文化

幼児教育を語る上で、「子どもにとって最も大切な学びは遊びを通してである」と言われます。そして、その「遊び」とは、大人の遊びのような余暇活動でもなく、享楽的ではなく、学びそのものである、と言われます。しかも、乳幼児期における遊びは、また生活と明確に分離できるものではなく、遊びを生活に変え、生活を遊びに変える能力を子どもたちは持っていると思います。私は、人間における「芸術」とは、子どもにとっての「遊び」と同じようなものだと思っています。それは、決して余暇活動ではなく、享楽的ではなく、生きるそのもののような気がしています。

アルテミラ洞窟壁画における芸術家気質は、遙かな時間を超えて私たちに直接語りかけてくるとダンバーは言います。彼らは、もはや私たちと何ら変わらないとも言います。私たちが美しいと思うものは、彼らも美しいと感じるでしょう。その感動の一瞬に、人間を人間たらしめている本質が封じ込められているとダンバーは言うのです。ついに人類は「人間らしさ」を獲得したのだと言うのです。私たちは、現生のほかの動物はもちろん、地球の長い歴史に存在したどんな生き物とも一線を画しています。どこがどうとは具体的に指摘しづらいのですが、でも明らかに異なっています。その決め手は、やはり文化があるかないかではないかとダンバーは考えています。

アルタミラ洞窟に絵を描いた人々が、今から4万年ほど前にヨーロッパにやってきたとき、そこは無人の野ではありませんでした。ヨーロッパは、20万年前からネアンデルタール人の天下だったのです。ネアンデルタール人は、人類のなかでも珍しく繁栄した種で、50万年前頃ヨーロッパにやって来てから、少しずつその特徴を作り上げていったのです。身体はがっしりした筋肉質で、頭は大きく、後頭部に「ネアンデルタール人のシニョン」と呼ばれる独特のふくらみがあったそうです。下あごはがっしりしていましたが、あご先は発達していなかったようです。頑丈な体格を武器に、ネアンデルタール人は、東はウラル山脈まで勢力範囲を広げ、槍で突くという命知らずな方法でマンモスなどの大きな動物を仕留めていたのです。しかし、その後、現生人類の直接の祖先が採用する、軽量な投げ槍や弓矢などの「飛び道具」には縁がなかったそうです。

最後のネアンデルタール人が死んだのはいまから2万数千年前で、場所はスペイン北部だったと思われているそうです。つまり、現生人類よりはるかに長い間、種として存続していたことになります。現生人類が地球上に出現したのは20万年前、起源はネアンデルタール人と同じアフリカでしたが、そこからが違っていたようです。私たちは、7万年前までアフリカに留まり、その後突然紅海を渡って南アジアに移動したのです。ヨーロッパを中心に分布していたネアンデルタール人とはじめて出会ったのは4万年前のことだそうです。現生人類は、西アジアの大草原地帯を横断してヨーロッパに入ったと言われています。6000年前のインド・ヨーロッパ語族も、ローマ時代のアッティラ率いる遊牧民族フン族も、みんな同じルートでヨーロッパを目指したそうです。現生人類が、西アジアの大草原地帯を横断してヨーロッパに入ってから1万年と少しで、現生人類は、ネアンデルタール人に完全に取って代わることになったのです。