心の理論がうまく働かないと

さまざまな課題や状況によって差はあるものの、目に見えない他者の心の存在にはっきりと気づき始めるのは、幼児期であることは確かなようです。しかし、心の理論が一般に知られるようになったのは、実は自閉症研究から始まったのです。自閉症というのは、脳の機能障害で、知的障害を伴う場合もあれば伴わない場合もありますが、診断基準は、「対人コミュニケーションや対人行動の困難さ」と「限局的、反復的な行動や興味のパターン(こだわり)」のふたつがあり、「自閉的スペクトラム症」というひとつのカテゴリーにまとめられています。対人コミュニケーションの困難さとしては、言葉を字義通りに解釈してしまう傾向が強く、比喩や皮肉などの理解や、嘘と冗談の区別などが苦手とされています。反復的な行動や興味としては、通学路の道順にこだわるなどの行動が見られるとされています。

自閉症は対人関係に問題があるということは、当然心の理論が弱く、それが柔軟なコミュニケーションを生み出さない一因と考えられています。実際、自閉症児の言語年齢を定型発達児と同じくらいの約5歳に近づけても、定型型発達児より誤信念課題の正答率が低いそうです。心の理論がうまく働かないと、世の中はどのように見えるのでしょうか?バロン・コーエンは、まわりの世界の物理的な事情に気づくことはできますが、心に関する事柄の存在に気づきにくい様子を、次のシーンを例に、紹介しています。

「Aさんは寝室に入って、うろうろ動き回り、そして出てきた。」なにやら挙動不審な様子ですが、このようなシーンを目撃しても、心の理論が働く人は、「Aさんはおそらく、見つけたい物を探していて、それが寝室にあると思ったのだろう。」とか「Aさんはおそらく、寝室で何か物音がしたので、それが何であるか、泥棒でもいるのかどうかを知りたかったのだろう。」というように、Aさんの行動を心の状態、「見つけたい」「思った」「知りたかった」などを想定して解釈するので、このような奇妙な行動を見ても大きな不安はありません。

翌日に再びAさんが寝室の前を通りかかって、今度は寝室に入らずに通り過ぎたとしても、「Aさんは、昨日探していた物を見つけることができたんだな」といったように解釈するはずです。これに対して、心の理論が働きにくい人では、心の状態に関することばの使用が困難となるので、たとえば、「Aさんはおそらく、この行動を毎日この時間にやっているので、ただ寝室に入って動き回り、出てきただけだろう。といったように、行動が起こりそうなこの場合は、時間的な「規則性」などで解釈せざるをえないと言われています。ですから、Aさんがこの特定の時刻に毎日このように振る舞うのではないことを知ると、たとえば翌日、Aさんが今度は寝室に入らずに通り過ぎてしまうと、Aさんの行動を解釈できず、大きな不安を感じるのです。自閉症者が同じ事にこだわり、それが安心を感じるひとつの要因は、このような例からも説明できるかもしれないと言うのです。

ただし、自閉症者が、他者の心の理解をまったくできないわけではなく、多くの場合、条件を整えると定型型発達者と同じような心の働きを見せることがあると言われています。つまり、他者理解が「できる」ことと、そうした理解に基づいた行動を「自発的に行なう」ことのあいだに違いがあり、定型型発達者の特徴は、後者にあり、自閉症者は前者にあると考えられると林は言うのです。

心の理論がうまく働かないと” への13件のコメント

  1. Aさんの奇妙な行動を見ても、そこにAさんなりのなんらかの理由があるのではないかと予測することができるのが自閉症ではない人たちで、自閉症の人はそのよう行動を規則性で解釈するという特徴があるのですね。自閉症の人は心の理論が弱く、他者の行動をうまく捉えることができないために、人間関係に難しさを抱えているという自閉症の人の心を理解するということもそうではない人たちにとっては大切なことなのかもしれません。少し話はそれてしまいますが、そんなふうにそれぞれの特徴を持った人の特徴をそれぞれの人が理解し、関われるようになるともう少し社会というのも変わってくるのかなと思ってしまいます。また、自閉症の人が同じ行動にこだわるというのは、そのことで物事を理解しようとしている動作でもあるのですね。自分では当たり前のことが他の人もそうであるということばかりではありませんね。

