文学作品

哲学者のマーサ・ヌスバウムは、物語は子どもに、自分とまったく違う見方や、アイデンティティを持つ人に、どうすれば共感できるのか、どうすれば相手の身になれるのかを教えてくれると言います。では、物語がなければ、他者の心とつながることが出来ないわけではないと言います。1歳児でさえ、身の周りにいる「人に似た」形を、自分と別の、情動、願望、計画を持つものとして考えています。しかし、ヌスバウムが話しているのは、能力ではなく、習慣なのです。そこで、物語に触れると、私たちは、他者の心について考えてみようとするようになる、というその主張をしっかり考えてみようとブルームは提案します。

「人に似た形」の中には、私たちが自然に考えてみようという気にならない人もいます。ブルームは、自分の体験を振り返ります。彼は、独房に監禁された囚人の境遇についてほとんど考えたことがなかったそうですが、感動的な報道記事を読んでから、考えが変わったそうです。

彼は、物語は、そのつど思いやりを呼び覚ますと言います。しかし、同時に、自分たちの道徳原理や行動の習慣を見直しきっかけを与えてくれます。心理学者であるスティーブン・ピンカーは、「外国人、探検家、歴史家の目を通してしか見ることのできない世界に触れることによって、これまでこうしてやっていたというような絶対視されてきた規範が、筋道の通った意見、これは、私たちの部族が、いま、たまたま行なっていることであるような意見になる。」と言っているそうです。これが、まさしくヘロドトスが、ギリシア人とインド人の逸話を紹介したときに行なっていたことであるとブルームは言うのです。旅は、世界を広げます。そして本を読むこともまた一つの旅であると彼は言うのです。

実際にいろいろなところに行くことができない場合には、一つの記事から、物語から道徳的な刺激を受けるような世界と出会うことができるというのです。本の中での体験が、自分の体験を振り返ることになり、一つの手本となり得るのかもしれません。そういう意味では、最近の本離れは、道徳的原理を構築する上では問題かもしれませんね。だからといって、どんな本でもいいというわけではなさそうです。

しかし、こうした説明は、文学作品の道徳的複雑さをないがしろにしているという批判もあるようです。文芸批評家のヘレン・バンドラーは、「フィクションを、道徳の覚醒剤や道徳の催吐剤のように扱うことは、芸術作品に内包される複雑な精神的・道徳的動機を認識している者にとっては不快であると記しているそうです。法学者のリチャード・ポズナーは、多くの偉大な物語に描かれているのは、ろくでもない価値観と指摘しているそうです。たとえば、「イーリアス」には、レイプ、略奪、殺人、生贄とされる人間や動物、内縁関係、奴隷制度が出てきますし、シェイクスピアやディケンズの作品には、ユダヤ人差別、人種差別、性差別などが描かれています。ポズナーは、「文学の世界は、道徳の無法地帯である」と結論しています。

日本でも、バトルロワイヤルという小説や映画が放映されたときに、賛否両論でした。ここから暴力反対という気持ちが生まれるという意見と、逆に暴力的な心が呼び覚まされてしまうという意見がありました。しかし、出版の自由ということで、制限はできないのです。それは、映画でも年齢指定をするに留めています。

文学作品” への13件のコメント

  1. 「イーリアス」にしても、シェークスピアやディケンズにしても、現代の人権基準に照らすとほぼ落第、となるでしょう。先日、人権研修に参加しました。セクハラやパワハラで有名?になった「ハラスメント」はなんと33種類もあるそうです。これらのすべてが人権侵害に当たるそうです。私たちの生きている時代は人類史において果たして如何なる時代か?それから最近、極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判について若干知る機会を得ました。「人は戦争を裁けるのか?」。戦争だめでしょう、戦争での人殺し犯罪でしょう、ということが実は法律で決められていないことがわかりました。・・すいません、トリビアな情報提供・・・さて、物語作品でのあれこれはあるのでしょうが、私は「物語に触れると、私たちは、他者の心について考えてみようとするようになる」という哲学者マーサ・ヌスバウムの主張にブルーム氏同様の考えを抱きます。「バトルロワイヤルという小説や映画が放映」については私はよく知らないのですが、日本のメディアは欧米に比べて暴力には寛容?なところがあるような気がします。だから子どもが観る何とかレンジャーの闘いを模倣した子どもたちの闘いごっこにも繋がる?暴力の連鎖を容認しているメディア?そして飛躍して「文学の世界は、道徳の無法地帯である」というポズナーの言い分もわかるような気がします。それでも、言論の自由、表現の自由は守りたい。

  2. なんだか自分のことと、とてもマッチするブログの内容に驚いています。物語が子どもに与える影響というのはそんなにもあるものなのですね。そして、それが「能力」ではなく、「習慣」であるということが印象的でした。物語に触れることの大切さを感じました。物語は「同時に、自分たちの道徳原理や行動の習慣を見直しきっかけを与えてくれます」というのは経験があります。自分ではない人の考え方を知ることで、影響を受けたということはいくつもあります。それは実際に体験できないことでも間接的に触れることで、世界を広げることになるのですね。しかし、私の場合はそのことばかりになってしまっていて、本物に触れるという意識が薄いということに気付かさせてもらいました。様々な物語は自分の世界を広げてくれるのですね。しかし、そういうものばかりではないということも同時に意識しなければならないということを教えていただきました。

