機内誌4月

今日は、今年度初めての出張です。飛行機に乗って最初に手に取るのは機内誌です。今回ANA機内誌「翼の王国」の四月号は初めて見ます。中を開けてみて、びっくりしました。大きな写真が目に入ってきたのです。そうです。アルタミラ洞窟の写真です。記事は、「西班牙(スペイン)洞窟壁画探訪記」です。スペイン北部は、洞窟壁画の宝庫だそうです。世界遺産に登録されている洞窟だけでも18カ所あるそうです。なかでも特に有名なアルタミラ洞窟をはじめとして、近年の調査で世界最古の可能性も指摘される壁画があると言われています。

報告者は、乾祐綺さんですが、彼はリードの文章の中でこんな感想を書いています。「想像してみた。色彩を伴って洞窟の中に描かれた動物たち。すると、すぐにある疑問が湧いた。大昔、それも暗い洞窟の中で、なぜ描いたのだろうと。」だれでも、洞窟に入って、その壁画に圧倒されます。同時に、よく誰にも見つからずに、きれいな色彩のまま残されたことにも興味が湧きます。

ブログでも簡単に紹介しましたが、記事には、もう少し詳細に書かれてあります。「アルタミラ洞窟には、およそ1万8500年~1万年前にクロマニヨン人によって描かれたとされる壁画がある。落石で入口が閉ざされ、奇跡的にも外気が遮断され、理想の保存状態が保たれた。1879年、土地の領主の娘、マリアが発見したが、古さや量、質など、いずれも当時の常識を越えていたがゆえ、発表した父は学会からねつ造を疑われ、失意のうちに世を去ったという。いつの世にも最初の“新しいもの”は歓迎されないのだろう。現在、洞窟の壁画は外気による損傷がひどく非公開だが、併設された博物館には、当時と同じ技法を駆使して精巧に描かれたレプリカがあり、それを見学撮影させてもらうことになっていた。」

見つけた当時はそんなことがあったのですね。人は、今までの常識に新しいものを当てはめようとします。そして、その常識で説明できないものを否定するか、自分の知識の中の言葉で片付けようとします。それは、このときは「ねつ造」という言葉だったのです。

この洞窟の作品群の多くは、調査によると一人の人物が描いたという見方もあるそうです。それは、このような芸術的な絵画を描ける才能を持った人は、そう多くはいそうもないので、そう思うのでしょうね。しかし、この辺りの洞窟には、いくつもの壁画が存在します。それらの作者は誰なのでしょうね。そんな中で、ブログで取り上げた手形はある意味、たいした造作もないにしては、感動を与えます。その壁画を見た人は、自分もやりたいと思うでしょう。ということで、手の壁画は世界各地で描かれているようです。乾さんは、世界各地で描かれているのは、もしかしたら本能かもしれないと思っているようです。

そして、この手形の壁画に対して、「素朴だけど力強いとわかる絵」と評しています。さらに、現地の人から、こんな説明を受けたそうです。手を壁にかざし、顔料を口で吹き付けたものです。そして、手の形にはいくつかあるそうで、数十人が共同で暮らしていたそうです。それは、記号のように見えたり、葉っぱのように見えたり、何かの細胞のようにも見えたり、赤く丸いドットのようなものは、まるで現代アートのようだったと言います。「何かはわからないのだが、原始的なカタチのそれらは、こちらに訴えかけてくる力があった」と振り返っています。

そして、最後のこう締めくくっています。「突然、壁画の意味がわかったような気がした。その時そこで描くこと自体が高潔だったのだと。そしてそれは、ヒトが水なしで生きていけないのと同様に、描くことも生きる上で不可欠な、もしかしたら欲求や本能に近いものかもしれない。」 

