芸術の爆発

ダンバーは、アルタミラで見つかった先史時代の洞窟壁画に描かれている壁面を埋め尽くす子どもの手形に魅せられます。管理人の許しを得て、そこに自分の手を置いてみると、何千年もの時を飛び越えて、子どもたちの温かい手を感じるだろうと言います。そして、こんな思いを馳せています。

出典 www.rbbtoday.com

「これが神秘でなくて何なのか。この手の持ち主はどんな子で、みんなからどう呼ばれていただろう?彼らは大きくなって自分の子をもうけ、白髪の長老となってみんなから尊敬を受けながら、霧がかかったような記憶のなかから、遠い日のことを思い出すのだ。それはきっと春だったろう。獣脂のたいまつを頼りに曲がりくねったトンネルを進み、奥まった洞窟で冷たい岸壁に手を押しつけたら、おとなの誰かが上から塗料を吹き付けたのだ。いや、ひょっとすると子どもたちは病気や事故、あるいは猛獣の餌食となって短い生涯を終えたのかもしれない。子ども時代の最初の輝きを放ったところで、未来が断ちきられたのだ。だが母親の人生はそんな小さな悲劇の繰り返しだったに違いない。母親はわが子を失うたびに悲嘆に暮れ、手放しで泣き叫んでいただろう。」

卒園式のときに、将来なりたい職業を発表した中で「考古学者になりたい」と言った子がいました。彼は、このダンバーのようなわくわくするような体験をしたいのでしょう。しかし、真実は知りようがありません。ただ、こうした洞窟壁画に関わった人々の暮らしぶりは、現代の私たちにも共感できるところがたくさんあるとダンバーは言います。洞窟壁画は、驚異的な進化を遂げてきた人類の能力がついに見事な形で開花したものであり、それを後期旧石器革命と呼ぶ考古学者もいるそうです。そのはじまりは約5万年前で、石や骨や木を材料にした高度な道具である、釘、石錐、釣り針、矢じり、槍などが、突如として大量に出現したのです。

続いて、3万年前には、文字通り芸術の爆発が起こりました。今日1日を生き延びるのには役に立たない装飾だけが目的の人工物が作られるようになったのです。ブローチ、彫刻をほどこしたボタン、人形、動物をかたどったおもちゃなどで、なかでも目を見張るものが小さな彫像だそうです。ヨーロッパ中部から南部にかけて出土しているそうです。「ヴィーナス」像は、その代表例であると言われています。乳房も尻もたっぷりした体型は、ミシュランタイヤのキャラクターを思わせるとダンバーは言います。当時はこういう女性がもてはやされたのだろうかと彼は言います。髪はきれいに編まれていることが多いそうです。素材は象牙と石、稀に素焼きもあるそうですが、ヴィーナス像は、後期旧石器時代でもっとも注目すべき人工遺物であろうとダンバーは言うのです。

そして、2万年ほど前になると、埋葬形式や音楽、来世の概念が生まれてきます。アルタミラ、ラスコー、ショーヴェなど、ヨーロッパ南部を中心に見つかっている洞窟壁画は、芸術という偉大な進歩に添えられた美しい花です。人類の進化の歴史の中で、こんな変化はかつてなかったそうです。文学から宗教、さらには科学に至る現代人類の文化は、ここで芽生えてたのだと彼は言うのです。

異なる種

 人類の起源について、私が子どもの頃に認識していたことからずいぶんと変わってきました。それは、新しい事実が発掘された遺跡や骨からわかってくるからです。そして、更新される事実は、「最古の」ということです。それは、どこからが今の人類になるのか、どの種から人類に進化したのかということでしょう。しかし、まだまだ謎は多いようです。

出典www.s-yamaga.jp ヒト(人類)への道:国立科学博物館

そんななかで、サヘラントロプスもオロリンも、チンパンジーとヒトが分かれるちょうど境目に位置するという意味で、とても重要な存在であることには間違いないようです。現生の大型類人猿はみんな森での暮らしを選んでいますが、私たちの祖先はとても早い段階で森に別れを告げ、樹木は生えてはいますが、開けた場所に移ったのです。そのことを考えると、オロリンたちの身体の特徴はとても興味深いとダンバーは言います。

