骨の提供

ケネウィック人の骨が見つかった土地は連邦政府所有となり、陸軍が管理することになって、ただちに骨を押収した軍は、地元部族の団体からの要求に応じて骨を引き渡しました。しかし、それに待ったをかけたのが考古学者たちでした。彼らは、詳しい調査が終わるまで再埋葬しないようにと訴えを起こしたのです。それが、1998年10月のことだったそうです。訴訟は未だ決着していないそうです。この骨はかつてないほど綿密な分析が行なわれています。もしケネウィック人が、ヨーロッパ出身者だとしたら、アメリカ植民史の記述も少々変わってくるかもしれないほど重要なようです。

この一件は、人間の遺物は誰のものかという難しい問題をはらんでいます。古い骨であれば、人類みんなのもの、と言ってもいいのですが、比較的最近のものでも、人口移動のパターン、繁栄と衰退、試練や苦難といった人類全体の歴史について多くのことを語ってくれると言われています。形状や構造など見た目の比較、骨のDNA分析といった表面的な話では済まないのだとダンバーは言います。そうした遺物に対して私たちは何を、どこまでやれるのかと彼は問うています。

それを決めるのは私たちが用意する問いかけしだいであり、知識が積み上がっていくにつれて、そうした問いかけは複雑なものになっていきます。1940年代に入っても、お粗末な発掘手法によって貴重な遺物がどれほど永遠に失われたことか、とダンバーは嘆いています。近年に提起された問いかけでも、無知で見当外れだったものはたくさんあるようです。ただし、新しいテクノロジーの出現によって、状況は大きく変わるだろうと彼は言っています。実際ここ10年ほどのあいだに、DNA解析のおかげで、歴史のさまざまな側面での私たちの理解は飛躍的に深まったようです。ただそれもこれも、解析できる骨が手元にあればこそなのだとダンバーは言うのです。

再埋葬を要求するのは、先住民族ではなく、むしろ欧米の知識人であり、その裏には政治的な意図があるという意見もあるそうです。博物館という組織も、現代社会での役割が曖昧になりつつあり、政府からの圧力とも無縁ではいられないため、世間から非難されるようなことはしたくないようだと言います。ただ、そうして神経をとがらせるあまり、滑稽な結果を生むこともあるようです。アメリカのある博物館では、ほこりをかぶっていたイヌイットの骨格標本四体を故郷に戻して埋葬するため、グリーンランドに受け入れを求めたそうです。しかし、グリーンランドのイヌイットたちは、困惑するばかりだったと言います。その骨は自分たちと何の関係があるのか?というのです。

こうした骨をめぐるいさかいは、欧米科学VS先住民族の権利と感情、といった図式で見られることが多いのですが、いつも対立ばかりしているわけではないそうです。ロンドンのスピタルフィールズにあるクライスト協会で、埋葬されている骨を自然史博物館に移転する話が持ち上がったことがあるそうです。研究者は、骨の数々を、詳細な家系情報と付き合わせて調べることができたそうです。肖像画を含むそうした情報は、子孫たちが快く提供したものだったそうです。祖先の歴史を見えないところにしまい込むのではなく、より深く掘り下げ、祝福するために科学に協力して欲しい、そんな働きかけさえ怠らなければ、すべての関係者が納得できる成果が得られますし、さらにはダーウィン進化論をより大きな視点で理解することにもつながるだろうとダンバーは期待をしています。