動物の発声

ダンバーは、合理的かつ操作的な定義をもってすれば、チンパンジーには文化があることになると言います。しかし、トマセロが指摘するように、チンパンジーが文化を学習する方法がヒトと同じかどうかは、疑いを持ってしかるべきだろうと言います。そこで、「文化を生み出す能力」と「文化を発展させる潜在性」を区別するのも一つの考え方だと彼は言います。類人猿は野球帽を後ろ向きにかぶるなど、環境とのからみでさほど必然性がなくても、成り行きで新しい行動を身につけることがあると言います。けれども過去に誰かが達成したことを土台にして、新しいことを切り開いていく能力は人間にしかありません。もし文化というものがあるとすれば、科学はその代表選手だとダンバーは思っていますが、アイザック・ニュートンは、科学が進歩するには、「巨人の肩」に乗ることが不可欠だと考えました。まさにそれが、「文化を発展させる潜在性」と言うことだろうというのです。

では、人間を区別するものは何かというときに何度も出てくる「言葉」について、最近の知見ではどうなのでしょうか?当然のことながら、私たちが人間の文化と見なすものは、言葉に深く根ざしていることはたしかです。何かを説明するとき、教えるとき、儀式で詠唱するときに私たちは言葉を使います。デカルトが言うように、動物はそんなことはしません。しかし、彼らは声を出さないわけではないとダンバーは言います。イヌは吠えるし、サルはキーキー鳴きます。こうした泣き声は彼らの情動と直結しているというのが、これまでの常識でした。イヌが吠えるのは、興奮が一定レベルを超えたときに声帯が震えるから、というわけでした。ヒトも叫んだりうなったりして似たような声を出しますが、それ以外にも意味のある一連の音を任意で発声することができます。ミツバチが花蜜のある場所の方角と距離を伝える羽音もよく話題にされますが、これも言葉とは呼べないだろうとダンバーは言います。限られた特定の状況でしか使われないからです。相手の健康を気遣ったり、お悔やみを伝える羽音というのは存在しません。

それでも最近の研究結果から考えると、少なくともサルと類人猿に関しては、これまでの常識をひっくり返す必要がありそうだとダンバーは考えています。ペンシルヴェニア大学のドロシー・チェイニーとロバート・セイファースは、ケニアのアンボセリ国立公園で独創的な実験を行なったそうです。対象は野生のサバンナモンキーです。隠したスピーカーからサバンナモンキーの鳴き声を流して反応を調べたところ、彼らの泣き声は多くの情報を伝達しており、しかも発声者の行動に大きく左右されることがわかったそうです。彼らは、ヒョウ、猛禽、ヘビを泣き声で正確に表わしていたのです。ほかの仲間が何かやろうとしているぞとか、自分に近づく仲間が上位か下位かといったことを、グラントと呼ばれる低いうなり声のちょっとした違いで表現するのです。チェイニーがボツワナで行なった最近の研究では、ヒヒは、怒らせてしまった相手をなだめるためにグラントを発するのですが、それはもう謝罪と呼んでいいレベルだったそうです。かつてヒヒのグラントは、これ一種類しかないと思われていたのです。

どうやら動物の発声には、私たちが思っている以上に豊かな意味があるようだとダンバーは言います。無知な者が聞いたら同じような音でも、実際はとても複雑なやり取りが行なわれているようです。ヒト以外の動物の言葉に関しては、私たちはまだ初心者に過ぎないと彼は言います。それを解決できるようになるのは、まだ先のことだと言っています。