 オロリンが出土した場所ではレイヨウやオナガザルの化石も見つかっており、そこが森ではなく、開けた木立であったこと、初期の類人猿の多くが新しい環境に足を踏み出したことがうかがえると言います。オロリンとサヘラントロプスの化石からは、2つの結論が導き出せるとダンバーは言います。ひとつは、ヒトがサルから分かれたころ、複数の異なる種が存在していたということです。もうひとつは、それらの種が広範囲に分布していたということです。たとえば、チャド中火がそうだったと言うのです。いま、大型類人猿が暮らす森は、そこから650キロも南に行ったところなのです。

 いっぽう、ヨーロッパでも、過去と手をつなぐ機会があったと彼は言います。それは、スペイン及びフランス南部で見つかった先史時代の洞窟壁画です。その発見はわくわくしますね。1879年、スペイン北部のアルタミラで、ひとりの少女が地主の父親と退屈しのぎに洞窟探検に出かけました。父親の名前は、ドン・マルセリーノ・サンス・デ。サウトゥオーラといいました。なにげなく洞窟の天井を見上げた彼女の目に、世紀の大発見が飛び込んできました。そこにはバイソンや鹿、馬が躍動していたのです。群れを着くって縄張りを争ったり、座り込んで反芻したりと、18000年前の先史時代に、描き手が完成させたそのままの状態が残っていたのでした。先史時代の芸術が残された洞窟は、アルタミラだけではなく、ヨーロッパだけで150カ所もありました。作品の完成度は極めて高いものでした。はるか昔に名もなき人物が手がけた謎めいた図案を眺めていると、洞窟の薄暗がりも手伝って我を忘れそうになるとダンバーは言います。大の男が心を打たれて涙を流すこともあったそうです。

 そんな古代の芸術作品の中に、壁面を埋め尽くす子どもの手形があるそうです。子どもの手形を押した作品は、よく園でも作ります。手をスタンプに押しつけて、手のひらにインクを付けて紙などに押しつけるのです。また、赤ちゃんが生まれたときに、記念に赤ちゃんの手形を押して保存する場合もあります。その小さな手に、その存在の意義を見出すことができるからでしょう。当時は、壁に手をついて、口に含んだ塗料を吹き付けただろうと想像できます。

ダンバーは、管理人の許しを得て、そこに自分の手を置いてみることを提案します。思いが通じたばかりの恋人にするように、おずおずと、やさしくです。すると、何千年もの時を飛び越えて、そこに子どもたちの温かい手を感じるだろうと言います。

 

最古の人類

 ダンバーからすると、アフリカの地層は、450万年前より古い人類化石の出土をずっと拒んできたと言います。ところが、2000年、ケニア中部バリンゴ湖のすぐそばにあるトゥゲン丘陵でフランスの調査隊が発見した人類の骨の化石は、約600万年前のものであることが判明したそうです。これまで4カ所の発掘地点から、5体分、計12点の足や顎、手、それに歯の骨が見つかっているそうです。この化石人類は、オロリン・トゥゲネンシスと命名されましたが、すぐに、「ミレニアム・マン」という愛称で呼ばれるようになったそうです。

 翌2001年、今度はトゥゲン丘陵から1000キロ以上西に離れたチャドで、20年近く報われない発掘作業を続けていたフランスのチームが、ほぼ完全な頭骨と、あごと歯の断片を発見したそうです。こちらはオロリンより少しだけ古く、700万~600万年前と推定されているそうです。正式な名称はサヘラントロブス・チャデンシス(チャドで出土したサハラの猿人という意味)ですが、「トゥーマイ」という愛称も付いているそうです。現地語で、「乾期直前にかろうじて生まれた子ども」という意味だそうです。

