客観的な視点

動物の発声には、私たちが思っている以上に豊かな意味があるようだとダンバーは言います。しかし、ヒト以外の動物の言葉に関して、解決できるようになるのは、まだ先のことだと言っています。それでも、チンパンジーに言葉を教える試みは、かなりの成果を挙げているようです。これまでにチンパンジー数頭と、ゴリラとオランウータンが1頭ずつ訓練を受けているそうですが、目覚ましい成果を挙げているのはチンパンジーだけだそうです。出された指示に従い、質問に答えるチンパンジーの認知能力は人間の幼児と同じレバルだそうです。しかし、さらに驚きなのは、チンパンジーとほぼ同等のことをこなす鳥がいたということです。みんなに愛され、惜しまれながら世を去ったオウムの一種、ヨウムのアレックスは、英語での会話までやってのけたと言います。

それでも動物には決定的な障壁があるとダンバーは言います。もっと高次元の文化に進んで、宗教的な儀式とか、文学とか、さらに科学を生み出すには、自分の殻から出て客観的な視点で世界を眺めることが不可欠だと言います。それには、「何が起こったのか?」だけでなく、「どうしてそうなったのか?」という問いかけが出来なくてはならないと彼は考えています。しかし、動物は、あるがまま世界を受け入れているようだと言います。自分の利害だけを気にする小さい視点を離れ、いまとはちがう状況を想像できるのは人間だけの能力だろうと言います。子どもの「どうして?」攻撃におとながいらだつのも、人間ならではのことなのだとダンバーは言います。

一歩下がって物事を見られる能力を社会的な場面で発揮できれば、「心の理論」が充分に発達していることになると言います。心の理論ができていれば、他者の心の内を理解したり、さらにはその知識を武器に相手を利用したり、意のままに動かすことも可能です。この能力は、生まれたときにはなく、だいたい四歳頃に獲得しますが、なかには自閉症者のように一生身につかない者もいます。心の理論がまだできていない子どもは、巧みな嘘がつけないし、なりきり遊びもできません。そればかりか心の理論がないと小説は成り立たず、科学や宗教も存在しない。どちらもありえない世界を想像できないと話にならないからだとダンバーは言うのです。

これほどの高みに到達した動物はいません。サルは相手を欺くことはしますが、それはせいぜい3歳児レベルのものです。他者の行動を読んでつけ込むことはできても、他者が自分とはちがう考えを持っていることは理解できないと言います。それに対して唯一の例外は、大型類人猿ということになるそうです。

人間と動物の境を知るにつけ、何度も思うことですが、私たちは果たして人間の領域になっているのだろうかということです。三歳以上にもなると、人間であれば、他者の行動を読んでつけ込むことが出来るだけでなく、他者が自分とはちがう考えを持っていることを理解できるはずだと言うのです。また、これらの能力を考えるとき、こんな疑問が湧いてきます。それは、能力は個人によって違っていますが、他の動物も個によって違いがあるのでしょうか?種によっての違いではなく、同じチンパンジーでもできる個とできない個が、人間ほどの違いがあるとは思えないのですが。

個人によって、持っている能力が大きくちがうのは人間の特徴かもしれません。

客観的な視点” への13件のコメント

  1. 「どうして?」を考えられること、考えようと思うことは、自分の利害だけを気にする小さい視点を離れ、いまとはちがう状況を想像できるのは人間だけの能力になるのですね。客観的なものの見方は社会的な場面で発揮することができればそれは「心の理論」になるのですね。この心の理論、他者の考えていることを想像し、それによって自分の行動を考えるという能力が人類と動物とを分ける能力になってくるということですね。だとするとこの心の理論が人類が生き延びていくために大切な力であるということが分かります。そして、社会的な場面でこそ発揮されるべきこの力なのですから、人類には社が必要ということになります。社会がなければこの心の理論はなかなか育まれないのかもしれません。この社会が希薄になってきた現代だからこそ保育園が持つ社会が大切になってくるのですね。最後に「個人によって、持っている能力が大きくちがうのは人間の特徴かもしれません」とありました。これは多様性的な考え方が当てはまるのでしょうか。それとも人類の生育には環境がかなり影響しているということなのでしょうか。

