忍耐力

天才は、何の苦労もなく優れた業績をあげることができると、人々は、昔も今も、そう信じて疑いません。その例として、さまざまな逸話が伝えられてきました。しかし、この種の逸話は97%が誇張だとダンバーは言います。天才たちは例外なく、陰で、大学図書館とかで、凄まじい努力をしているのです。ロレンスは、中世十字軍の城跡に造詣が深く、パレスティナでの発掘に参加して独創的な論文を書いたほどですが、その膨大な知識にしても、神からの霊感で与えられたものではありません。デカルトにしても、毎日ベッドでごろごろしているだけではなかったはずだとダンバーは言います。優れた数学者がよくやるように、潜在意識で思索を深めていただろうと推測できるのです。

ここでエンドルフィンが登場します。エンドルフィンの役割は、心身の消耗が引き起こす苦痛やストレスを和らげることです。たくさん本を読み、難解な証明やうまくいかない実験について考えていると、眼精疲労や頭痛に襲われ、イライラが募ってきます。しかし、生まれつきエンドルフィンがたくさん放出される幸運な人は、それを軽々と乗り越えていけるのです。凡人たちが力尽きてあきらめた後も、新鮮な心持ちのまま次に進めるのだとダンバーは説明しています。

体内のエンドルフィン濃度を高めるには、日常的に激しい運動をするのもひとつの方法かも知れません。もちろん運動すれば誰でも天才になれるわけではなく、記憶力とか論理的な思考の速さとか、IQはその人の特徴を多面的に伝えるものですが、私たちはその1つを見過ごしているのではないだろうかと彼は言います。それが、「忍耐力」だというのです。どんなに優れた脳みそを持っていても、それを徹底的に使いこなす努力をしない人は成功しないとダンバーは断言します。

やはり、ここでいくつも疑問が湧いてくるだろうと言います。大学の講義では、行列代数の証明に取りかかる前に、まずは10分間柔軟体操をやればいいのではないのか?湿原を歩いてフィールドワークを行なう生物学者は、1日中机に向かっている英文学者の同僚よりも立派な業績をあげられるのか?頭を酷使する職場では、脳内エンドルフィン濃度が高いことが採用の必須条件になるのでは?就職面接では、やっているスポーツについて根掘り葉掘り尋ねられるのか?もしスポーツとは無縁です、と答えたらどうなる?

ダンバーは、こんなことを言っています。「どうしても決めたかった就職先で採用されなくても、筆記試験が悪かったのかと気に病むことはない。きっと隣のやつのほうが、筋肉がぴくぴくしていたせいだ。」

このことは、子どもの教育を考えるときの参考になるのではないかとダンバーは言います。最近では、子どもにやらせたい活動のリストからスポーツが外れることが多くなってきていると言います。それは、「全員を一等賞にしなくては」という悪平等がはびこっているせいでもあり、訴訟ばやりの昨今、学校も地域も裁判沙汰を極度に恐れているからでもあるとダンバーは指摘しています。しかし、運動能力と学業の関係が本当に成り立つとしたら、愚かで意地きたない少数意見のせいで、全員がつまらない目に遭うのは賢明ではないと言うのです。

忍耐力” への13件のコメント

  1. 陰で天才たちは例外なく努力をしていたとありました。また「生まれつきエンドルフィンがたくさん放出される幸運な人は、それを軽々と乗り越えていけるのです」というようにそういった人はイライラを解消することが得意でもあるのですね。確かに、「やるぞ!」と思ってもうまくできずにイライラしてしまい途中で投げ出そうかと思ってしまったり、簡単に集中が切れてしまうということがあります。努力を積み重ねるためには「忍耐力」が必要になるともありましたが、そのようなことを乗り越えれる力も備えた忍耐力というものが大切になってくるのですね。そして、体を動かすことの大切さもありました。少し違うかもしれませんが、ランニングをした後に訪れるなんともいえない幸福感のことを思い出しました。走る前は「走るの嫌だな〜」と思っても、走っているとどんどん気持ちよくなっていきます。頭とは裏腹にある意味では体は正直なのかもしれません。また、最後のあたりを読むと、体を動かすことで学びを深めることがあるのではと思えてきます。プロスポーツ選手の言葉を聞いていると、年齢に関係なく、すごい考えを持っているなと感動することがあります。体を使うことでの学びというのは、子どもにとって、生活や遊びそのものが学びであるというのと同じことが言えるのかもしれないなと感じました。

