々ができるようになるというようなことの研究について、なんだか不思議な気がします。なぜかというと、その発達を遂げている年齢なっても、というより、最近の大人の行動を見ると、本当に発達を遂げているのだろうかと疑わしい言動を見聞きすることが多いからです。「知っていたら結果を予見できたので悪いが、知らなかったから結果を予見できず仕方がない」という構図はよく見ますし、子どもはまだ発達が十分でないために、悪事を働いたのが自分にとって嫌いな人物だったとしても、自分は嫌いという感情を抑制できなければ、不当にその人物を厳しく社会的に評価したり、罰したりすることにもなりかねないと言います。また、子どもは、自分自身が関与することで、抑制が働きにくくなる傾向になるということも、よく大人でも見られます。

ハイトは、道徳的判断では、まず直観的判断があり、それを正当化する道徳的な理由付けがあとから生み出されることを強調しています。彼は、「道徳は(進化した一連の本能として)生得的なものであるとともに、学習されたものでもある(子どもは、特定の文化の中で生得的な本能を適用する方法を学習していく)」と述べているそうです。林は、これは、ことばの発達と類似しているとも言えそうだと言います。言語能力は生得的なものと考えられていますが、何もない状態でことばが話せるようになるわけではないのです。子どもは、まわりの大人が話していることばを繰り返し耳にすることで、話せるようになっていくのです。さらに、耳にすることばによって、さまざまな言語に対応していくのです。道徳性も似た面がありそうだと考えているのです。

人間は道徳的な感受性、あるいはそのような処理をするメカニズムを生得的に持って生まれてきますが、何もない状態では、そのメカニズムは適切に発達しないかもしれないと林は言うのです。生後に受ける教育や文化の影響によって、その道徳的感受性が開花するのです。そして、受ける教育や環境の違いによって、文化による規範意識の違いに対応していくとともに、理性的な道徳的判断ができるようになっていくと考えられているのです。

このようにハイドがいうように、道徳は学習されるものであるとすると、教育の面はますます大事になるであろうと林は言います。とくに幼児期から児童期の始め頃は、発達の個人差も大きいので、標準的な誤信念課題に正答できる年齢であっても、実際の対人場面ではほかの子どもがどう感じるかをあまり意識できない子どもがいても、不思議ではないのです。

ここまでの知見を見ると、私はいろいろと考えることがあります。まず、道徳的な感受性は生得的であるということは、その後の教育によって学習されるとすると、その教育はエデュケーションという「引き出される」という意味に近く、教え込むということではないと思います。しかも、言語と同じようにまわりの大人からの影響が大きいとすると、環境がとても重要であるということがわかります。それは、大人になってからも、自分の周りの人たちの道徳的判断がずいぶんと影響するようです。そのような環境にいると、また、そのような文化の中で育ていると、自分のそのような道徳的判断をするようになってしまうのでしょう。また、子どもの日常的な場面のなかで学習していくとしたら、やはり幼児期から子どもの社会的ネットワークの中で、経験を積み重ねていく必要があるのではないでしょうか?

生得的” への13件のコメント

  1. 「道徳は生得的なものであるとともに、学習されたものでもある」ということが言語の発達と似ているとありましたが、とても分かりやすいですね。「何もない状態では、そのメカニズムは適切に発達しないかもしれない」とあるように、生得的でありながら、いかにその後の環境によって引き出すのかということが大切であると感じます。最後にもありましたが、それがまさに本来の教育の意味であるエデュケーションになるのですね。また「そのような環境にいると、また、そのような文化の中で育ていると、自分もそのような道徳的判断をするようになってしまうのでしょう」ともありましたが、まさにそうですね。これは自分自身もですが、思い当たる部分がいくつか思い出されます。みんながやっているからではありませんが、なんだかそれに似た感覚というのがあるように思います。また、子どもの頃は、身近な大人がやっていること=正しいことというか、自分もやっていいことというような感覚がありました。そう思うと、子どもに関する環境の構成や、大人を取り巻く環境を冷静にみる力のようなものも大切になってくるのかもしれません。

