心の理論と道徳的判断

昨日紹介した二つの事例について、林は、男の子の心の状態を問う質問と道徳的判断質問を行なったそうです。男の子の心の状態とは、「知っている男の子はどちらか?女の子が知っていると思っている男の子はどちらか?」で、道徳的判断とは「どちらがより悪いか?」という質問です。その結果、心の状態質問の正答率ですが、一次レベルの課題では、4~5歳前半ですでに80%程度もあり、主人公の知識状態を理解できていたそうです。これは心の理論を4~5歳頃から獲得し始めるという一般的知見にも合致するそうです。二次レベルの課題では、7~9歳頃にかけて正答率が上昇したそうです。これも、二次の心の理論が児童期の中頃までに発達するという一般的知見に合致するそうです。

これに対して道徳的判断質問の正答率では、一次レベルの課題でも6歳頃までは低く、大人と同程度になったのは児童期の9歳頃からだったそうです。これは、4~5歳頃から「意図」に基づく道徳的判断が可能であるという先行研究とはかなり異なっているそうです。誤答者の多くは「どちらも同じくらい悪いとことをした」と答えていたようですので、ピアジェが報告した結果論的判断に似た知見が得られたのです。また、二次レベルの課題では、7~9歳頃にかけて道徳的判断質問の正答率が急上昇したそうです。しかし、心の状態質問の正答率よりは低いもので、二次の心の理論がかかわる際にも、心の状態そのものを理解する時期とそれに基づいて大人のように道徳的に判断する時期には少しズレがあることがわかったそうです。

ずいぶんとややこしい話になってきましたので、林は少し整理しています。まず、道徳性の発達として、すでに赤ちゃんの頃からその芽生えが様々な形で見られるということがあります。また、とくに児童期以降に、大人が持っている心の理論をふまえた道徳的な判断が次第に身についていく様子が示唆されています。

心の理論と道徳的判断の研究は、かつて独立して研究が進んできた面がありますが、近年、急速に両者の関係を検討した研究が進んでいるというのです。そこでは、心の理論の発達が道徳的判断の基礎となる、逆に道徳的判断が心の理論に影響する、心の理論と道徳判断は相互に関係するなど、研究者によってとらえ方は変わるそうですが、密接な関連があるのは間違いないことがわかっています。

さらに、心の理論の発達の背後には、実行機能の働きも欠かせないこともわかってきました。ことばが発達し、次第に論理的な思考が身につく幼児期から児童期は、さまざまな目標に向けて注意や行動をコントロールできるようになる時期ですから、直観的な判断の後の道徳的な理由付けがいかにうまく、そして妥当な物になっていくかには、実行機能をうまく働かせられかどうかが鍵を握ることになるようです。例えば、子どもの日常的な場面を考えれば、悪事を働いたのが自分にとって嫌いな人物だったとしても、自分は嫌いという感情を抑制できなければ、不当にその人物を厳しく社会的に評価したり、罰したりすることにもなりかねないと言います。客観的な判断には理性が求められますが、ここに実行機能の発達がかかわると言います。また、公平性を調べた多くの研究から、子ども自身が第三者の視点で配分を判断する場合に比べて、子ども自身が当事者となって配分を決める場合、幼児では利己的な傾向が見られることが知られています。これも実行機能の観点から説明でき、自分自身が関与することで、抑制が働きにくくなるのかもしれないと林は考えています。

心の理論と道徳的判断” への13件のコメント

  1. 「とくに児童期以降に、大人が持っている心の理論をふまえた道徳的な判断が次第に身についていく様子が示唆されています」とありました。道徳性の発達として、赤ちゃんの頃からその芽生えであると思われる部分があるのも確かですが、このように、児童期以降に身についていく部分もあるという発達のような考え方を理解することが大切なのかもしれませんね。発達を知ると、教え込むとか、仕込むというようなやり方ではなくなるような気もするのですが、どうなのでしょうか。また「心の理論の発達が道徳的判断の基礎となる、逆に道徳的判断が心の理論に影響する、心の理論と道徳判断は相互に関係する…」とありました。心の理論という相手の気持ちを察するとか、思いやるという気持ちが道徳的判断と相互の関係にあるということから、やはり非認知能力を育てるような保育、教育が繋がっていくということを感じました。改めてこの時期の重要性を感じます。