機内誌4月” への13件のコメント

  1. 藤森先生のこういった出会いには毎回驚かされます!今まさに先生にとってのホットな話題を周囲も提供してくれているそんな気がします。それはやはり先生が選ばれて人だからなのだろうなと思えてきます。本当にすごいです!偶然ではなく、まさに必然ですね。出会うべくして、出会っているという感じがします。この洞窟の作品の発見ですが、当時は「ねつ造」であると疑われていたのですね。発見者にとってはこんなに悔しいことはないだろうなと想像しました。驚きをみんなと共有したいという思いもあったのではないかと考えると、なんとも切ない気もします。また「人は、今までの常識に新しいものを当てはめようとします。そして、その常識で説明できないものを否定するか、自分の知識の中の言葉で片付けようとします」という先生の言葉も印象的でした。自分の常識にないことに対して、人はなかなか信用できないものなのですね。しかし、そんな思いを持ってしまっていると、他者に対しても寛容になれないように思いますし、新たな発見もできないように思います。自分の常識にとらわれない生き方をしていきたいなと思いました。「世界各地で描かれているのは、もしかしたら本能かもしれないと思っているようです」ともありました。子どもはこのような本能を持ちながら過ごしているように思います。そんな本能を発揮できるような保育をしていかなければいけないのかもしれませんね。

  2. 初めての発見は、それまでの常識で説明できないものは、弾かれてしまう。今回の説明では「捏造」という言葉で弾かれていました。本日の勤務中に園見学にきた方に他の職員が説明するという機会があったのでその説明に同行させてもらいました。ぐんぐん組の部屋での説明の時に椅子の配置について話がありました。ご飯をうまく食べられない子のそばに上手に食べられる子を配置しお手本になってもらうという説明がありました。
    階段を一段ずつ上がっていくような、新しい発見はすぐに受け入れられます。しかし10段も飛ばした発見は弾かれてしまいます。子供も、10段も飛ばした大人の見本はさほど参考にならず、1段上のお友達の方が見本になるのかなと思いました。つくづく子供たちの関係とは大切だなと感じます。まだまだ手を貸すことと、見守ることの距離感がつかめていませんが他の先生を参考に学んでいこうと思います。

  3. 芸術的なアルタミラの洞窟壁画ですが、当時も現代のように「芸術的」であると思われていたのでしょうか。一人が絵描かれていたとすると、「あの人は一体何をしているのだろう…」と思われていたような気がします。芸術とは、孤独な作業の繰り返しであると思います。未だ価値が築かれていないところに、社会的な価値を見出そうとするとてつもない行為です。これまでしてこなかった行為をしてこの壁画を描いたクロマニヨン人は、今やっと価値が認められて喜んでいるかもしれませんね。また、ドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスが『あらゆる人は芸術家である』といったように、感動を与えられる人は皆芸術家であると思っています。今は認められないことでも、人に感動を与えることによって、それが社会的な価値を帯びて羽ばたいていく姿に憧れを持っています。アルタミラの洞窟壁画からは、そんな思いを抱きました。

  4. 「いつの世にも最初の“新しいもの”は歓迎されないのだろう」とありました。理論付けが難かしいものなど、自分の認識の範囲外のものは認めたくない気持ちになるのが人間なのでしょうか。私も似たような経験をしたことがあります。知識を蓄えて、様々なことに理論付けすることも大事ですが、柔軟性といいますか、良い意味での適当さが必要なのかなと感じました。
    「この洞窟の作品群の多くは、調査によると一人の人物が描いたという見方もある」とあって驚きましたが、確かにこのような芸術的な絵を描ける人は少なかったでしょうし、いつの世も新たなものを歓迎できない風習がその人たちを人目のない洞窟壁画へと向かわせたことが保存状態の良い形で現代にまで壁画が残っていたことにつながっているのかなと感じました。「ヒトが水なしで生きていけないのと同様に、描くことも生きる上で不可欠」とあったことが印象的で、描くという表現がもたらすものが人類の進化、繁栄に大きな影響を及ぼしてきたのだろうなと感じました。

