何歳から?

心の理論は、進化論的にチンパンジーの研究から始まりました。はじめは、チンパンジーが競争的な状況で相手に勝つための戦略として心の理論を発達・進化させてきたと言われています。なぜかというと、相手を欺いて打ち負かし生き延びることが心の理論の発達・進化の根底にある、とされてきているからです。ところが人類は、そのように敵を打ち負かすことで進化してきたわけではありません。その前に、他と共感し、家族、社会を形成し、その中で協力をして生き延びてきたのです。しかも、人類だけが他と共感するために、言語を所有して進化してきたのです。それを考えると、生存競争に勝つための欺きだけではなく、相手に自分のことを理解してもらいたい、協力してもらいたい、そしてより高い次元の物事を達成したいという欲求を実現する方向で心の理論が進化したと考えることほうが納得がいきます。

以前のブログで紹介した、1歳を過ぎたころでも、荷物を両手に抱えた大人がドアの前で立ち往生していると手を貸してドアを開けてくれると言われています。それは、「ドアを開けたいけれど、両手にものを持っているために開けることが困難で困っている」というような他者の意図を理解して、手を貸すのです。この実例を見ると、ずいぶんと早い時期に、しかも乳児のころから可能になることがわかりますが、以前は考えられなかったようです。そこで、最近では協力的なコミュニケーションの取り方を重視して、心の理論の発達を考えようという動きがあるそうです。

しかも、早い時期から心の理論が行なわれるというよりも、2 ~ 3 歳の子どもは向社会的な傾向が見られるので、社会的な対人関係でよいとされている物事に関して他者の心を推測することが得意なのかも知れないとも考えられ始めています。これは、私が考えていることと同じです。特に、日本人は、欧米に比べて社会的な対人関係を大切にする気質があるので、早い時期から「困っている人を助けたい」と思っている子どもが育っている可能性があるのではないかと思っています。しかし、この「助っ人課題」について研究した松井智子らが、先の「助けたい」状況を入れた誤信念課題の調査結果をイギリスやカナダの学会で発表したら、「現地の子どもではこうはならない」といわれたそうです。そこで、彼女らは、「もしかしたらこれは日本の子ども特有の傾向かも知れません。」と言っています。

そうであっても、私は心の理論の発達には、子ども社会が大きく影響していると思っています。しかも、それはすでに乳児のころから始まっており、人類が、乳児のころから共同保育をされてきたなかでそれを獲得してきたということは容易に推測できます。ですから、4~5歳のころから誤信念課題で正答できるという研究に対して、このような標準的な誤信念課題に正答できない3歳児でも、助っ人課題では正答できる傾向があるのです。自分の知識を伝達することによって他者を助けるという社会的な状況が与えられると、3歳児でも「知識がなければ間違ってしまう人(誤信念を抱いている人)」を選ぶことができるのです。

標準的な誤信念課題は、登場人物の人間関係や、ストーリーが進むなかでの登場人物の感情の生起や変化といった情報を省き、誤信念そのものに焦点を当てた課題です。しかし、ふだんの私たちは、誤信念のみにクローズアップするということはあまりなく、そこには同時に何らかの社会性が伴います。そのような意味で、助っ人課題は、「相手の知らない情報を伝える」という日常の社会的場面に近づけた状況で誤信念の理解を調べられており、私たちの心の理論の発達の解明により近づいているように林は感じていると言います。

何歳から?” への13件のコメント

  1. チンパンジーは競争という相手に勝つために心の理論を発達させてきたのに対し、人類は他者と共感するため、協力するために進化させてきたということからも教育、子育てがどういう方向で行われるべきかということははっきりしますね。「2 ~ 3 歳の子どもは向社会的な傾向が見られるので…」というのはまさに見守る保育の中での2歳児クラスのあり方に当てはまることですね。そして、藤森先生が言われるように心の理論の獲得には子ども社会が影響していること、またそれは乳児の頃から始まっていることというのは大切にしたい部分です。ある時期にあらわれる発達は、急にあらわれる訳ではありませんね。その前の段階で必要な発達を遂げているはずです。だとしたら、心の理論がまだ見えにくい乳児の時期の保育もとても大切になってくるのかなということを感じました。また「ふだんの私たちは、誤信念のみにクローズアップするということはあまりなく…」という言葉が印象的でした。こういったことは現場の私たちが大切にしなければいけない視点なのかもしれませんね。

