化石証拠

ダンバーは、「それにしても興味深いのは、科学者として立派な実績を持つ合理的な人々が、なぜこうまでIDのとりこになるかということだ。」と言っています。ID信奉者の中に、有機体論的な立場をとる生物学者はいないそうで、進化論の正誤に関係ない分野の研究者がほとんどだと言います。それなのに、どうしてダーウィン進化論を目の敵にするのかわからないと言います。進化論は、物理学の量子力学に次いで科学史上もっとも成功した理論なのに、と思うようです。また、量子力学は人類が考え出した理論のなかでもとびきり複雑怪奇で難しいのにたいして、進化論はとてもシンプルで美しいとダンバーは言うのです。ダンバーの関わっている分野だからと言うわけでもなく、たしかに、ダンバーの言うとおり、量子力学などは、理解するのが難しいだけでなく、わけがわからないという印象ですね。

さらに、ダンバーは、IDに関しては、ひまでたまらない連中が教員談話室でたれながすおしゃべり、で片付けることもできるとまで言います。さらに、自然淘汰の威力と、進化の中でそれが果たす役割を理解しておかなければ、私たちの生活に深刻な影響が出てきてしまうと危惧します。たとえば、1950年代にDDY耐性を持つ害虫が出現し、1980年代に薬剤耐性マラリアが出てきたのもそれだと言うのです。さらに最近では、MRSAなどのスーパー細菌が世界を恐怖に陥れたことも記憶に新しいと言います。自分たちの手に負えないものを、これ以上作り出してはいけないのだと警告しているのです。

ダンバー自身ももちろん無神論者ではないと思いますが、ほとんどの場合、悪いのはキリスト教原理主義、つまり旧約聖書に書いてある世界創造の物語が文字通り事実だと信じる姿勢だというのです。それにしても、一部の宗教が進化論をやり玉に挙げるのはどうしてだろうか?類人猿と共通の祖先からの進化の歴史を辿ってきたことが、なぜこれほど多くの人々を激高させるのか?と彼は不思議に思っているようです。最近もケニアで、ボニファス・アドヨを筆頭とする司教たちが目を剥いて起こる出来事があったそうです。高位聖職者たちは、見学に来た子どもたちが悪いものに染まるという理由で、ナイロビにある国立博物館に人類の祖先の骨の化石を展示することに反対したそうです。無垢な子どもたちが、人類は、サルの子孫だと考えるようになっては困る、そんなことは断じてゆるさんというわけだったそうです。

これらのやりとりを、ダンバーは「進化戦争」と呼んで、さまざまな議論の応酬をいくつか例に出していますが、どうも私は戸惑ってしまいます。そのやり取りは、結局悲惨な結果を招いたり、農民は飢饉に直面することになったりした歴史があるようです。それはキリスト教原理主義者だけでなく、イスラム科学の歴史でも同じ事があったそうです。

これらの議論が、はっきりとした決着を見ないのは、化石証拠が断片的にしか存在しないこともひとつの理由だとダンバーは考えています。鳥と魚、あるいは霊長類とヒトをつなぐ生き物の化石はどこにあるのか?生き物がある形態から別の形態へ進化したことを証明する証拠は?こんな質問をされてもはっきり答えられないのです。ダンバーは、古生物学に言わせれば、化石は条件がいろいろ揃ってはじめてできるものだから、数が少ないのも当然なのだと言います。しかし、それを言っても言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、ここ10年のあいだに分子遺伝子が飛躍的に進歩して、この問題が劇的な形で解決することが増えたとも言っています。