  2. 今回の話を読んで、自閉症に対する考えを正すきっかけになりました。正直、自閉症と聞くと、ヒトと話すことができず、家に引きこもっているようなくらいイメージを持っていました。しかし、それは勝手な思い込みだったんですね。自閉症者が、他者の心の理解をまったくできないわけではなく、多くの場合、条件を整えると定型型発達者と同じような心の働きを見せることがあるとあります。とても印象的でした。環境がいかにヒトに影響を与えるかを改めて感じます。最近では、インターネット、テレビゲームなど、他者と関わりを持たなくても楽しめる環境が増えてきています。こういった要因も他者とコミュニケーションを取らなくなったことに関係があるのかもしれません。条件を整えると、とあり、この条件の一つが集団で生活することなのだろうなと考えました。昨日の話と繋がりますが、友達と助け合ったり、話をすることが他者の心を理解するきっかけになると思います。また、「自発的に行う」と「できる」には大きな違いがありますが、「できる」と「できない」ではもっと大きな違いがあると思います。子供同士の関わりがいかに大切かを感じました。

  3. 『「できる」ことと、そうした理解に基づいた行動を「自発的に行なう」こと』の違いを把握できる能力は、保育士にとって非常に重要だと感じます。子どもたちの目の前の姿を、次の発達に導こうとする際、どうしても「できること」に注目してしまいます。場面やシュチエーションを無視しながら、その場限りの行いを促して判断するのではなく、自ら積極的にそういった行動に移せる環境が大切であると思いました。また、自閉症者は「できる」ことのみに着目するということで、「他者理解」「心の理解」を総合的に自ら判断することはできませんが、社会で生きていくためには、その理解を視覚的や時間の理解とともに、繰り返しによって学ぶことが必要なのですね。そのような過程は、コミュニケーションを苦手とする「定型型発達者」にとっても、非常にわかりやすく認識しやすいということが、自閉症研究から明らかになったということなのですね。

  4. 〝条件を整えると定型型発達者と同じような心の働きを見せることがある〟とあり、以前に講演で、自閉症の子どもも時間があればできるようになるということを聞いたことがあり、単純に時間が足りなかったり、こちらが待てなかったりしていることをその講演の先生は危惧しておられました。つまり、自閉症でも理解はできているということで自分の見方を変えなければならないと思った先生の一言でした。
    〝他者理解が「できる」ことと、そうした理解に基づいた行動を「自発的に行なう」〟ということの違いは、自分たち保育者にとって重要なものとなると思います。子どもたちが自発的に行うことができる環境の設定をその見極めから、感じていきたいですね。

  5. 心の理論が一般に知られるようになったのは、自閉症研究から始まっていたのですね。最後に「自閉症者が、他者の心の理解をまったくできないわけではなく、多くの場合、条件を整えると定型型発達者と同じような心の働きを見せることがあると言われている」とあったことが印象的で、その条件が気になりますが、この条件を整えてあげることが自閉症者に対する支援として最も有効なものと考えられているということでしょうか。また、Aさんの寝室うろうろ事例での、心の理論の働く人と働きにくい人の比較がとてもわかりやすく、理解が進みました。そこから「多くの場合、条件を整えると…」とあった、条件は「規則性」に沿ったものにすればということなのか、もしくは、条件次第で規則性から外れた思考へと転換できるということなのかが気になりました。よく空気が読めない人を「KY」と言ったりしますが、そう感じるのは自閉症者同様に「心の理論」に関係している部分があるのではないかとも感じた内容でした。

  6. 時々、テレビで自閉症を持った人のドキュメント番組が放送されている時があります。今まで自分の周りに自閉症を抱えた人がいなかったので、そういう番組を見ることで、理解が深まります。さらに今回のブログを読んで心の理論が働きにくい人の考え方を知ることができました。確かに自閉症が同じことにこだわり、それが安心させる要因というのも理解できます。しかし、自閉症でも「他者理解」ができるようになるというのは重要なことだと思います。勝手にできないだろう、と決め付けるのでなく、できるようになる環境がもしかしたら重要なのかもしれません。

  7. “心の理論が一般に知られるようになったのは、実は自閉症研究から始まった”とあることから、実際に自閉症の苦手とする対人コミュニケーションの姿からやはり、相手の気持ち、心を読み取ることができず、困り感を感じていることを感じたように、自閉症は、なぜ、対人コミュニケーションが未発達な状態であるのかを調べると、私たちがなぜ、コミュニケーションをとるために相手の気持ちを考える必要があるのかを考える機会になると思います。苦手なとこだけで介入することで見えてくる姿というのは、実際に自閉症の子どもと関わるなかで、その子の関わりかたをゆっくりと学んでいるんだなと思います。また、例にあるような状況下では確かに何をしようと思ったのか、こうであろうという気持ちへの共感だったりとあり、”他者理解が「できる」ことと、そうした理解に基づいた行動を「自発的に行なう」ことのあいだに違いがあり”ある一定の条件があることで、定型型発達者と同じように他者理解を示せるというのは、私たちが専門てきに知っておくべきことであり、心の理論を体験できるというのでしょうか、そのような環境が必要であるとするのであれば、インクルージョンである保育の重要性を感じます。