 600万年前というのは、分子時計で言うと現生人類とチンパンジーの共通の祖先がいた頃です。そのためオロリンとサヘラントロプスの発見は、大きな話題になったのです。

 見つかったオロリンの骨には、大腿骨の一部が含まれていました。保存状態も良好でした。一番古いアウストラロピテクスの大腿骨と比べると明らかに大きいそうですが、形状はよく似ているそうです。これをオロリン二足歩行の証拠とする主張もあるようですが、あいにく下端が失われているので断言はできないそうです。現存している部分だけなら、四足歩行の大型類人猿と変わらないからです。現生人類をはじめ、二足歩行が確認できているヒト科の生き物に共通して言えることですが、大腿骨は骨盤に向かって外側に傾いており、膝関節は平たい面にのっているそうです。そのおかげで、歩行中の身体の重心は地面に接する脚に直接かかることになるそうです。これに対して日常的に四足歩行をする大型類人猿は、大腿骨が骨盤からまっすぐ伸びているそうです。そのため後ろ足で立って歩くときはぎこちない動きになるそうです。

 脚の骨だけを見ると二足歩行の可能性も否定できないようですが、トゥゲン丘陵から出土した上腕の骨の断片は、現生チンパンジーとの共通点が多く、オロリンは樹上生活もしていたと思われています。さらにそれを裏付けるのが、指の骨の湾曲だそうです。これは、木登りする大型類人猿にはあるそうですが、現生人類には見られないそうです。

 チャドのサヘラントロプスは、少しだけ時代が古いとあって、さらに議論を呼んでいるそうです。発見者は最古の人類だと主張しているようですが、その根拠は頭骨の形だそうです。目の上の眉のところが盛り上がっていて、犬歯が小さいのは、それまで、サヘラントロプスより300万~400万年後のヒト属初期の人類にしか見られなかった特徴だからです。たしかに頭骨正面は、人類と似ていなくもありませんが、後ろから見た様子や、およそ3500ccある頭蓋の容量は、むしろチンパンジーのものに近いそうです。それよりもっと重要な手がかりは、頭骨底部に開いていて、脊髄が通っている大後頭孔の位置だそうです。現生人類はもちろん、化石人類でも頭骨が脊柱のうえにまっすぐついているものは、大後頭孔が中央に開いているのだそうですが、サヘラントロプスは、もっと後ろ寄りなのだそうです。このことからも、サヘラントロプスは、今の類人猿のように四足歩行だったと考えられるとダンバーは言います。

ホモ属たち

 アフリカにいたホモ・エレクトスは死に絶えるか、現生人類に進化するかしたと考えられますが、中国奥地には、その後もずっと生き残りがいたようです。ですから、新しく出現した現生人類が極東に達したとき、エレクトスの生き残りと接触したことは大いに考えられます。しかし、偶然かもしれませんが、エレクトスが存在していたのは、せいぜい6万年前までで、ちょうど現生人類が迫ってきた頃なのです。

 フローレンス島で見つかった小さな女性の骨は、それまでの思い込みを大きく変えました。彼女とその親戚たちは、12000年前まで達者に暮らしていたと思われる時代、それはほとんど私たちと同時代と言っていいようです。現生人類が、4万年前頃に、オーストラリアに入ったとすれば、移動の途中、インドネシアの森の中で彼女たちと遭遇していたはずだと考えられます。

 ホビットと仲間たちには顕著な特徴がありました。それは、私たちが見た国立科学博物館の展示の前で子どもたちが、気がついた特徴です。とても小さかったのです。自分たち年長さんと同じくらいの身長しかなかったのです。矮小な人間は、世界にはいまでもいないわけではありません。中央アフリカのピグミー属や、ネグリトと呼ばれる人々は、ホビットと大して変わらない身長だそうです。ただし、脳の大きさは、ピグミーやネグリトは、私たちと変わらないのですが、ホビットの脳は、猿人の祖先並みしかなかったそうです。

 意外だったのは、ホビットの骨と一緒にそこそこ発達した石器も発見され、火を使っていた証拠も見つかったことです。さらにはすでに絶滅した巨大なステガドンやコモドオオトカゲなどの大型動物を仕留めていた形跡もあったそうです。5歳児程度の体格の人間が、体重1トンにもなるステガドンを倒すのは簡単ではありません。そのためホビットは、計画を立てて、互いに協力する能力があったと思われています。もちろん、石器は現生人類の作だとも考えられます。しかし、そうであるにしても、なぜミズ・ホビットと仲間たちと同じ場所から石器が出土したのか?という疑問があるとダンバーは言います。

