詩人と科学

ダンバーは、「ダンバー数」という人類にとっての適性集団人数の考察から、やはり最後は教育論に触れていきます。科学者の多くは、ルネッサンス教養人であるようですが、詩人もまた科学者であることも多いと言います。その例として、スコットランドが生んだ最高の詩人ロバート・バーンズを挙げています。彼は、教育があるとはいえ、頭でっかちで常識外れの聖職者たちに冷ややかな視線を送っていたことを紹介しています。彼の詩にはこんな一節があるそうです。

「学校で習うややこしい言葉、あれはいったい何だ? インク入れや腰かけまでラテン語で呼んだりして おまえたちをつくったのは誠実なる自然なのだ 文法なんて何の役に立つ? そんなことより鋤と鍬を手に持ちたまえ、鎚をふるいたまえ」

要するに誠実な仕事について、土を耕したり、道路を作ったりしろということだとダンバーは説明しています。バーンズは、スコットランド啓蒙主義を代表する経済学者アダム・スミスや哲学者トマス・リードの功績に対しても容赦ないようです。

「哲学者たちは論争に明けくれ、切りきざんだギリシャ語やラテン語の山を築く 論理学の用語はすりきれ 科学の深淵にはまって身動きもままならぬ 彼らが主張することは常識では了解ずみ 女房や織工連中も見て感じていること―」

知の巨人たちが組み立てるご高説は、魚売りの女でも古い言い伝えを聞いて知っていることなのだとダンバーは言います。これほど過激には思いませんが、私にも少なからず保育の世界でも言える部分があると思います。現場で実際に手を掛けずに、書類上だけで保育をしている気になり、難しい言葉で、しかもなんだか言葉遊びのような説明で、長い人類の進化のなかでふつうに行なってきたこと、子どもの姿を見れば当たり前のことを説明していることがあります。そして、それが、研究かのように錯覚している人が見受けられます。

このような詩によって自分の教育観を書いたバーンズは、天体の軌道とか、光の性質、金属の変性について思索をしていたわけではありませんが、人間の心理に関してはきらめくような観察眼が発揮されていました。さらに、物語詩の傑作「シャンタのタム」には、古今を通じて最も鋭敏な洞察が記されているとダンバーは言います。冒頭、タムの友人たちと大酒をカッ食らっています。市場でのささやかな稼ぎも、みんな酒になってしまいます。そのころタムの家では……

「……むっつり不機嫌なおかみさんが待っている、嵐を呼ぶ雲のように眉根を寄せて 怒りを消さぬよう世話をしながら 」

ダンバーは、バーンズの自己都合で着色されているとはいえ、次のような描写はもうりっぱな科学的記述ではないかというのです。

「女たちを嘆かせてはいけない 気まぐれ男は少しもじっとしてはいないのだ!自然の広がりで外を見るがいい 自然の絶対の法則だって変わっていくのだ。」

生殖の仕組みがそうなっている以上、ほ乳類のオスはもともと一雄多雌だと言います。これは、現代進化生物学の基本中の基本だというのです。オスがメスを1匹だけ選ぶのは子育てに直接投資できる場合だけだと言います。そのためほ乳類の単婚は、イヌの仲間を除くとむしろ例外中の例外だそうです。ほ乳類の95%は、一夫多妻なのだと言うのです。

詩人と科学” への12件のコメント

  1. 「おまえたちをつくったのは誠実なる自然なのだ 文法なんて何の役に立つ? そんなことより鋤と鍬を手に持ちたまえ、鎚をふるいたまえ」という言葉が印象的でした。また「 論理学の用語はすりきれ 科学の深淵にはまって身動きもままならぬ 彼らが主張することは常識では了解ずみ 女房や織工連中も見て感じていること―」 というのもまさにですね。言葉遊びというか、なんといいますか、本を読んだり、文献を読むことで得られる知識も大切だと思いますが、それだけで全てを知ったつもりになってはいけませんね。鍬の使い方、鋤の使い方を知っているだけでは使えるということにはなりませんね。実際に自分の手で握り、使ってみることで分かることというのがたくさんあるように思います。また、すでにみんなが感じていること、長い歴史の中で当然のように分かっていることを改めて論じられてもそこに新しい発見というのものは生まれないように思います。子どもと関わる私たちもまた研究者ですね。実践と理論を兼ねた保育というものこれからは大切になってくるのでしょうね。

