学識

ダンバーは、イギリスの科学者です。ですから、たとえばラテン語は直接必要ありません。学校で習った歴史も必要ないかも知れません。小さいころから学校でいろいろな科目を習い、暗記してきます。それらは、科学には必要ないのでしょうか?しかし、ダンバーは小さいころからの自分を振り返って、確信を持って断言しています。「記憶力の後押しがあったからこそ、私は知性を伸ばすことができたのだ。イングランド政治史をめぐる議論では全戦全勝だったことも付け加えておくが。」

彼は、「私たちは誰でも、行動のかなりの部分を記憶に頼っている。」と言います。直感に頼る思いつきだけでは、科学は前進しないというのです。どんな研究分野であっても、重要なのは人文科学の世界で言うところの「学識」です。もったいぶった言い方だと断わりながら彼は、「要するに記憶力である」と言います。科学の進歩は、異なるできごとやものごとを新しい方法で結びつけるところからはじまるというのです。それは科学に限らず、あらゆる形の知識に言えることだというのです。世界の有様を細部まで記憶に留める能力がなければ、いかなる天才といえども斬新な着想はできないだろうというのです。数学者でさえ記憶力とは無縁でいられないと言います。問題解決の方法をいくつか用意して、そこからいちばん最適なものを選んでいくからだと言うのです。

神経解剖学の最新の研究成果も参考になるだろうと言います。脳が発達していくとき、まずニューロンどうしが相手かまわず膨大な数の接続をつくります。しかし生まれてから数年のあいだに、自然淘汰にも似たプロセスで接続は刈り込まれていきます。ほとんど使われない接続はすぐに消えていきますが、何度も使う接続は強化され、効率も上がっていきます。

このような過程で、ダンバーはこんな憶測をしています。それは、記憶力の発達には、幼いときの丸暗記が結構重要な役割を果たしているのではないだろうかということです。それによってニューロン接続を強化しているのではないだろうかというのです。子どもたちにマザーグースなどの童謡を教えるのも、あながち無意味というわけではないのだろうと考えます。リズミカルな歌詞は口調が良いし、お話自体も面白いので覚えやすいのだというのです。

彼が習ったラテン語は、動詞の規則変化や不規則変化が複雑きわまりないし、人称や数などの変化もややこしい言語なので、昔からとにかく丸暗記するしかなかったと言います。ただほかの言語や童謡と比べて、ラテン語が頭脳を鍛える手段として優れているのは、構造が緻密で体系的だからだと言います。ですから、ラテン語を学ぶことで、記憶力だけでなく、科学を探究する上で必要な思考モードも身につくというのです。これと正反対なのが英語だとダンバーは言います。流動的で確固とした構造がなく、語彙数が膨大な英語は、文学表現にはうってつけだというのです。

しかし、かれはヴィクトリア朝の教育でもあるまいし、意味もわからず機械的に知識を詰め込むことが良いと言っているわけではないと言います。しかし、丸暗記には、知性を伸ばす上で不可欠な効用があると言っているのです。学校教育をもっと充実させ、面白くしようという努力は大いに結構だと言いながら、明らかに時代遅れに見える方法も捨てたものではないと言うのです。外面に騙されてはいけないのだと言うのです。