  3. 近頃、「マインドフルネス」という言葉を耳にします。それは、「その一瞬に全力を傾けること」と言えるそうですが、それを訓練するためには、無意識の呼吸を意識的にして、無意識になった瞬間にそれを再び意識下に持っていくという習慣が良いと専門家は言っていました。現代の混沌とした社会において、何かに没頭することが容易ではない状況が多いですが、それを持ち合わせることで人生のあらゆる面を豊かにできるとされているそうです。それも習慣の力であって、本や物語、また、人型の物との触れ合いによって、道徳心を考える機会を習慣的に持てるという時間が重要であるように感じました。そして、フィクションとノンフィクションとの区別については、子どもたちは理解しているのではないか、むしろ、フィクションに出会うことでノンフィクションを知っていくのではないかとも感じましたが、道徳というものを考えた時、そこは「無法地帯」という存在にもなってしまうのだなぁと思いました。

  4.  〝日本でも、バトルロワイヤルという小説や映画が放映されたときに、賛否両論でした。ここから暴力反対という気持ちが生まれるという意見と、逆に暴力的な心が呼び覚まされてしまうという意見がありました。しかし、出版の自由ということで、制限はできないのです。〟一つの物語に対して両極端な意見が生まれるということに人間の面白みを感じたりもするのですが、それと同時にその意見は既にある程度の道徳観を持った大人の意見であるということを感じるところです。バトルロワイヤルという小説や映画を指すわけではないのですが、道徳観を育む過程においての子ども達にとって、例えば〝ろくでもない価値観〟を持った作品に触れることは危険が伴わないとは言い切れないと思い、その証拠のような形で年齢制限が設けられています。〝だからといって、どんな本でもいいというわけではなさそうです。〟本当に、どんな本に、物語に触れるか、子どもにその選択を全て委ねるのは酷というもので、やはり大人がその環境を整えるべく、様々な本、物語に積極的に触れていく必要があるように感じました。

  5. 〝旅は、世界を広げます。そして本を読むこともまた一つの旅であると彼は言うのです〟という一文が印象的でした。
    よく「子どもには本を読んであげよう」ということが言われますが、本を読むことを通して擬似的な「旅」をしているということ、自分の知らない世界への、未知なものへの好奇心、探究心、関心、興味がそこにはあるということであるように感じました。
    この頃はあまりしなくなりましたが、息子が寝る前、一緒に布団に入ってから、本を一冊読んで寝るようにしていました。今回のブログを読んで、またその習慣を復活させようと思いました。
    ですが、〝だからといって、どんな本でもいいというわけではなさそうです〟とあり、「バトルロワイアル」なんかが上がっていましたが、慎重に選ばなければならないということなんですね。

  6. 「旅は、世界を広げます。そして本を読むこともまた一つの旅である」という言葉がとても印象に残りました。「本離れ」とありましたが、私もそれに当てはまる気がします。漫画が好きでよく読むのですが、小説等の文字だけというのが苦手です。「アニメや漫画は日本の文化」とも言われ、私にあてはめて言うのもなんですが、それらの台頭も本離れの背景にあるのかなと感じました。また「文学の世界は、道徳の無法地帯である」という言葉も印象的でした。確かに「バトルロワイヤル」のように過激なものがありますね。最近では内容にあった通り、過激な映画には年齢指定、R指定がされていますね。私はアクション系が好きなので、選ぶ映画にR指定の付いていることが多くあります。しかし、「暴力的な心が呼び覚まされてしまう」という感覚を覚えたことはありません。フィクションであることを割り切れるかどうかも大事なのかもしれないと感じました。

  7. 「 物語は子どもに、自分とまったく違う見方や、アイデンティティを持つ人に、どうすれば共感できるのか、どうすれば相手の身になれるのかを教えてくれると言います。」と前のブログにもあげられていました。ある子どもがどうしても人の気持ちが考えられず手を出したり怒ってしまうのでどうしたものかと考えた結果、物語を見せることにしました。「ごめんねともだち」という本を読み聞かせをしてあげました。直後にはすぐ自分にはない考えに触れ理解しているような感じではありました。しかし、継続はしません。そこはやはり「 能力ではなく、習慣なのです」ということころを強く感じました。最後にあるバトルロワイアルのような作品の自由として過激なものがありますが、それを道徳として捉えると確かに「無法地帯」という言葉が適しているのかなとも感じますね。