  2. 「詩人もまた科学者である」という言葉を見て、なぜか、今年話題になったボブディラン氏のノーベル文学賞受賞を思い出しました。ミュージシャンでもあり、詩人でもある人の受賞は初ということもあり、音楽や詩を通して世界に多大なる影響を与えたことが受賞理由なのでしょうが、文学というものが、単に文字だけでなく別の切り口からでも表現できるという新しい価値が、また一つ生まれた瞬間でもあったのでしょうね。科学者というのは、様々な発見から生活を豊かにする人であるのなら、「風に吹かれて」のように、世の中に対する抗議めいた歌詞によって人々が自らを省みたり、幸福や平和に向かおうと心動かされるということであれば、そこは立派な科学者という位置付けにもなるのかなとも感じたりもしました。

  3. スコットランドの詩人ロバート・バーンズ。大学の英語の授業の時、その詩に触れたような・・・まぁ、名前だけ知っている人。スコットランドのロバート・バーンズに匹敵する我が国の詩人は、やはり岩手が生んだ偉大な詩人宮沢賢治でしょう。科学者でありながら詩人、小説家、作詞作曲家。農民と共に地に足のついた人生を送ろうとしました。「文法なんて何の役に立つ? そんなことより鋤と鍬を手に持ちたまえ、鎚をふるいたまえ」というバーンズに通じる空気を宮沢賢治にも感じます。実践者は強いと思うのですが、日々の仕事に追われて、結局、研修と言っては「書類上だけで保育をしている気になり、難しい言葉で、しかもなんだか言葉遊びのような説明」をする先生の話に耳を傾けなければなりません。「そもそも」と「意味」を考える、そして目の前の子どもたちの行動や言動に注視する、思慮深さと愛情をもって。実践に裏付けられた理論を聴くと、本当にその通りだ、と思います。

  4. 「学校で習うややこしい言葉、あれはいったい何だ? インク入れや腰かけまでラテン語で呼んだりして おまえたちをつくったのは誠実なる自然なのだ 文法なんて何の役に立つ? そんなことより鋤と鍬を手に持ちたまえ、鎚をふるいたまえ」とあったのが印象的で、斬新さも同時に感じました。このようにバーンズは、教育観を詩にしてあらわしていたのですね。人類は自然の産物であるというバーンズの考えが伝わってきます。また「オスがメスを1匹だけ選ぶのは子育てに直接投資できる場合だけだ」とあったことは、当ブログの以前の内容にもありましたが、ほ乳類の95%は、一夫多妻制であることには驚きました。人類も一夫多妻制の時期を経て、現在に至っていることを考えると何か意味がありそうですね。バーンズの詩には自然性を感じるので、一夫多妻制こそスタンダードな夫婦体制であると考えてたりするのかなと感じたりしました。

  5. 要するに誠実な仕事について、土を耕したり、道路を作ったりしろということとありとても印象的でした。今の私は、現場での仕事経験が少なく、とにかく保育のことを知ろうと思い、来園者の説明に同行しています。しかし、手の空いたときに現場に入り、少しでも子供との関わりをもち、子供のことを、子供を見ながら考えれば、説明していただいた内容とマッチする部分が出て来て、知識ではなく技術として身につけることができるのかなと思いました。きっと現場の面白さや発見があると思います。今は、現場に入っても、一人の子供のことしか見られていませんが、ゆっくり、心の余裕を持って周りを見られるようになって行きたいです。経験していかないとダメだなと思いますので積極的に行動して行きたいです。

  6. 〝文法なんて何の役に立つ? そんなことより鋤と鍬を手に持ちたまえ、鎚をふるいたまえ〟とあり、現場が大切であるということを感じるものですね。藤森先生がよくおっしゃっている言葉がこんなところでも登場してくるんですね。
    さらに〝難しい言葉で、しかもなんだか言葉遊びのような説明〟を学生の頃は保育の仕事の1つであるとして学んだように思います。ですが、実際は「鋭い観察眼」で現場にいる方が、お互いが遥かに学びとなるということなんですね。
    自分の経験で言えば、小さい頃からずっとテレビゲームでサッカーをしていて、専門学校の頃に念願のサッカー部をつくり、サッカーを実際にする機会ができました。サッカーに関する知識はゲームで相当あったと自負していましたが、実際にやってみると、ボールをきちっとトラップすることすらできなくて、全然自分の思い描いた通りにいかなかったのを覚えています。
    理論と実践は双方が繋がっていないと意味を成し得ないということなんですね。