  2. 「耳にすることばによって、さまざまな言語に対応していくのです。道徳性も似た面がありそうだと考えている」というように、道徳というものを、言語能力の発達の仕方と類似している点があり、非常にわかりやすかったです。もともと持つべきものとして遺伝子は働きますが、それが表出するのは周囲の道徳的思考や行動に触れているということが重要でもあるということなのですね。大人になれば、全員がそれを獲得できるというわけではなく、それを引き出せる環境下に身をおいてあげるという、大人の役割が見えてきました。そして、同時に乳幼児期の大切さがひしひしと伝わってきますね。「大人になってからも、自分の周りの人たちの道徳的判断がずいぶんと影響する」というように、生涯を通して、道徳性というものを学び続けること、またはそうしていかなければならないということも感じます。

  3. 「道徳は、生得的なものであるとともに、学習されたものでもある」とありました。さらに「耳にすることばによって、さまざまな言語に対応していくのです。道徳性も似た面がありそうだと考えられている」とあり、道徳にもある学習性がよりわかりやすかったです。言葉では大人になってからも学んで習得していった言葉といいますか、言い回しのようなものが多くある気がしています。そして「大人になってからも、自分の周りの人たちの道徳的判断がずいぶんと影響するようです」とある通り、その点も道徳性と似た面があるなと私も感じました。また、最後にあった「子どもの日常的な場面のなかで学習していくとしたら、やはり幼児期から子どもの社会的ネットワークの中で、経験を積み重ねていく必要があるのではないでしょうか?」からは、改めて日常というものの大切さを感じたと同時に、幼児期からの子ども集団の必要性を強く感じることができました。

  4. 〝人間は道徳的な感受性、あるいはそのような処理をするメカニズムを生得的に持って生まれてきますが、何もない状態では、そのメカニズムは適切に発達しないかもしれない〟とあり、これは言語の発達と似ているということでした。
    藤森先生が最後の方に書かれてある通り、だとするなら、その子の周りの環境が重要なものとなってくるのは当然のことですね。
    もともともって生まれてくるものが、周りの道徳的な判断や思考、文化などの影響を受けて、表出するものであるということは、それに触れておくということが重要なことになり、大人はその環境に触れさせてあげるということが重要なものとなってくるのだと思います。
    子どもたちの周りの大人の役割がここにみえてきたように感じました。

  5. 最後に書いてありました、「道徳的な感受性は生得的であるということは、その後の教育によって学習されるとすると、その教育はエデュケーションという「引き出される」という意味に近く、教え込むということではない」という文章がとても印象に残りました。子ども達はその力を持っているんですね。その力を十分に発揮できる環境、引き出せるようにする対応が自分らの役割なのかなと思いました。大人の行動一つ一つを子ども達は見ています。行動の選択には十分考えて行かないなと思いました。主に言葉の選択には気をつけていきたいです。それだけでなく、子どもの社会的ネットワークの中で、経験を積み重ねていくことが大切とあり、集団での生活の重要性につながるなと感じました。

  6. ゛「道徳は(進化した一連の本能として)生得的なものであるとともに、学習されたものでもある(子どもは、特定の文化の中で生得的な本能を適用する方法を学習していく)」゛とあり、生まれながらに備わっているものであるその道徳がいかに社会生活のなかで学習、教育されていくのか、環境という人類を取り巻く環境は、多様性を持ち決まり決まったものはありません。そんななか、教育として生得的な部分を引き出せるか私たちはそのような点を考えておかなければならないと思いました。脳が育っていく時期に、また、心の理論、道徳心など、特に産まれての6年間というのは、一生の人生の形を構成するのだろうなと思いました。

  7. 今回の内容もとても興味深いものでした。道徳的な感受性は生得的であるもので、教え込むというより、「引き出される」という表現が印象的でした。また、言語と同じように周りの大人たちからの影響が大きいことから、環境の大切さを改めて感じます。
    冒頭にありました、最近の大人の様子について、昔と現在の家族のあり方や、地域での関わりの減少などが背景にあるのかな?と思いました。私の同級生にも、両親が共働きで、幼い頃1人であることが多かった、という人が何人もいます。そういった、社会の変化によって、適切な環境で幼少期を過ごしている子が少なくなってきているのかもしれませんね。
    子どもたちの、身の回りの環境の大切さや、社会の変化に敏感であること、そしてその上で子どもとどのように関わったらいいか考えることも保育士の役割だと感じました。

