動物行動学

人間と動物のあいだの境界線において、動物は心の理論を持っていないのだろうか?ということが、長い間動物行動学の研究者が抱いていた疑問です。そのために、エリカ・カートミルとディック・バーンは、ある実験を行なったのです。それは、ご褒美の隠し場所を指示させるといった人為的な行動を要求するのではなく、類人猿の自然な振る舞いから、相手の心を理解しているかどうかを読み取るという方法でした。実験は、オランウータンの希望をあえてくじくという至ってシンプルなものだそうです。オランウータンの前に、好物のバナナがのった皿と、嫌いなネギがのった皿を用意します。オランウータンが食べ物を求めたら、実験者はあるときはバナナを全部やり、別の時はネギを全部やります。また、バナナを半分だけ渡すこともあります。それぞれの場合で、オランウータンの次の行動を調べたのです。

「実験者は自分の要求を誤解している」とオランウータンが考えたら、正しい要求をわかってもらうために、前回とまったく異なる身振りをするだろうと考えます。しかし、バナナを半分もらったときは、もう一度やれば残りも手に入ると思って、前と同じ身振りを繰り返すのではないかと考えました。実際にやってみると、その通りの結果になったそうです。

こうなると、類人猿は他者の心を理解できると考えてもいいかもしれないと言います。人間と動物のあいだにははっきりした境界線はありますが、大型類人猿は限りなく私たち寄りのようです。もちろん、いくら近いと言ってもせいぜい人間の幼児並みですし、いずれ小説を書けるようになるわけでもありません。それでも彼らは、自分が今見ている以外に、別の世界があるのではないか?と想像できるとダンバーは言うのです。そんな疑問を抱くことは科学の出発点だと彼は言います。さらに彼は、人間でも日々の生活に追われるばかりで、そんな想像の翼を羽ばたかせる余裕のない人はたくさんいると言うのです。

彼は、私たち人間は、動物にも心があると当たり前のように思っていると言います。それは、「心情を表現する」という行為が、生活のすべてに浸透していることの裏返しでもあると言います。哲学者のダニエル・デネットは、それを「志向姿勢」と呼んだそうです。それは、他者にはそれぞれ独自の心があり、それがこちらの精神の中身にも、あからさまではなく直感的に繁栄されるという認識です。しかし、動物が持っているのはどんな心なのだろう?私たちの心とどう比べればいいのか?という疑問をダンバーは持ちます。

心理学者たちは、およそ1世紀前から心の探究に力を注いできました。その流れで、記憶と学習の仕組みや、動物の問題解決行動、つまり迷路の出口にたどり着く方法なども詳しくわかってきたそうです。しかし同時に、基本的な認知プロセスということでは、どんな動物でも大差ないことが判明してしまっているようです。

しかし、ダンバーは、その結論にいささかの不満を持っているようですし、私たちも同様な気持ちではないかと言います。それはちょうど、家を建てるのに必要なレンガ、モルタル、スレート、材木、窓枠の詳細を渡されただけで、どんな家にするのか、なぜそこに建てるのかをまったく知らされないようなものだと彼は言うのです。あるいは、車の部品一つ一つについて事細かな説明を受けても、それらがどうやって車を走らせるのか、なぜ車を動かしたいかについては一言も触れてないとか、そんな様子をダンバーは、鉄道オタクを思い浮かべています。 彼らは、エンジンの型番はすっかりそらんじているのに、そもそも機関車が何のためにあるのか疑問に思ったことはないのではないかと言うのです。