  2. 天才は、何の苦労もなく優れた業績を上げられると思っている人は、本当の姿というものを見ていないということになるのですね。陰で大変な努力をして、その賜物としての業績となるわけですが、当の本人は、この努力を本当の「努力」であると思っているかは疑問です。どこか、好きだからとか、つい夢中になってしまうとか、そのような人が思い描く苦しい努力というよりも、知らず知らずのうちにやってしまっている魅力的な行為というものが、「努力」として見られているなんてことはないでしょうかね。また、そこでその夢中になっているものと向き合うための時間とか姿勢というものを支える「忍耐力」の必要性もあるということなのですね。「どんなに優れた脳みそを持っていても、それを徹底的に使いこなす努力をしない人は成功しない」というように、宝の持ち腐れのような現象も起きているかもしれませんね。優れた才能を持っていても、その才能を活かす「努力」が大切であることを学びました。

  3.  「エンドルフィン」や「忍耐力」という言葉へ向かって内容が進んでいることをこの度のブログで強く実感します。これまでの伏線のような展開もここに終始するのではと思うと、これらの持つ力の凄みというものを改めて感じるような思いが湧いてきます。手元にあったはずの言葉であったように思っていたのですが、こうして学びは深まっていくのですね。人生を成功に導く鍵がやはりこの点に示されているようです。
     「『全員を一等賞にしなくては』という悪平等がはびこっている」運動の価値がこのことによって変わってしまったようなきらいはあるのかもわかりません。体育会系のような関係性にも疑問符がつくところでもあるように見受けられます。「運動能力と学業の関係が本当に成り立つとしたら、愚かで意地きたない少数意見のせいで、全員がつまらない目に遭うのは賢明ではない」なるほど、運動を取り巻く社会の在り方を見直す時がきているということなのかもわかりませんね。

  4. 天才と称される人たちは影で凄まじい努力をしているのですね。そこで天才と凡人といいますか、一般的な人の違いは何だろうと考えると、一般的な人は努力を認めて欲しがるのに対し、天才は努力をひた隠しにしたがる傾向があるのかなと思ったりしました。
    どんなに優れた脳みそを持っていても、それを徹底的に使いこなす努力をしない人は成功しないという意味で「忍耐力」が挙げられるのですね。字の通り、「耐え忍ぶ」ことに関してはスポーツをすることが最も身につく手段だとスポーツやっていた分感じていますし、忍耐の先にあるものから忍耐強く続けて良かったと思えた思い出もたくさんあります。スポーツにおける忍耐力が学業への忍耐力および向上に少なからずつながると私は思えました。そして、賛否両論ある競争という点もスポーツにおけるエンドルフィンや忍耐力にも一役買っていたりするのかなと感じました。

  5. 天才と呼ばれる人と、エンドルフィンの関係、なるほどと思いました。自分なんか、難しい問題が来ると、すぐにあきらめたくなります。エンドルフィンの役割が心身の消耗を引き起こす苦痛やストレスを和らげることであり、その効果で疲労に耐えることができるんですね。スポーツもできて、頭のいい人がいるわけですね。こうしてみると、あらゆることに理屈と理論があり、ヒトが育つにも訳があるんだなと感じます。ヒトにとって環境がいかに大切かを考えます。
    学校や地域で運動をする機会の話が最後に上がっています。運動能力と学業の関係が本当に成り立つとしたら本当にもったいないことだと自分も思います。大人の理由のせいで子供つまらない目にあうのは本当にもったいないと僕も思います。

  6. エンドルフィン、このホルモンには常日頃助けられているような気がします。極度の緊張感をもって何かに臨むとき、このエンドルフィン分泌によって何とかその場をこなせた、あるいは凌いだ、ということがあるのでしょう。「体内のエンドルフィン濃度を高めるには」とありました。エンドルフィン濃度は高められるのだ、と新発見気分。脳みそを徹底的に使いこなす努力。これには、その努力を保障する環境が必要だと思うのです。年齢を重ねていくと、やったことがないこと、新しいことへの挑戦、は怖い、と思うようになります。これも老化現象の一つなのでしょう。そこを踏ん張って、老体に鞭打って慣れないことにチャレンジしてみる。この時にエンドルフィンが分泌され、ヒトを支えようとするのでしょう。エンドルフィン分泌こそがアンチエイジング?「忍耐力」。これは確かに必要でしょう。東日本大震災被災地域の皆さんはあらゆる意味でこの「忍耐力」が試されたのでしょう。適度な忍耐力は健康寿命を延ばすヒントになるものかもしれませんね。

  7. やはり、天才と呼ばれている人たちはみんなのわからないところで努力をしているんですね。ということは、「この人は神懸かっている天才だ」と他人のことを思うということは、その人のことをよくみていなかったということになるのでしょうか。もしくは、その人自身が努力を努力と思っていないのかもしれませんね。
    その努力の間、夢中になっている間というのは他のことは目に入らない、没頭している姿というものが天才という言葉から想像できますが、その姿は他の人から見れば滑稽に映ったり、変わっている姿かもしれません。そのような周りからの視線に耐える忍耐力が天才にはいるのかもしれませんね。

