教育の目的

日本では、江戸時代まで世界屈指の教育国でした。就学率や識字率は高く、しかも、それは、それほど地域差はなく、各地とも高かったのです。しかし、明治になって、産業革命に向けての教育が始まりました。それは、ダンバーの故国であるイギリスで始まり、それを牽引したのがスコットランド地方だったのです。19世紀半ば、スコットランドの大学進学率はイングランド及びウェールズの10倍以上も高かったそうです。高等教育が上流階級の特権に近かったイングランドに対し、スコットランドの教育システムは平等主義であるところが大きな特徴だったと言います。ですから、小作人の息子でも、大地主や牧師の息子と同じように大学に進学するチャンスがあったそうです。スコットランド人にとって、教育はより良い生活へのパスポートだったと言います。彼らは、そのパスポートを携えて、外国に赴き、行政、学術、産業といった分野で名を成して、世界中で大きな力を振るうようになったのです。

もちろん、悪い影響もあったとダンバーは言います。あまり知られていないことのようですが、この充実した教育システムのせいで、ハイランド及び島々から多くの人口が流出することになったのだそうです。その規模は、同時代に行なわれた牧羊推進のための強制退去政策、いわゆるハイランド放逐に勝るとも劣らないと言います。当時の人々にとって、貧乏のどん底から抜け出すには国を出るしかなかったのです。教育を足がかりにして切り開く生活は、故郷の地を這うような貧しさに比べればはるかにバラ色の未来があったのです。

未来の夢のために教育に金を惜しまない姿勢は、社会の根底に旺盛な知的好奇心があることを意味しているとダンバーは言います。この言葉を、日本の政治かたちにも聞かせたいですね。スコットランドの国民的詩人、ロバート・バーンズの父親は、子どもたちの教育にそれは熱心だったそうです。そのおかげで、文学の世界は何と豊かになったことか!とダンバーは言います。

18世紀後半のスコットランド啓蒙主義も、そうした教育的風土を背景に花開いたものだと彼は言います。哲学者デヴィッド・ヒュームも、経済学者アダムス・スミスも上流の出ではなかったものの、のちに不朽の名著を世に送り出しています。スコットランド啓蒙主義は、19~20世紀初頭までの科学、工学、文学の隆盛も後押ししていると言います。細菌学者アレグザンダー・フレミング、詩人ウォルター・スコット、蒸気機関車や鉄道橋をつくったスティーヴンソン父子といった人物がこの時代に活躍したのです。

ダンバーは、「私たちはいつのまにか、教育の目的を見うしなったのかもしれない」と嘆きます。教育は精神を鍛え、探究心を掻き立ててくれるものなのに、そうした価値が評価されなくなっていると彼は言います。ダンバーは、どうするべきかには答えはありませんが、早く答えを見つけないと大変なことになるだろうと危惧しています。すでに彼は実感しているようですが、イギリスの大学の理科系専攻の志望者は、ここ10年ほど減るいっぽうだそうです。数年前に化学と生物学で調べてみたら、このままのペースで減ると、2030年には志望者がゼロになるという結果が出たそうです。

この科学離れの傾向は、日本でももちろん、各国が憂えていることです。しかし、ダンバーは、本当に憂えているのはそこではないと言います。

教育の目的” への12件のコメント

  1. スコットランドの教育は誰にでもチャンスのある平等主義というシステムだったのですね。日本もそうであるとは思うのですが、誰でも平等かと言われると「ん〜」となってしまう部分もあるのかもしれません。特に収入によって大学進学を諦める人は少なくはないのかなと思ってしまいます。学びたいと思っても事情により諦めてしまうような仕組みはなんとかしたいですね。「未来の夢のために教育に金を惜しまない姿勢は、社会の根底に旺盛な知的好奇心があることを意味している」という言葉がとても印象に残りましたが、この言葉にも表れているように、教育にあてられるお金がもっと増えることを望んでしまいます。また、知的好奇心があるからこそ、教育に投資することができるとありました。日本は未来を好奇心を持って想像すること、先の未来を考えて今何をすべきなのかということを考えるのが苦手なのでしょうか。教育というのは探究心を掻き立ててくれるものとありました。しかし、そんな教育の目的を失いかけてしまっているとすればそれは危機的なことなのかもしれません。好奇心や探究心を持てなくなってしまわないような教育を見直さなければいけないのかもしれませんね。

