道徳の輪

 アメリカのここ30年間の道徳的変化を支えてきた最大の原動力は、ひょっとすると連続ホームコメディだったかもしれないとブルームは言います。これが単なる直感であることを、彼は認めています。しかし、他の国々でも、テレビの導入が、道徳的信念に目覚ましい影響を与えたという証拠があると言います。ロバート・イェンセンとエミリー・オスターによると、インドの地方の村にケーブルテレビが普及し始めると、学校に通う女性の数が増え、配偶者に対する暴力は以前ほど容認されなくなり、娘より息子を欲しがる風潮が弱まったといいます。イェンセンとオスターは、こうした変化は、比較的グローバルな価値観が提示されることが多い、メロドラマに接したことが原因ではないか、と考えているようです。同様の知見が、ブラジルやタンザニアの調査でも得られているようです。

 ただし、物語を通して発進されるメッセージが、かならず道徳的に正しい、という自然法則は存在しません。聞き手を、自分と遠い他者の身になってみようという気にさせる、道徳の輪を拡大させるあらゆる物語の一方で、道徳の輪を縮小させる物語もあると言います。それは内集団の外側にいる人間が、いかに性悪で、嫌悪をもよおさせるかを描写する物語です。「アンクル・トムの小屋」や「シンドラーのリスト」に対して、「シオン賢者の議定書」「国民の創生」といった物語もあると言います。道徳は変化するという説は、なぜ、広がる輪の物語が残酷な物語より人の心をつかむのか、そもそも、なぜ人は、こういった正しい物語を作ろうと思うのかを説明しなくてはいけないとブルームは考えます。

 道徳をめぐる議論は、宗教抜きには完結しません。それは、多くの人が宗教を、道徳的進歩の主要な原動力と考えているからだとブルームは言います。実際、多くの人が、とくにアメリカでは、この考えをさらに推し進めて、神を信じなければ、よい人間になれないと考えているのです。アメリカ人の多くが、たとえその他の条件が満たされていても、無神論者の大統領候補には投票しないと言います。実際、この点について、無神論者は、モルモン教徒やユダヤ教徒、同性愛者よりも分が悪いようです。アメリカ社会の未来を誰と一緒に考えるか、という質問に対して、無神論者と答える人はまずいないそうです。無神論者は、犯罪予備軍や傲慢なエリート主義者と同様に、利己的で不道徳的だと考えられているそうです。

 人が、神がいなくても善人になれるとしても、その善性の何分の一かは、宗教的理想を基盤とした社会で育ったおかげだという人もいるくらいです。哲学者で、法学者でもあるジェレミー・ウォルドロンは、人間の、他者への思いやりを導く上で不可欠な道徳的洞察の多くは、偉大な一神教信仰の教えに起源があると主張しているそうです。「快適な共同体の中の、限定的な利他性に一石を投じたのは、西欧の宗教がなしえた偉業の一つである…私の念頭にあるのは、貧しい人を虐げ、見知らぬ人をうち捨て、はみ出し者を追い立て、その上に富を築く者たちを不安に陥れることを目的とした、トーラー(ユダヤ教の宗教上・生活上の教示)の定めであり、預言者たちの断固たる説教であり、詩編作者の詩である。また、社会の底辺で蔑まされている者たちの仲間であったイエス・キリスト、私たちに、飢えた者に食べさせ、裸の者に衣服を与え、赤の他人を家に泊め、よそ者扱いされて獄に繋がれた人を見舞おうという意欲を与える、彼の教えと手本である。」