バーンズの詩

スコットランドの詩人であるバーンズは、生殖の仕組みがそうなっている以上、ほ乳類のオスはもともと一雄多雌だと言いました。また、オスがメスを1匹だけ選ぶのは子育てに直接投資できる場合だけで、そのためほ乳類の単婚は、イヌの仲間を除くとむしろ例外中の例外だそうです。ほ乳類の95%は、一夫多妻なのだと言うのです。しかしこの考え方に欠点があったのは、ヒトがその例外中の例外だということだったということでした。ヒトの場合、子育ては乳離れが終わればそこで終了というわけに行かないのです。子どもを一人前にして社会に送り出す、一族の富を引き継がせる等々、父親の果たす役割もたくさんあります。ただ、ヒトの一夫一妻は、白鳥をはじめとする鳥類ほど完全に固定化しているわけではないのです。ほ乳類とは対照的に、鳥類は90%の種が単婚だそうです。バーンズもこう書いているそうです。

「ヒナに囲まれてうずくまるツグミ 誠実な夫と苦労をわかち合う……」

ここでダンバーは、バーンズの名誉のために付け加えているのですが、近年の分子遺伝学の発達によって、強固な一雌一雄型だと思われていた鳥類のあいだでも、パートナー以外との交尾はけっこうふつうであることがわかってきたそうです。それどころか、巣に並んだ卵の父親が全部ちがうオスということさえありうるのだそうです。メスが異なるオスの精子を体内に保存し、産卵時に適当な精子を選んで受精させることもできるのだそうです。

それは別として、バーンズの詩はあっと驚く一節がいくつかあって、ここ10年ほどでやっと正しいことが証明された内容に言及する部分もあるそうです。例えば、ダンバーが提案する「友人の数はどんなときも一定だ」という説もそうだと言います。「J・ラブレイクへの書簡詩」のなかで、バーンズはそれとなくこう書いているそうです。

「さて、あなたは大勢の友人をお持ちかもしれないが、ほんとうの友は一握り それでも、名簿がすでにいっぱいならば 私を入れていただくのにはおよびません」

もうひとつのほうは、ダンバーにとってまさに衝撃的だったようです。ヒトとそれ以外の動物の本質的な違いが明らかになったのは、つい10年ほど前のことです。それは、ヒトは一歩離れた視点から現実を眺め、未来のことを予測できるというものだとダンバーは言います。動物にはそんなことはできません。彼らはいま経験していることを受け止めるのが精一杯で、それ以外の可能性があったとか、どうしてこうなったのかという想像まで頭が回りません。このふたつの疑問を持てるからこそ、科学と文学は成立するとダンバーは考えています。「ネズミに寄せて」という詩の最終連は、まさにそのことを言い当てているのです。

「それでも私にくらべれば、おまえは恵まれている… おまえに触れてくるのはいまという時間だけ しかし悲しいかな、私が視線をうしろにやると 荒涼とした風景が広がっている!前を向いても何も見えてはこないけれど、恐ろしい予感が襲ってくるのだ!」

ネズミはいまの世界をそのまま受け入れますが、人間は過去を思い返したり、未来を予測したりしては不安や恐怖を覚える、ということを言っているのです。

わたしはバーンズを知りませんし、彼の詩を読んだことがありません。しかし、ここで紹介された詩から、科学する心、科学の心理を読みとるダンバーの考察からは、その造詣の深さを感じます。