  2. 起こってしまった事象の原因をあれこれと考え、あーだからこんなことが起きたのかと理解しようとするのは、人間の本能でもあるのですね。「しかし、動物は、あるがまま世界を受け入れている」というのも、なんとなく憧れたりもします。情報が交錯するあまり、ありのままを受け入れるのは難しい世の中であるとも感じていましたが、そうなるのは人間の性でもあるのですね。また、「自分の利害だけを気にする小さい視点を離れ、いまとはちがう状況を想像できるのは人間だけの能力」ともあり、自分の枠を飛び越えて、相手や集団、そして社会の未来を想像することもできるという素敵な面が人間にはあるということが分かります。動物に見られる差と、人間の個人差とが別であることも、能力の幅が広範囲であることが社会を成熟させてきた要因でもあるのでしょうか。

  3. 動物が言葉を扱う研究がめざましい成果を上げていることに驚きです。チンパンジーが人間の幼児と同じくらいの認知能力を有しているんですね。しかし、動物には決定的な障害があるんですね。それが客観的な視点で世界を眺めること。物事の事象に対して疑問を抱くのも人間ならではであり、動物はあるがままの世界を受け入れている。いまとはちがう状況を想像できるのは人間だけの能力という話は印象的でした。子供が「どうして?」を聞いてくるのは、世界を客観的に見られていて、その成長を喜ぶべき嬉しいことなんですね。これが、ゆくゆくは「心の理論」に繋がっていくんですね。「どうして?」と聞かれて「うるさい!!」と言ってしまうと、心の成長が促せず、他人の気持ちを理解できないヒトになってしまうのかもしれませんね。改めて、子供との会話は大切にして行こうと強く思いました。

  4. 「何が起こったのか?」「どうしてそうなったのか?」と起こった事象の裏付けを取ろうとする「自分の利害だけを気にする小さい視点を離れ、いまとはちがう状況を想像できる」思考は人間特有のものであり、これも人間味の1つであることがわかります。しかし、理論付けが難しいことに関して排除するような考えではなく、時には動物ように「あるがまま世界を受け入れる」ことも必要であるように感じました。私たち大人が子どもたちから学んだり、思い出させてくれる存在であるように、動物もまた、私たちに学びを提供してくれる存在であることに気付かせていただきました。また「私たちは果たして人間の領域になっているのだろうか」とありました。これは私個人としても思っていたところで、自分の行動や思考の一つ一つを思い返せる良い機会となりました。そして、動物の能力の違いからなる「個性」という点は今まで持っていなかったので新鮮でした。個性の違いによる能力の差も人間の特徴であるのですね。

  5. 〝自分の利害だけを気にする小さい視点を離れ、いまとはちがう状況を想像できるのは人間だけの能力〟とあり、子どもからの「どうして?」の質問が多くなる時期というのは、その能力がつき始めている時期だということなんですね。
    一つの物事をなぜ、どうして、いつ、どのようになどあれこれ考えて、探ることは人間にしかない能力であるということを知ることができました。ですが、時には動物のようにシンプルに〝あるがまま世界を受け入れている〟ということも必要なことではないのか、と思いました。
    自分のことだけではなく、他者や他集団などのことも考えることができるというのは人間の素晴らしいところだと思えるものです。さらには、動物との差や人間の中での個人差があることで、今日のような多様な社会が形成されているのではないかということを感じました。

  6. 動物と人間の境界、こうした区分は「縄張り」的な意味を持つのだろうか、と考えてみたくなります。縄張り意識があるうちは、人間もやはり動物の一種、この限界から出られないでしょう。「どうして?」これは私がいつも発する疑問です。そしてその疑問の根底には、その意味を知りたい、が潜んでいます。「なぜ?」「どうして?」は子どもだけの特権ではなく、私たち大人も常に発していい疑問のような気がします。ある一定の解釈が存在したとして、その解釈のそもそもを問いたくなります。「こころの理論」EQ力は「平和で民主的な」社会の形成にとっては必要不可欠でしょう。EQ、EQと言われてから数十年が経過していると思うのですが、世界は相変わらず二分法及びIQの世界のような気がしてなりません。子どもが本来持っているこのEQ力を引き出せる環境が必要です。「ヒト以外の動物の言葉に関して、解決できるようになるのは、まだ先のこと」とありました。「先のこと」とはいえ、解決の可能性があるんだ、と何だか将来が楽しみになります。果たして自分が生きているうちはどうなのか・・・まぁ、無理かも。いやいや、今日の技術革新の凄さをみれば、ありかも。