 石器の持ち主に食べられたから、というのはこういう場合の基本的な解釈だそうです。あり得ない話ではないかもしれません。現にチンパンジーとゴリラは、西アフリカではグルメの食材だそうですし、インドシナ半島ではサルが珍重されているそうです。現生人類から見たら、ホビットもほかのサルと同様、食料源だったのかもしれません。とはいえ、ホビットが食べられたという決定的な証拠はありません。ふつうなら骨に切り跡が残っていたり、骨髄の入っている骨が割られていたり、焼け焦げなど「調理」された跡があるはずだとダンバーは言うのです。結論を出すのはまだ早すぎると彼は考えています。

 彼は、最後に興味深い点を指摘しています。フローレンス島の近くにあって、同じ列島を構成するインドネシア最大のボルネオ島には、森に3種類の人がいると昔から言われてきたそうです。オラン・リンバ、オラン・ウータン、オラン・ペンデクです。オラン・リンバは森に暮らす先住民で、「いちばん深い森の子どもたち」と呼ばれて尊敬されているそうです。オラン・ウータンは、よく知られている大型類人猿です。オラン・ペンデクは、伝説の小さな獣人です。このオラン・ペンデクは、ホビットと接触があった遠い過去を物語っているのではないだろうかとダンバーは考えています。ホビットは、手を伸ばせば届きそうなところにいたのです。

人類進化

 2004年にインドネシアのフローレス島から女性の遺骨が見つかりました。そのことによって、世界中が大騒ぎになりました。その後、彼女の仲間も含めて計5人の骨が発掘され、さっそく「ホビット」という愛称で呼ばれるようになりました。ホビットの出現に古人類学の研究者たちは興奮し、マスコミも人類進化の歴史が書き換えられるのでは、と注目したのです。

 ホビットの真実は、そこまで劇的なものではなかったそうですが、それでも注目すべき存在であることには変わりはありませんでした。ホビットは、ヒト属の新種であることが確認され、フローレス島にちなんで、ホモ・フロレシエンシスと名付けられました。このホビットたちは、現生人類の直接の祖先であり、やく150万年前に枝分かれをしたのですが、注目点は、そこではないとダンバーは言います。重要なのは、なぜ彼らがそれほど長く存続したかということだそうです。

 化石証拠をもとに組み立てられた人類進化の流れを、ダンバーの解説により、あらためて復習してみようと思います。

猿人の時代が長く続いたあと、私たちの祖先はより人間らしい姿へと急に舵を切ったのです。それが、ホモ・エレクトスで、時代はおよそ200万年前頃です。この中での代表である人形の復元した姿も国立博物館に展示されていました。それは、エチオピアで見つかった330万年前の化石人骨「ルーシー」です。どうしてこの名前が付いたかというと、発掘場所で、テープレコーダーから流れていた曲が、ビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds(ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド)」だったからです。ホモ・エレクトスは、「直立する人」という意味で、脳の容量はそれ以前の猿人の350ccよりは増えていたそうですが、現生人類の1250ccにはまだ遠く及びませんでした。ただし、形のそろった長い脚、幅の狭いウエスト、樽のように膨らんだ胸部といった体型の特徴は、早くも現生人類と同じでした。この体型のおかげで、脚を大きく前に出して効率よく歩くことが可能になり、長距離を移動する遊牧生活に適応できるようになったのです。

 長距離歩行ができる身体を手に入れたホモ・エレクトスは、およそ100万年前にアフリカから世界に打って出ました。彼らは、たちまちアジア本土のいちばん端まで征服することになるのです。それからはずっと面白いことは起こらず、アフリカ・ヨーロッパに暮らす者と、東アジアにいる者もほとんど違いはありませんでした。しかし、次第にアジアはアメリカのいとこたちと袂を分かち、独自の道を歩き始めます。

 そして、50万年ほど前から、アフリカのホモ・エレクトスに大きな変化が起きます。脳の容量が飛躍的に増えた彼らは、またしてもアフリカを出て、ヨーロッパへと向かいます。アフリカで進化した新しい人類は、それから20万年という時を経て現生人類となっていき、アフリカから飛び出したのです。それが、約7万年前でした。彼らは、数万年かけて、氷に覆われていないオーストラリアを含む旧世界のすみずみにまで定着し、ついにはベーリング海峡を渡って、約16000年前には南北アメリカ大陸に到達します。これが、グレート・ジャーニーと言われるものです。

