信用

触れ合いは昔も今も、私たちが思っている以上に社会生活で大きな役割を果たしています。それは、言葉で意識的かつ能動的に考えるのと違って、もっと深い感情レベルで受け止めるからだと考えられますが、それは、本能というか直感というか、遠い祖先から受け継いで精神の深い底部に潜む原始的な何かであり、進化面では後発組の言語中枢とは関係が薄く、むしろ、情動的な右脳と強く結びついていると考えられています。そのために、触れ合うことの重要さが普段か過小評価されていると言います。ですが、それは無理からぬことだとダンバーは言います。情動的な右脳が前面に出てしまうと、ちょっと身体が触れただけで刺激を受けてしまい、セックスになだれ込むということになりかねないからだというのです。特別興味のない相手と一度キスをしただけでも、情動の全システムが全開になって次の段階に突入してしまうのです。そのつもりがなくてもです。

それもあるから、私たちは見ず知らずの人とか、あまり親しくない人との密着を避けようとするのだろうと考えられています。身体的な接触がきっかけで、冷静なときなら絶対敬遠するような事態に陥らないとも限らないのです。とつぜんの感情に翻弄される危険をわかっているので、あえて一歩下がって距離を取るのだというのです。

社会は暗黙の了解のもと、あるルールに沿って動いています。というより、沿って動いていると信じています。ですから、その中で自分の動くことができるのです。きっと車は赤信号で止まると信じているから、青になると安心して道を渡るのです。ダンバーも、このように言っています。「あなたは毎朝車で職場に向かうとき、ほかの車も交通規則を遵守するはずだと信じている。左側通行を守るし、後ろからあおってきたりはしないと。」彼は、わたしたちは、日常生活が信用で成り立っていることを当たり前だと思っていると言います。日常生活どころか、社会そのものの中で、信用はとても大きな位置を占めます。

たとえば、アムステルダムにある世界最大規模のダイヤモンド市場では、すべてがいわゆる「紳士協定」で動いていると言います。何百万ポンドというダイヤモンドの品質保証も支払いも、握手ひとつで決まるそうです。もちろん、裏をかくようなやつは、脚を折られたり、頭に袋をかぶせられた紳士になったりするそうですが、数十人規模のきわめて小さい閉鎖的なコミュニティでは信用第一なのです。取り引きはこのコミュニティに属する者同士でのみ行なわれるそうです。そうでない者は、商品を見せてもらうことすらできないと言います。

私たちの生活のあらゆる場面に、信用は深く根を下ろしているとダンバーは言います。その根底にあるのは、ある種の互恵主義だというのがこれまで暗黙の前提でした。彼は、それは、「僕の背中をかいてくれたら、君の背中をかいてあげる」ということだと言います。しかし、最近では、信用がひとつの化学物質を軸に論じられるようになっているそうです。その化学物質とは、以前のブログでも何回か登場しているオキシトシンだそうです。スイス、チューリッヒ大学の経済学者のグループが最近行なっていた実験では、オキシトシンを鼻から嗅ぐことで、他者を信じて報酬を分けあうという意欲が高まったそうです。オキシトシンは、こんな効果もあったのですね。

 

信用” への13件のコメント

  1. 情動的ではあるけど、流されてしまうのも人間。完全に流されないように一歩引いているのも人間らしさなんですね。いろんな生活の中で、自然と他人を信用しているんですね。それは、個としてではなく全がそうであって、ルールを言葉などとして発することなく皆が守っているからこそ基本的に社会は上手く流れていってるのでしょうね。

  2.  〝社会は暗黙の了解のもと、あるルールに沿って動いています。というより、沿って動いていると信じています。〟最近の芸能界の不倫騒動に対して、なるほど解釈を深めたところで、このように〝暗黙のルール〟をしっかりと守れる人同士はやはりしっかりと守ってそういった関係にはならないのに対し、こういったルールを思わず守らずして別の世界に踏み込んでしまえるのは、やはり踏み込んでしまえる人同士がそういった関係になるので、類は友を呼ぶということが当てはまるようにも思えてきます。どんな状況でもしっかりすべきはやはり自分なのですね。
     そして、〝オキシトシン〟の登場です。人間が温かく、とても人間的である為に重要な物質であることを改めて確認しました。自分の態度が非人間的であったり、何か気分に左右されていると思った時に、この物質が少ないと自覚できることは重要です。科学的に自分を見つめる、という考え方は時にとても心を楽にさせます。