  7. ゛動物は、あるがまま世界を受け入れているようだ゛に対して、人は、なぜ起こったか。を知るばかりではなく、それが起きた理由を追求する能力があり、これは子どもたちに見られるどうして?の部分にあたると考えられるだけでも、わたしたちは生まれながらにある事象に対して疑問に思ったり、感覚的に考えることをするのでしょうね。動物のもつあるがままを受け入れるというのは、案外難しいことで、これができることもある意味で特徴ある能力だと感じました。心の理論、客観的に見つめることができるというのは、そういった時間を経験することが必要な気がします。自分はどう思ったのか、あのときどうだったかと振かえるなかでの自分自身を見つめ直し、自分という存在を知ることができることは重要であることを再確認できます、

  8. 動物、チンパンジーでも3歳児レベルには言葉が発達できることには驚きですが、4歳児5歳児のレベルには到達できない。ヒトはそれだけ低い年齢であっても能力が高く、相手を理解しようとする能力さえ備わっている。分かっていたことであっても、動物とヒトとの差を見るとすごいものを感じます。
    ただ、動物の運動能力のすごさを考えるとその分、人間は知能としての能力が高いのではと思いました。

  9. 客観的な視点で世界を眺めることができる人間とあるがままの世界を受け入れる動物にこれだけ差があるということは、「客観的な視点」で物事を見ることは重要なことなんだと感じました。
    自分が毎日の生活の中で無意識にとっている行動に、これほどの意味があることを確認できた気がします。また、「心の理論ができていれば、他者の心の内を理解したり、さらにはその知識を武器に相手を利用したり、意のままに動かすことも可能です」という文章から、他者の心の内を理解できることで人との付き合いが成り立っていることと、自分のことだけを考え他者を欺くなど悪い方向にも能力が使われる可能性があると感じました。現在社会の人付き合いや起きている問題を見るとその「心の理論」と重なるところがある気がしました。

  10. 「自分の殻から出て客観的な視点で世界を眺めること」これは確かに動物には難しい能力かもしれません。あるがままの世界を受け入れようとしているというのも、何となく分かる気がします。ちょうど長男が色々なことに「どうして?」と聞いてくるようになりました。自分の殻から抜け出し、客観的に物事を捉えようとしているという事になります。やがて「心の理論」を獲得していくようになるのですね。子どもの「どうして」攻撃も発達上、聞いていくるのは分かっているとはいえ、やはり忙しい時に聞かれると適当に対応してしまいます。しかし、こうして理論的に説明されると私は感動し、できるだけ真剣に向き合おうという気になります。

  11. 単純にチンパンジーとオウムはすごいなと感じますが、人間との差ははやり大きいようですね。「自分の殻から出て客観的な視点で世界を眺めること」というのは人間ならではなのですね。それに対して「動物は、あるがまま世界を受け入れているようだと言います。自分の利害だけを気にする」というのは初心者ながらわかる気がします。年長さんが赤ちゃん組にお手伝いに来ると泣いている赤ちゃんに対して、どうして泣いてるんどろーと考え、客観的な視点から赤ちゃんを見て、じゃこのおもちゃを与えてみようだとか歌ってみようというのは人間ならでは行動であるのですね。それは人類が培ってきた賜物でもあるように思えてきます。

  12.  「子どもの『どうして?』攻撃におとながいらだつのも、人間ならではのこと」息子のこの攻撃に苦戦していただけに、とても勉強になりました。まさか動物にはない高次元なものであったとは知らず、今日からまたこの問いに対して改めて、寛大どころかむしろ歓迎していこうと思います。最近はどうも自分の心が曇った時に、その曇りを曇りのまま表現すると、曇りのまま表現したことを後悔するような形で学びを得ることが多々あります。家にいてもどこにいても、一日の中に必ず学びが用意されているようで、何とも有難いものですね。日曜日だからと気を抜かずに、しっかりと一日を積み上げていかなくてはと心を新たにしました。

  13. 「何が起こったのか?だけではなく、どうしてそうなったの?という問いかけができなくてはならない」とあります。確かに子どもたちを見ていても「なぜ?」「どうして?」と聞かれることがあります。このことこそ、人間ならではのことなのですね。客観的な視点など一歩引いた一から物事を見ることこそ、ヒトの特徴であり、社会を形成するうえで重要な能力なのでしょうね。よく考えると人工知能もこの部分が非常に実現が難しいということを思い出しました。「心の理論」も自分自身の感情を思うことはプログラミングできても、それを相手に置き換えるという客観的なものは難しいのだと思います。しかし、そのことを受けると今のコミュニケーション能力の低下など、心の理論や情動のコントロールといった社会問題を見ると「私たちは果たして人間の領域になっているのだろうか」ということを感じてしまいます。

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