物語に触れる

19世紀の歴史家ウィリアム・レッキーは、道徳的態度の変遷に関する考え方の一つとして、「道徳の輪」ということを考えました。道徳の輪の内側にいるのは、私たちが、その運命に関心を寄せる人々、すなわち私たちによって大切な人々であるとしたのです。そして、この輪は、最初は小さく、歴史の歩みと共に拡大すると考えました。ダーウィンは、「人間の進化と性淘汰」で、レッキーの言葉を肯定的に引用して次のように続けています。「人類の発達の過程で、私たちの思いやりは、さらに慈愛に満ち、広く行き渡るようになり、あらゆる人種の人間、知的障害者、身体障害者、その他の社会の無用の成員にまで拡大され、ついに下位の動物に及ぶ」と言ったのです。

この「その他の社会の無用の成員」という発言から、この本が発表された1871年以来、社会のあるグループに対する言葉遣いがずいぶんと変わったものだと、あらためて気づかされるとブルームは言います。現在では、知的、もしくは身体的な障害を持つ人を不用意に「無用」などと言う人はいません。さらに、そしてこちらの方が重要だが、ダーウィンの言葉は、道徳の輪を拡大させる原動力が、完全な利己的性だけでないことも思い出させると言います。道徳の輪を広げる行為が、私たちに物質的利益をもたらすとは限らないのです。「知的障害者」「身体障害者」をより思いやることで、私たちが得をするわけではないのです。

輪を拡大させる原動力の一つが、生身の接触だと言います。人が互いに対等な立場で、共通の目標に向かって働いているとき、個人同士の交流が偏見を減らす場合が多いのです。よく引き合いに出される例が、軍隊とスポーツチームだそうですが、1950年代以降、さまざまな研究が、あらゆる環境で、生身の接触が効果的であることを確認しているそうです。たとえば、人種差別が撤廃された公営住宅に住む白人の主婦、黒人とペアを組んだ白人警察官などです。つまり、親が、子どもの人種的偏見をなくすために、さまざまな人種の子が通う学校へわが子を入れるのは正しいのだとブルームは言います。適切な接触状況下で、子どもたちは、自分の道徳の輪を拡大し、輪の中に、他の人種の成員を入れるようになるのです。

このことは以前のブログでも取り上げました。そのために、子ども集団を、男女によって分けたり、障害があるなしによって分けたり、年齢によって分けてはいけないということがドイツでは決められているのです。

輪を拡大する、もうひとつの重要な要因があると言います。物語に触れることだというのです。哲学者のマーサ・ヌスバウムは、物語は子どもに、自分とまったく違う見方や、アイデンティティを持つ人に、どうすれば共感できるのか、どうすれば相手の身になれるのかを教えてくれると言っているそうです。「私たちは、周囲のいたるところで、人に似た形を見ます。しかし、どうすれば彼らとつながれるだろう?……幼少期の物語の読み聞かせは、私たちに、仮面の後ろの人生、すなわち形の向こうにある内面世界について、疑問を持つことを教えてくれる。物語に触れることで、私たち自身とよく似たこの形が、私たち自身のものといくつかの点でよく似た、情動、願望、計画の住みかであると推測し、しかし同時に、その内面世界は、異なる社会環境によって異なる形に成形されていると理解する習慣が身につく」と言っているのです。