  2. ダンバーの言っている「教育の目的を見失うかもしれない」という発言がとても印象的でした。まさしくそうなっているような気がします。自分の大学でも、大学院に進学するヒトの数人は「社会にでて給料がいいから」という理由でしたし、学校側も進学者を増やそうとして「院に行けば、生涯獲得賃金がこれだけ違いますよ」と宣伝していました。勉学に対する姿勢はそうではないと自分も思います。寺子屋での勉学が評価されているとありましたが、それは生徒が自主性を持って勉学に励んでいたことがあるのかなと思います。もっと知りたい、研究したいという探求心がとても大切だと僕も思います。「なぜ」と考えることが重要です。そう考えれば、子供の「なぜなぜ攻撃」は学習に対する最高に姿勢であり、これに適切に答えることが子供の精神を鍛えることにつながるのでしょうか。日本の学力が低下していると言われていますが、こう言ったことも関係してるのでしょうね。探究心、好奇心はこれからも大切にしていきたいです。 

  3. 優れた教育システムを構築した際にも、「充実した教育システムのせいで、ハイランド及び島々から多くの人口が流出することになった」という欠点が生まれたというのは意外でした。一難去ってまた一難というか、常に生まれてくる問題に対して、その問題をどう解決していくべきなのか、ということを今後の参考にできるのが、歴史を振り返る意味の一つでもあることが伝わってきたりもします。貧困であっても人間の好奇心は無くならない姿に、人間の底力のような印象を持ちます。それが、より良い生活を求める原動力となって、「教育を足がかりにして切り開く生活」を構築させていったのですね。そして、教育の本来あるべき姿として「精神を鍛え、探究心を掻き立ててくれるもの」という言葉があり、感銘を受けました。何のための教育なのか、誰のための教育なのか、そして、自分はどんな教育を求め、何を選択していくべきなのかということを改めて考え伝えていかなくてはと思わせる言葉でした。

  4. 「教育は精神を鍛え、探究心を掻き立ててくれるものなのに、そうした価値が評価されなくなっている」という言葉が印象的でした。教育者としてどんな教育が必要なのかを考えることで、自分自身に探究心が生まれると思います。教育する立場の者こそより深い探究心が必要になるのではないかとふと感じました。教育の目的を見失わないためにも、今一度考える事が大切だと思います。また「イギリスの大学の理科系専攻の志望者は、ここ10年ほど減るいっぽうだそうです。数年前に化学と生物学で調べてみたら、このままのペースで減ると、2030年には志望者がゼロになるという結果が出た」ということには驚きました。2030年は今現在、こども園や幼稚園、保育所で過ごしている年齢の子どもたちが進学を考える時期であると思うので、身近な事として考えなければならないと感じました。

  5. 私は物心ついてよりこの方、知的好奇心のままに生きてきたような気がします。探求心については、広く浅くなので、今の自分の有り様はそのものです。こうした姿勢を私が形成できた背景には父母及び兄弟祖父母叔父叔母という家族集団の影響がありました。私も故郷を飛び出し、己が知的好奇心と探求心を満たそうとしてきました。「人口が流出することになった」おぁ、耳が痛い。私も流出した一人ですから。今の学校教育はもしかすると「教育の目的」を見失わせる作用を若者たちに及ぼしているという大矛盾を抱えているのかもしれません。しかし、しっかりとした読み書きについてはやはり学校のおかげです、私の場合。そのおかげで自分の興味関心好奇心探求心を鍛えることができたと言えると思いますが・・・。Educationが「力を引き出すこと」という意味であれば、人間関係及び取り巻く環境こそは常に教育の機会でしょう。社会性が喪失する時教育もなくなるのでしょう。

  6. スコットランドの教育システムは平等主義であるところが大きな特徴だったのですね。今の日本の教育システムも悪い影響にあった「多くの人口が流出することになった」と同じような現状があるという観点からも似た部分があるのかなと感じました。この問題を解決するには、誰もがというのはもちろんとして、どの地方でもほとんど差がない状態にしないといけないですし、地方の若者の流出は教育に限らずだと思うのでより難しいように思えました。
    ダンバーが「私たちはいつのまにか、教育の目的を見うしなったのかもしれない」と嘆いているとありました。特に2030年には科学と生物学志望者がゼロになる推計には驚きました。以前にも科学離れに関する内容がありましたが、科学や生物学こそ、知的好奇心が駆り立てられやすく、意欲を引き出しやすいジャンルだと思うので尚更不思議です。また最後には、各国が憂いているのは科学離れではないとあり、それが何なのか気になりました。