  3. 「見ず知らずの人とか、あまり親しくない人との密着を避けようとする」には、ちゃんとした理由があったのですね。命の危険にさらされる可能性が高いからかなとも思っていましたが、「とつぜんの感情に翻弄される危険」ということで、ちょっとした感情によって人生が台無しになるということを避けるための防衛本能でもあったのですね。近年を騒がしている芸能人のスキャンダルは、そのようなことが原因でもあるのでしょうが、それであっても踏み込んでしまうのが人間でもあるということでしょうか。そして、人と人を「信用」という形でつないでいる根底には、「互恵主義」というものがあって、やはり自他共に認める「持ちつ持たれつ」の関係性によって成り立っていることが感じられました。

  4. 「社会は暗黙の了解」は日々の中でも感じることがあります。それは敢えてそのことについて注意しなくても、「そうであるだろう」と思って過ごしていることはたくさんありますね。それは信用で成り立っているということになるのですね。その信用は例えばローンの返済といったことから、あの人だったら大丈夫という感覚も信用になってくるのかなと思いました。私たちはそういった暗黙の了解、信用という仕組みをたくさん作ることで住みやすい環境を作ってきたのかもしれませんね。また、もともとそういった力を人が持っているからこそでもありますね。なんだか集団でのあり方とつながっていくように思いました。オキシトシンにはそのような働きもあったのですね。驚きました!だとするとオキシトシンがどんどん出てくるような環境が必要なのかなとも思いますし、なにより、子どもを産む、育てるということが楽しいことということが人類の感覚にはあるのかなと思えてきます。

  5. 社会には、信用を軸とした「暗黙の了解」が多数存在していますね。私たちはそれを当たり前として過ごしてしまっていることが何だかもったいない気がしてきました。自分の中の当たり前を初心に帰って向き合い、「なぜなのか?」と考える必要性があるように思えました。暗黙の前提としてある互恵主義のような相互利益、ギブアンドテイクは信用を形として表す上で最適の方法のように思えます。また、これこそが人間が生まれながらに備えている協力的、援助的、利他的な特性が最も発揮されるところだとも思えます。オキシトシンは、幸せホルモンとも呼ばれていて、幸せな気分にさせてくれると覚えていましたが、鼻から嗅ぐことで、他者を信じて報酬を分けあうという意欲が高まる作用もあることに驚きました。これはあくまで鼻から嗅ぐ以外で、何か日常的な方法でも得られるのかが気になりました。

  6. 信用

    〝私たちは見ず知らずの人とか、あまり親しくない人との密着を避けようとする〟ということですが、いわゆる、まちがいを犯さないための防衛本能のようなものなんでしょうか。よくドラマでハニートラップを男性に仕掛ける女性なんかは、その辺のワザを駆使していたりするというのを見ますね。この〝とつぜんの感情に翻弄される危険〟は人間の不完全な部分であり、頭では分かっていても…という部分であるのでしょうかね。
    そして、〝信用〟ということについて、例えで書かれてあることに大きくうなづけます。人と人は信用でつながれ、その根幹には「互恵主義」があるんですね。

  7. 普段の生活を振り返っても、確かに、こうであろうとか決まっているからなど、相手へ対して暗黙な了解を得て、信用しているように思えます。これがごく自然に無意識に思っているときに、例えば、信号が赤なのに、無視していく車を見れば、嫌悪感を感じるだろうし、また、こうであろう思っているもの以外の反応、対応だったならば、何らかの感情の変化が起きると思います。社会的つながりには、信用することができなければ、相手と分ける、お願いすることできませんし、集団として生活することはできないと思います。銀行などでも、多額の金額を貸すことをします、相手が確実に返せる見込みがある訳でもなく、長年のローンをします、利子があるとしてもこのリスクは信用してなければできない形だと思います。しかし、ローンの返済などが遅れてしまえば、信用性を失う可能性を抱えていると思います。信用というものが、ごく自然にできているために、あんがい脆い部分があることも知っているのかもしれませんね。道徳感として皆がもつ力だとも考えられました。