  8. 「子どもは、まわりの大人が話していることばを繰り返し耳にすることで、話せるようになっていくのです」という言葉の獲得と同じように道徳性もこうした大人のやりとりを見て獲得していくのですね。そうすると本文にもあるように環境が大事になってくることごわかります。その環境として用意すべきなのは幼児期からの子ども社会ネットワークなのですね。子ども同士の道徳性をそれぞれに発揮し、どんな道徳性に触れるかが大切になってくるのですかね。大人の考える道徳性にも触れジレンマを感じたり共感したりして構築されていくのでしょうね。子ども同士の道徳性というので自分の道徳性が引き出されていくイメージというのも具体的にどういうことか考えてみなくてはならないなと感じます。

  9. 道徳的判断がどのように身についていくのかというのがとてもよくわかりました。「道徳は生得的なものであるとともに、学習されたものでもある」とありましたが、その後の周りの環境という学習の場においてどのように影響されるか。それがあるからこそ、それぞれの道徳観に少しずつの違いがあるのでしょうね。個人的に保育感ということについても同じようなことが言えるのではないかと思います。周りの環境でどのように学んでいくか。それはどのような面においても大切で、子どもたちの環境に大きく影響する私たちがしっかりと意識していくことは大切ですね。

  10. 改めて「環境」の大切さを感じた内容でした。確かに自分が育ってきた環境がいつの間にか当たり前のように感じ、社会に出たときに色々なところで矛盾を感じるのではないでしょうか。私自身、田舎から東京に出て、そして就職して初めて社会を知った気がしました。
    道徳の教育。この言葉を聞いて、どれくらいの人が「道徳を教えないといけない」と思うのでしょうか。ブログに書いてあるように「引き出す」ことが教育であり、教え込むというのは意味が違ってきます。日常的な場面で学習していくとなると、やはり普段、子どもと接する時間が長い保育者は気を付けないといけませんね。

  11.  「ことばの発達と類似している」「人間は道徳的な感受性、あるいはそのような処理をするメカニズムを生得的に持って生まれてきますが、何もない状態では、そのメカニズムは適切に発達しないかもしれない」なるほど道徳が人間が生きていく限りその人間の中で厚くなっていく理由がわかった気がしました。言葉は大人になっても本や様々な人との交流の中などから、語彙を増やし、表現力を増していきます。それと同じように、道徳もまた子どもたちも生得的にもってうまれたものを伸ばしていくのですね。「道徳的な感受性は生得的であるということは、その後の教育によって学習されるとすると、その教育はエデュケーションという『引き出される』という意味に近く、教え込むということではないと思います。」本当にそうだと思いました。

  12. 人間の道徳性と言語能力の類似性を指摘する林氏に同感します。道徳はたいていの場合宗教性と通じるところがあります。道徳性の根底には価値にたいするある種信念が存在しており、それ故宗教性に通じると言えるのでしょう。道徳は生得的であり、かつ生後獲得されるという性質を有しています。その意味で、自分は如何なる周囲環境の中で育ち来るか、どのような社会ネットワークの中に生き続けてきたか、このことがとても重要になることは全くその通りだと思うのです。「その発達を遂げている年齢なっても、というより、最近の大人の行動を見ると、本当に発達を遂げているのだろうかと疑わしい言動を見聞きすることが多いから」には心より同意ですね。年齢発達論の危うさが露見します。「暴走〇〇」などと聞くたびに道徳教育が必要なのはむしろこれら〇〇な人たちだろうと思ってしまいます。それはともかく、道徳的な生き方をするには、そうした生き方をしている人の側にいることがもっとも重要です。そうして、自分自身もそうした人になるべく修練することが必要となるでしょう。このことを忘れないようにしたいものです。

  13. 改めて、大人の距離感の取り方の大切さを感じます。そして、子どもたちにとっての環境の重要さも改めて感じる内容です。言語の発達のプロセスと道徳教育のプロセスは確かに比べてみると非常に似ているものがありますね。もともと、それを習得するための能力(心の理論)を持っているが環境の中で知ることや感じることで道徳的判断を学んでいき、心の理論に影響を与えることにより様々な形で表出していくと考えていいということなのでしょうか。そうであるとするとあくまで「道徳」といった教育を教科化するのは非常に難しいことなのかもしれません。それよりも乳幼児教育のありかたそのものを見直す必要があるのだと思います。そして、そのヒントとして「幼児期から子どもの社会的ネットワークの中で、経験を積み重ねていく必要がある」ありますが、このことをとらえても異年齢での生活はとても重要な道徳教育でもあるのだと思います。

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