  7. 以前にあった教育を受ける権利というのは、誰しもが平等に受けることができる平等主義であったことにより、階級差のない教育システムが成り立っていたのですね。しかし、やはり、階級差のない教育を受けたとしても、階級さは変わらない、そのため他の国へ行き、成功を納めようという、探求心が沸き上がってきたことにより、それを教育という一つの武器として使っていたのですね。
    ゛未来の夢のために教育に金を惜しまない姿勢は、社会の根底に旺盛な知的好奇心があることを意味している゛とあることは、私たちが感じる乳幼児期にお金をかけてあげることが必要だと思っていることを感じるとともに、知的好奇心というのは、乳幼児期にもっとも多く経験することが基礎になる、こうした見解をもつとこの時期の体験は、もっとも未来の社会を支える柱になると考えられます。

  8. 学生の頃、バイト先の同僚が「大学に行くと給料が高い」「薬学部は先が安定している」など言っていて、それに違和感を覚えたことがありました。〝教育は精神を鍛え、探究心を掻き立ててくれるもの〟とあり、その意味を社会全体で理解していくことが必要だと感じました。お金のためや名誉のため、または親のための教育ではないということなんですね。
    改めて、教育が何のためで誰のため、どんな選択をしていかなければならないのかということを考えていかなければいけないですね。

  9.  「私たちはいつのまにか、教育の目的を見うしなったのかもしれない」「この科学離れの傾向は、日本でももちろん、各国が憂えていることです。」短大は保育の専門でしたが、それまでは小、中、高と一般的な学業に励みました。中学で若干感じていましたが、高校の時にしっかり科学や理科、物理などが苦手になり、それ以来ずっと触れずにきた分野ではありましたが、今保育の現場で文字・数・科学と探求していく中で、少しずつリハビリをしているような、そんな感覚になっていることを感じます。ちっち組(0歳児クラス)で光を用いた試みをしてみたり、不思議だと思ってもらえそうなものを提供したりすることは何とも楽しく、これが科学なのだとすれば、その楽しさを知らず、または知っていたとしてこの好奇心を奪ったものは何なのだろうと思ったりします。それが自分の受けた教育であったとするならば、本当に教育の目的とは何なのだろうと、問いたくなりますね。

  10. 「教育の目的」ということですが、小学校の頃に「なんで勉強しないといけないのか・・・」と多々思ってことがあります。それは中学、高校もです。成績を良くして、少しでも良い高校、大学に進学し、就職することが勉強の目的では?と感じたこともあります。しかし「教育の目的」というのは「精神を鍛え、探究心を掻き立ててくれるもの」とブログに書いてあるように、決して頭がよくなる為とか書いてありません。科学離れの原因も私は今の日本の教育システムに原因があるようにも思います。このまま何も変わらず続けていれば科学というよりも、勉強そのものが離れていってしまうのではないでしょうか。そしてダンバーが憂いていることが何か気になります。

  11. 個人の経済面で言えば、勉学に十分の費用をつぎ込まられない状況もあります。その勉学も机上のものだけでなく、実地体験もできるものもそれに含まれますね。ただ、事実そういった面にも注ぎこむことができれば向上することができます。これを個人レベルではなく社会、国レベルで行うことができれば一段と変わることができるかもしれませんね。過去、日本が各地で高い能力があったという事実から不可能ではないと思います。国内だけでなく海外にも目を向け、お互いがお互いを高め合うこともでき、それは様々な面に影響を与えるのではと感じました。

  12. 「未来の夢のために教育に金を惜しまない姿勢は、社会の根底に旺盛な知的好奇心があることを意味している」というのが印象的です。本当にそうですし、どうにか日本がそういった考えにならないものかと感じます。そして「教育は精神を鍛え、探究心を掻き立ててくれるもの」とあります。まさに幼児教育で必要なことではないかと感じるところです。そういった考えが評価されなくなってきているとなるとこの先はいったいどんなことにが評価されるのか恐くなります。探究心がなくなってしまうとはやり科学離れへと繋がっていくのですね。まさに科学は探究心がなければできなきことですね。科学離れをどう克服するのか、また難しい問題なのでしょうか。

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