どちらも正しい

人間の知性は詩を生み出し、現代科学をもたらしましたが、その知性といえども有限であると思い知らされるときがあるとダンバーは言います。たとえば、私たちは単純な二分法に陥ってしまうことがあまりに多いと言います。「賛成か反対か」「左か右か」「容認か排除か」「敵か味方か」という区別を単純に当てはめてしまうと言うのです。アフリカ南部で、昔ながらの生活を営み、かつてはブッシュマンとも呼ばれていたサン族は、自分たちのことを「ズー・トゥワシ」と称するそうです。これは、「ほんとうの人」という意味で、つまりはサン族とそれ以外の人間を区別していると言います。

ダンバーは、科学の世界でも二分法があまりに氾濫しているといつも思っているようです。死の性質をめぐる有名な論争もそうだと言います。光は粒子なのか、それとも波なのか?19世紀には、地質学界で天変地異説と斉一説が鋭く対立して大論争になったことがあったそうです。そんなときには、どのような決着を見るのでしょうか?

また、19世紀に、地質学界で天変地異説と斉一説が鋭く対立して大論争になったことがありました。天変地異説は、フランスの分類学者ジョルジョ・キュヴィエが唱えたもので、洪水や火山噴火といった環境の大激変が、それまでの生物を根絶やしにし、その後、新しい生命が出現したというものです。一方、斉一説は、地質的な現象は長い時間をかけて少しずつ起こっていったとする考え方です。こちらの中心人物は、イギリスの地質学者であり、ダーウィンにも影響を与えたサー・チャールズ・ライエルだそうです。

生理学の世界でも似たようなことがあったそうです。19世紀半ば、イギリス人のトマス・ヤングとドイツ人のヘルマン・フォン・ヘルムホルツが、いまではおなじみの「色覚三原色説」を提唱したのです。その後の研究で、赤・緑・青の三原色それぞれに反応する錐体細胞が網膜にあることが確認され、この説は正しいことが証明されたそうです。ところが、数十年も経って、ドイツの生理学者エヴァルト・ヘリングが、実験結果をもとに、「反対色説」を唱えたそうです。色覚システムは青と黄、赤と緑という組み合わせで色を認識しているというものでした。

ダンバーは、二分法で面白いのは、あれだけ白熱した議論が、どちらの説も正しいと指摘されると、きれいに収束することだと言います。光は、場面によって波になったり、粒子になったりするそうです。現実を踏まえて、分析に都合が良い方を選べばよいそうです。進化の速さも時と場合によって変わるそうです。火山の噴火や隕石の落下が起これば、生物が大量に死滅するので、たしかに進化は加速するでしょう。しかし、そうでないときは、たまに起こる突然変異を軸にしたのんびりしたペースで進むでしょう。色覚に関するふたつの説も、視覚情報を分析するシステムの違いに過ぎないそうです。硬膜は三原色で光をとらえますが、脳の視覚皮質は、4色で視覚情報を分析するのだそうです。

これと同じような例はほかにもあるようです。たとえば、ほ乳類の音の知覚をめぐっては、「場所」派と「周波数」派に分かれて激しい議論になりました。音の高さは、蝸牛が伝達した振動が、コルチ器官のどこに到達するかで決まるというのは場所派の主張です。一方周波数派は、コルチ器官自体の振動数が高さを決定すると考えました。結論はどうかというと、どちらも正しいということのようです。低音は周波数で、高音になるとコルチ器官内の場所にもとづいて処理されているのだそうです。