社会性の本質

宗教が社会のまとまりを良くするのは、一連の儀式を通じてエンドルフィンの分泌を促しているからだと言います。エンドルフィンには、免疫システムが万全に機能するよう「チューンナップ」する働きがあるといわれていますので、信仰心が篤い人ほど健康になれるということになるのです。もちろん、宗教だけがエンドルフィンを分泌させる手段ではありません。ジョギングやウェイト・トレーニングといった運動をしてもエンドルフィンは放出されます。ただ宗教にはそれ以上の効果があるようです。集団でいるときにエンドルフィンが分泌されると、効力が倍増すると言われています。とりわけ集団のほかの構成員に対して強い愛着が湧きます。それが兄弟愛とか、共同体意識とかいったものだとダンバーは言います。ひとりで身体を動かすだけではこうはいかないと彼は言うのです。

この話はとても面白いですね。ちょうど私がいま課題と思っていることのヒントになります。それは、とくに宗教には関係はありませんが、集団の役割というか、集団の効果にどんなものがあるかということです。集団でいるときにエンドルフィンが分泌されると、効力が倍増すると言われているのですね。とりわけ集団のほかの構成員に対して強い愛着が湧きます。それが兄弟愛とか、共同体意識とかいったものだとダンバーは言いますが、実は、園における子ども集団に、このような関係を構築する必要があるかも知れません。また、子どもたちが数人集まると、感情がハイになるのは、エンドルフィンを分泌させているのかも知れません。それも、ひとりで身体を動かすだけではこうはいかないというのです。

ここまででダンバーは宗教の利点は説明ついたのですが、「なぜ宗教が必要なのか?」という疑問について考察しています。その答えを見つけようとすれば、霊長類の社会性の本質に立ち返ることになり、ひいてはダンバー数の話に戻ることになるとダンバーは言います。これについてもとても興味が湧きます。

サルと類人猿が生きる世界は緊密な社会性が発揮されていて、お互いに協力しながら集団レベルの利益を獲得するとダンバーは言います。霊長類の社会集団は、ほかの種と違って、暗黙の社会契約で成り立っていると言います。集団のまとまりを獲得するためには、目先の個人的な要求は後回しにしなければならないのだと言います。自分の欲をごり押しすると、ほかのみんなから仲間はずれにされるので、敵から守ってもらうとか、食べ物の確保といった集団ならではの恩恵も受けられないのです。このような環境の中で、人はエモーショナル・コントロールの力を育んできたのでしょう。

しかし、こうした社会契約システムにつきものなのが、「ただ乗り」の存在であるとダンバーは言います。社会生活のおいしいところだけ持っていって、自分は何のコストも負担もしません。チャンスがあれば、ただ乗りしたいと思うのは自然な感情ですから、それに対抗するしっかりしたメカニズムが必要になると言います。サルと類人猿の場合は、毛づくろいがそれに該当すると言います。毛づくろいを通じて、相手の信頼を得て、さらに提携関係へと発展させるというのです。詳しい仕組みはまだわかっていないようですが、やはりここでもエンドルフィンが重要な役割を果たしていると言います。毛づくろいの時は、するほうもされるほうもエンドルフィンが分泌されているそうです。エンドルフィンでいい気持ちになると、集団の団結を強めることをやろうという気になるというのです。