文化の起源

ケンブリッジ大学のウィリアム・マックグレーは、製作物こそ人間独特の文化だとする考え方を厳しく批判しているそうです。彼は、著書「文化の起源を探る―チンパンジーの物質文化」のなかで、人間が使えば道具になるのに、なぜチンパンジーが使ったら道具として認められないのかと疑問を投げかけたのです。アフリカで30年にわたってチンパンジー観察を続けてきたマックグルーは、ハンマーから探針、釣り道具、スポンジまで、彼らが自然にあるものを利用したり、手作りした道具をたくさん挙げて見せたのです。もしそれが説明書きなしで博物館に展示してあったら、ヒトと類人猿のどちらが使ったのか区別できないはずだと言います。マックグルーによると、チンパンジーの道具と原始的な人間社会で使用されていた道具の違いは、チンパンジーは保存容器を持たず、魚や獣を捕る罠を作れなかった、という二点だけだったと言います。

動物の文化として、あまりに有名で、もはや伝説の域に達している二例を、ダンバーは紹介しています。ひとつは、牛乳瓶のふたをあけるアオガラです。これは1940年代のイギリス南部の話で、アオガラが牛乳瓶の紙ぶたを開け、表面のクリームを吸い取るやり方を覚えたところ、ほかのアオガラもまねをするようになったというものです。もうひとつは、芋を洗うニホンザルです。イモという名の若いメスがサツマイモを海水で洗って食べたのを皮切りに、群れ全体にこの食べ方が広まったというものです。

しかし、どちらの例も、ここ数年心理学者からの厳しい攻撃にさらされているそうです。当時のデータを丁寧に検証し直した複数の報告では、文化的に学習する行動にしては、伝播のスピードが遅すぎると指摘されたそうです。サツマイモ洗いは群れ全体に広がるまで何十年もかかったし、しかもまねをしたのは若いサルだけで、年寄り連中はついに取り入れることがなかったのです。こうした新しい習慣が広がるのは、もっと単純なプロセスなのではないだろうかとダンバーは考えます。誰かがやってるのを別の者が注目し、それからは試行錯誤で問題解決を学んだというだけだというのです。これが人間ならば、先に習得した人から問題の本質を解説してもらいながら指導を受けることもあれば、ひたすら模倣だけで身につけることもあるかもしれません。それが、人間の文化と動物の文化のはっきりした違いだとダンバーは言うのです。

少し前のブログで、ライブツィヒにあるマックス・ブランク進化人類学研究所の心理学者マイケル・トマセロを紹介しました。彼は、「コミュニケーションの起源」ということで、人間のコミュニケーションの起源について、大型類人猿の経験から研究をし、考察し、理論的なものとして、仮説をいくつか提案しました。私のブログではこれを取り上げました。ダンバーもここで、彼の説を紹介しています。それは、最近のこうした見解を受けて、動物には人間と同じ意味での文化が本当にあるのか?という疑問を投げかけたことについてです。トマセロは、コミュニケーションの起源を研究していたこともあって、伝播のメカニズムに関心を持ったのです。それに対してマックグルーのような霊長類学者は、動物の行動そのものに興味があるようです。

この違いは、文化についての見解に、どのような違いを見せたのでしょうか?