  2. 「悪事を働いたのが自分にとって嫌いな人物だったとしても、自分は嫌いという感情を抑制できなければ、不当にその人物を厳しく社会的に評価したり、罰したりすることにもなりかねない」というものは、大人の世界でも存在するようにも感じます。それは、心の理論の発達には、実行機能の働きも欠かせないという点が絡んでおり、実行機能の習得が社会を形成する上での基盤にもなっているということなのですね。そして、「児童期以降に、大人が持っている心の理論をふまえた道徳的な判断が次第に身についていく」とありましたが、判断というのは児童期で学んだ経験だけのものではなく、それ以前による数々の経験・体験によってその礎が形成されて、表に出るのが「児童期以降」であるということのようにも感じました。

  3. 「特に児童期以降に、大人が持っている心の理論をふまえた道徳的な判断が次第に身についていく様子が示唆されている」とありました。職業柄、幼児期のことばかり気になりますし、心の理論に限らず、実行機能など幼児期が重要なものばかりですが、心の理論を踏まえた道徳的な判断は児童期が最も重要なのですね。あまり幼児期に固執せず、幼児期後の発達という観点も視野に入れていけるようにしたいと思えました。また、公平性を調べた多くの研究結果から「子ども自身が第三者の視点で配分を判断する場合に比べて、子ども自身が当事者となって配分を決める場合、幼児では利己的な傾向が見られる」とあり、これは大人社会でも、むしろ自分にも当てはまるように思えました。他者に厳しく、自分には甘いところは誰しもあるのかなと感じますが、これは実行機能の観点から説明できるのですね。できるだけ自分には厳しくしていきたいとは思うものの、まだまだだなと振り返って実感しています。

  4. 心の理論を踏まえた形の道徳的判断は、児童期以降に身についていくとありましたが、それまでに様々な経験や体験をしていることがその基盤となっていき、道徳的な理由付けが妥当なものとなっていくということを感じました。
    そして、〝悪事を働いたのが自分にとって嫌いな人物だったとしても、自分は嫌いという感情を抑制できなければ、不当にその人物を厳しく社会的に評価したり、罰したりする〟とあり、これは子ども社会だけでなく、大人同士でも起こりうるものであると感じました。自分が好きな人には甘く、嫌いな人には厳しく接することが大人の関係の中でもあることで、実行機能が発達していることが求められるということなんですね。子どもたちのことと思いきや、なんだか自分が言われているような気になりました。

  5. 悪事を働いたのが自分にとって嫌いな人物だったとしても、自分は嫌いという感情を抑制できなければ、不当にその人物を厳しく社会的に評価したり、罰したりすることにもなりかねないとあります。先日、子どもの喧嘩は笑って終わるのか最高の終わり方という話を先生がされていました。ですから、仲介に入るものは笑わせに入ると言っていました。僕はこの話を聞いて、感動というと大げさかもしれませんが、とても驚きました。こういう状況でどっちかを差別しようなんて考えがあるとは思えないです。これは子どもたちの実行機能が十分発達しているからでしょうか。Aくんのことは嫌いで、Bくんのことは好きだからBくんだけ笑わせていい気持ちにさせようなんてことを思っていたら、人を笑わせることなんてとても難しいような気がします。ちょっと話がずれているかもしれませんが、そんなことを思いました。

  6. 「心の理論」と「道徳的判断」がうまくできる時期に差があるということですが、発達というものに順序があるように、心や考えにもやはり順序というものがあるということを考えさせられました。考えや感情などそれぞれ感じ方が育っていく中で、今回の様に「心の理論」と「道徳的判断」といった二つのことが育つことで、正しく判断できるようになる。こうした心の面での発達が今また大切になっているからこそ、幼いころからの他者への理解、そして小学校での強化されるポイントの道徳といった所が注目されているのでしょうね。発達というと、体の面でのことばかり考えてしまっていたので、また少し柔軟になれた気がします。

  7. 心の理論と道徳的判断の二つのものが関係性がある、より、関係のあるものだという研究からどのような形なのか、どのようにとらえるべきなのかがわからないと言うのも面白味があるように思いました。心の理論が基礎となると、確かに他者のどんなことを考え、何を求めてるのかなど、信念となる部分を得られるような気がしますが、相手とのなかで、直感的な善悪の判断など相手に対する思いやりの部分であったり、他者を考えることなど、その時々の判断があり、こうしたものが社会性を身に付けていく上で、大切だと思いました。体験や経験を通した遊びがこの内容についての心の発達に繋がることを考えられます。