  2. 助っ人課題をイギリスやカナダで発表したら、「現地の子どもではこうはならない」とあり、「もしかしたらこれは日本の子ども特有の傾向かも知れません」という一文が印象的でした。日本人はみんなで協力して、生活していくことが遺伝子から深く刻まれているのかも知れませんね。なんか嬉しかったです。
    心の理論の発達には、子ども社会が大きく影響しているとあります。三歳児で御信念課題は正解することができないが、助っ人課題なら正解確率が高かった傾向があるとあります。園でにこにこクラスが単独で保育されている理由とも繋がります。まさしく他者を理解する気持ちが芽生える時期なのですね。「心の理論」とは未だ理解しきれていないところが大部分ですが、少しづつ子供を見ながら学んで行けたらと思います。

  3. 「相手を欺いて打ち負かし生き延びることが心の理論の発達・進化の根底にある」という認識でいることと、「相手に自分のことを理解してもらいたい、協力してもらいたい」という根底があると認識しているとでは、実験への考え方であったり、その方法、仮説や取り組みなどに大きな違いが生まれることが予想できます。そういった人類学、生物学的な面からの認識があることによって「心の理論」究明に対する向き合い方もガラッと変わってきそうな印象さえ感じます。そして、「2 ~ 3 歳の子どもは向社会的な傾向が見られるので…他者の心を推測することが得意」という言葉から、日常のコミュニケーションの繰り返しから子どもたちが相手の心を読むことを面白く感じて、且つ、それを自然に思考の過程として組み込まれている時期というのは、おのずと得意分野になっていくというのが面白く、同時に言葉では言い表せなくとも行動で「社会的」な行いを示すことができる時期でもあるということがしっくりきました。

  4. チンパンジーは「相手を欺いて打ち負かし生き延びることが心の理論の発達・進化の根底にある」のに対し、人類は「生存競争に勝つための欺きだけではなく、相手に自分のことを理解してもらいたい、協力してもらいたい、そしてより高い次元の物事を達成したいという欲求」が根底にあるのですね。この2つには相手の考えを知ろうとする共通点はありますが、最も違うのは「相手に自分のことを理解してもらいたい」とあったことであるように感じました。コミュニケーションとは、一方通行ではなく、お互いにお互いがといった相互性の形が重要であることを改めて感じることができました。そして、心の理論の発達には、子ども社会が大きく影響しているとあり、さらにはそれはすでに乳児のころから始まっているともありました。乳児のころから子ども集団に属する重要性は「心の理論」という観点からも裏付けられることを知り、共働き世帯でなくても保育園に入園でき、集団生活をできる時代にしていくためにもより多くの人がこのような裏付けとなる研究結果を知っていってほしいなと思ってしまいます。

  5. 〝相手を欺いて打ち負かし生き延びることが心の理論の発達・進化の根底にある〟とされていたのが、〝相手に自分のことを理解してもらいたい、協力してもらいたい、そしてより高い次元の物事を達成したいという欲求を実現する〟ために心の理論が発達していったと考え方に変わっていっているんですね。赤ちゃんの研究、ひいては人間の研究が進んでいっていることの恩恵が表れているということですね。その前提が違ってくると今までのものから大きく方向転換が必要になってくるのではないかと思います。
    日本では〝早い時期から「困っている人を助けたい」と思っている子どもが育っている可能性がある〟とあり、先祖の方たちが培ってきた文化が伝承されているということでしょう。その伝承を受け継いでいくために自分たちも視点を常に見つめ直していくことが大切なことですね。

  6. 「生存競争に勝つための欺きだけではなく、相手に自分のことを理解してもらいたい、協力してもらいたい、そしてより高い次元の物事を達成したいという欲求を実現する方向で心の理論が進化した」本当にその通りですね。3歳児でも誤信念課題をクリアできるというのは、やはり乳幼児期にいかに集団、子ども同士、そして様々な人間関係という環境で育っているかが重要になってくるのではないのかなと思います。そうして人間関係の中でブログにも書いてあるように「何らかの社会性」を自ら体験し、そこから学んでいくのだと思います。

  7. 「相手を欺いて打ち負かし生き延びることが心の理論の発達・進化の根底にある」というチンパンジーの進化とは別に人類というのは「他と共感し、家族、社会を形成し、その中で協力をして生き延びてきたのです。しかも、人類だけが他と共感するために、言語を所有して進化してきたのです。」という人間の根底があるからこそ、助っ人課題では力を発揮するのですかね。それも1歳からそういったことができるというのは現場にいる私たちは理解していることです。それは子ども社会の中で育まれ、「他者を助けるという社会的な状況」というのが他者を助けたいという心を育てくれていることがわかります。