起源

 伝統的な狩猟・採集社会は、昔も今も自然に優しかったという意見があります。しかし、ダンバーは、その主張は残念ながら誤りであることが裏付けられていると言います。そうした社会が自然を守っているように見えたのは、人間の数が少なくて、無茶をやっても環境が破壊されなかっただけだというのです。都市の発達と人口の集中は様々なことを示唆していると言います。私たちはそこから急いで教訓を学ばなくてはならないとダンバーは提案しています。世界の人口増加にブレーキをかけることは、本当に差し迫った課題だからです。

 こんな状況のときに、ダンバーは人類の起源から考察しようとしています。人類の歴史は長く、また、ヒトはチンパンジーやゴリラといったアフリカの大型類人猿と同じかに属していますが。私たちの祖先が彼らから枝分かれしたのは、およそ600万年前です。そこからは平坦な一本道というわけでは決してなく、途中で横道もたくさんできて、なかには何十万と栄えたのちに絶滅したものもあります。600万~200万年前に生息していた猿人で、十数種類が確認されているアウストラロピテクスの多くと、アフリカを出て東に向かい、遠く現在の北京にまで達した初期のホモ・エレクトスやヨーロッパを中心に分布していたネアンデルタール人なども絶滅しています。

 私たち現生人類に続く系統も、何度となく絶滅の危機にさらされています。遺伝子学的な研究から、すべての現生人類の系統をさかのぼると、約20万年前にアフリカにいた5000人の女性に行き着くことがわかっているそうです。こんなにささやかな繁殖個体群は、途中で跡形もなく消えてしまってもおかしくなかったとダンバーは言います。

 私たちは、いま特権的な時代を生きています。それは系統の中で現存する唯一の種ということです。実は人類600万年の歴史の中で、そんな特異な時代が始まって、まだ1万年しか経っていないのです。それは、以前は必ず複数、最高で6種類の人類が共存していたそうです。すでに絶滅しているものの、現生人類よりはるかに長く存在した種はたくさんあります。なかには手を伸ばせば届きそうなぐらい、現生人類の時代のすぐ近くまで生きていた仲間もいるのです。

 ヨーロッパで最後のネアンデルタール人が死んだのは、つい28000年前のことです。最後のホモ・エレクトスは6万年前より少し後に中国で絶滅しました。インドネシアのフローレンス島では、やはりホモ・エレクトスの子孫にあたる小型の原人がつい12000年前まで生きていたのです。私たちの親戚と呼んでも差し支えない彼らは、いったいどんな人類だったのでしょうか?

 私の園の卒園生のお別れ遠足は、上野の国立科学博物館です。私も付き添って行くのですが、子どもたちはそこの展示にとても興味を持ってくれるので、一緒に行ってても楽しいです。ちょっと難しいかなと思うのですが、ビッグバンの爆発から始まって宇宙の誕生、そして地球の誕生、そして生物の誕生があり、人類に進化していく過程を子どもたちは食い入るように見ています。そして、その展示の中に少し前に紹介したマンモスの牙は骨でつくった家の復元があります。そして、人類の起源の展示の中に「ホビット」という愛称で呼ばれている女性が復元されています。彼女は、どのような存在だったのでしょうか?

先延ばし

今騒がれている温暖化はずっとおとなしく、2080年までに予測される平均気温の上昇はせいぜい4度だそうです。しかし、ダンバーは、思い切り後ろに下がって状況を眺めると、現在の気象がいかにふつうでないかわかると言います。貝殻に含まれる炭素同位元素から分析すると、恐竜たちが死に絶えた6000万~4000万年前までのあいだ、地球の平均気温は約30度、今の2倍も高かったそうです。ヨーロッパや北アメリカはうっそうとした熱帯林で、ロンドンやパリ、ベルリンの中心部ではキツネザルに似た霊長類が木々のあいだを走り回り、むっとする湿地ではカバが水につかっていたのです。長い時間軸で見ると、いまの寒冷な気候のほうがおかしいのだとダンバーは言うのです。