  8. ゛天才たちは例外なく、陰で、大学図書館とかで、凄まじい努力をしている゛この言葉があるほうが私としてはどこが安心できるところがあり、皆努力を怠らないほうがよいというような考え方ができそうです。自分自身もこだわりが強いほうなので、興味を持ったものへは追求するタイプなので、そんなときにもエンドルフィンが分泌し、よい方向に作用しているのかなとも思います。考えると、子どもたちの遊びのなかで見られるゾーン体験はこのようなものが作用しているのではないかと考えられます。単純な考え方ですが、どことなく落ち着かない時間から体を動かすような活動があり、その後、また、同じ遊びに向かうときに、集中しているような気がします。これも一つ関係性があるように思えました。

  9. 努力の天才といった、野球界のイチローが言われていますね。忍耐力を高め集中力を持続していくことが努力に繋がりその結果がついてくる。それが、これまで出てきたエンドルフィンに関係してくるのですね。物理的な痛みを和らげるためのものだけでなく、持続するときにキツイ、もうダメだという精神面にも効くのですね。しかも、その分泌量が平均よりかなり多く出ることでより持続力を高めていく。その面でも、人より優れていることがわかりますね。
    競い合うことが減ってきていることは、運動が苦手な子もそもそもがつまらないと感じるので、順位をつけなくても変わらない気もします。そして、今までよりもっと上になりたいという事実も曖昧になることは、面白いと思う機会もなくなるような気がします。これが当たり前になれば、向上心は上がらないのではないのでしょうか。変わりに勉強で。と思う子はどれほどいるのでしょうか。

  10. 先日コメントにも書いた近所に住む優秀な友人ですが、確かに努力というか、何にでも興味を持っていた気がします。もちろん影で努力をしていたんかもしれませんが、一番の驚きは中学になり、当時はバンドブームが起きると、彼もギターを購入してロックを演奏していたのです。天才というか、優秀な人は何にでも興味を持ち、それについて徹底的に研究というか、自分なりに納得するまで突き詰めるイメージがあります。その中でほとんどの人が根を上げてしまう段階でも、天才、秀才と呼ばれる人はブログにも書いてあるように、新鮮な心持ちのまま進めるのかもしれません。

  11. 忍耐力という言葉がありました。高校野球の時に毎日書いていた日誌に「忍耐力」というワードがよく出てきていたので何となく懐かしい感じがしました。「どんなに優れた脳みそを持っていても、それを徹底的に使いこなす努力をしない人は成功しないとダンバーは断言します」とありましたが、その通りだと思います。我慢する力には、乳幼児期の経験が関係してくるように感じました。
    また「生まれつきエンドルフィンがたくさん放出される幸運な人は、それを軽々と乗り越えていけるのです」という文章には、ポジティブな人を連想しました。同じような壁であっても、その人個人で感じるプレッシャーが異なるのにもエンドルフィンの働きが関係しているのでしょうか?そんなことを思いながら今回のブログを読ませていただきました。

  12. 「天才たちは例外なく、陰で、大学図書館とかで、凄まじい努力をしているのです。」実に意外なことでもあるなと感じますね。勉強は集中力とも聞いたことがありますが、そういった人たちは「夢中」になるということも得意なのかもしれないですね。そこでエンドルフィンの力も相まって努力を乗り越えられるのですね。エンドルフィンというのは脳内麻痺をすることで嫌なことも乗り越えられるような身体の作りというのはまた驚きですし、不思議さがより出てきますね。「どんなに優れた脳みそを持っていても、それを徹底的に使いこなす努力をしない人は成功しない」とあるように「脳を使いこなす」ことが大事なのですね。ここは自分に勝つとかそういった考えも関係してきそうですね。

  13. 今回の内容を見て、なぜ子どもたちは走りたがるのかということを思いました。できることであれば、体をたくさん動かしたい子どもたちの様子はこういったエンドルフィンをたくさん放出したいという表れのように見えてきます。そして、動きたい衝動と忍耐力とのバランスが子どもたちの成長やIQにも深くかかわっているのでしょうか。環境を作るうえでの考えとしてどうあるべきかと思います。また、「悪平等がはびこっている」確かに最近そういった話はよく聞きます。「運動能力と学業の関係が本当に成り立つとしたら、愚かで意地汚い少数意見のせいで、全員がつまらない目に遭うのは賢明ではない」といった考えを思うこともあります。本来の子どもの成長や発達というものが取りざたされているなか、なかなかその考えが社会にまで浸透していないことは残念でなりません。改めて、発信していくことや保育を厚くしていく必要があるように思います。

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