教育の意味

運動能力と学業の関係が本当に成り立つとしたら、愚かで意地きたない少数意見のせいで、全員がつまらない目に遭うのは賢明ではないと言います。リスクをきちんと受け入れ、スポーツ活動中に事故が起こっても、すぐにいきり立ったり、学校に乗り込んだりしないことが重要であるとダンバーは言うのです。人生はリスクだらけです。しかしそのリスクを引き受ければ、はかりしれない恩恵がかならずついてくると言います。うまくいかなかったら誰かのせいにすればいい、世界の名だたる銀行が痛い目に遭っているのは、この教訓を活かさなかったからだというのです。目先のことにとらわれて、リスクへの対処を正しく学べないのは、子どもたちにとって不幸としか言いようがないとダンバーは嘆いています。

知能が高いと何かと有利ですが、それだけでは不十分だとダンバーは言います。IQがアインシュタイン並みというのは、たとえるなら最大級のコンピューターを持っているようなものです。それ自体すばらしいですが、ソフトウェアがなければただの箱です。となると、やはり教育が鍵となるとダンバーは言います。生まれつきのIQだけでは、どこへも行くことができません。知の世界を掘り下げ、探求するための知識と技能を仕込む必要があります。

彼は、ニュートンの有名な言葉を引用しています。「教育があるからこそ、私たちは過去という名の巨人の肩にのれるのだ。知識、特に科学的な知識は過去からの積み上げにほかならないとダンバーは言うのです。このような見解に対して、私たちはよく誤解をすることがあります。知の世界を掘り下げ、探求するための知識と技能を仕込むことが重要ですが、それをより効果的なものにするために、また、その機能をより発揮することができるようになるために、段階が必要になります。突然、何かを教えるとか、覚えさせるとか、できるようにさせるということではなく、まず、知の世界を掘り下げ、探求しようとする態度を養わなければなりません。そのためには、知の世界の不思議さ、楽しさ、それを探求しようとする好奇心などが必要になってくるのです。その部分を受け持つのが幼児教育であると思います。

ダンバーは、最も成功した教育実験のひとつは、スコットランドで宗教の名の下で行なわれたものであると言います。ただ、後年の科学と宗教の摩擦を考えると皮肉な話だというのですが。小作人たちが聖書を自分で読めるようにしようというカルヴァン主義長老派の試みから、19世紀初頭に世界でも指折りの優れた教育システムが生まれたそうです。すでに18世紀には、スコットランドの識字率は70%に達していたようです。イングランドとウェールズはせいぜいその半分、ヨーロッパの残りの地域は言うに及ばずであると言います。

しかし、私は、世界中で最も成功した教育実験のひとつに、江戸時代の日本の藩校や寺子屋教育があると思っています。江戸時代の幕末期においては、武士はほぼ100%読み書きができ、庶民層でも男子で49~54%は読み書きができたといわれています。また、1850年頃の江戸の就学率は70~86%でした。もちろん、寺子屋は義務教育ではなく、庶民自身の主体的な熱意で自然発生した教育システムでした。そして、それを支えたのは、日本では宗教ではなく、人々の探究心であったり、楽しさであったり、意欲の強さだったのです。