  8. 物語が感じられるものというのは、他者との心の繋がりになることが感じられようになるという考え方をもつと考えると、物語がもつ影響力というものは、非常に大きなものですね。確かに、私は、漫画ではありますが、本を読むことが好きで、以前はよく見ていました。そのなかで、例えば、喧嘩であったり、戦いであったりするシーンでは、これは痛い、ひどいというような嫌悪感に近いものが働いているように思えます。また、ポズナー氏のいう、゛「文学の世界は、道徳の無法地帯である」゛とあることからも、読む側がどう感じるかによって、道徳的感情はかわってきますね。私が、そう感じるように、相手も別の形であれ何かを感じているとするならば、物語を共感するような機会は必要だと感じます。絵本や紙芝居をみんなで見て、終わって物語について話すことがそのようなこのだと考えられました。

  9. 社会人になって「本」を読むようになりました。自己啓発の本、フィクション、様々な分野の本を読むようになり、本から学んだことも多くあります。確かにブルームが独房に監禁された囚人の今日う遇について考えたこともなかったが、感動的な記事を読んで考えが変わったと書いてあるように、本や新聞の記事から自分が体験したことがない事を教えてくれますし、バーチャルかもしれませんが行った気分にもしてれます。しかし「どんな本でもいいというわけではない」と書かれてありますが、その通りですね。「バトルロワイヤル」は私も映画館で見ました。中学生が殺し合うというストーリーは今思うと恐ろしいですね。ポズナーは、「文学の世界は、道徳の無法地帯である」と言っているように出版の自由がある限り作者は無限に表現できてしまいます。最終的には「バトルロワイヤル」のような作品を読んでも、ブレない道徳感が必要だと思います。それにはやはり、乳幼児期の大人の言動など、子どもが生活する環境が重要なのかもしれません。

  10. 物語の中には行動の習慣や文化を知ることなど、自分が知ることができない視点を見るような旅ができる反面、道徳の無法地帯としての側面もあるのですね。確かに「バトルロワイヤル」は世代ど真ん中なので賛否両論の意見があったのを覚えています。私はあまり得意なジャンルの本ではないので、読んではいなかったのですが、考えさせられる内容です。どこまでを規制して、どこまでを自由にするのか、どちらも正解であって、どちらも不正解でもあるように思います。ただ「反面教師」という言葉もあるように、価値観や道徳観のアンチテーゼとしての側面も否定できないですし、結局は今の社会とフィクションであり、しっかりと洞察できるかといった力を持ってみるかどうかといったところになるのかもしれません。そういった意味では物語からまなぶこともあるでしょうし、経験から学ぶこともある。それらを取捨選択できるような価値観を持てるように社会を作っていかなければいけませんね。

  11. 文学作品というものに自分がどのように触れ合ってきたかを考えると、学生時代に、国語の授業等で取り上げられていたものや、何気ないテストで抜き出された文章がとても印象的だった気がします。もちろん今でも、本を読むことはありますが、ジャンル的に保育のものが圧倒的に多く。幅広いジャンルという意味では、学生時代に読んだ何の話か分からないまま始まるわくわく感は面白かったなと感じてしまいます。そうした意味ではこのブログで取り上げられる本も、実際に読んでみるとブログの意味が更に深まり面白い発見があったりもする気がします。

  12. 「物語は子どもに、自分とまったく違う見方や、アイデンティティを持つ人に、どうすれば共感できるのか、どうすれば相手の身になれるのかを教えてくれると言います」とありましたが、「私」とは全く違った視点で物語を読むことで、相手の身になって考えるという視点が増え、理解できていなかったことが、経験したかのように、理解につながります。そして、自分の狭いさ、経験の浅はかさを知ります。
    「旅は、世界を広げます。そして本を読むこともまた一つの旅であると彼は言うのです。」とあり、本の素晴らしさは、正にそこだと思います。経験はできないのに、本を読むことで疑似体験をし、自分がその世界にいるようにワクワクします。私は小さい頃、「ぐりとぐらのカステラ」の絵本が好きで何度も読んでいたのですが、読んでいる際は、自分も主人公になり、絵本の世界で大きいカステラを作っているように感じていました。そして、大人になった今でも、そのワクワクは残っています。

  13. 少し前のブログでも良い行いを機械的に習慣化する必要があるとありましたが、道徳において習慣化するということは一つのポイントなのでしょうか。
    物語は、そのつど思いやりを呼び覚ますとありますし、道徳原理や行動の習慣を見直しきっかけを与えてくれますともありました。そうであるならば、なるべく多くの本や物語に触れておくべきですし、私にはそれが圧倒的に足りていないので、本に触れることを習慣化する必要があります。ただ、どんな本でもいいわけではないですし、文学作品である物語や本を道徳と結びつけることへの批判的な意見もあるようですね。そういったことも含めたうえで、本から何を感じ学ぶかは人それぞれであり、一様に道徳に結びつくものではないかもしれませんが、自分の持つ世界観や価値観を見直し、広げるためにも、やはり本や物語に触れることは必要であり、それを絵本や紙芝居の読み聞かせなどを通じて、子どもたちにも感じてもらえればと思います。

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