  7.  「知の巨人たちが組み立てるご高説は、魚売りの女でも古い言い伝えを聞いて知っていることなのだとダンバーは言います。」『橋のない川』の登場人物、畑中孝二の祖母ぬいを思い出します。識字率の決して高くないその時代をこれ以上ない貧しさの中で生き抜き、そうして自然と共存しながら見出されていく真理を体得し、体現していくような、そんな存在でした。「哲学者たちは論争に明けくれ、切りきざんだギリシャ語やラテン語の山を築く 論理学の用語はすりきれ 科学の深淵にはまって身動きもままならぬ 」頭のいい人たちは非日常のことを雲の上のようなところでこねくり回していて、「彼らが主張することは常識では了解ずみ 女房や織工連中も見て感じていること」それよりも日常、足下にある実質に一つ一つ手をつけては取り組み、答えを出していくことの大切さを知っていることこそが、人間としての真っ当な人生なのかもわかりません。隣の芝の青さを嘆くではなく、与えられた人生を喜んで生きて、その歩いた足跡には花が咲くようなそんな生き方が素晴らしいと思います。

  8. ゛現場で実際に手を掛けずに、書類上だけで保育をしている気になり、難しい言葉で、しかもなんだか言葉遊びのような説明で、長い人類の進化のなかでふつうに行なってきたこと、子どもの姿を見れば当たり前のことを説明していること゛とありました。私自身にも当てはまる部分があると思いますが、大人と呼ばれるひと、例えば、コメンテーターや評論家などの人たちを見ても難しい言葉が並べられ、知識を見せびらかしているとのようにもとらえることができもっとシンプルにとも思えますが、そうにもいかないのでしょうね。理論をたてて話すにはそれだけの実践を用いた両方の相乗的なものがより相手にとって必要だと思います。単純ですが、詩人と科学、理論と実践に近いものを感じてます。

  9. [「鋤と鍬を手に持ちたまえ、鎚をふるいたまえ」ただ、たくさんの知識を自分に取り込むだけでなく、知識を活かす、知恵を身につけないと意味がありませんね。それこそ、様々な体験をし学ぶことが大切だと思います。藤森先生が言われるように、保育の世界も、やれ研修、やれ書類など直接、子どもに関係のないことばかりを重要視し、肝心な子ども自身の姿は二の次のような気がします。詩人と科学と聞くと、やはり一見、別物と思いがちですが、目の前の事を的確に捉え、それを言葉にすることで、実は科学的な見方をしていたり、問題を解くヒントにもなりえるのですね。

  10. 「要するに誠実な仕事について、土を耕したり、道路を作ったりしろということだとダンバーは説明しています。」とあり、文面上ではなく実際に身体を動かしてみなさいというようなメッセージがありますが、これは私は藤森先生を思い浮かびました。まさに身体を動かして様々な活動をする姿というのはいつも驚きと発見があります。「現場でまだまだ色んなことをしたい」というのがいつま印象に残っています。行動力というのが自ずと理論へと繋がっていくような印象を受けます。話はずれますが行動力というのがまだまだ足りていないとよく感じている次第です。

  11. ロバート・バーンズの「学校で習うややこしい言葉、あれはいったい何だ? インク入れや腰かけまでラテン語で呼んだりして おまえたちをつくったのは誠実なる自然なのだ 文法なんて何の役に立つ? そんなことより鋤と鍬を手に持ちたまえ、鎚をふるいたまえ」という言葉に驚きました。学校で習うことは人間社会の中で必要なことにすぎないのかもしれませんね。大昔の人間は、言葉もなく1日1日を自給自足で生活していたことを考えると、文法なんてと思うのもなんとなく理解できました。

  12. 見方、見え方、観察、そこから何を知り、何につながり、何を思うのか。言葉では簡単ですが、それを実行するとかなり深いものになりますね。ロバート・バーンズの詩からは確かに、机上の空論となってしまうなら実際に行うこと、よくいう「百聞は一見に如かず」にも当てはまりますね。何事もやらなければ深いところはわからないものです。ただ、知識を無下にも出来ないのも事実だと思います。知った知識を実践で活かしたり、実践で知り得たものを知識としてはどうなのか他の人はどうなのか、と大きく広がるように感じました。

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