  8. 心の理論が一般に知られるようになったのは、実は自閉症研究から始まったのですね。自閉症について、Aさんの行動を例にした文章を読んで詳しく理解することができました。自閉症者にはちょっとしたことでも不安に感じてしまうのですね。
    しかし、「自閉症者が、他者の心の理解をまったくできないわけではなく、多くの場合、条件を整えると定型型発達者と同じような心の働きを見せることがある」ことも書かれていました。この条件とは何なのでしょうか。「自閉症」については、保育の学校でも学ぶように関係性があるので知っておきたいと感じました。

  9. 自閉症の人というのは心の理論が弱いという表現になるのですね。心の理論が弱いということは人よりもあの人はこうするだろうなという予想がつきにくく、「行動が起こりそうなこの場合は、時間的な「規則性」などで解釈せざるをえない」とうことは保育者側としては把握しておかなければいけないことであることがわかります。それを自然と人との環境の中で生活していると育まれていくことが当たり前のことなのでしょうが少し不思議に感じます。どんな環境であろうと多少は心の理論というのが成長していくのでしょうか。我々はその心の理論をより濃密にできるような環境を用意していく必要があることがわかります。まさにそれが集団なのでしょうね。さらに個々にあった声かけなりがついてきて保育になっていく。それが「自発的に行なう」繋がるのでしょうね。

  10. 今回のブログを読みながら、自分もおそらくある種の発達障害を持ちながら今日に至ったのかも、と思いました。「自閉症スペクトラム」。この「スペクトラム」には濃淡、混色単色、さまざま、そんな感じがしますね。「こだわり」を持った時点でこの「スペクトラム」の仲間入り。正常とは何?と思ってしまいます。「自閉症スペクトラム」の人はそうじゃないだろう傾向の人にレッテルを貼られただけ。なのに、「気になる子」とか「発達障害」などと、あたかも特殊な存在に仕立て上げられている、そんな気がします。「心の理論」を私たちが知ることに繋がる業績が、自閉症とレッテルを貼られたか、またはそのような人たちのおかげであるなら、たまたまそうなったのであり、よって特別視する必要がない存在になってきますね。「こだわり」は訓練次第で薄まっていく、ということを現在進行形で体験している私にとって、「無我の境地」=「悟りの境地」がやはり究極の目標なのだということがわかります。

  11. 障害を持っていたとしても、全く心の理論がないわけではないのですね。これは、自分にとって決めつけでもあったからこその新しい事実です。
    今回これを読んで、一端ではあるのでしょうが考え方がどうなっているのかが少しでも分かりました。障がいの特性においても、もっと理解が必要だと思えました。

  12.  「心の理論が一般に知られるようになったのは、実は自閉症研究から始まったのです。」なるほどとても納得しました。「Aさんは寝室に入って、うろうろ動き回り、そして出てきた。」このシーンについての研究、解説もとてもわかりやすく、初めてこんなにも自閉症の心の中に触れるような文章に出会ったというような感慨があります。「自閉症者が同じ事にこだわり、それが安心を感じるひとつの要因は、このような例からも説明できるかもしれないと言うのです。」共生と貢献の社会において、このように人の個性を明らかにし、その人の気持ちになって考えられるような高等な文章を生み出せるような具体的な研究は、本当に素晴らしいと思います。障害という言葉を用いることも最早疑問が湧いてくるところですが、様々な人間が共生できる社会のために貢献できることがとても大切なのだと改めて感じました。

  13. 心の理論は自閉症研究から始まったのですね。理論を追って考えていくと自閉症児がどのように感じ、どういったところに不安があるのかがよくわかりますね。自閉症児は相手の行動を想定していくのではなく、「規則性」などを通して解釈しようとしているのですね。だからこそ、自閉症の子どもたちは自分自身もその規則性の中に自分を当てはめて、こだわることが多くなるというのは想像つきます。自閉症の方は非常に不安の中で生活されているのだなということを率直に感じました。また、人はかかわりの中でも、予想や自分なりの解釈をしているのですね。それによって不安を感じないようにしているのですね。予想というと保育の中で「柔軟性」というものは非常に重要なのではないかと感じることがあります。子どもの様子によって保育を変えますが、心の理論を考えると保育者ほど、心の理論をしっかりと持っていないといけないですね。

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