  5. 「およそ1万8500年~1万年前にクロマニヨン人によって描かれたとされる壁画」を発表し「ねつ造」を疑われた発表者の気持ちを考えるととても悲しいです。だだ、みんなで喜びを共有したいだけだったかもしれません。そんなことを思うと、「いつの世にも最初の“新しいもの”は歓迎されないのだろう」という人間の特徴には寂しさを感じます。しかし、自分の生活の中でも新しいものに出会ったとき、自分の意思で受け入れきれないことが度々あります。周りの様子を伺いながら受け入れることが正しいのか?と周りの判断に任せていることがあります。誰もが、自分の思いを素直に表現できるといいなと思いながら今回のブログを読ませていただきました。

  6. 今月1日のブログ「芸術の爆発」の冒頭に紹介されたカラーの写真。私はてっきり現代作品か、と思いつつ、本文に触れて驚きを隠せなかったことを思い出しました。「まるで現代アートのよう」。クロマニヨン人と共有している私たちの本能があるなら、あの手形と今日の「現代アート」の接点はそこから生まれ出ずるのか、そのように感じざるを得ません。自分の本能に素直になり創作すると共通点が現れてくるのか、時空を超えて。まぁ、ちょっと考えすぎですかね。知識や常識、これらは現在に至るまでの間に人類が積み重ねてきた思考の集積、と言えるでしょう。よって、それら知識や常識で図れないものは「ねつ造」ということになったり、危険思想と解釈されます。何か新しいことを言うと、それは危険だよ、と。私はなにが危険なのかよくわかりませんが。「知識や常識」は守旧的。それゆえ、これからはその過去の遺物を土台にしながらもそこから飛躍する知恵or智慧が必要とされます。これから出来する問題や課題はおそらくこれまでの知識では解決されない。智慧を働かせて、ということになるような気がします。

  7. 壁画を描いた人は何を考えて壁画を描いたのでしょうか。どうして、壁画を描こうと思ったのでしょうか。写真を見ているとその当時の人たちの気持ちが知りたくなりました。
    芸術的に描かれているという評価は現代の評価であると思いますが、その当時人たちはどのような評価をしていたのでしょう。スペインに18ヶ所あるということでしたので、少なくとも「自分も描きたい」と思ったのではないかと予想できます。
    子どもたちのお絵かきをみていると、1人の子がお絵かき帳をとり書き始めると、一気にお絵かき帳をとりに行く子が増え、テーブルと椅子にはお絵かきする子で溢れてしまいます。
    そのような状況が当時の人たちの中にもあったのでしょう。今回のブログの最後に〝描くことも生きる上で不可欠な、もしかしたら欲求や本能に近いものかもしれない〟とありましたが、子どもたちにも言えることであるように感じます。その部分を発揮できる環境を作ることが必要ですね。

  8. このなんとも言えない神秘さこそ、私たちの好奇心をくすぐるきっかけとなるものですね。そして、暗い洞窟になぜ、動物を描いたのか、そもそも描くことはどのような意味があったのかという見解まで考えてしまいます。見たもの、想像したものを言葉ではなく、描くといった表現方法が遺伝子的に私たちに受け継がれていると考えると、ごく自然なことであるととらえなければなりませんね。絵と言うものは、その時には価値や意味が分からなくとも時代が代われば、希少価値のあるもの、そして、人が生きてきた証しにもなります。私たちが描くという行動が手形は゛乾さんは、世界各地で描かれているのは、もしかしたら本能かもしれない゛とあるように、そういった環境が身近にあることが必要なものだとも思います。何を芸術ととるのかは、その人の思いや絵に込められたものとフィーリングが合わさったときだと思います。なので、芸術的だと思うのは、それぞれの感性から生まれるものは、こうあるべきだという固定概念を植え付けてはならないものだと改めて思いました。