  8. 「とつぜんの感情に翻弄される危険をわかっているので、あえて一歩下がって距離を取る」という理由から人間は見ず知らずの人との距離を保っているのですね。これも人間の暗黙の了解のような部分でもあるのでしょうか。「社会は暗黙の了解のもと、あるルールに沿って動いています。というより、沿って動いていると信じています。ですから、その中で自分の動くことができるのです」というのも頷けます。おそらく暗黙のルールは多数存在している中で自然と守って生きているのでしょうね。日常生活は信用で成り立っていること、更には社会も信用が占めていることを考えるとより保育というのは信用で成り立っているのでは感じます。子ども同士、子どもと保育士、保育士と保護者そして保育士同士という信用が深ければ深いほどいいチームが出来るような印象を受けました。

  9. 人の社会において「信用」は中心であり、根底であるものです。それは知らず「暗黙の了解のもと、あるルールに沿って動いています」とあるように、人々に一定のルールと距離感を与えていることになります。これまでそれほど意識をしたこともなかったですが、それほど信用を中心とした人のやり取り上のルールはあるということに気づきます。人の社会が法律によってまとまっているのも、お互い法律を守るといった信用があるからですし、どんな悪い人でも法律は守るように人の社会が出来ているのは考えてみると知らず人は人を信じているからなのですね。最近では信用が一つの化学物を軸に論じられているのですね。「オキシトシン」は確かに以前にも道徳の内容でも出てきました。信用と道徳の関係も決して無縁ではないでしょうし、そこに「オキシトシン」という化学物質が密接に関係しているのですね。

  10. ルールということを意識することは日常的によくありますね。そのルールの根拠が法律や法規であることを承知することもあります。法律や法規によって確立されているルールのもとに私たち一人ひとりが行動することの根底には、確かに、信用、ということがあります。交通法規は誰もが守るだろうと他者を信用しています。自分も他者から信用されるためにルールを守ろうとします。アムステルダムのダイヤモンド市場における「紳士協定」のことが紹介されていました。紳士ジェントルマンとは信用できる人のことであることをこの事実から知ることができますね。お金に関わることには信用ということが重要になってくることはわかりやすいことだろうと思います。「金の切れ目が縁の切れ目」などという諺もあります。縁とは互いに信用し合っていることに繋がることもわかってきます。信用どころか疑って人を見る風潮が蔓延しているような昨今、これもまた人類存続の危機に繋がる要因なのかもしれない、と思ったところです。信じあえている関係は、すなわち幸せな関係なのだということにも気づきました。

  11. 確かに日常生活や社会そのものが「信用」で成り立っているかもしれません。ブログに書いてあるように車は赤信号は止まるという交通ルールがあるので、運転手はそれを守ってくれるという信用から横断歩道を渡ります。日常生活だけでなく暗黙の了解で縛られたルールというか信用というのは色々なところにあるので、時には自分から把握しないといけない時もあるように思います。アムステルダムのダイヤモンド市場はまさにそうですね。ただ自分がそんな場に行くわけではないので知る必要がないのですが、信用だけで成り立っている小集団の中で、中途半端な信用というのは返って自分の身を滅ぼすように思います。ただここで藤森先生の言葉を思い出すのは「人を裏切るより、裏切られた方がいいじゃない」という言葉です。この言葉は自分の中での「信用」という意味を大きく変えて下さった一言です。

  12. 「信用」というものが社会においてどれだけ大事かというものを再認識させられました。ダイヤモンドの例が出ていましたが、いわゆる市場レベルではそうしたことは多々あるのかもしれませんね。魚のセリ等でも、言い値を言い合いますが、ある種のそうした関わりがないといたずらに値段が吊り上がってしまったり、うまく売れなかったりとお互いにとって良くないことが起きてしまいます。「信用」というものを大切にすること、それは保育現場を含め、どんな場面においても大切ですね。

  13. 改めて考えてみると、私たちが日々生活している世の中や社会は信用で成り立っていますね。例に挙げられている車の運転は互いに交通ルールを守ると信じているからこそ成立しているのであり、それ以外にも社会の多くは信用がなければ成立していないことばかりです。車に関しては、教習所の教官が言っていた、相手がルールを守ると信用しすぎると事故に巻き込まれるケースもあるので、常に対向車などは疑って運転した方が良いという言葉を思い出しました。それも一理あるとは思いますが、疑ってばかりだと不安ばかりが積もって運転どころではなくなってしまいそうです。そう考えると運転に限らず、信用と反する疑うということは気持ち的にも疲弊し、ストレスになるということに気がつきました。

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