現在の温暖化に工業生産や農業活動が関わっているかどうかはともかく、地球の気候はもともと不安定だという事実は知っておいた方がいいと彼は言います。問題は変化が起きたときにどう対処するかだと言うのです。楽観者は科学がなんとかしてくれるだろう、過去にはその実例もあったと言うだろうと彼は言います。

いまから2世紀近く前、イギリスの経済学者トマス・マルサスが、ちょっとした議論を巻き起こしたそうです。農業生産高の伸びが人口増加に追いつかないことを指摘し、このままでは世界は破滅に向かうと警告したのです。このマルサスに大きな影響を受けたのが、「種の起源」を執筆していたダーウィンだそうです。自然淘汰のアイデアは、マルサスの主張に刺激されたものだとダンバーは言います。もっともここまで信じていたのは、ダーウィンぐらいのもので、多くの人はマルサスに懐疑的であり、食料生産の問題は科学が解決してくれるはずだと反発したそうです。結局正しかったのは、懐疑派でした。科学は時間稼ぎをしてくれたのです。農場で脇目も振らぬ努力が続けられた結果、アバディーン・アンガス種やベルテッド・ギャロウェイ種といった肉牛や、ブラックフェース種の綿羊が登場し、鋤や播種機も改良されました。そのおかげで中世の農民には想像もつかないほど単位面積当たりの収量が増えたのですが、スコットランドでは高地地方独特の農場や中世の伝統を受け継ぐ土地分配システムが姿を消すことになったのです。

しかし、当時といまでは状況が異なるので、安心してはいけないとダンバーは警告しています。農業革命は旧来の技術を活用したものでしたから、人並みに働ける農民ならばその価値がすぐに了解できたというのです。しかし、今日の科学は、はるかに高度な知識を土台にしています。そして、ここが心配な点だと彼は言うのですが、新発見の数を10年ごとで区切って数えると、この100年間は減る一方だそうです。それも無理はないと言います。過去にない発見ほど複雑な技術と深い知識が求められるからだというのです。知のフロンティアで金を掘り当てることは、ますます難しくなっていて、かかる費用も莫大だというのです。

しかし、本当に厄介な問題は、マルサスの亡霊が私たちの肩に取り憑いていることだとダンバーは言います。マルサスの予想は間違っていないと言うのです。科学はただ時間を稼いだだけだったというのです。化石燃料の消費量が増えることや、廃棄物や余剰物をところかまわず捨てることがどうというより、とにかく人間が毎年どんどん増えていくことがまずいのだとダンバーは言うのです。

温暖化

 ダンバーは、生物地理学的な特徴や進化面の特質から見ると、言語と生き物の種は共通点が多いと言います。彼は、もともと進化人類学が専門ですが、どうじに進化心理学教授も務めていることもあって、進化生物学と認知心理学、人類学の重なり合う領域で活動をしています。このような面から「言語」を見ると、いろいろなことがわかるのでしょう。種も言語も、高緯度地方より赤道付近のほうが、種類が豊富で、占める範囲が狭く、密集していると言います。高緯度になるほど季節の変化が大きく、予測が付きにくいのです。そのため広い範囲でお互いに情報を交換しあって、自然災害の影響をなるべく小さくする必要があったと言うのです。異なる種によるニッチ空間の取り合いといった現象も、その流れで起きることだろうと彼は言うのです。

 その地域でいちばん多くの人が話す言語を採用していきます。政治力を背景に、そうした圧力を掛けると、小規模な言語は消滅に追いやられます。小規模言語は自給自足できるところでしか生き延びることができないと言います。言語も種も、絶滅の流れを食い止めるには、救済行動が必要なのだと彼は訴えています。

 地球上の生き物にとって最大の脅威は、昔も今も気候変動だとダンバーは言います。2005年、モントリオールで開かれた国連気候変動会議で、アメリカを含むすべての国が温暖化を深刻な問題として捉え、最悪の影響を避けるための行動を検討することが決まりました。これで世界はひとまず安堵のため息を漏らしたそうです。実は、これは当時の様子ですが、最近のアメリカのトランプ大統領の行動は、少し心配ですね。トランプ米大統領は、持論の地球温暖化の否定に立って、これまでの環境規制を取り払い、石炭やシェール資源の開発認可にのり出そうとしています。さらに重要なことはトランプ大統領の一撃によって、国際政治における温暖化の意味が一変してしまうことであると危惧されています。しかし、ダンバーは、インド洋津波、パキスタン地震、ハリケーン・カトリーナと大規模な自然災害が連発し、あと起きていないのは火山の噴火だけという状態も関係しているだろうと考えているのです。