  8. 心の理論とコミュニケーションの能力の発達というのは考えてみるだけで、相互していることがよりわかります。他者を理解した行動、それが、相手へ対する協同的行動であったりすると思います。そう思うと、自分はこう思っているという自己的意思は、相手もそう思っているだろうという相手の気持ちは、自分と同じであるという子どもの発達の過程ににあるものは、実は相手はこう思っているが、自己の思考が優先するためにそのような行動になるのような解釈がよいのでしょうか。そのことに、”2~ 3 歳の子どもは向社会的な傾向が見られるので、社会的な対人関係でよいとされている物事に関して他者の心を推測することが得意なのかも知れない”とあったことからも、子ども社会ではもっと多くの対人関係ができているのではと思いました。そして、さらに”日本の子ども特有の傾向かも知れません。”とあることは、日本らしさからきたものなのか、遺伝子的にそのような傾向が強く、受け継がれたものなのか、いずれにしろ、協力することが得意であることに人と人との繋がりかたを感じます。

  9. 「1歳を過ぎたころでも、荷物を両手に抱えた大人がドアの前で立ち往生していると手を貸してドアを開けてくれると言われています」ということに驚きました。今の担当しているクラスが1歳児なのですが、自分が両手に荷物を抱えドアの前で立ち往生しているとドアを開けようとするのでしょうか。とても気になります。日本人は、欧米に比べて社会的な対人関係を大切にする気質があり、そういった環境で育つ子どもたちにも影響があるのですね。つくづく大人である私たちの責任を感じます。こうした日本人らしさというのは大切にしていきたいと感じました。

  10. 欧米型の自己主張、日本人型の状況依存。この括りで今回のブログを振り返ると、欧米型では、現生人類は滅亡するぞ、と直感したところです。現生人類以前に滅びた人類はおそらくチンパンジー的要素が濃厚だったのでしょう。しかも、敵の殲滅。同種であっても、智慧がある程度発達したおかげで、徹底して敵殲滅、そして結果として滅んでしまったのでしょう。これも直観の域を出ませんが。現生人類は、滅亡した人類から学んで、共生、協調の道を選んだのでしょう。そして「人新世」という地球の歴史上初の時代を築き上げた。話は変わりますが、赤ちゃん学に注目が置かれることは、まさに現生人類よ、原点に立ち戻れ、というサインかもしれません。さもなくば、我々もやがて滅亡の憂き目にあう、という警告かもしれません。現生人類を滅亡に導くのは赤ちゃんや子どもたちではありません。私たち大人です。その意味で、大人主導の保育教育は、もっと直截的に申し上げて「担当制」という大人主導の保育の在り方は、本人たちが気づいているかどうかは別として、滅びのスピードを加速させている、と言ってもよいかもしれません。赤ちゃんは神に近い存在、すなわち万能主に近い存在ということです。大人という神性から遠く離れた存在が「主導」「指導」する対象では決してありませんね。

  11. 一歳を過ぎた子でも、相手の様子を見てもしかするとと考えたり、困ってるのかなと思っていると思うとすごさしか感じませんが、実例であることのためその頃から育っていると思うと、この時期は無理だろなんて考えられませんね。

  12.  「人類は、そのように敵を打ち負かすことで進化してきたわけではありません。その前に、他と共感し、家族、社会を形成し、その中で協力をして生き延びてきたのです。」先日、藤森先生が「◯◯ファーストということで言えば私は人類ファーストです。」地球に生きとし生ける全てのものへの配慮をその言葉の後に加えつつ、このように話してくださいましたが、現代社会はともすれば真逆で、自分たちがよければいい、自分たちさえ優越ならいいという、人類が生き延びてこられた戦略ではない戦略で未来を描こうとしています。社会組織、その運営がトップダウンによって行われている時、それが保育の世界、子どもたちの世界にまで簡単に侵入してきてしまうもので、それをどうにか食い止めるのが、現場にいる保育者の大きな仕事の一つと言えましょう。「他者の意図を理解して、手を貸す」そんな温かな心をもった子どもたちがその心を大切にしようとする大人のもとで見守られながら育つ未来にこそ、本当の未来があるように思えます。

  13. 人は「他と共感し、家族、社会を形成し、その中で協力をして生き延びてきた」とあります。チンパンジーと違い、「他者」というもののとらえ方も大きく違います。社会を作るためには欺いてばかりだと、信頼関係を作ることは難しい。それだけ他者に協力をしてもらう関係性を作るときに「相手の助ける」という気持ちや「相手の知らない情報を伝える」といった行為は重要になってきますね。その中で前回は欧米の「自己主張型」と日本の「状況依存型」と二つのアプローチが出てきましたが、欧米の一人称的な考えではなく、状況を見ることが求められ2人称以上の状況がある日本とでは大きく考えの根底は違ってくるでしょうね。「空気を読む」「人の顔色を窺う」ということが日本ではあまりいい言葉では言われていませんが、それこそが日本人の強みなのかもしれません。そして、そのために日本は人の社会や子ども社会など、人に囲まれて生きる環境を作ることで、心の理論を伸ばしてきたのですね。より環境のあり方を考えさせられます。

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