  9. 新発見したものはいつの時代も否定から入っていますね。証拠や証明ができなければ、ダメ、否定、無いものとされてしまいます。でも事実として、本当にあったものであれば今まで否定して来た人はどう感じるのか、なぜ完全否定をしてしまったのか。もっとよい汲み取り方があったのではと思うのでしょうか。
    こういった内容のブログを書かれている中で、まさかの巡り合わせというのでしょうか、驚きですね。

  10. 藤森先生のアンテナと巡り合わせというのはやはりすごいことなんだと実感します。「人は、今までの常識に新しいものを当てはめようとします。そして、その常識で説明できないものを否定するか、自分の知識の中の言葉で片付けようとします。」というなんとも人間の乏しい部分が印象的に残ってしまいます。当時はそれが「ねつ造」という表現だったというのも頷けますね。「ヒトが水なしで生きていけないのと同様に、描くことも生きる上で不可欠な、もしかしたら欲求や本能に近いものかもしれない」というのも印象的でした。だから人類には美術館が多く存在し、それは当たり前にあります。そしてそれは多くの人が訪れ魅了されます。人間の本能の部分であるのならそれは当然のことですね。

  11. 「ヒトが水なしで生きていけないのと同様に、描くことも生きる上で不可欠な、もしかしたら欲求や本能に近いものかもしれない」この言葉が正しいのかどうか分かりませんが、私個人としては、素直に納得できます。どの時代にも天才肌というか、芸術に長けた存在がいて、そういう存在は自然と絵を描いたり、物を作ったり、何かで自分を表現しようとします。その結果がアルタミラ洞窟の壁に描かれた絵のような気がします。しかし、発見された当時は「ねつ造」疑われたと書いてありますが、自分の想像、考えをはるかに凌駕してしまう物になぜ反抗的な態度をとってしまうのでしょうか?今まで自分が行ってきた事を全て否定されたと思うのでしょうか?新しい事というのは、自分の中にもプラスになるはずです。絵を書いた人も、もしかしたら他の誰かが描いているのを見て、自分も真似てみたのかもしれません。子どもも同じように、人は新しい事を知りながら、成長してくと思います。

  12.  機内誌に掲載されていた洞窟壁画を発見した時の感動は、もしかしたら初めて洞窟壁画を発見した時の感動と全く遠くないもののように思いました。発見者にとって最適な時、機会を選んでその対象物は現れたのではないかと察します。
     「突然、壁画の意味がわかったような気がした。その時そこで描くこと自体が高潔だったのだと。そしてそれは、ヒトが水なしで生きていけないのと同様に、描くことも生きる上で不可欠な、もしかしたら欲求や本能に近いものかもしれない。」文末の文章は最高ですね。藤森先生の絵を見ていると、この文章が先生の心に響いたことにとても納得のいく思いのするところです。描く、書く。時に、渇望するような思いに駆られます。それをありのままに表現出来る場を与えられていることに、改めて感謝の気持ちが湧いてきます。

  13. 今年度初の出張、その飛行機の機関誌でアルタミラ洞窟のことが紹介されていたのですね。まさにシンクロニシティですね。こうも今話題のことがそこここで情報が下りてくることに神がかっている何かを感じます。また、それだけ世界的に見てもグレートジャーニーの話題は今ホットなのでしょうね。まるで、今の時代において過去の人々の営みからまなぶことが多いというメッセージが下りてきているように感じます。実際、目の前でこの壁画を見たことはないのですが、目の当たりにするとその力強さに圧倒させられるでしょうね。「ヒトが水なしで生きていけないのと同様に、描くことも生きる上で不可欠な、もしかしたら欲求や本能に近いものかもしれない。」とあります。そうなのかもしれません。一見、過去の人やともに時代を過ごす人にとっても、それは生きるためには必要とされないものです。しかし、のちの世に何かを残す、いたことを証明する。といったことは人の欲求として、強い動機をはらんでいるのかもしれませんね。そういったものだとしたら、その絵には圧倒されるほどの力強さをかんじるでしょうね。

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