 さらに、2005年は本当に自然災害が多く、合わせて40万人という死者は平均的な年のおよそ5倍だそうです。ただし、これは災害だけの話で、実のところ交通事故の死者は世界全体で毎年100万人以上います。予防できる病気で生命を落とす子どもは800万人に上るそうです。

 地球の歴史全体を振り返ると、気候の激変は珍しいことではないとダンバーは言います。氷河期という言葉は誰でも耳にしたことがあります。ヨーロッパ北部全体が、断続的にではありますが、分厚い氷で覆われた時代です。氷河期はおおよそ6万年周期で訪れており、その間に温暖な気候の時代が挟まっているそうです。いまはちょうど温暖な時期というわけだそうです。

 最後の氷河期が終わったのは約1万年前です。このとき、徐々に温暖化していた気候が急激に寒冷に戻った期間があって、ヤンガードライアス期と呼ばれているそうです。地球の平均気温はわずか50年で7度も上がっています。それまでの温暖化で極地の氷が融け出し、海水面は90メートルも上昇しているそうです。それに比べると、今騒がれている温暖化はずっとおとなしく、2080年までに予測される平均気温の上昇はせいぜい4度だそうです。ですから、あまり危機感がないのかもしれません。

言語からわかること

 言語も動植物同様、大消滅時代にいるとダンバーは言うのですが、それは心配なことなのでしょうか?動植物は自然界のバランスが崩れ、私たち人間にも大きな影響があります。しかし、ある言語が消滅したとしても、それはどのような影響があるのでしょうか?その問いに対して、ダンバーは、言語の消滅は心配する必要があると言います。その理由はいくつかあるようです。まず、1つは全般的なことで、言語が進化する過程から学ぶことは多いですし、人間が移動してきた歴史も言語からたどることができるからだと言います。少数言語は、言語自体の特徴もさることながら、話者の遺伝子も合わせて調べることで、多くのことがわかるそうです。ただ、両者の結果が一致するとは限らないそうですが、言語は交易や征服を通じて普及することもあるからだそうです。

 ヨーロッパ系言語の歴史には、征服による言語伝播のあらゆるパターンが入っていると言われています。ローマ帝国が崩壊したあと、イタリア北部とフランスにはそれぞれランゴバルド人とフランク人が侵入しました。住民もしぶしぶ受け入れ、ランゴバルド人とフランク人はそれまでの母語を捨てて、まだ誕生間もないイタリア語とフランス語に乗り換えたそうです。そうかと思うと、アッティラ率いるフン族は、よほど脅威的だったのか、侵略先の住民たちは明らかにヨーロッパ中部の起源と遺伝子を持っていたにもかかわらず、フン族の話すモンゴル系言語をいそいそと受け入れたと言うのです。それが、いまのハンガリーで話されているマジャール語になったそうです。イングランドの場合は、もともとあったゲルマン系のアングロサクソン語と、1066年に征服王ウィリアムが持ち込んだフランス語を併用する道を選んだというのです。そのおかげで英語の語彙が豊かになったのはメリットかもしれないと言います。ほとんどすべての事物に関して、簡潔で直截なアングロサクソン系の単語と、凝ったフランス語系の単語が用意されていて、その使い分けで微妙なニュアンスを表現することができると言います。

 このような言語の変遷は、ヨーロッパでは多くに国に見られたのでしょうね。私たち日本人は、ありがたいことに、それまで使っていた言語が消滅の危機にあったことはありませんし、他の言語に取って代わられた経験もありませんので、それほど危機感を持っていません。その点、ヨーロッパでは危機感があるのでしょうね。