  8. 心の状態質問と道徳的判断は、綿密な関係性にあるのですね。また、実行機能の働きも大切なのですね。文章を読んでいて、心の状態質問が正解できないと道徳的判断も正解できないように思いました。また、実行機能の働きとありますが、確かに、その人物のことを嫌いだと感じていたら悪い評価をしてしまいそうです。そして、子どもたちを見ていると実行機能が未発達だということを感じる場面に出会うこともあります。この未発達な部分を子どもたちの社会で友達や先生と関わりながら習得し、社会性を身につけるのだと感じました。こういった幼児期の経験が大人になってからの人との上手な付き合い方につながってくるように思いました。

  9. 「児童期以降に、大人が持っている心の理論をふまえた道徳的な判断が次第に身についていく」とあり、発達をする上でこうした心が発達していく過程というを理解しておかなければなりませんね。最後にある「自分自身が関与することで、抑制が働きにくくなるのかもしれない」というのは面白いなと感じてしまいました。自分が関与している時としていない時とでは少し実行機能の動きというのが違うのですかね。関与していないときには少し利己的ではなくなるのですね。確かにそうかもしれないですね。実感というのも少ないからかもしれませんが、それがより人をに対する考え方を学べる部分に繋がるのでしょうね。なかなか難しいです。

  10. 道徳的判断が次第に身付いていくということは重要ですね。それは、それで理解できるのですが、そうは言っても環境によっては身につくものも、身につかない場合もあるような気がします。例えば、最後の方に日常的な例として書かれていますが、そこには他の子どもが必要になってきます。また何か子ども同士でトラブルが起きた時にも、大人が介入し解決してしまうのでなく、子ども自身で解決する必要があるなど、その辺りは大人が子どもの発達を知っておかないといけない気がします。日々の保育での保育者との関わり、そして友達との関わりがとても重要だということが理解できました。

  11. 「まず、道徳性の発達として、すでに赤ちゃんの頃からその芽生えが様々な形で見られる」という指摘は重要ですね。道徳性の発達が心の理論と絡んでいることを考える時、赤ちゃんが置かれる人的物的そして空間的環境はどのようなものであればいいか、そうした点に思考のベクトルが向いていきます。今回「実行機能」に触れられていました。他者との関係性の中で育ちいく機能がこの実行機能でしょう。自分を知って、他者を思いやる、平たく言えばこういうことになるのでしょうか。認知、非認知、そしてメタ認知。難しく言えば、こういうことになるのでしょうか。いずれにせよ、道徳性の発達が心の理論そしてEQ力である実行機能と結びつけられて論じられることの重要性を今回のブログを読みながら感じたところです。道徳心の発育はとりもなおさず、多様な人々との関係性の中から遂げられていくということを改めて認識したところです。こうして考えていくと、道徳は誰かに指導されて身についていく類のものではないことにも気づかされます。

  12.  「自分自身が関与することで、抑制が働きにくくなるのかもしれない」これは面白いですね。他人に厳しく自分に甘い、そういう人を言い表しているかのようです。余談ですが、自分に厳しい人は他人にも厳しいようで、それよりも自分を大切に、自分に甘くして、他人にも甘い方が人生うまくいくと、何かの本で読みました。
     「心の理論と道徳的判断の研究は、かつて独立して研究が進んできた面がありますが、近年、急速に両者の関係を検討した研究が進んでいる」これは子どもを理解する上でとても重要な情報だと思います。この研究を知っていると知らないでは子どもの見方に大きな違いが出るのではないかと先日からの連載を読んで感じていたところだからです。

  13. 「心の理論の発達が道徳的判断の基礎となる、逆に道徳的判断が心の理論に影響する、心の理論と道徳判断は相互に関係する」というように心の理論の発達があることで道徳的判断の基礎はあるが、その後は相互に関係するということで、7~9歳ごろの道徳的判断ができる時点においても、環境において心の理論は変わってくるのですね。ということは、やはり9歳ごろの脳の臨界期という時期はいかに環境の影響が大きいのかということかがわかります。そして、その大部分を保育園や幼稚園で過ごす子どもたちにおいて、こういった研究の結果を知ることはとても有益なことですね。環境のあり方について改めて考えさせられる内容です。

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