自然淘汰

私は、インテリジェント・デザインの主張を知りませんでした。しかし、人類の誕生はたしかに進化だけでは語れないくらい偶然や、奇跡が起きている気はします。それは、現在では私たちの知性だけでは説明できないものがあります。ですから、日本でもそのようなことを主張する研究者や団体もあるようです。その説明できない力を神とすることは考えられますね。

IDの代表的論客のひとりが、ペンシルヴェニア州ベツレヘムにあるリーハイ大学の生化学者マイケル・ベーエだそうです。生きた細胞のように複雑なものが、部品を1つずつ組み立てるように細かい段階を経て進化したなんて考えられない、と彼は書いているそうです。細胞小器官を持たない細胞など、バネが取り付けられる前のネズミ取りでしかない。突然変異というめくらめっぽうなプロセスで、どうやって複雑な世界ができ上がったのか。それを証明できないことが、IDのそもそもの出発点を裏付けているのです。その出発点が、「世界をデザインした絶対的知性の存在」であるとしたのです。

こうした主張は、単純な人たちにはとても説得力があるとダンバーは言います。けれどもその裏には軽妙なごまかしがあると彼は考えています。たとえば、目、レンズ体が欠けた目など想像できるか?とID支持派は問いかけます。そんな不完全な目を持っていても、なんの役に立つ?と。しかし、この問いには、「ある」と短く答えるしかないと彼は言います。自然界にはそんな例が山ほどあるのだからと言うのです。しかもどの目も立派に機能していて、持ち主はありがたく使用していると言います。なぜそうなるかというと、いろいろな動物がそれぞれ独自に目を「発明」してきたからだと言うのです。形態が無数に存在するのも当然だと言います。なかでも多彩な種類を誇るのは、軟体動物だろうと言います。ひとくちに目と言っても、光に反応する細胞が集まっただけのものだからです。レンズ内、固定レンズ、レンズの調整が可能で、人間の目とほとんど変わらない物までさまざまであるとダンバーは言うのです。

IDで困るのは、支持者の多くが自然史をちゃんと勉強していないことだとダンバーは指摘します。IDの荒唐無稽ぶりを物語る実例は身近にいくらでも転がっているのに、彼らはそれを知らないと言います。さらに、ID支持派は、ダーウィン進化論も正しく理解していないと指摘します。進化は、偶然の結果、行き当たりばったりに起きる些細な変化が積み重なったもの、というとらえ方をしています。自然淘汰で進化が起きるなら、がらくた置き場を突風が吹き荒れるだけでジャンボジェット機ができてしまうではないかと、ID支持派たちは、主張するそうです。しかし、残念ながら、進化はそういう意味での行き当たりばったりではないと言います。突然変異はたしかに偶然ですが、長い時間をかけてそれを選別し、まとめていくプロッセスはでたらめではないのだというのです。

ダーウィンが体系化して理論に仕上げた最大の業績である自然淘汰にしても、方向性ははっきり定まっていて、しかも驚くべきスピードで進行することがあるのです。茶色いヒグマと共通の祖先から枝分かれして、真っ白なホッキョクグマが誕生するのに1万年しかかからなかったとダンバーは言うのです。