 それは、言語は、民族の知識庫でもあり、なかには医学的に重要な情報も含まれているからです。たとえば、アスピリンとマラリアの特効薬キニーネは、南アフリカのインディオから得た知識を元に作られているそうです。珠玉の知恵を取り出さないまま言語を消滅させると、優れた製品を世に出す機会も失われるからです。身近な例として、ちょっとした病気は、チキンスープで治すというおばあちゃんの知恵も化学的に裏付けがあるそうです。チキンスープには生化学的な有効成分がたくさん含まれていて、身体がウィルスなどの感染症と戦う手助けをしてくれるというのです。おばあちゃんのことばを誰かが記憶しなければ、何世代にもわたって編み出されてきた民間療法も消えてしまうだろうとダンバーは危惧しています。

 イギリスにも、おばあちゃんの知恵があるのですね。それは、言葉によって伝わってきているのですね。

言語も

マドリードにある国立科学博物館のダビド・ノゲスとブラボーの研究チームは、新しい気候モデルを駆使して、13万年前までさかのぼり、ヨーロッパとアジアでマンモスが生息していた地球を対象に気候を再構築してみたところ、12700042000年前まで、マンモス生息に適した気候の地域が少しずつ広がっていき、その後は、気候が安定したこともあって、マンモスは中国南部から現在のイラン、アフガニスタンまで到達していたそうです。しかし、2万年前から急速に温暖化が進み、6000年前になると、マンモスの生息域はシベリア北極圏と中央アジアのいくつかの地域を残すだけとなったそうです。

マンモスの数が減少したのは、やはり生息に適した環境が狭まったせいだろうと推測されます。さらにここから人類が関わってきます。現生人類は、7万年前にはじめてアフリカを出てからというもの、ずっとマンモスを狩ってきました。ノゲスとブラーボらは保全生物学に基づいた数字モデルを使って、狩猟方法や人口密度ごとにマンモス狩猟圧に対する感受性を推計したそうです。それによると、マンモスの生息数から一番多かった4万~2万年前にマンモスを絶滅させるには、18ヶ月ごとに人口一人当たり、一頭以上を殺さなくてはならなかったはずです。しかし、時代が下がって6000年前頃にはマンモスの数が激減していて、200年ごとに一人当たり、1頭以下でマンモスは絶滅した計算になるそうです。つまり、ほんの時たま仕留めただけでも、マンモスを地上から消すには充分だったということなのです。

マンモス狩りが盛んだったことを窺わせる考古学的な証拠もあるそうです。ウクライナにある2万~15000年前の人類の住居跡からは、建材として使われたおびただしい数のマンモスの骨が出土しています。この住居は、国立科学博物館に復元されています。テントの重石代わりという単純な用途もありますが、メジリオで見つかった4つの小屋は、マンモス95等分の脚の骨、下あご、頭骨、牙を積み上げたものだったのです。

個体数が多かったときは、人類による狩猟圧を難なく吸収できたマンモスですが、気候が変動して数が減ったことで、圧力を跳ね返せなくなったのです。つまり、狩猟圧がどんなに小さくても、それで種が絶滅に追いやられる可能性はあるということだとダンバーは言います。気候温暖化が進みつつあり、多くの種が危機的な状況にある今日、マンモスの前例はとても切実だと彼は言うのです。

このように動植物が全滅してきたように、言語のまた絶滅するとダンバーは指摘します。私たちはいま、言語の消滅時代にあると言うのです。世界で話されている言語は7000弱で、そのうち少なくとも550は、話者が100人に満たず、しかも高齢者ばかりで、1020年以内に消滅すると言われているそうです。残りの言語も、次世紀が終わるまでに半数が消えている可能性があると言われています。その1つが、彼の住んでいるスコットランドでは、スコットランド・ゲール語だと言われています。この言葉は、スコットランド高地地方とさまざまな島で話されており、アイルランドからやって来たゲール人が、西海岸を征服して以来、1000年余の歴史があるそうです。現在、この言語を話す人はわずか6万人だと言われています。しかも、グレートブリテン島では、全員がバイリンガルだそうです。また、皮肉なことに本来のスコットランド・ゲール語の話者は、19世紀にスコットランド人が数多く移住したカナダに多いそうです。ということで、日常生活で使用されることがなくなって、スコットランド・ゲール語はすでに消滅危機にある言語の1つに数えられているそうです。恐竜の仲間入りするのも、そう遠くない話だろうとダンバーは言うのです。